1 31
1月の最後の日は日曜日になり、天候は雨である。
イナが来る。
新潟のお土産と言って、お酒を持って突然に来る。
イナと話をしていると吉田君が来る。ほぼ同時に大野君が来る。
男性が4人いておしゃべりをしているとお花ちゃんが来る。
お花ちゃんとはIさんのことで、そうしているとお豆ちゃんが来る。
お豆ちゃんはAのこと。
風邪でなければ山田君もいることになる。
こうなると、どうなるんだろうなと内心では思う。
吉田君はカステラを持って来て、Aはシュークリームを持って来ている。
珈琲と紅茶を飲みながら、それを食べてイナと吉田君を除いた3人は作業をしている。
作業は捗るかと見ていると、案外と捗っているのが不思議な感じがする。
夕方、男性が帰り、若い女性がふたり残る。
そのふたりが帰ると夜になる。
こうやって、1月が終わる。
1 30
5人来る筈の生徒の3人が休んでしまうと、調子が変わる。
工房で生徒が作業をしていても、生徒が多いせいか生徒個人と話をする機会がそうある訳ではない。
そういえば、そうだだったと気が付く。
夕方、ひとり残った生徒とふたりで話をする。
これは、作品の話になる。
作品とは作業のこともそうだけど、メンタルな作用もある。
そんな話をずっとしていた。
みんな、余り気が付かないで作業をしているけれど、実際はメンタルの作用が出来上がりの印象に大きく作用をする。
人が作るものである以上、これは気にしていた方がいい。
そんな話をずっとしていた。
1 29
今日、メールで4人の生徒のキャンセルがあった。
電話でもひとりのキャンセルがあった。
風邪であったり、家庭の都合であったり、仕事のせいであったりする。
今日の朝、テレビを眺めていたら市長が出ていた。
出て、「地域委員会」の宣伝をしていた。
この「地域委員会」は誰もがよく理解出来ないもので、いろいろと聞きたくなる。
住んでいる江西学区がモデル地区となると、知る必要もある。
今日の市長の話で理解出来たことがある。
それはこの「地域委員会」の誕生が日本ではじめての試みで、つまりは抽象的なものになるしかないもので、
具体性はなく、その具体性が委員会の発足と進行で固まるということだ。
はじめての試みとは、いつもそうしたものだから文句は言わない。
市長の意志に地域活動の理想が入り込んでいるのは確かだし、だから、応援をしてもいい。
1週間前にも書いたけど、
「地域委員会」は「学区連絡協議会」よりはましで民主的であることには違いがないから。
ただと感想する。
市長はひどく平和な人かも知れない。
あるいは、ただの理想人かも知れない。
1 28
僕のところには、いろんな人が来る。
クラフトをしたいという意思があって来るので、誰もがクラフトにはすぐに溶け込む。
溶け込んで作業をして制作したものを僕は画像にしてサイトに掲載している。
すると、ここで作業する人のレベルというかそんなものが分る。
誰もが優れている。
生徒の誰かが極めてすごいというのではなく、誰もがすごい。
いつも、そう思う。
Aが今日、製作中の鞄を持参して、ここで作業をしていた。
僕は、それを眺め、そして驚いた。
驚くにはかなりという形容を付ける。
驚いた・・・・・・。かなり・・・・・・・。
いつもそうなのだけど、驚いた理由を書くのがものすごく難しい。
あー、Aが僕なんだろうな。
制作しているものを見て、僕が制作するものをAが制作しているという感じの驚きだ。
断って書いておくと、これはAが他の生徒に比べて特に優れた技術があるということではない。
この説明は出来る。
いつか書こうと思う。
クラフトの話になる。
1 27
週の半分が過ぎた。
どうでもよさそうなことを書く。
僕はMというイニシャルの女性とよく関係する。
この場合の関係とは、男女の関係ではなく、ふと気が付くと、
