12 29
「坂の上の雲」の話。
日清戦争の2年後に陸奥宗光は死ぬ。
日清戦争が終われば、日本はロシアとの戦争を意識してその準備に入る。
伊藤博文は日露の衝突を危惧している。
伊藤博文がいて、井上馨がいる。
場所は陸奥の自宅なのかどうか。
病の陸奥は咳き込みが激しく歩行するにはすでに困難な体力でしかない。
陸奥は遺言を伝えるように外交の意味を伊藤に伝える。
もはや伝えるという動作ではなく哀願に似て、体力の尽きそうな陸奥には絶叫になる。
咳き込みで、声が聞き取れ難い。
その陸奥をかばうように陸奥夫人が陸奥の傍らにいる。
この陸奥夫人が、美貌の人である。
名を亮子といい、陸奥の後妻になる。
「鹿鳴館の花」と称され、渡米時代は「ワシントン社交界の花」とも称される。
聡明な人だったらしく、評判はいい。
写真がその美貌を今に残す。
ドラマを観ていて、このドラマはそんなところまで描くかと、チョッと驚く。
ドラマとは創作である。
創作であるので、そこには制作者の想像が入る。
歴史認識が元になるドラマには批判がある。
「坂の上の雲」は司馬史観が元になるので、司馬史観に批判的な人は、当然ながらこのドラマを批判をする。
ドラマは、さらに司馬史観への感想が前提になるので、さらに批判する人もいる。
けれど、批判を気にしていては創作はできず、制作も出来ない。
これはドラマに限らずすべての創作者に共通のことになる。
批判する人は、あまり神経質にならず、単に観なきゃいいのになと思う。
12 28
今年最後の日曜日は工房が人で溢れる。
本当に溢れた。
夕方になると、忘年会で一緒だった連中が残ったので和気藹々となる。
この和気藹々の中で「枝豆バッグ」が完成する。
それから、しばらくはみんなではしゃいだ。
Aが制作完了した作品は、とてもインパクトが強いので、眺めても眺めても厭きないでいられる。
Aが嬉しそうだった。
満足感の漂う表情で、Aは今年最後の教室をあとにする。
しばらくは、Aのいない工房の時間が続く。
Aのことを僕はここによく書く。
何故かと書けば、Aを眺めていると、自分を眺めている気がしてくるからだ。
この理由の説明は、とても難しい・・・・・・・・・・。
12 27
伊藤さんが来て、石井さんに渡しといてとDVDを置いてゆく。
「新・人体の不思議展」
パソコンで、それを少し観る。
その伊藤さんは「良いお年!」を言って帰る。これから忘年会だよと言う。
午前に来ていたふたりの生徒さんも「良いお年!」を言って帰っていった。
そう言われても、誰にもまだ5日間の今年がある。
まだと書くべきなのか、もうと書くべきなのか?
どうも、今週初めの3日間の風邪をひいた期間がスケジュールを狂わせている。
夕方、Iさんの鞄の本体がほぼ完成し、これはスケジュールにとおりに進んでいると安心をする。
彼女がいて、彼女は炭酸水を飲んでいる。
僕は、Aのくれたマグカップにココアを入れて飲んでいる。
7時に近くなり、Iさんを車で駅前まで送る。
駅前のビルの明りがトナカイから別の何かに変わっているのに気がついて、Iさんが雪だるまだよね?と言う。
あれって、雪だるまなのか・・・・・?
