11 24
3連休の最後の日は雨。
今日を完全な休養日にする。
昼過ぎまで寝ていた。
起きて、随分静かだと感じると、誰もいない。
我が家には誰もいない。
誰もいないかと、こんな日もあるかと思う。
土曜日と日曜日には生徒がいた。
都合8人の生徒がいて、クラフトをしていた。
二日をかけて、8人のひとりひとりが帰るのを眺めていた。
人は来て、人は帰る。
ふーん。
11 22
夕方、「せきどめドロップ」を買い、箱を眺めて「せきどめ」かあ。などと言ったら工房にいた女の子が寄って来た。
さっき来たばかりの新しい生徒さんで、えっと顔をする。
わたし、関戸です。
なんだか、可笑しかった。
もうすぐ僕の誕生日が来ることを知ってる生徒さんが大きなプリンと大きなシュークリームをくれた。
先生、これ好きでしょう。
うん。甘いものは好きと喜んで食べる。
そういえば、僕の誕生日が来る。
この歳になると誕生日などはどうでもいいものだけど、知っていて何かをくれる人もいる。
女性にはそうした人が多い。男性は、たいていは無関心だから、何もくれない。
僕も、誰かに何かをプレゼントしたことは、まあ、ない。
先日、テレビ局の人が来ていて、いろいろと話をする。
テレビ局の人も、そうだけど、いろいろ勘違いをしている人が多く、話をして驚ろかれることがある。
例えば、僕のお客の殆どは男性だと知ると驚く。
殆どと書いたけど、これはオーダーするお客の殆どは男性ということで、9割は女性だと思い込んでいる人は、本当に驚く。
僕のお客の殆どとは8割ぐらいの感じではないか。
理由ははっきりしていて、本物の革のハンドメイドを好むのは男性に多いからで、女性は好まない。
僕のお客をする女性は本物の革が好きな人で、本物の革が好きな女性は実は少ない。
(この場合の本物の定義は難しい。)
最近は、以前に比べ多くはなってる気配があるけど、これは若い女性の間で多くなってるだけで、全体となる多くはない。
生徒について書くと、僕の生徒の数は圧倒的に女性が多いと思い込んでいる人がいる。
これも違い、圧倒的ではなく、多少多いぐらいに考えるといい。
せいぜい6対4ぐらいで女性が多いぐらいに考えるといい。
ただ、年齢には顕著な集中があり、女性は30歳を中心に3年ほどの間隔がある。
つまり、女性の生徒の年齢は20代後半〜30代前半が多く、20代前半は少なく、30代後半も少ない。
40代以上になると希少な感じで、50歳以上はいない。
男性は圧倒的に30代が多い。
この理由もはっきりしていて、実は先に書いたオーダーするお客の殆どは男性と書いたけど、
この男性の中心は30代の男性のことで、30代の男性は本物の革を好む。
これが実際だけど、あまりそんなイメージを人はしないので、テレビ局の人みたいに驚く。
11 19
S君が風邪気を付けて下さいねと言って帰る。
僕の風邪は治っていない。
いつもそうだけど、一旦風邪をひくと、治りかけてから治るまでの期間は長い。
今週の半分は仕事に影響して、これから影響しないのは分っている。
先日、変な夢の話を書いた。その続き。
夢の中で僕はメールを書いていた。
こんなことを書いていいかななどと気にして書いていた。
送信してから、不安が増す。
僕はそれを知りながら書いていたのだけど、そのメールは明日に誰かから届くメールへの返信メールだった。
誰かは僕にまだメールを送信していない。その返事を僕は書いていた。
送信トレイを開けて、送信されてないことを確認する。
すると、書いたメールはどこかと探す。
それは、やはり、夢の中にしかないかと。
11 15
風邪をひいた。
妻の風邪がうつったらしい。
妻は何も僕に移さないのだけど、風邪だけは移すらしい。
先にKさんについて書いていたら、今日の昼過ぎ、Kさんが来る。
Kさんは先週からマニラケースの製作に入り、制作の続きをする。
制作は順調で、気分が乗っての制作なので、時間を無視して続ける。
続けると完成をして、感動をする。僕は作品の写真を撮る。
他の生徒が来る予定だったけど、予定だけだったみたいで、Kさんとふたりでいろいろとおしゃべりをした。
僕は、いつも鼻をかんでのおしゃべりになる。
Kさんが名刺をくれて、ようやくKさんの仕事を知る。
仕事もだけど、いろいろも知る。
夕方、Kさんが帰り、しばらくすると眠くて仕方がなく、僕は横になる。
横になるよと妻に言えば、私は出かけるから店番は出来ないよと妻が言う。
まあ、妻はいつもそんなことを言う。
風邪のせいだだろう。
11 13
最近、毎日のように変な夢ばかりを見て、目が覚める。
例えば・・・・・。
ラジオが外に出て下さいと叫んでいる。信じられないことが起きています。と叫んでいる。
何だろうと外へ出る。駅の方向へ走り、振り返る。すると、確かに僕は信じられない光景をは目撃する。
空に何か浮かんでいる。巨大な何かが浮かんでいる。浮かんで停止をしている。
それは平坦なビルのようで、いくつもの窓があり、金属の巨大な塊で、つまりは巨大なUFOだった。
UFO・・・・・・?
