6 28
これだけ暑いとばててしまう。
例のお店で焼肉を7人が一緒に食べて、7人がガストに寄ってデザートを食べる。
2時間でおしまいにして下さいね。と店員はいつものとおり無愛想に言う。
流行る店の店員はたいていはそうで、流行らない店の店員もたいていはそうだ。
こうなると、行きつけにしている「S」と「I」というお店は天国の感じがする。
先週3日続けてカービング作業を生徒に見せる。
模様は横長財布の片面なので作業は30分ほどで終わる。
それを最初から最後まで作業をじっくり見せる。
終わると、ふっと溜息を吐く。吐くのは生徒で僕ではない。
溜息を吐かない生徒もいる。
この場合は、カービングを全く知らない生徒で、カービングはこんなに簡単なのかと思うらしい。
時々、そんな生徒がいる。
知らないということはすごいことで、鞄なんて縫えば出来るでしょうと言う人がいる。
同じで、染色は塗ればいいんでしょ?と聞く人もいる。
さて、どうする?
6 26
昨日、花ちゃんがお母さんからとお土産を手渡してくれた。
鰻だよ。
花ちゃんちは新栄の鰻やさんで、その鰻が突然に我が家の食卓に並ぶ。
鰻やさんの鰻なので量も半端ではない。
家族5人で適量かと思いながら家族3人で食べてしまう。
「うなぎの会」では鰻を含めていろんなものを食したせいか、鰻の印象は薄かったけど、
これだけ食べてしまうと、アー鰻だって感じが満ちて、すると、旨いんだな。
改めて、花ちゃんちの鰻は絶品だとお勧めしたくなる。
ホント、旨くて贅沢な夕食でした。
花ちゃんを世話して良かったとつくづく思う
鰻と書いて気が付いたけど、今週はいろんな人からいろんなお土産を頂いた。
岩村のカステラにはじまり今日の草餅10個で終わる。
そういえば、明日は「サガリ会」がある。
誰が名付けたか知らないけれど、「サガリ会」とは面白い。
「うなぎ」のあとは「サガリ」になる。
胃は大丈夫だろうか?
6 25
昨日の深夜1時に外にいた。
うんっ?・・・と感じる。
いつもの午前1時と違い驚くほど静かだ。
アーと気が付く。
たいていの人は寝ているか、自宅にいて午前3時半を待っている。
そのせいだと気が付く。
午前3時半にキックオフがある。
運命のキックオフなどそんなにあるものではない。
キックオフから18分が過ぎて、本田がそのフリーキックでゴールを奪う。
我々はまだ何も手にしていない。と岡田が言ったのは何日前だったか?
でも、このゴールの瞬間が何を手にした瞬間だと確信出来る。
我々は何かを手にした。
我々とは岡田ジャパンのことではないだろう。
さあ、これからもさらに何かを手にする道は続く。
ガンバレ、日本!
6 23
元新党さきがけ代表である竹村正義氏が中日新聞夕刊にコラムを書いている。
彼のコラムを読むたびに、そうだよなと頷く。
大国主義と決別をしろと彼は書く。
日本という国はそろそろ国の個性やひとりひとりの生活レベルに目を向けた方がいいとも書く。
量よりも質を目指した方がいい。
国を人に変換する。
頭のどこかでは、本当はすでにそうなっている気もする。
ここに集まる連中を眺めているとそうなっているような気もする。
けれど、やはり世間からここを眺めれば異端児ッぽい気がないでもない。
6 22
明日からしばらくフランスは大変だろうなと思う。
イングランドは大丈夫なんだろうか?
さっき、フランスが南アフリカに負けた。
逆に書いた方がいいかも知れない。
南アフリカに奇跡は起こらなかった。
試合のあとには「もし・・・・・・・・」という仮定が並ぶ。
もし・・・・・・・・・だったらどうだろうかと。
なんか、歴史とか人生に似ている。
いくつものもし・・・・・が重なって現実がある。
直視すべきは現実だけど、その現実には「もし・・・・・・」も含まれる。
あの時、もし・・・・・・・・だったら、今の僕に関係するすべては消え、違う僕がいる。
その違う僕を想像することは無理だけど、
それを想像する度に、得体の知れない何かを感じることがある。
得体の知れない何かが魔物でないことを祈るばかりだ。
6 21
先日、ここに花ちゃんがいて、ふたりで会話をする。
人は何故生きていられるかについての会話をする。
それは愛があるからだと僕は言う。
還暦に近い男性が20歳を少し過ぎた女性に愛を語る。
これは滑稽な風景だろうか?