横にいるのはMというイニシャルの女性だという意味で、深い意味ではない。
無論、軽い意味でもない。
昔からそうで、これを不思議に感じている。
妻にもMのイニシャルが付く。
先日、タイガーウッズの記事が出ていた。
彼はセックス依存症で、その治療を受けるそうだ。
そんな病気があるかと、妙に感じて僕はどうかと考えた。
無論、僕はセックス依存症ではない。そうでも、女性依存症かも知れない。
正確には、Mというイニシャル依存症かも知れない。
そう感じたら、何だか面白かった。
ホント、どうでもよさそうなことを書いた。
1 26
先日、町内会長の選挙の話をチラリと書いたら、今日、僕が町内の会計になったと聞かされた。
町内と書いても25軒の町内では投票者は25人しかいない。
その25人が決めた会計が僕になる。
「ババ抜き」みたいな選挙でババに近いカードを引いてしまった感じ。
町費というのがある。
信じようが信じまいが、町費を納めている世帯のパーセントは名古屋では50を少し超えるほど。
西区は異様に多く80%ほどで、名東区などへ行くと30%ほどになる。
区の色合いがそんなことでも分る。つまり、西区はとても古い区なのだ。
古いとはいい悪いで語ることでもない。
ところで、町費を払うのは義務ではない。
払いたくなければ払わないでもいい。
ただ、払わないと町内会長選挙の投票権がない。
そんなものはいらないというのであれば、払わないでいい。
それで日常生活が不便になることはない。
町内会長は選挙で選ばれた会長で、町内の雑用をする。
ところで、学区には区政協議会という団体がある。
この団体が町内会長を区政委員に推薦すると区政委員になる。
たいていはそうなり、町内会長は区政委員を兼ねることになる。
区政委員は区役所から任命された役で、区の行政員の末席に連なる。
こうなると、仕事が多くなる。
区政協議会は学区の団体なので、学区の行事のすべてに関係してくる。
学区には区政協議会に限らず、いろんな各種団体が存在する。
それを合同して会議があり、これを連絡協議会といい座長をたいていは区政協議会の代表が勤める。
従って、区政協議会会長が学区のボス的な存在になる。
それを意識して委員長は委員長を勤めている。
個人的な感想を書くしかないので書いてしまうと、
この江西学区では区政委員長はいつも孤立してる感じがしている。
今の委員長の評判を書くわけにはいかないし、先の委員長の評判を書くわけもいかないけれど、
先と今は、仕事の仕方には間逆だとの感想がある。
それほどの違いがあっても、どちらも孤立している感じがしている。
今回、「地域委員会」が発足するらしいのだけど、こうなると、区政協議会との関係、区政委員長との関係がどうなるかと眺めている。
1 24
昨日、「地域委員会」のことを少し書いた。
個人的なことを書くしかないので、書き加えると、
僕の30代の半ばから15年ほどは地域活動ばかりをしていた思い出になる。
これは、消防団員にはじまり、江西学区の80周年記念のCD制作で終わる。
最後のCD制作で、ほとほとこの学区での地域活動には愛想が尽きたという感じで、すべてを辞した。
それから、数年が過ぎて、「地域委員会」のモデル地区の決定を聞く。
正直に書く。
呆れている。
今日、タルが久しぶりに来て作業をしていた。
タルが来ると、いつもそうだけど、のんびりとする。
お豆ちゃんとお花ちゃんが帰ったあとで、タルを車に乗せて駅まで送る。
日曜日の駅前は、とても静かだ。
昼にY君が来る。
昨日ここで作業をして夜に帰り、今日の昼に会うので、えっという感じになる。
Y君はいつもお土産を持参してくれる。
それを置いて、大急ぎでどこかへ走り去る。
忙しそうで、そうでもわざわざ来てくれるかと、感謝する。
実は、彼には感謝をすることが多い。