本当にUFOがいて、それも鮮明に至近の距離にその巨大な姿を現した?
こうなら、ラジオが叫ぶ筈だと、呆然としながらそれを眺めていた。
やがて、それは唸るような音を出す。
動くのかなと見ていると、突然にものすごい速度で、僕の頭上を飛んで過ぎて行く。
白い霧のようなものが残り、それが僕の体にまとわり付いて、口と鼻から入り込んでくる。
それに匂いはない。
やがて、ラジオは次のことをはっきりと言う。
今の白い霧を吸った人は、もうすぐ死にます。もうすぐ死にます。
なんだかな・・・・・・・・。
昨日、Yの夢を見ていた。Yは若い女性でよく僕の夢の中に出てくる。
僕とは悪い関係の人ではなく、何事かの関係にある人でもない。
もう一年ほど会ってはなく、会っても特別親しくする人という人でもない。
その話を、昨日、Iさんに話をする。
Iさんは、怪訝な顔をする。
夢の中で、僕は彼女が誘うヘリコプターの中にいた。
彼女は操縦を始めたばかりで、操縦は怖ろしく下手で、ヘリコプターは大混乱をする。
それでも無事に着陸が出来て、降りる。降りるとどこかの暗い港で、そこにNがいた。
Nは今度は僕も乗ると言い、3人で同じ体験をする。
Yという女性は昔風の操縦士のユニフォームに身を包んでいる。
夢の話ではなく、偶然の話を書く。
少し前、KEIがマイカを連れて鞄を作りに来る。
そして、鞄を作りきる。
それはある有名なグループのお父さんへのプレゼントの鞄だった。
そのお父さんはカメラマンをしていて、KEIはお世話になったからなどと言う。
KEIは4ヶ月ぶりぐらいにここに来て、マイカはここで遊ぶ。
そんな話を、先日、来ていたKさんに話す。確か、KさんはKEIのご主人を知っていたと。
KさんがKEIのご主人を知っているのは、まったくの偶然で、彼は空手の先生をしていて、Kさんは彼に空手を教えても貰ったことがあり、
その繋がりで一度だったか、KEIと会ったことがあると言う。
きっとKEIさんは私を知らないですよ。お子さんがいますよね。
そう、マイカがいるよ。僕とよく遊ぶ。
その鞄って、とKさんは言う。Sというグループのお父さんへの鞄ですよね?
うん。という僕に、じゃあ、言わない方がいいですねとKさんは言う。
今度、お父さんに会いますから。写真を撮って貰いに会いますから。
僕はいまだにKさんの仕事を知らない。
11 7
深夜、思い出したように浅間町の交差点へと歩く。
交差点にはCOCOがありセブンイレブンがあり、少し離れてマックがある。
COCOで息子が高校生の頃、バイトをしていた。そうだったと思い出し、店内を眺め、東へと歩く。
歩くと堀川があり、坂になる。坂を上り切り、ジョグに切り替える。
左手に能楽堂があり、その向こうに名古屋城が見える。そのまま走り、市役所に出る。
交差点を左に曲がると国立病院が右手に見えて、9階を眺める。5年前にそこで父が死んだ。
左手には名城公園がある。そのまま、北へ走ると、城北橋に出る。
その角を左に曲がり、堀川沿いに南下をする。歩きと走りで美濃路へ出て、誰もいない美濃路を西に歩く。
途中で左に折れて浅間社に出ると、浅間町の交差点に戻る。
そのまま、押切に出て帰宅する。
それが昔の僕のジョギングコースだった。距離は6キロになる。
これを深夜にしてみた。少し汗をかき、10年ぶりかと考える。
身体を動かしたい。
昼、某テレビ局の人が来る。約束の時間にふたりが来て、打ち合わせをする。
これは某番組の打ち合わせで、現在は詳細が書けない。
先月、ここに来たテレビ局ではなく、別の局になる。
テレビには出たくないと書いて、今日、打ち合わせをしたのは、とても面白そうなことがありそうだったから。
人が聞いたら、いいなあと思いそうなことで、昨日、いろんな人にメールを送信したのは、この件のこと。
2ヶ月前だと、とても受けれそうにない話だった。
それを思うだけで、僕は、かなり落ち着いた状態にいる。
昨日、精神介護の度数を書いていて、度数が7から10になり7に戻る期間を9月半ばから終わりの頃と書いた。
書いてしまえば、3が7になる日付も知っている。
些細なことがぐらついた精神をさらにぐらつかせ、最悪の度数を示すのに、たいして時間を要しないのは、精神がとても弱いからだ。
弱い精神は、どうにもならないもので、どうにもならないことばかりをさせる。
あの頃、よく空を見ていた。
天気を見ていたのではなく、空に何かがいて、何かをしていると考えてばかりいた。
精神が疲労してしまうと、人は空を見るのだろうか?、
もう、2ヶ月近くが過ぎる。
そして、僕は元気だ。
とても元気で、もう精神介護の度数が上がらないことは分っている。
11 6
11月も1週間ほどが過ぎてしまう。
僕は9月を人生最悪の月と書き、10月を回復の月と書く。すると11月はどんな月なのだろう?
