4 28

7月から栄にある某文化教室に通う予定ニなっている。
通うと書いても月2回のことで、ここには生徒としてではなく講師として通うことになっている。
それで、ここでの講習する作品のサンプル制作をしていた。

だから、久しぶりにオーダーではない品を作っていた。
オーダーでない品の制作は遊んでいるような気分になる。
革で遊んで、好きに作っていい。
けれどと思う。
講習がはじまると、きつい感じになるだろうと予感する。
どんな仕事にも、好きに遊んでいいはない。

今日、みきちゃんがいて、日曜日に思いつた件を話す。
これはメールで知らせていたけことで、その確認のようなもの。
まだ3ヶ月先に話になるけれど、うまくゆくといい。

4 27

第3週と第4週の土日はナゴノスペースで生徒の何人かがワークショップを開いている。
最後のワークショップが終わり、いつものようにシルビアでバーガーサンドを食べて話しこむ。
話しこんだからといっていいアイデアが浮かぶとは限らない。
アイデアとは集客のことで、集客ほど難しいことはない。
それが出来ずに、いくつもの店も工房も潰れてしまう。

ホント、難しい。

難しいことを続けて書く。

革で何かが出来るということとプロとして仕事をするとは関係しない。
そもそも、ものが出来るということは当たり前のことで、当たり前のことを前提にしても仕方ない。

ものを作るということは作品を創るということだ。
作品には必ず完成度というものが付属する。
完成度は印象度と同じになり、当然ながら、これは高い方がいい。
この印象度に制作者の個性が入りこんで、ようやく作品が作品らしくなる。
それで、ようやく売れてもいいだろうということになる。
つまりは、プロの作家になるには途方もない時間がかかり経験が必要になる。

さらに別の話を書けば、それで生計が成り立つかも不明になる。
これが集客と関係して来る。

時々、集客が突出しているなと感じる場合がある。
逆もあるのが世間というものだろう。

ホント、難しい。

4 24

名鉄常滑線に新舞子という駅がある。
隣駅が大野町になり、その隣駅が西之口になる。
昔、大野町に通っていた頃、この西之口という地名には変な地名という思いがあり、
人に聞くことでもないので聞かず、知らずに過ごし、最近になってようやくその地名の由来を知った。

西之口には大野城の西方という意味がある。
大野町とは、港町でもあれば城下町でもあるということがこの地名で分る。
妙に納得している。

どうでも良さそうなことを書いている。

大野城は青海山の山上にある。
山というよりは丘で、この丘に登ると当然ながら海が見える。

少し前に、ここに俳優の平岳大が来た。
これはNHKの「お江」の最初の結婚相手である佐治一成を演じた縁によるもので、この地方の新聞記事になった。
平岳大はここから伊勢の海を眺めたけれど、眺めた時間が夕刻であったら良かった。
大野町から眺める伊勢の海の夕景は絶景になる。


4 23

Nの訃報を聞いてから12時間が過ぎた。
NとはYという革屋の主だった人で、彼とは30年の付き合いがあったけれど、友人関係にあった訳ではない。
一緒に飲んだことがなければ食事をしたこともない。

彼とは仕入れ先の主人というだけの関係だったけれど、おそらく月の3分の1は彼と会っていたことになる。
それだけ会ってしまい、それが30年も継続してしまえば、それなりに感慨というものはある。

彼が最後にここに来たのは僕が頼んでいた刻印を運んでくれた時だった。
僕が最後にYという店に寄ったのも、つい先週のことで、そこに彼はいた。
何を話していたかは忘れてしまったけれど、彼に何かを聞き忘れたなと感じて帰って来たのを覚えている。
不思議だけど、それがなんだったかが分らない。
つい1週間ほど前のことだけど、思い出せないままにある。

その3日後に彼は死んだ。
それから、4日が過ぎた。

もう何かを聞くことが出来ない。


4 22

先日、Fから電話があってKさんが亡くなったと聞いた。
Kさんとは10年ほどの知り合いになり、去年の「西区民まつり」で会ったのが最後になった。
Kさんは名古屋友禅の職人というか作家をしていた人で、お酒の好きな人だった。