愛を語る老人はいない。
時々、何故、人は歳をとるたびに愚を増長させるのかを考えることがある。
愚というものは人の中で膨張するしかないものなのかを考えることがある。
僕は愚者でない老人を見たことがない。
これは暴論だろうか・・・・・・・・・・?
6 20
ビールを飲んでサッカー観戦していたせいか、試合が終わると寝てしまう。
朝早く起きていろんなサイトに目を通す。
オランダ戦は終わり、3戦目のデンマーク戦に勝つか引き分ければ日本の決勝トーナメントへの出場が決まる。
この条件はデンマークよりは良く、オッズもデンマークより少し良くなる。
試合のあと、岡田監督はその悔しさをその目に漂わす。
負けた事実は受け入れるしかなく、悔しさは満ちたとしても、その時間は10秒ほどで終わる。
1−0が想定内だったかそうでなかったかは、デンマーク戦のあとに聞いた方がいい。
話を変える。
今日、花ちゃんの鞄が完成する。
最後の作業があるけど、これは花ちゃんがひとりで出来ることなので、外っておく。
その辺りは花ちゃんを信用していい。
その鞄の画像を撮る。
画像の鞄は花ちゃんの描いたイラストと全く同じで、デザインのとおりに完成することが奇跡に近い。
牛がいて、牛は極めて呑気な顔をしている。
ようやく、僕も、この仕事から解放された。
今度はY君の鞄制作に集中する番だと思う。
この着地点を早く見つけなければいけない。
迷走もここまで来ると、批判の対象になりかねない。
6 18
気温が32度となると夏だ。
梅雨のせいで、湿度は高く、ばてそうだ。
年配の女性がふたり帰ると、O君とAが残る。
そこに、花ちゃんが来る。
すると、なんだか日曜の感覚になる。
染料と革があると染色が出来る。
染色とは、革への染料の反応なので、たいていは勘がもとになる。
染料には種類があり、同じヌメ革にも種類がある。
従って、反応も多様になる。
この多様が分るようになると、染色技術が一段階上がったことになる。
簡単に書けば、経験で、染色の場合は経験がすべてになり、他にはない。
間違ってもセンスが関係すると考えてはいけない。
昨日、見学していいですかと男性が来た。
男性は革に文字が書けるんですか?とある漢字を口にする。
僕は、こんなふうなの?と聞いて作業を見せる。
作業は数秒で終わるので、つまりは、口で説明するよりは楽なので、よくそうする。
すると、男性は目を丸くする。
きっと、疑問が簡単に目の前で解けてしまったからだろう。
そして、これには大した技術も道具も不用になる。
技術でもなく道具でもないとは、革を知っているか知ってないかだけの違いになる。
技術を教えて欲しいという人には何も教えないけど、革の癖だけは、やたらと教える。
僕の教室とはそういうところで、だから、みんなクラフトが出来るようになる。
6 17
無敵艦隊の入港は遅かった。
スペインを無敵艦隊と呼び、今回の優勝候補の筆頭と噂され、けれど、艦隊を持たないスイスに破れる。
これを大番狂わせと明日の新聞は書くだろう。
昨日、北朝鮮がブラジルと対戦した。
世界ランキング100に届かない国が世界ランキング1位の国に挑む。
これは高校サッカーのチームがJリーグのチームと対戦するに等しい。
そうだろうか?
無論、そうではなく、結果は2−1で、どっちが勝者かと疑う。
ブラジルなのか、北朝鮮なのか?
2−1で勝ったのはブラジルだ。
たが、勝者となると、どっちだ?