昨日、知多半島の先っぽからお客さんが来て、お土産と言ってえびせんべいを置いてゆく。
ダンボールに入っている。
ダンボール入りのえびせんべいは食べきれるものではない。
すると、Aがえびせんべいが好きだと思い出し、袋に詰めてAのお土産にする。
そうしていたら、今日、O君が同じお店のえびせんべいをお土産に持ってくる。
それをみんなで食べて、それでも残るので、Aが昨日と同じようにお土産にする。
お花ちゃんもえびせんべいが好きだとお土産にする。
何だか、えびせんべいの話になった。
1 23
今日、「これは嘘だろう」という書類が配達された。
それが、現在住んでいる名古屋の西区にある江西学区が地域委員会のモデル地区に選ばれたという事実を知らせる書類と選挙人登録書。
いまだによく分らない名古屋市の行政事項に「地域委員会」の設立というものがある。
これは市長の選挙公約らしく、その実施のモデル地区に江西学区が立候補をしてモデル地区に決定されたということらしい。
そんなことさえ知らなかった。
そんなこととはこの地域がモデル地区への立候補のことで、そんな広報を読んだことがない。
聞いたこともなく、突然に結果が飛んで来る。
だから、嘘だろと感じてしまう。
市長の意見は、地域のことは地域に任せるになる。予算を与える。
因みに、この予算が江西学区では500万になる。
この500万円で、地域の課題を地域住民が解決しなさいという。
因みを続けて書くと、この江西学区の解決課題は「街灯犯罪を防止し、平和な長寿なまちづくり」だそうだけど、
それがこの地域に特化した課題とも思えず、そうでもしなさいとなるか・・・・・。
個人的な感想をはっきり書いてしまうと、
「地域委員会」は区政協議会、また連絡協議会よりはましだろうし、民主的でもある。
そうでも、どうにもまずいのは、地域には人がいないということを市長が理解していないということだ。
人がいないとは人材がないということで、人材がなければ活動は成立しないということが、どうにもまずい。
地域活動の困難さは、いつもこれが原因になる。
そういえば、この町内でも町内会長の選挙がある。
選挙といっても立候補する人はいないので、「ババ抜き」のゲームをしているようなものになっている。
1 22
今日、初めて知ったことがある。
それは女性には眉毛にタツゥーを入れる人がいるってこと。
かなり、痛いらしい。
何でそんなことするかといえば、スッピンになると眉毛が消えてしまう女性がいるらしいから。
それも聞いて、それを知らなかったと気が付く。
今日に昼に春に結婚する予定の女性が来て、結婚式に使う「ウェルカムボード」を作り始めた。
「ウェルカムボード」にはカービングを入れたいと言い、そんな作業をした。
初めてのクラフトで、カービングになる。
こうした作業は無謀なんだけど、無謀を承知で作業をしているのか、そうではないかの判断がいつも僕には付かない。
1 20
1週間前、お正月から2週間が過ぎたと驚いて会話していたら、今は3週間が過ぎている。
こうなると、さすがにお正月が話題にならない。
現在、NHKの大河ドラマで「龍馬伝」を放送している。
これが、とてもいい。
龍馬といえば司馬遼太郎になるのだけど、このドラマには司馬の発想と違う龍馬がいる。
「天命」という言葉がある。
天が下の世界に人を遣わし、何事かをさせ、人を天に呼び返すという思想で、龍馬にはこれが強かった気がする。
司馬の龍馬像はそんな感じで、「竜馬がゆく」の最後の詠嘆はそれを描く。
天に何かがいるのではなく、天が何かであるという発想。
そうかも知れない。
昨日、世代の違いを感じないと書いたけど、実は、この辺りで違いを感じることがある。
このひとつきばかりを、西島三重子の「池上線」を聴いて過ごしている。
