6 27

土曜日の夜、近所の公園で花火をして遊んだ。
その少し前の2時間ばかりを栄のKという店で食事をしながらおしゃべりをしていた。
そのさらに数時間前はナゴノスペースにいてワークショップをしたりカービングをしたりしていた。
つまりは、朝9時半から夜10時半までを一緒に過ごしていたようなものになる。

4人が花火で遊んでいる風景を眺めながら、僕は保護者の気分になる。
そんな気分だから水を入れたバケツを用意している。

6 24

先日から冷房のスイッチはオンにしてある。
暑い。


徹夜の仕事が終わりシャワーを浴びる。
缶ビールのキャップを開け、テレビをオンにする。
画面の中ではテレビショップで有名な某社長が某メーカーの大型テレビの宣伝をしている。
さらにこのスピーカーを付けると煽る。ついでにこれも付けるとブルーレイの録画機を見せる。
付けると書いても無料ではなく、この3点をセットで買うとこの値段ですよと煽る。
さらに、これは省エネだと力説する。だから、お買い得だと力説する。
ものを消費してそれが省エネに繋がることは絶対にない筈だけど、この社長は省エネだと言う。
理由はテレビをOFFにすればブルーレイもOFFになる設定だかららしい。

この社長の頭の中の回路はどう繋がっているんだろうかと思ってしまう。
思ってしまいながら、この会社もそう長くは続かないんじゃないかと思ってしまう。
ついでに書けば、思ってしまうとは個人的にはそう期待してしまうということでもある。

今、こういうことを書いている。

震災後の日本は変化を起こす。
変化とは価値観への変化のことで、
効率万能とか便利性の追求という言葉で表現されているものが変化を起こすということで、僕はそれをここによく書いている。
個人的な希望として書いているけど、個人的という言葉はもうそろそろ排除してもいい気もしている。

変わった方がいいのではなく、変えなくていけない。


6 21

外を眺めていると夏の感じがする。すでに夏の日差しで、どうにも暑い。

ドアを開け窓を開けている。今日はそれに扇風機が加わる。
冷房のスイッチはオンにしたくない。

額から何度も汗が垂れた。


6 20

先週は初めから体調が悪かった。
どうにも変だと体温を測ると38度に近い。
どうやら風邪だと気が付いて休むことにした。

身体に自信があると、そんなことにも気が付かないものらしい。

休むことにしようと考えたのはいいけれど、お客も来れば生徒も来る。
来てしまえば休むことが出来ない。
それでも合間を見つけては休んでいた。つまりは寝ていた。
そんな2日間を過ごした。
すると平熱に戻り楽になる。

休養は必要だと、まあ、当たり前のことに気がつく。

な訳で、今週もだらだらしての仕事になる。


6 14

1970年から2年が過ぎて、僕は22歳になっていた。
時々その頃を思い出す。

告白すれば、僕は長田弘ばかりを読んでいた。
家のどこかにある筈の彼の詩集を手にすることがなくとも、彼の詩集があるというが今の安心感に繋がっているのが分る。
それがどういう意味かと聞かれても、答えることはしないけれど。

長田弘を読まなくなって随分と時間が過ぎた。

昨日、突然に彼の詩を読んだ。
読んで、1972年を思い出し、こんなことを書いている。

言葉の断片は、時には人の生きることを決定しまうことがある。

以下は長田弘の言葉の断片。

わたしたちは、何をすべきか、ではなく
何をすべきでないか、考えるべきだ。

6 12

梅雨とはこんなんだろう。

昼、ふたりの生徒がいてふたりの生徒には傘がない。
傘、貸そうかと聞けばいいと言う。
雨が降っているのか降っていないかのが分らないのでそんな返答になる。

そんな時にN野さんが来る。
雨って降っていたっけ?
うん、ポツンかなとN野さんが言う。
10メートルに一粒って感じ。

そのN野さんが作業をしているとIさんが来る。これは珍しい。
Iさんは震災以降の仕事の話をして、その絶望的な環境を言う。
それから、さらに絶望的な会話を続けて教室の予約を入れて帰ってゆく。




唐突に革製品の価格のことを書く。

「せいさく」という言葉には制作と製作がある。
当然ながら違いがある。
普通には「制作」はひとつだけ作る場合に使い、「製作」は複数作る場合に使われる。
分りやすく書けば、工房などで1点だけ作る場合は制作を使い、工場で複数を作る場合は製作を使うということだ。
さらに分りやすく書けば、卒業制作とは書くけど卒業製作と書かない。
別の見方をすれば、作家とか工芸家は制作活動をするけれど製作活動はしない。
つまりは、品には製作された品と制作された品があるってことだ。
これには違いがある。違いがあるので価格も違ってくる。

工場で複数製作される商品には価格が付く。
これは割と簡単に付きそうな気がする。
世間には市場というものがあるので、自然に市場価格になる性質がある。

問題は制作された品で、これが難しい。
実は制作されたものの市場はないかあったとしてもとても狭いので、自然に消費者が決めるるということにはならない。
さらに、作る側が、つまりは作家なり工芸家というものは当然ながらピンきりな状態なので、難しくなる。
さらに書いてしまうと、このピンきりの状態は他人はもとより当人にも分らない場合がある。

とは書いても、制作されたものの価格というものは、売り手と買い手の間にしかない。
他にはないので、それを高い低いということが出来ない。
価格の高低への感想があったとしても、まあ、当事者でなければあくまで感想でしかない。