駅前までの道路に車は少なく、いよいよ年末を感じている。
12 26
クリスマスが過ぎてしまう。
イブの前日に「ノリタケの森」へ行く。
小雨が降っている。
そこは近いので傘はささずに帽子だけにして、撥水コートを羽織る。
「ノリタケの森」のモニュメントにサンタクロースが座っている。
それを眺め、クリスマスだな・・・・・・・・。
今年の「クリスマス・イブ」にいつもとの違いがあるかと書けば、あるような気もしている。
結局、いつものように何もなかったような気もしている。
今日、Aが昨日と同じにように2時間をかけてここに来る。
道路は渋滞をしている。
Aから、突然にマグカップをプレゼントされた。
昨日、「ノリタケの森」で買ったマグカップをAにプレゼントしたことを思い出した。
Aもお返しとマグカップをプレゼントしてくれた。
Aには茶目っ気があるな・・・・。
先日だったか、Aが帰った後にIさんが残り、Iさんに「Aはかわいいよね。」と言えば、
Iさんは「Aさんは、すっごくかわいいよ。」と大きな声で言う。
多分、Iさんの感じる「かわいい」と僕が感じる「かわいい」は違う。
男性の感じる「かわいい」と女性が同性に感じる「かわいい」の違いだろうと思うけど、
違いが書けない。
書きようがないから。
Aが来る前に男性の生徒さんがいた。年配の女性の生徒さんもいた。
その前に吉田君がいた。
吉田君はクラフト教室の先生をしているので、ついでと僕の生徒を任せておいて、様子を眺めていた。
で、あっと思う。
今年の5月からクラフト教室の先生を始めたはずだけど、彼のコーチングはまずくない。
コーチングがいい悪いは生徒の態度に出るので、いいと書いてもいい。
吉田君は頑張っている。
12 25
坂本龍馬暗殺の3週間後に天満屋事件が起きる。
この天満屋事件の首謀者が陸奥宗光になる。
天満屋とは旅館の屋号であり、場所は油小路に近く、
伊東甲子太郎暗殺の現場に近く、新撰組の屯所にも近い。
陸奥宗光は、当時、陸奥陽之助と名乗る。
幕末、多くの志士が写真を残した。
この陽之助の写真も残り、写真にはひどく愉快な陽之助がいる。
彼は頭巾を被っている。
鞍馬天狗のようだと想像すると正しい。
彼には「しゃれ」があったのかも知れない。
それでいて天満屋事件を企画する。
天満屋事件とは、新撰組への志士方の討ち入りのことで、双方に数人の死者が出る。
新撰組は打ち入るのが仕事で、逆はこの事件以外にないように思える。
陸奥は後にカミソリとあだなされる人物になるが、あだなの由来はその頭脳ではなく、
しゃれが混ざったその性格のきつさのせいかもかも知れない。
明治に入り、彼は独自の反逆精神を如何なく発揮をする。
浪人出身の志士活動の彼から見れば、薩長政府は我慢できないものであったに違いなく、
そんな行動をして投獄の憂き目にも会う。
5年間が投獄の時間で、これは長い時間と思うべきだろう。
その彼を救ったのが伊藤博文になる。
何を書き始めたかといえば、この陸奥が外務大臣の時代に日清戦争が勃発する。
時の総理大臣は伊藤博文で、ともに志士活動をしていた。
おそらく坂本を仲介にふたりは知り合ったはずで、仲が良かったと想像出来る。
幕末、志士には格というものがあった。
指導する者がいて、指導を受ける者がいる。
西郷、大久保、桂、高杉は指導者である。龍馬も指導者に分類される。
その下に、伊藤と陸奥がいる。
伊藤と陸奥は、幕末、同格な人物として仕事をしている。
それから、28年が過ぎてしまえば、陸奥は伊藤を「閣下」と直立して呼んでいる。
伊藤は、陸奥のことを「陸奥」と呼び捨てにする。
場所は伊藤の自宅なのか別荘なのか、時刻は夜だろう。
来訪した陸奥に伊藤は地球儀を回しながら応対をする。
呼び出したのは伊藤で、肺結核の兆候の出ている陸奥は時々咳き込む。
「なあ、陸奥」と伊藤は言う。よくこんなとこまでまで来たもんだな。
往時を思えば感慨は溢れんばかりになる。
伊藤は続けて言う。笑いを含んだ声には決断した安堵感が漂う。
「今でも高杉さんの夢を見るよ。」