30年以上前の古い曲なので、たいていの人は知らない。
30年以上前となると知らない人が多いに決まっていると思っていたら、妻も知らんと言う。
これには唖然とする。
そんなに無名の曲ではないだろうにと思っている。
1 19
今日は、3月の気温だったらしい。
突然に、毎晩家族が一緒に夕飯を食べていることに気が付いて、これはすごいな。と僕が言う。
それを聞いて、妻が毎晩食事を作る私は偉いと言い出す。
先日の新年会には10人ほどの生徒が集まった。
どの生徒も若く、だったら年代のギャップを感じてもよさそうなものだけど、僕は殆ど感じない。
30代の人は20代の人を見て、年代のギャップを感じてしまうらしいのだけど、50代の僕がいつもそれを感じないでいる。
感じないので、いつも普通に20代の女性と一緒に作業をしている。
または、飲んでいる。
その最中、会話はどうも普通らしく、女性もそれを不思議がる場合がある。
女性から、よく、そう言われる。
若い女性から僕を見れば、僕は父親の年代になる。
20代、30代の男性にもそうなのだけど、僕は、生徒にひどく親しみを持つ。
親しみはお友達の感覚で、これがあるせいかなとも思う。
僕は、ここで作業をする人を生徒と書くけど、実際は同志の感覚でいる。
そのせいかも知れない。
1 18
夕方5時は暗くない。
日照時間がが少し長くなった・・・・・。
思い付いて、母親に会いに行く。
母親と会話にならない会話をし、外に出るとさすがに暗い。
そのまま浄心へ走り、以前借りていた工房の辺りを眺める。
久しぶりに来て、風景が違ってしまったと感嘆する。
感嘆しながら新しい西区役所まで走る。
区役所は僕が借りていた工房から100米と離れていない場所にあった。
5時を随分と過ぎているので、業務はしていない。
ガラス張りの区役所は、豪華な感じで区役所のイメージがない。
今年の初めに区役所から人が来て、来て下さいよと言われていた。
来て下さいよの初めの言葉はない。
まさか、遊びに来て下さいではないだろうな・・・・・・・・。
役所は遊ぶ場ではなく、用事がなければ出向く場でもない。
その区役所の一階に僕の鞄が飾ってある。
ケースに入れて飾ってあるらしく、で、来て下さいよ。になる。
不思議な感じが少ししている。
30年前に、僕は現在の区役所の至近で作業をしていた。
作業は修業のようなもので、今、僕の鞄がその区役所の1階ロビーに展示されている。
やはり、時間の長さを感じるしかなさそうだ。
1 17
土曜日の夜は「しゃしゃんぼ」で新年会。
10人ほどが集合して「しゃしゃんぼ」のいつもの部屋で宴会をする。
前回の「しゃしゃんぼ」もそうだけど、4時間もよく使わせてくれたと呆れて思う。
酔う。
前回もそうで、相変わらずによく飲むせいで酔ってしまう。
酔って、少しの二日酔いを感じて今日になる。
新年会には花ちゃんがいた。
宴会の前には、とうとうという感じで花ちゃんの鞄が完成をする。
そんなこともあったせいか、花ちゃんも呑気に参加をして楽しそうだった。
寒い。
一向に寒さが和らぐ気配はなく、お店を出ると相当な寒気を感じる。
車で帰宅する人は別にして、自転車で来ていたY君は40分ばかりを走るしかないので、酔いも飛んでしまうだろうな。
駅まで歩くというY君とO君も、寒さで酔いも飛んでしまうだろうな。
そんな心配もする。
寒い。
そのO君が今日、ここで作業をしていた。
昨日の夜は宴会で今日は作業をしている。
Aも来て作業をしている。
これが、どこか面白い。
今日、AとO君が来て作業をしたと書いたけど、他にふたりの生徒さんがいた。
どちらも新人で、ここでの作業は初めてになる。
カレンダーを眺めて、教室の予定は一杯だと気が付き、春なのかなと思う。
教室への参加の人がとても多く、時間の調整ばかりをする。
1 14