トルシェは、デンマーク戦を本命にしろと言う。
決勝トーナメント出場を使命と考えるなら、デンマーク戦からの逆算でオランダと戦えと言う。
つまりは、オランダに勝とうと考えてはいけない。
けれど、岡田ジャパンはそうは考えない筈だ。
逆算は、ワールドカップ以前にしていることで、今、それをする必要はない。
何故なら、ワールドカップ出場とは、試合のすべてに勝利するを前提にする。
大体、負けるを前提にワールドカップに来た訳じゃない。
カメルーン戦のあとのインタビューで岡田は言う。
まだ、我々は何も手にしていない。
そうだと思う。
負けてもいいと考えて試合をしたら、本当に何も手にしないで終わる。
これは、ワールドカップだ。
6 16
梅雨がはじまっているので、今日も雨。
雨の夕方に隣りの喫茶店で珈琲を飲んでいた。
すると我が家の駐車場に車が入る。
あっと、客だな。
マスターにすぐ帰るからと店を出ると、時計屋のHさんがいる。
珈琲タイムですか?と聞く。
うんと言って、一緒に珈琲タイムを過ごす。
仕事の打ち合わせをして、ネットでの販売の話を聞く。
ネットでの販売は楽天とヤフーの話になる。
興味深い話を聞いて、楽天もヤフーも僕とは無縁であることは災いとは無縁だと知る。
昨日、夕食を食べていると電話が鳴る。
食事中に電話をかけてくるのは碌な相手ではない。
案の定、お時間いいですかと電話の向うの男性が聞く。
いい訳ないだろと答える。
じゃあ、今度お邪魔していいですか?と聞く。
いい訳ないだろと答える。
電話の向うの男性は「学ぶ業界」の人間と言う。
先日、メールを差し上げましたけど、読まれましたか?と勝手に話題を続ける。
教室の生徒を一杯にするために協力したいなども言う。
アホかと思う。
営利目的で教室を運営してないなら、業界とは無縁になる。
大体、教室は生徒で溢れている。
サイトにはそう書いてあるよ。
読みました?
世間にはそんな業界もあるかと驚き、驚いても仕方ないか。
6 15
3日前、日本がカメルーンに2−0で勝つ夢を見た。
条件があえば、勝てない相手じゃない。
昨日だったか、エトーの取材番組を見ていた。
カメルーンの英雄であり不屈のライオンである男。
ついでに書けば、彼はサッカーとは義務なのだとフランス語で語る。
今回のワールドカップのポスターは彼がモデルになる。
半分神様のような男。
これが明日の相手なのかと絶句する。
オシムがイングランド戦のあとで、スーパースターも人間だと言う。
空を飛ぶ訳じゃない。
そうだと思う。100メートルを3秒で走る訳じゃない。
カメルーンにはエトーがいる。
日本には、エトーがいない。
ワールドカップの出場国で、FWがいない国はおそらく日本を除けば、ない。
トルシェは予想する。
カメルーンに負ければ80%の確率で決勝トーナメントへの出場は消える。
本当のところ、80%は贔屓目の予想だろう。
けれど、勝てば、逆になる。
この確率も、日本に限れば贔屓目になる。
ところで、今日のカメルーン戦に日本は1−0で勝った。
夢で見た試合の得点よりひとつ少ない。
夢は半分は当たり、半分は外れた。
エトーにはゴールが遠く、おそらく、カメルーンの決勝トーナメント出場は80%の確率で消えた。
これを信じられないと嘆いてはいけない。
サッカーとはそういうもので、試合は油断をした方が負ける。
または、条件を満たさなかった方が負ける。
明日、オランダ戦の夢を見たい。
6 13
いよいよ梅雨に入ると予報は伝える。
梅雨らしく、一日中雨が降る。
雨の中、Y君が花ちゃんとタルと車で送って帰る。
そのY君が雑誌を持参する。ポパイという雑誌で、雑誌にはY君が載っている。
載っているどころか彼のコーナーさえある。
常連になりつつあるんだろうか・・・・・・・?