明治も28年が過ぎてしまえば、指導を受ける人は指導する人になり、指導の対象は国家になっている。
伊藤は話を続ける・・・・・・・・・・・。
NHKの「坂の上の雲」を観ていたら、そんな場面があった。
そんな場面と書いてしまえば終わってしまうが、その場面ひとつにもそれだけの背景がある。
背景を想像して場面を観ると、ドラマの奥が分る。
分るからどうではなく、ひとつの面白さがある。
12 23
奇妙な話。
さっき、息子と話をしていた。
彼は先日、風邪をひき、それが僕に感染したと信じている。
どう?と彼は聞く。
もういいよと僕が答える。
腹が痛くて胸やけしてたと僕。
同じだな。気持ち悪くて起きたから。
で、すごい下痢だった。
それも同じで、それから熱が出た。
以下も同じになる。
長びかす暇はないので、奥歯で噛み切るように風邪を治す。
つまりは、部屋を暖め厚着をしてひたすら寝る。
根性で風邪を治すって感じで、風邪には対処する。
同じことを彼と僕はした。
そうしていたら半日で熱は下がった。
ただ、食欲がない。
同じだな。何にも食べたくない。
3日後、食欲が出たので、「どんべえ」を食べたと彼が言う。
「どんべえ」なら食べれるんじゃないかなと彼は思ったらしい。
それを聞いて、あっと思う。
彼との会話の数時間前に僕は妻と会話をしていた。
夕食時で、僕はおかゆと梅干と食べている。
何故か「どんべえ」が僕の頭に浮かんでいる。
うどんなら食べれるかも知れん。きしめんとかそんなもの。
妻が言う。だったら明日うどんにするよ。
食べたいものも同じらしい。
ちゃんと食べれたかと僕が聞く。
うん、ちゃんと食べれたけど、また、食欲がなくなったと彼が答える。
そうらしい。
それから、自販機に行くので何か買って来て上げるよと彼が言う。
スポーツドリンクが欲しいと僕が言う。
これも同じで、僕は彼が寝込んでいた深夜にコンビニへ行き、スポーツドリンクを買って来た。
彼も同じ時間に同じことをしている。
明日、僕はうどんを食べて、食欲をなくすらしい。
それでも、体調は戻るらしい。
これは風邪なのか?
12 22
昨日、起きて体調が悪いと感じた。
腹の調子がおかしく食欲がない。胸やけさえしている。
気分は悪く、仕事への意欲はない。
休むよと言い、しばらく休む、
休んでも相変わらずで、熱を計ると38度を超えている。
風邪かあ。まずいな。
で、風邪にはこれしかないとひたすら寝る。
寝ながら、時々、ポカリで水分を補給する。
そうやっていると、今日の朝には熱が下がる。
熱が下がると、随分と楽になる。
寝続けたせいか、背中が痛い。
昨日と今日の二日間の食事量はおかゆが二杯と梅干が4個。
体力が低下したとつくづく感じる。
12 20
昨日、山田君が京都の帰りにここに寄る。
八つ橋を頂き、彼は「明日みんさんで食べて下さい。」と言っていたけど、昨日の夜に僕が食べてしまった。
ごめん。
今日、男性の生徒さんが大きな鞄を制作していた。
これはショルダーで、O君は財布を制作している。
Iさんは木靴を、Aはソラマメを制作している。
木靴とソラマメは造形になる。
造形は革の可塑性を利用するので、クラフトらしい。
僕は革のクラフトは可塑性を利用した作業と信じているので、造形は好きだ。
造形は手芸というよりは木工とか工芸の分野になる。
簡単に書けば美術です。
だから美術のセンスがあると、クラフトは面白く、手芸のセンスがある人には、案外戸惑いがあるかも知れない。
寒い部屋でそんなことをソラマメの画像を見て感想している。
Aはブログにソラマメの画像を掲載している。
そういえば、Aのブログをよく眺める。
Aがブログに詰めているのは何なのだろう?
今度、聞いてみようかな・・・・・・・・。
12 18
恋も二度目なら、少しは上手に、
愛のメッセージ、伝えたい。
来生たかおは「セカンド・ラブ」でそう歌う。
何度も恋をしているんだろ?
少しはうまくなれよ。
「来生たかお」を最近よく聴いているせいか、そんな「ひとりごと」が口から出る。
誰かに言っている訳ではなく、自分に言っている訳でもない。
本当だろうか・・・・・・・・・?