ブログによくAさんのことを書くね。とある人に言われた。
あんまり面白くないよ。との言葉が続く。
顔は笑っているので、怒っているのでないことは分る。
Aが「蝉しぐれ」をもう一度観たいというので、もう一度貸した。
その「蝉しぐれ」のおしゃべりをAとしていた。
最後の場面の話。
文四郎はお福と宴の時間を過ごす。
これはふたりの若き時代を回想する時間で、少しお酒が入る。
あれって不倫かなと僕が聞く。
文四郎には妻と子がいて、家庭がある。
なら、不倫になるではないか。
不倫だとAは言う。
かと言って、文四郎を責める人は、まずいない。
思い続けることと不倫はどうも違う気がする。
思い続けることが抱擁に変化しても不倫とは違う気がする。
話を少し変える。
小椋佳に「少しは私に愛を下さい」という歌がある。
「来生たかお」が歌うことがある。
歌詞を小椋佳が書く。
「少しは私に愛を下さい。すべてをあなたにささげた私だもの。
いちども咲かずに散ってゆきそうなバラが鏡に映っているわ。
少しは私に愛を下さい。」
歌詞は続く。
「たまには私に手紙を書いて下さい。いつでもあなたを想う私だもの。
あなたの心のほんの片隅に私の名前を残して欲しいの。
たまには私に手紙を書いて下さい。」
小椋佳は男性で、男性が女性の気持ちを歌う。
この気持ちは、女性への憧れとしか書きようがなく、憧れは女性との関係への憧れのような気もする。
どうにも、男性は女性への憧れを抱き続ける生き物の気がしている。
「蝉しぐれ」を書いた藤沢周平は女性への憧れの強い人ではなかったか。
1 11
顔が中学生のような初老の男性が来ることがある。
髪型は小学生っぽく、頭の中身へ感想もあるけれど書くのは止す。
夢を見ていたら、この男性が出てきた。
彼が、ここの生徒になった夢で、そんな許可は出してないと僕は怒る。
この男性は夢にまで僕を追いかけるらしい。
悪い人ではないと思うのだけど、いい人とも思えず、それでいて僕を友人のように感じているふしがある。
ものすごく困る。
夢は悪夢で、正夢にならないことを祈るばかりだな。
昨日、大きな鞄を製作している男性がいて、O君とI君がいた。
そこへIさんが来て作業をする。
知った生徒同士になると、気安くなる。
元々気安い工房なので、作業はのんきになる。
Iさんの制作する鞄は予定のとおりに作業は進み、提出期限内には完成をする運びとなりそうだ。
鞄はIさんのイメージのとおりの鞄になり、イメージを鞄に制作することに点数を付ければ満点かも知れない。
イメージへの点数が低ければ鞄への評価は低いかも知れない。
そんな作品になっている。
夕方が過ぎて夜になり、I君がIさんを駅まで車で送る。
3連休が終わる。
1 10
「蝉しぐれ」を少し観ようとして延々と観てしまう。
文四郎とお福が最後に会うのは、世継ぎ騒動から20年近くが過ぎ、すでに文四郎もお福も日々平穏の中にいる。
お福は落飾を決意し、文四郎は15歳と13歳の子供の父親として日々の勤めに励んでいる。
時間は20年も過ぎ、そうでも、人の思いというものは変わらなくあるものらしい。
文四郎はお福と夏の盛りに宴を持つ。
この宴を最後にドラマは終わる。
文四郎のお福への最後の言葉は「ふく」である。
お福様ではなくお福でもなく「ふく」と呼び捨てる。
そうすることでにお福への思いをこめる。
お福はそれを受けとめる・・・・・・・・。
「蝉しぐれ」が滝の如くにふたりの背景にある。
「蝉しぐれ」は運命を抗い難いものとして受け入れ、そうでも、思いを貫く男と女の物語である。
1 9
Aに「蝉しぐれ」のDVDを貸した。
これはNHKの6話収録版で文四郎を内野聖陽が演じお福を水野真紀が演じている。
2003年度の作品なので、もう7年前の作品になる。
7年前となると、Aはいくつだったんだろう?