ついでと、あるサイトを教えてくれる。
そこに彼の正面画像がある。いよいよ、Y君とは何者かと思う。
案外、どこかでY君は有名人かも知れない。
ここでは、話題の尽きない人なので、世間でも話題が尽きない人かも知れない。
車を見送りながら、そんなことも考える。
彼もここに来てから、もう一年が過ぎるんだな。
6 11
午前11時過ぎに生徒がひとり遊びに来る。
彼女は年に2度ばかり定期的に来てはおしゃべりをして帰る。
彼女と、もう何年の付き合いをしているんだろうかと、その男の子みたいな髪型を眺め考えてしまう。
彼女が帰ると年配の生徒が来て作業を始める。
続けて3人の生徒が来る。
都合4人がいると花ちゃんが来て、Aが来る。
そんな訳で、今日は夜7時過ぎまで工房も混んでいた。
Aは安城で工房を開いたので、以前ほどは来ない。
だから、Aがいると、それは貴重な時間になる。
Aはカービングをしている。
カービングとは革への彫刻で、これは出来ないよりは出来た方がいい。
Aは下手だと自分の作業を言う。
書いてしまうと、Aは下手ではない。
Aに限らず、僕の教室の生徒はみな下手ではない。
それは僕が実際に作業をして、生徒にそれを見せ、そして作業をするので、僕の癖さえ生徒に移る。
だから、最初からそれなりには出来てしまう。
ただ、カービングとは模様を彫るという作業なので、模様を理解するに時間がかかる。
彫る作業より模様を理解することに重点を置いた方が上達は早い。
カービングのことを書くと、僕は35年ばかりそれをしている。
35年もカービングという作業をしているかあ・・・・・・・と少し呆れる。
僕はクラフトをカービングから入ったので、クラフト歴とカービング歴は同じなる。
個人的には35年も革で何かを作る作業をしているので、だから、革のクラフトの定義というものはある。
その定義の中でのカービングで、その位置付けをしている。
これを書くと長いので、別の機会に書くよ。
6 10
想像するしかなさそうなことばかりを書いている。
その想像を続けて書くと、
新撰組が結成され、結成された頃に入隊した隊士の不幸は、そこに近藤、土方、沖田の3人がいたことではなかったか?
と思う時がある。
6 9
挙母と書いても分らない人がいる。
挙母とは、今の豊田市街の辺りと思うと正しい。
ここに挙母藩があった。
石高は6千石で、飛び地を入れてようやく藩として成立する。
この小藩にも藩校はある。
国に尽くせとこの藩校は教える。
この場合の国とは、挙母という小さな天地のことで、日本のことではない。
時々、唸るしかない思いというものはある。
安藤早太郎は、少年時をここで過ごし、いつの頃か脱藩をする。
脱藩ではなく、国を追われた何かがあったかも知れず、この辺は不明で想像するしかない。
想像には、小さな天地にはそぐわない彼の志も入る。
志が人を突き動かすものだという時代、または、それで生きるしかない人はいる。
亀弥太が志で生きて死ぬのなら、早太郎も、その志で死ぬ。
池田屋とは、いくつもの志が血で染まった旅籠と書くべきか。
6 8
「龍馬伝」のこと。
望月亀弥太は池田屋で遭難をする。
亀弥太は勝海舟の門人だった人で当時27歳。
池田屋の囲みを破り長州藩邸門前に辿り付くも、門は開かず、その門前にて自刃する。
ひょっとして、亀弥太は池田屋からの脱出時に、その裏門で安藤早太郎に遭遇したのでないか?
この場合の遭遇とは切り合いになる。
安藤早太郎は新撰組の副長助勤を勤めた人で、近藤勇以下4、5名が池田屋の2階に突入した時、その裏門の警戒に当たっていた。
警戒に当たっていたのは、安藤を含めて3名で、この3名が池田屋事件の新撰組の死者になる。
池田屋の裏門付近は激戦地になった。
ひょっとして、安藤早太郎は望月亀弥太に切られたのでないか・・・・・・・・・・・?