何度も恋をしても、少しも上手になれないのが恋。
12 17
Aが自宅でミシンでの作業中、ミシンの針が指に貫通した。
今日、その指を見て、痛そうだなと寒くなった。
爪の上から指に針が貫通すれば、僕なら騒ぐだろうな・・・・・・。
Aは呑気に、痛かったと言う。
どこか大器な女性ですね・・・・・・・・・。
Aの作る「豆のポーチ」が完成する。
今度は、その豆を入れる鞄制作に入る。
ひとまず、いい感じに作業は進んでいる。
出来るだろうかの不安は、極めて小さくなった。
その「豆のポーチ」を眺め、これを大きくした鞄の制作が僕には待っているなと溜息を吐く。
これは、来年早々の仕事になる筈で、制作が終われば作品は西区役所に常時展示される。
展示を前提に制作するので、使用を無視しての制作になる。
使用を無視しての鞄というのは、どこか面白い。
そんなことを考えていたら、生徒のIさんはチューリップを鞄にする作業を来年早々には始める。
チューリップの鞄で、これは実際に使用出来なくてはならない。
クラフトとはクイズなのか?
12 16
今年も残りは2週間。
焦る。
今年、いろいろな映画を観た。
映画で教えて貰うこともあるとどこかに書いた。
先日、忘年会をしたことを書いて、その忘年会に参加した人は、みな僕の工房で作業をしている。
つまりは、僕の工房を探しクラフトをした人で、これが縁になり一緒に遊ぶ。
遊ぶことは、おそらくは遊ぶことでは終わらない筈で、
だから、これが僕がいて僕がしていることが縁のきっかけになってしまう。
それは、僕の存在は僕だけに限らず僕に関係する人に関係してしまうということだ。
これが、僕の存在理由ではないかと考えてしまう。
関係する人が多くなれば、多くの存在理由がある。
僕の生徒から僕の存在をなくしてしまうと、僕に関係するものもがなくなる。
今年何度もした遊びはなくなる。
他の遊びを見つけるだろうと考えるのは仮定に過ぎず、実際にはどこかにつまらなさがある。
どこかとは人の日常のどこか。
人が人を知ってしまうと、そんなことがある。
だから、僕がいる。
そう考えている。
人は誰かのために存在し、その意識があると生きていられる。
だから、逆に書けば、僕は大勢の人に助けて貰って生きている。
人が人を愛し人に愛されることの大事さがそんなことで分る。
単純なことを書いている。
映画はひどく単純なことを教えてくれる。
12 14
土曜の飲み会で、吉田君に面白いことを言われた。
現在、吉田君の工房に通う生徒さんは僕の工房にも来たことがあるらしい。
その生徒さんはある事情で僕の工房で作業をすることを断念したらしく、その事情が分らなかった。
で、飲み会で吉田君にそれを聞いみた。
聞いて、それって本当かと妙な気分になって、妙に納得をした。
僕が怖かった。
それが事情のすべてらしい。
あー、怖いとよく言われるな。確かに。
そういえば、吉田君自身が僕が怖くて、ここに初めて来てから作業を始めるまでに2年を要したと言う。
2年とは、悩むには途方もなく長い時間に思うけど、今では笑い話になる。
確かにと続けると、
僕は無愛想で、ぶっきら棒らしい。
その自覚はあるので、そう思われても仕方がない
そうなのだけど、僕は怖い顔をしている訳ではないと思う。
ただ、僕からの印象は怖い場合があるらしい。
その場合とはどんな場合かを考える必要は、多分、ないだろうな・・・・・・。
12 13
朝、少し頭が痛い。
久しぶりに二日酔いをした。
昨夜はよく飲んだ。
忘年会では生徒と一緒によく飲んだ。
途中で僕は酔ったと感じている。
ホントに面白い連中が大勢いる。
昨日、Aがご両親と一緒にここに来た。
ご両親からお礼を言われ、おみやげを頂いた。
少ししてMが来る。
Mは久しぶりで、Mもお礼とおみやげを持参する。
今年はよくお礼を言われる。
忘年会のあとで、AとMを車で自宅まで送る。
運転は生がする。
送る方面は生の自宅と正反対になるけれど、いつも僕はあんまり気にしない。
深夜の運転で、Aのアトリエの場所を知り、そのあとMの自宅に寄る。
寄るとMのお父さんが玄関まで迎えてくれて、お礼を言われる。
これは送りのお礼ではなく、別のお礼になる。