今日、革屋に寄り、革屋の主の訃報を聞く。
57歳の突然の死といい、聞いて絶句する。

突然に死んでしまう人がいる。

彼とは30年の付き合いがあった。
死で終わる付き合いというものもある。

な訳で、今週、ふたりの訃報に接した。
死というものは他人事ではない。


4 18

ある文化教室のパンフレットが机の前に置いてある。
生徒がいたので、今度、ここに通うよと僕が言う。
何の講座を受けるんですか?と生徒がパンフを眺めながら聞く。
うっ?という感じで少し間があく。
講師で通うんだよ。

僕がこの教室の先生だと気が付かない生徒がいると思う時がたまにある。


4 12

使いたい時に使いだけ供給される電力のある生活が快適な生活であるという論がある。
現代の都市生活はそういう論で成立している気もする。
それを突き詰めてしまえば原発は現代社会の必需品ということにもなる。

3.11以来、この考え方は変更するしかない。

梅原猛が先日のコラムで、この震災を文明災と書いた。
それを、考え込んでいる。

現在の都市生活を成立させているものを現在の文明と考えれば、文明は消費で成立している。
消費という運動の根底には電力というものがある。
水や空気のように無限に電力というものがあると錯覚し、無造作に消費し、
それで今の快適な生活を営んでいると感じ、今、これはどうにも違うと考えている。


3.11以来、この国は変わるだろうと考えている。
原子力と妥協する社会は終わり、それは、今、快適さと表現されるものも変えるのではないか。


4 10

先生って、最初怖い印象があった。とN野さんに言われた。
これは本当によく言われることで、また、言われたかと思う。
次には全然違うねと続く。
これも本当によく言われる。

昨日の夜7時前に、突然、僕の横に人がいると気が付いた。
彼は不意に来て、不意に話しかける。
知らない男性だった。

何を話していたかはここでは書かない。
ただ、最初は質問で、その質問から話題がひとつになり30分ばかり話し込む。
話は殆どが僕からのアドバイスになるので、なんだか人生相談を受けていた気分になる。
彼が帰り、僕はシャッターを降ろす。

時々、人の人生に入り込んでしまったなと感じる時がある。
いいか悪いかが分らない。


4 5

NHKの「お江」を観ていると、ちょうど信孝自害の場面が放映されていた。
信孝は信長の三男で、知多半島の先にある野間大御堂寺での自害となる。
この信孝の家臣に太田牛一がいる。
太田牛一は「信長公記」を著した人物と知られてもいるけれど、知られない事実は信孝の葬儀をしたことかも知れない。

葬儀は海音寺で営まれた。
海音寺は知多半島半ばに位置する大野町にあり、寺の裏には知多の海が広がる。
この寺には今も信孝の位牌がある。

この大野町を支配していたのが佐治一族になる。
「お江」に登場するはずだけど、お江はこの大野に嫁ぐことになる。

相手は佐治一成というけれど、この婚姻関係は長くはない。

海音寺という名は響きがいい。
現在、寺の門前には「門前屋」という旅館があり、その隣には「恩波楼」という名の宿がある。
どちらの名前も響きが良く、風情がある。

このふたつの宿の向うに知多の海が広がるのは、お江の時代と変わらない。


4 3

4月がはじまり桜が咲いた。
この4月がどんな月になるかの予想が付かない。


今日は珍しい日曜日で、午後1時になってもここには誰もいなかった。
3時を過ぎても誰もいなくて、4時にY君が来る。
Y君の1年がかりの鞄はいよいよ劇的な変化を起こす。
そうしているとO君が来る。

O君がいてY君がいる。
こうなると1週間前のナゴノスペースのメンバーになる。
自然にその話になる。

ちょうど1週間前にナゴノスペースで、僕は区役所のTさんと会い、
Tさんの後任という人と挨拶をして、スペーシアの社長と話をした。
M君と会い、地域新聞の女性記者がカメラを持って動いているのを眺め、
シューズボナンザの連中と話をしていた。
Aが何人かの体験者に講習しているのを眺め、O君がクラフト作品を並べるのを眺めていた。
そんなふうに慌ただしい午前を過ごし、正午を過ぎて自分の工房に帰ってきた。

あの日、まだ桜は咲いていなかった。