「龍馬伝」を見ていて、突然にそう思う。
この安藤早太郎は東大寺大仏殿とおし矢において見事に勝ちを制した人で、当時日本一の弓取りと称せられた。
とおし矢は天保13年の出来事というから、池田屋事件の20年以上も前のことで、安藤早太郎のその享年は若いという年齢ではない。
絵図には安藤を内藤丹波守家来と書くので、身分は挙母藩士になる。
新撰組に入隊時はその身分は虚無僧で、虚無僧として入隊した隊士も新撰組といえど珍しい。
早太郎のことをいろいろと想像しながら、過ごしていた時期がある。
日本一の弓取りと称された三河の小藩の武士が、新撰組に入り、池田屋で命を落とす。
何が、この武芸者にあったかと想像すると、ある寂しさを感じてしまう。
6 7
昼ごはんを食べて工房で一服していると、ひとりの女性が玄関に来て、笑いながら「先生!」と言う。
うん?と眺めて、誰と気が付くのに少し時間がかかる。
突然に思いがけない人が来ると、面食らって、頭の回路が混乱をする。
そこに、りょうがいた。
久しぶりののりょうは相変わらずで、笑みを浮かべる顔を眺めては、どこか天使のようだと思う。
天使の滞在は短い時間だったけれど、僕を元気にする。
こんなサプライズには感謝をしていい。
6 6
久しぶりの生徒が来る。昨日も久しぶりの生徒が来ていた。
半年ぶりと1年ぶりになるらしい。
そうであっても違和感がなく、当たり前の如くに作業をしている。
ホント、ここ、変なところだと思う。
昨日来ていたNさんは、僕のブログを読んで、フライパンで僕を焼いてやろうかと思ったなどと物騒なこと言う。
半年ぶりの会話がそれだから、やはり変だと思う。
花ちゃんの鞄制作は順調に進み、提出期限には完了する気配。Y君の鞄は相変わらずに着地点が見つからない。
出来るんだろうか・・・・・・・?
それを横目にO君が作業をしている。
変な革というか、蝋で汚れたようなヌメ革を裁断している。
染色しない作業なので、縫いを間違わなければ、間違いのない作品になる。
O君の作業は任せていてもいいものなので、僕は横目で見るだけにしている。
彼の癖で、最後にへまをするとしても、それもいい。
最近、唐突に何かが足らんなと感じる時がある。
何かが足らない。
栄養だろう・・・・・・・・・・・・・・・。
6 5
Aのブログを眺めている。
Aが朝食に使うコースターは豆の柄の入る布のコースターで、この経緯を思うと何かが分る。
人は人と関わる必然があり、それが日常になってしまうこともある。
Aは僕と関わることで、その生活が変わり、未来が見えて、さらに日常の一部に僕と関わる何かが入りこんでしまう。
または、Y君の気分がAの朝食の背景のひとつになっている。
これは、どう考えても不思議だ。
どうして、そんなことが起きるのだろう?
花ちゃんが来て、そんな話をしていた。
よくよく考えてみれば、
「うなぎの会」に集まった顔ぶれを眺め、その顔ぶれが花ちゃんの家でうなぎを食べているのがすごく不思議な感じがしている。
花ちゃんも、それをすごく不思議と言う。
どうしてそんなことが起きるのだろう?