ふたりを送り、生が運転するする車で帰宅する。
どうにも喉が乾くのでコンビニでコーラとアイスを買い、駐車場で一緒に食べる。
酔いはなかな終わらない。
今日、IとOが来て作業をする。
昨夜一緒に飲んで、今日は一緒に作業をしている。
どこか面白い。
Oが新年会の幹事をするらしい。
そうしろよと言ったかどうかの記憶が僕にはないけれど、そんなふうに話が進んでいる。
本気らしく、場所は焼肉の「B」になっている。
新年会となるとすぐじゃないか・・・・・・・。
そんな話をしていたら、Iが「カラオケ、カラオケ」と言う。
そんな話も進んでいるらしい。
ここは、クラフトの教室ではなく形容し難いサークルの中心みたいだなと思う。
これもまた相当に面白い。
人は何かの縁で人と集い、集いが日々を豊かにしている。
これはすごい。
12 10
夕方、区役所からO君と彼の上司が来る。
昨日も同じで、これは来年1月に西区役所の移転に伴う関わりからだった。
区役所の移転が、僕の仕事に少し関わって来る。
これは、悪い話ではない。
夜、ある人の呼び出しを受けて駅前に出向く。
呼び出された内容は省くけど、いい話ではない。
そのある人と1時間ばかり「一心」にいて会話をする。
重ねて書くけど、いい話が元にはないので、会話の落ち着き先に苦労をする。
世の中には得体の知れない関わりをビジネスとして仮装させる場合もあるなと心配をする。
その「一心」は混んでいた。
混んでいるので、お店の人は慌ただしい。
カウンター越しに僕の名前を呼んで、今度の土曜日はお待ちしてますよと主は言う。
混むそうだ。
12 8
夢で夢の続きを見ることがある。
母の夢を見ていた。
12 7
突然に来る人はいつも突然に来る。
昼にマイロというパン屋さんが来た。
先に来た時も突然だった。
パン屋さんは、僕のマイミクになっている。
そうなので、近況は書く日記で読んでいるので、まあ、知ってはいる。
隣りの喫茶店に一緒に入る。
ちょうど昼が過ぎた頃で、パン屋さんはお昼を食べてないと言い、ここ何がお勧めなの?と聞く。
そりゃ、スパか焼きそばだろうなと僕が答える。
メニューを読みながら、焼きうどんもあるねなどとパン屋さんは言う。
でも、スパか焼きそばがお勧めだと僕が念を押す。
パン屋さんは焼きそばを注文する。
パン屋さんなので、スパはいつも食べているなどとも言う。
パン屋さんは用事があって来た訳ではないらしく、おしゃべりを続ける。
彼女とのおしゃべりは、結構楽しい。
この人と知り合って、すでに5年は過ぎているな・・・・・。
少し前はパン屋さんではなかった。
最近、実際は最近でもないのだけど、人の豊かさとは何だろうと考えている。
人は人と関係することで成立している。
すると、これが豊かであれば、人は豊かではないかと単純な結論も出している。
性分かも知れないけれど、僕は人と濃密な関係を持とうとする。
男性に対してもそうで女性に対してもそう。
性分が結論になっているかも知れない。
先に、僕になにかをぶつけているなと感じてしまえば、僕はなにかをぶつけると書いたのは、そんなこと。
そんな話をしていた。
人は豊かに暮らしていけたら良く、そのためには人との濃密な関係があればいい。
それ以外は、ないような気もしている。
で、パン屋さんに濃密な関係をしようよと僕が言う。
きょとんとした顔で、あぁとパン屋さんは答える。
今度、忘年会でいろんな人と会うけれど、僕は、多分、濃密な関係をその誰ともしている。
他の人ともしている。
これ、僕を知る誰もが感じていることかも知れない。
12 6
男性の生徒が割と大きなショルダーバッグを制作している。
大きい鞄だなと眺めていると我が家の前に車が停まる。
車から降りた女性が走って工房に入って来る。
Nさんだった。
Nさんも大きな鞄を制作している。
その鞄も今日で完成する。
完成した鞄を眺め、泣きそうな表情にNさんはなる。
人には感動する瞬間がある。
Nさんは器用な女性で、某ブランドのカタログを持参して、これを作りたいと言って鞄制作を始めた。
それは可能かといえば、ここでは人により可能になる。
カタログの写真と同じ鞄を作る。