時々、これはぼったくりをしているなと感じることもあるけれど、書い手がいいと思えばその感想は間違いかも知れない。

本当に難しい。


そんな訳で、僕は僕の生徒が制作したものを売る場合にはその価格には何も言わない。

6 9

コンビニで煙草を買うとコーヒーいりませんか?と店員が聞く。
うん?と聞き返すとコーヒー缶付きの煙草だったらしい。
煙草にライターが付くのはよくあるけれど、コーヒー缶が付いた煙草には驚いた。

震災後、煙草の入手が難しくなった。
煙草の入荷がガタンと落ちたらしく、煙草を買うたびに違う銘柄を買っていた。
つまりは、毎日違う銘柄の煙草を吸って過ごしたことになる。
そうでも、いっそ止めてしまおうかという気にはならない。

先日、横浜にいた。
横浜は神奈川県にある。神奈川県の条例では喫煙が厳しい。
厳しいというよりは禁煙令が施行されているような気配で、どこでも吸えない。
吸えないと決められてしまうと吸わないで済ましてしまう。
実際にそれで済んでしまうけれど、どこか淋しい。
嗜好品というものは、常識があれば個人の自由の領域に含まれていいものだ。


先日、民主党の代議士会なるものが中継されていたので少し見ていた。
総理はなにやら発言していたけれど、僕には何を発言しているかが理解できなかった。
次に前総理が発言をした。
前総理は宇宙語を使う。おそらくこの国に宇宙語を理解出来る人はいないだろうなと聞いていた。
次にタレントなのか政治家なのかが不明な人物が発言した。
これは発言という種類のものではなく、福島の子供たちを放射能から守ろうではありませんかとのみ絶叫していた。
この人は何が言いたいんだろうな。と聞いてテレビを消す。

国政を担当する政党の代議士会とはそのような場所であるらしいと気づいてしまうと、この国には政治家がいないんじゃないかと不安になる。
政治とこの国のあり方は関係しているのか、或いは関係しないでいいものなのか?
これが、現在のこの国のテーマの気配がしてしまう。

そういえば、今日、区役所から「ものづくり文化の道」の会議記録なるものが配達された。
11年間この会議を続け、この会議がどんな結果を出したんだろう?
出したと認識しているのなら意味がある。
出していないと断定されるなら、会議自体を検証した方がいい。

どっちなんだろう?

6 5

東京発午後8時50分の「のぞみ」に乗車する。
11時頃には自宅に到着するなと考える。

人との関係は不思議なものだと思う。
僕はめぐみさんとこの9年間で2度しか会っていない。
一緒にいた時間ときたら10時間があるかどうかさえ微妙になる。

昨日、めぐみさんと東京国立近代美術館にいた。
「パウル・クレー展」が開催されていたので一緒に鑑賞して夕暮れの街を少し歩いて地下鉄に乗り東京駅でビールを飲んだ。
そんな3度目の出会いをして一緒にいる時間がようやく10時間を確実に過ぎた。
改札で別れて、3回しか会ってないんだなと変な気分になる。
場所を書けば、スウェーデン大使館、しゃしゃんぼ、そして東京国立近代美術館で、追加でカフェと僕の工房、そして東京駅となる。
他の場所はない。


今度会うのはいつなんだろう?

先に人との関係は不思議なものだと書いたのは、
希薄でありそうな関係の筈がどうにも親しさで包まれてしまう関係もあるらしいということだ。
10年間で100回会ったとしても、どうにも親しまない関係があれば、9年間で3回でも相当の親しみで包まれる関係がある。
縁と書いてしまえば縁と断定されてしまうものだろう。


横浜に山下公園がある。
公園の前のホテルにいたので夕食まで公園を散策した。
公園の横には横浜港が広がり、緑濃い街が広がる。
赤レンガ倉庫でショップを覗き、ショップのひとつが革製品だったので、そこだけにいて品を眺めて店員とおしゃべりをした。
夜、中華街で東京の娘と娘の友人と一緒に食事をしカフェで珈琲を飲んだ。
琵琶湖の沖島の話をし、明治村と入鹿池の話をし、戦時中のUボートの話をし死んだ父の話をした。
とりとめのない話ばかりしてホテルに帰りシャワーを浴びて地震警報を聞いた。
間東では地震が多発して、いつもこうなのかと身構える。

昨日は結婚式で、綺麗になった姪を眺め披露宴では豪華な食事をした。
適度の酔いと幸福感に包まれた宴のあとで、僕はひとりで東京に向い美術館でめぐみさんと会う。
昔、東京でひとりで暮らしていたことがあるけれど、ひとりでJRに乗り地下鉄で移動したのは、多分、それ以来になる。

東京には滅多に行かない。

滅多に行かない東京駅からひとりで新幹線に乗りこんだのは、先の記憶がない。
30年ぶりかも知れない。

6 2

6月に入ると肌寒くなる。
すでに梅雨の季節で、今年の梅雨は長そうだ。

夕方、ここにはみきちゃんがいて帰るというので自宅まで車で送る。
僕はユニクロに行こうかと考えていた。
ユニクロとみきちゃんの自宅は同じ方向になる。
そのユニクロに寄ったのは、おそらく5年ぶりぐらいになるんじゃないかと思う。
ユニクロのCMは見るけれど買い物はしなかったってことだ。

ユニクロではみきちゃんと一緒にいた。
自然に服を選んで貰うことになる。

服を買うということは苦手ではないけど、好みというのが不思議とないので、まあ、いつもどうでもいいことになってしまう。
ホント、服は身体にフィットしてれば何でもいいというタイプなので、自分で服を買うなんてことは滅多にない。
だから、みきちゃんがいて助かった。

服に好みがないなどと書くとY君とかO君は僕を宇宙人かなんかに思うかも知れない。


明日から2日間は関東にいる。
東京は久しぶりで、少しの時間の予定を立てる。
天気はどうなんだろう?