今日、NHK版ではなく映画版「蝉しぐれ」をAに貸した。
Aは、今頃、観ているのかな・・・・・・・?
この映画版は2005年度制作になる。
文四郎を市川染五郎が演じ、お福を木村佳乃が演じている。
映画とテレビドラマは違うので、どうとも書きようがないけれど、
個人的にはテレビ版は何度も観て、映画版はあまり観ていない。
テレビ版がが良く、映画版が悪いというのではなく、テレビドラマの方が映画よりはリアルさがあるせいかも知れない。
この場合の「蝉しぐれ」のリアルさが何かと書くのは、難しい。
1 7
今年に入り、1週間が過ぎた。
今日から生徒さんがボツボツ集まる。
いつもの工房に戻りつつある。
今年は5日間の年始の休暇でした。
暖冬の予報は外れ、随分と寒い日が続く。
冬は寒くてちょうどいいと書いても、結構辛い。
澄んだ夜空を眺めて、おー寒い。
1 5
毎晩「柳生武芸帳」の文庫本を摘まんで読んで寝ている。
ずっとそうしている。
そうしていたら、新春のテレビドラマでこれを番組にして放映していたと気が付いてパソコンで観ていた。
一日観て過ごしていた。
これが結構面白かった。
五味康祐が書いた「柳生武芸帳」は未完の作品で柳生武芸帳3巻の謎は解き明かされてはいない。
謎は謎でいいと思うのだけど、番組を観ていたらこの謎が解かれてしまう。
多分、五味康祐にも謎は謎だと思うけど、謎どころか浮月斎が死に、多三郎が死に、
番組の冒頭では千四郎さえ死んでしまう。因みに最後には柳生宗矩さえ死んでしまう。
みな柳生十兵衛に切られてしまうのだけど、こうなると、原作からかなり外れる。
柳生武芸帳の主人公が誰かとなると、難しい。
どうも多三郎ではないかとも思うのだけど、とにかく登場人物が多い。
その多い中、案外、最強は千四郎かとも思うけど、これはどうなんだろう?
1 4
瞬く間に3が日が終わり4日になる。
昨日と違い、天気はいい。
昨日、明治村にいた。
半日いて、1時間をかけて帰宅する。
帰宅途中に名古屋空港に寄りたくなった。
突然に飛行機が見たくなり、広い空が見たくなった。
5年前に名古屋空港は県営名古屋空港になり、自衛隊と小型飛行機専用の空港になっている。
そう認識していたのだけど、確かにそうなのだけど、現在はどこかのショッピングセンターが空港ビルを占拠しているらしく、
そんな感じの空間になっている。
ショッピングセンターには興味がなく、混んでいる場所にはさらに興味がないので、そのままUターンして帰宅する。
どこか、調子が抜けてしまう。
明治村は歴史博物館です。
明治の人は今の人と平均で身長差が20センチほどあるのではないか・・・・・・。
つまりは、小さい。小さいので建物もコンパクトに出来ている。
服もベットも小さく出来ている。
因みに軍服も小さく出来ている。
この小さな体でロシアと戦争をした。
明治村は犬山にある。
山の中にある。となリには入鹿池で、尾張富士が見える。
入鹿池は蘇我入鹿の入鹿で、釣りの好きな人がボートで釣りをしている、。
釣りに興味がないので、ただただ風景は寒い。
そういえば、寒かった。
元旦の雪はいくつかの建物の屋根に残り、それが寒さを増幅する。
半日いて、売店で買ったコロッケを食べながら散策する。
食堂で好物のカツカレーを食べる。
コタツに入り抹茶を飲み饅頭を食べる。
そうしていると、眠くなる。
そういえば、帰宅したら寝てしまったものだった。
疲れたんだな。