思いが入れば、多分、カタログの鞄よりは愛おしいはずで、思わず泣きそうになる。
僕はそれを眺め、鞄の写真を撮る。
男性の生徒とNさんが帰ると、IとAが残る。
このふたりの若い生徒も大きな鞄を制作している。
大きいといえば、本当に大きい。
それは、鞄といえば鞄で、そうではないなと書けばそうではなさそうなものを制作している。
制作は完了するのだろうかという不安が僕には少しある。
制作しているふたりにはその不安がないらしく、どこか呑気に作業を進めている。
AとIは仲がいい。
そういえば、Iは賞を取り、その賞の名前を失念していたけれど、
それは意欲賞というやはり失念しそうな名前だった。
賞って何人が貰ったの?と聞けばふたりと言う。
作品は60点らしいので、60人でふたりのそのひとりになったことになる。
聞いていたAも、それってすごいと言う。
すごいことは威張っていい。
夜が始まる頃にAとIと一緒に珈琲店に入る。
Aはいつものようにストロベリーシェイクを頼み、Iは紅茶を頼み、僕は珈琲を飲む。
AはIより年上なのだけど、Iと並んで座ると年下に見える。
20歳のIより若く見えてしまうか・・・・・・。
12 5
セクシーな男性の話をしていて、「原田佐之助」だと思うとAはブログに書いていて・・・・。
「原田佐之助」って誰と聞かれると、困る。
今日の朝、深夜の仕事を終えて少し寝ようとしていたら、WOWWOWが「ICHI 市」の放映をちょうど始めて、
それを観ていたら、結局は最後まで観てしまう。
映画は「綾瀬はるか」主演の時代劇で、「大沢たかお」なども出ていた。
僕は「綾瀬はるか」が何となく好き。
で、Aがセクシーな女性は誰かと聞くので、ずっと考えていて、綾瀬はるかかなと思いついたけど、
やはり綾瀬はるかにはセクシーのイメージがない。
僕は仲間由紀江が好きなんだけど、どう眺めても彼女にもセクシーな感じはしない。
セクシーな女性は誰と聞かれると、セクシーな男性は誰と聞かれると同じくらいに答えるのが難しいかも知れない。
セクシーを売りにしている芸能人でセクシーな人はまずいない。
どこかアホかと感じてしまうので、セクシーさが出て来ないということなんだろうな。
セクシーとは、人を眺めていい感じに使える言葉だと思うけど、案外、探すとなると難しい。
24時間、セクシーであり続ける筈がないからかな・・・・・・?
12 4
Aのくれたキャップを初めて被る。
Aに散歩をしようと誘い、短い散歩をする。
コンビニまでの距離なのでホントに短い。
途中に公園があり、そこは落葉がいっぱいで、落葉の上を歩く足先が落葉に埋まってしまう。
落葉の清掃は大変だろうな・・・・。
そのAがトランクを完成させた。
このトランクは僕がぐっさんのために制作したトランクと同じトランクで、大きさはその3分の1になる。
つまりはミニトランクで、随分と可愛い。
そういえば、ぐっさんのトランクを制作して1年が過ぎた。
もう1年が過ぎたかと思う。
なんだか大変な1年だった。
Aは明日からえっと声が出そうな作品の制作に入る。
12 3
雨の予報は雨になる。
少し寒い。
12 1
時間は瞬く間に過ぎてしまう。
今日から師走が始まる。
去年の師走よりはいいことを願う。
日曜日からNHKが「坂の上の雲」の放映を開始する。
3年をかけて制作し3年をかけて放映するらしい。
司馬遼太郎は72歳でその生涯を終える。
今に考えると随分早い感じがする。
彼はその72年の生涯の10年間を使い、「坂の上の雲」を執筆する。
彼の40歳代は、この小説の執筆に注ぎ込まれることで消費される。
よくよく考えてみれば、40歳でこの小説を書いてしまう司馬遼太郎という作家は偉大と書くしかないかも知れない。
40歳とは、人生の区分でいえば熟した世代ではない。
「坂の上の雲」は群像劇になる。
有名な人から無名な人まで実に多くが登場する。
これは眺めるに、面白い。
唐突な話を書くと、
このドラマは明治を舞台にしているので、明示村がロケに使われることもある。
明治村は村と冠してあるけれど、実際は歴史博物館である。
ここで遊ぼうかと予定をしている。
お正月しか時間は取れないけど。