母は退院後、介護施設に戻り、以前の生活とは違う生活を送っている。
母の認知症は重度で、介護認定は5になる。
認知症の介護ではなく、精神の介護が必要な場合の認定に度数はあるのだろうか?
唐突なことばかりを書いている。
現在、僕の精神状態は悪くはない。
9月は明らかに悪く、10月は明らかに回復をした。
精神の介護認定の度数を1〜10までとして書いてしまうと、
8月26日に以前を1として度数は3ぐらいに上がる。
9月中頃に度数は7ぐらいになり、7は急速に最悪の度数に変わる。
最悪とは度数が10で、それでも、月の終わりの頃には7ぐらいに下がる。
10月になり、5〜7を行き来し、10日を過ぎると5を切る感じがして、20日を過ぎて3ぐらいになる。
11月に入り、3が続き、来月辺りには2に戻ればいい。
ただ、永遠に1にはならないだろうな。
母の入院から退院、退院後のの2ヶ月半の僕の精神状態はそんなところ。
まだ、完治ではないなと思うので、時々、僕は暗くなる。
いろんな人にメールを送る。すると、いろんな人からメールが届く。
届いた中にりょうからのメールがあった。
呑気なメールで、僕が書くこのサイトで、僕を大丈夫かと心配をしていたらしく、元気???????と聞く。
行こうと思ってたなどとも書くけど・・・・・・・・・、だったら、来いよ。
そういえば、8月のりょうの精神状態を知っていて、それはチョッと見ていられない状態だったけど、
まさか、ひとつき過ぎて、僕も同じになるとは・・・・・・・・・。
落ち込みの理由はチョッと違うけど、気分は同じだな。
などということを呑気に思う。
母の入院から随分過ぎてしまうと、何だか余裕が出来て、自分を振り返ることが出来る。
気分が余裕を持つことは、すごい。
今の僕の精神介護認定の度数は2かも知れない。
11 5
浅間町の西社会保険事務所へ出向く。
徒歩では行かないで自転車にしたのは夕方に近かったせいで、自転車だと5分で着いてしまう。
20分ほど待たされ、10分で用件は済む。
前回もそうだけど、社会保険庁の丁寧さは度を越しているかも知れない。
事務所で調べたかったことは僕の未納期間のことで、送られた書類には8年間の未納期間があると書かれている。
この確認が欲しかった。
係は実際に調べてくれて、間違いはないけれど、区役所で納付していると分らないと言う。
これを証明する何かがあればと言うのだけど、今となっては無理で、おそらく未納でしょうと僕が言う。
係は受け取る年金額を調べてくれる。その計算は知ってるし、難しくはない。
多分、このぐらいの額だと考えてる額を係は言う。
この額が月に5万を少し超える。
どうとも感じる額ではないけど、係は減る分は高額になりますねと同情をする。
減る額は月に1万3千円ほどで、これを係は高額と言う。
この額は月にかける煙草代と同じになる。
年金で老年時代を暮らす気はない。
好きを仕事にするということは死ぬまで仕事をするということで、そんなことはとっくに決めている。
だから、年金は生活するに何かになるものではない。
そうは書いても、身体が動かなくなることを老年というのだよと言われてしまうと、どうしようかと考えてしまう。
帰宅する前に、事務所の隣のマックでハンバーガーとポテトを買おうかと悩んでも、そう考えてしまう。
ところで、本当に僕は老人になるのだろうか?