縁と書けば簡単かも知れないけれど・・・・・・・・・・。
花ちゃんは、すごいと言う。先生はすごいと言う。
先生がいて、そうなる。だからすごいと言う。
私もここに来なければと花ちゃんは言葉を続ける。
確かに花ちゃんがここに来なければ、「うなぎの会」はない。
花ちゃんのお父さんが万年筆ケースの自慢をしに東京まで行くこともない。
何だかそんなことを考えていると、人の人との関わりのすごさを感じる。
6 4
オザケンのコンサートが名古屋であるとのことで、僕の3人の子供がそれに出かける。
3人のうちひとりは、このコンサートのため東京から帰省さえする。
オザケンは我が家の子供たちの間では神がかり的な存在らしい。
久しぶりにMさんが来る。
Mさんとは友達感覚でいるせいか、どうにもじゃれ合う時間があるように思う。
困ったことなのか、平和なことなのか・・・・・・・・・。
夕食にカツカレーを食べる。
久しぶりにCoCo壱番館でカレーを食べた。
カレーはカツだなと思う。メンチカツがお勧めと書いてあったけど、カレーはやはりカツカレーがいい。
カツカレーなどを食べていたのは、妻が外出のせい。
今週は外出ばかりの妻で、僕はこもりきりの毎日を過ごしている。
今日は夏のようだった。
夏で気が付いたけど、今日、名古屋城から担当が来て、今度のイベントの希望を聞く。
調整が入り、来月にはスケジュールが決定する。
おそらく去年と同じだろうと思うけど、そうだとしたら、お盆休暇はなく、暑い夏になる。
それもいい。
6 3
Sさんが来て作業をしていた。
Sさんが作業を終わり、帰る時には誰もいない。
誰もいないせいでもないけれど、ふたりでいろいろと話す。
いろいろにとはいろいろのことで、Sさんのいろいろが分る。
昨日の朝、テレビのニュースを見ていた。
どうも総理は辞任をしそうな雲行きだなと感じていたら、昼、総理の辞任が報道される。
幹事長も一緒に辞任するといい、この国の2頭政治がようやく終わる。
先月だったか、ここに、総理を任じている政治家はこの国の害ではないかと書き、幹事長は愚者ではないかと書いた。
だから、悪い話ではない。
そうでも、これからの展望がどうにも読めないのは、政治家不在ということで、政治の空白が続くことには違いがない。
政治の空白のせいなのか、この国の未来はどうにも暗い。
先日、児童手当の支給が開始された。
いまだに僕の中で消化出来ない事柄にこれがある。
児童手当を、子育てには国が支給なしの場合よりさらに強くその責任の一端を負うとの仮定をして、それゆえの支給だと考えてみる。
そうであるなら、子育てに、つまりはそれぞれの家庭の子育てに国民の意思が入り込んでいいということになる。
子育てには、国がではなく、国民の責任が入り込むものだという論にもなる。
税金だから、これは正しい気もする。
そして、正しいのであるなら、そうすべきなのだが、この国の子育て世帯はそれを許すだろうか?
金は出すけど口出しはしない。が税金に対して通用してはいけない。
6 1
昼、外で染色した革の乾き具合を見ていると、ひとりの婆さんが僕を見たり、工房を覗いたりしている。
なんかの用かなと婆さんを見ると、ここの人か?と婆さんが聞く。
婆さんはカービングの札入れを取り出す。
ここで10年ほど前に買ったんだけどと言う。
その札入れを眺めると確かに僕の制作した財布で、正確には20年ほど前の品になる。
婆さんは20年前を10年前と言う。
それほど以前の品でも傷んでいる訳ではない。
僕は話を聞いている。
この財布、今の大きさじゃないとおばあさんは言う。
20年前と今ではお札の大きさが違う。従って、札入れの大きさも違う。
で、小さくならんだろうか?
なるよと僕は答える。
財布の長さを計り計算すると、5ミリほど小さくすることが出来る。
婆さんは取られるよね?と聞く。
これは意味不明の言葉なので、うっ?と聞き返す。
取られるよね?あんまり取られるとね。とも言う。
どうも代金のことを言っているらしいと気が付くのに少し時間がかかった。
あのさ、取られるってすごい言葉だねと僕が言う。
それでも、婆さんは取られるという言葉を使い続ける。
婆さんに見積もりを言うのは止めた。
代金の支払いを取られると表現する人に言ってもそれは無駄で、5ミリは諦めた方がいい。
札入れを5ミリ小さくするには札入れを分解し、内装を変え、仕立て直す必要がある。
これは新たな制作と代わらない。
そう説明するのも止めた。
代わりに、リメイクは止めたがいいよといろいろ説明して帰って貰う。
昨日といい、今日といい、来なくてもいい人が来る。
人の作業に代金を払わない。または、人の技術はタダ同然と思い込んでいる。
これ、アンタに技術はないだろうと言ってることと同じで、無礼もここまで来ると痴呆に近い。
昨日も書いたけど、そんな人は大勢いる。
大勢いる中で、ものづくりをするとは何かを、ものづくりを仕事にしようとする人は考えた方がいい。
先週、生徒作品展を区役所で開催していたけど、やはり、来なくてもいい人が何人か来てた。
O君も切れたんじゃないか・・・・・・・・?