土曜日に飲んで帰宅すると、プリンが5個食卓に置いてある。
なにこれ?と聞くとメモがあると妻が言う。
タケダさんが来てスズキさんに渡してとのメモ書きが確かにある。
なにこれ?
妻の説明では、夜、タケダさんという人が来てスズキさんに渡してと置いていったと言う。
話はつけてあるから。
応対したのは娘で、ここに娘はいないので、それ以上は分らない。
僕はタケダさんもスズキさんも知らない。
何だか、タケダさんが我が家を中継にしてスズキさんにプリンを渡したいらしいのだけど、
こうなると意味が不明になる。
さっぱり分らないまま、翌日になり、スズキさんは一向に現れない。
昨日、娘が来たので、聞いてみる。
すると、タケダさんが来て、スズキさんへと置いていったと繰り返す。
分ってるからとか言っていた。
分っているからって、何も分らないよ。
でも、知ってる人だったとタケダさんのことを娘が言う。
お客さん。
スズキさんと言ってたけど、オーナーとかも言っていた。
オーナーと言われてようやく気が付く。
オーナーって僕のことで、スズキさんとはタケダさんが僕の名前を間違えて記憶しているに違いない。
お客でタケダという名の人は確かにいて、先日ここに来た人がタケダと名乗っていた。
その人の依頼の仕事はいつも仕事ともいえない仕事なので、毎回、無料でしている。
そのお礼だとようやく気が付く。
ところで、その仕事とは某ブランドの財布のホックの外れとかハトメのリング付けで、無料にするしかなさそうな仕事だった。
これが5個のプリンになる。
11 4
年金特別便が僕に配達されている。
以前、母に届いた年金特別便の用件で西社会保険事務所に出向いたことがある。
西保健事務所は浅間町にあるマックの裏隣のビルになる。ビルは小さくて古い。
明日、僕の用件で事務所へ出向くつもりでいる。
浅間町は我が家からの徒歩圏内に入る。
徒歩圏内とは生活圏内になる。
浅間社があり、「まんだら」という料理屋がある。
浅間社は我が家の氏神様で、「まんだら」は法事の後の会食の場である。
浅間町には地下鉄が通る。
浅間町から300メートル北が押切交差点になり、ここに西区役所がある。
区役所があるということで、西区の中心かと思うのだけど、区役所は移転する予定で、多分、寂れる。
西区の中心は地下鉄沿いになり、現在、浄心が西区の中心ではないかと思う。
浅間町と押切は300メートルの違いに過ぎないけれど、この300メートルが随分と遠く感じる。
栄えと寂れの差が300メートルで出来る。
押切は何だか、時代から置いてきぼりにされている。
我が家は押切にある。
11 3
昨夜は久しぶりに外で飲んでいた。
4時間ばかり飲んで、そして、酔う。
帰宅して酔いが強くあることにようやく気が付く。
久しぶりの知人とふたりで飲んでいたせいか、話す内容が濃くなる。
帰宅して話し込んだ内容を反芻していると、眠りに入ることが出来なくなる。
いろいろと想像することばかりが浮かんでくると、眠れなくなるものだ。
何で、こんなに僕の精神はもろいのかと嘆きたい気分で朝を迎える。
寝るをやめ、起きる。
起きると頭痛がしている。
シャワーを浴びて、煙草を口にして、ぼんやりしてみる。
先月、未婚率を眺め、何故そんなに結婚が難しいかと考えていた。
個人的なことを書くと、僕は妻にプロポーズをしていない。
プロポーズなしで結婚を僕はしている。
そんな話を妻にすると、妻は2回プロポーズをされたことがあると言う。
妻はプロポーズをされた経験があり、それ無視して、プロポーズをしない男性と結婚をした。
男性の未婚率が多くなったのは、女性が男性を選ぶ基準を高くしているからで、基準の中には男性の収入と職種が入るらしい。
僕は27歳で結婚をしたけれど、僕の27歳はクラフトの仕事を手さぐりで始めたばかりの頃で、
残念ながらクラフトは職業として成立をしていない。
だから、クラフトをするとは無職と無収入を意味している。
そうでも結婚をして、女性と暮らした。
それから、30年が過ぎる。
僕にはクラフトが職業として存在している。
子供は3人いて、それなりに社会人としては恥ずかしくはない。
何を書いているかといえば、結婚とは今を考えることではなく、将来とか生涯を考えるということで、これに決心をするということだと書いている。
決心の元になるのは、今ある履歴ではなく、生涯を作るだろう何事かを眺めるしかないことだと書いている。
何事かは書類に書かれるものではなく、書かれない人の何事かで、これが分ると結婚は幸福なものになる。
幸福とは人を愛して初めて成立をする。
そうであって欲しい。