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生徒が鞄を製作している。
この鞄はある人が使用する筈で、その或る人というのは若い女性の間ではとても有名な歌手のお父さんになる。
へぇーという感じで僕はその事実を聞いている。
その生徒がその鞄の制作に今日も来て、いつものように子ども連れて来た。
子どもは2歳になったばかりの女の子で、ここへ来るのも何度目かになれば僕になつく。
なつくと遊んでばかりいる。
だから、今日の午後は2歳の子どもと遊んでばかりいたみたいになる。
子どもと一緒に公園へと行く。
で、気が付いたのだけど、僕は体が相当に硬い。運動を殆どしていないつけがこんなところに出てしまう。
で、夜間に身体を動かす。硬い。
4 20
幕末の洛中を闊歩するには、やはり、腕に自信があったのだろうか?
幕末の長州藩士に高杉晋作という人がいる。高名な人だが意外にもこの人の剣の流派は柳生新陰流で、
これも意外なのだが、免許皆伝を得ている。
彼は若い頃、学問ではなく剣術ばかりをしていたと誰かが書いていたけれど、やはり腕に自信があったのだろうか?
五味康祐の小説に「柳生稚児帖」がある。幕末にも柳生新陰流は健在というような内容で、主人公を柳生兵庫という。
尾張柳生のあの柳生兵庫である。
荒唐無稽な話の筈だけど、五味康祐が小説にするとそうはならずにそれが案外面白い。
実際に尾張の柳生兵庫は幕末に上洛をしたことがある。これを膨らませると柳生稚児帳のような話になるかも知れない。
柳生兵庫(本当はそんな名前ではない。)は徳川慶勝の上洛時にその随員を努め、役職は軍事奉行。
軍事奉行とはすごい名前の仕事だけど、柳生ともなるとそうなるのかも知れない。
彼の上洛した京都には、高杉晋作がいた。
高杉は柳生兵庫に会いに行ったりしたのだろうか?
どうせなら話を膨らませて、高杉晋作を柳生稚児にすると滅茶面白い。
4 19
午前、姫路から電話が入り、話しているとりょうが来る。
りょうも電話に出たりして、少しばかりはしゃいだりする。
風は強いけれど、秋晴れのような春の朝があり、日差しの中に土曜日の朝の静けさが町に漂う。
こんなふうに土曜日の朝は、のんびりと始まる。
昼過ぎに、名古屋の仕入れ先が集金に寄る。
代金を払い、支払う金額が極めて少額であることにお互いが驚いたりする。
小額なのは革を買わないからだ。
僕が名古屋の仕入先から革を買わなくなって久しい。
そう、僕は名古屋にいて、名古屋の革屋で革を買うことがない。
仕入先は僕の工房に革が溢れているのを見る。
或いは見ないのかも知れないけれど、セールスをすることは絶対にない。
余程、革を売るのが厭なのだろう。
時々、革を販売しているお店を紹介して欲しい。という人がいる。
紹介するけど、行っても紹介する店に革はないよ。と僕は言う。
えっと怪訝な表情をする。革屋に革がないんですか?
そう、革屋に革の在庫なんてないよ。
(因みにこの場合、革とはクラフトが出来る革のことを書いている。)
それが理由のすべてでないにしろ、僕が名古屋の革屋で革を買うことはない。
4 17
午前6時を過ぎている。ようやく徹夜の仕事が終わり、これからシャワーを浴びて、しばらく休む。
昔はそうでもなかったのだけど、最近ではこれが3日と続かない。
さすがに体力、気力が続かない。
4 8
琵琶湖が見たくて、長浜まで列車で行く。
自分の生涯には琵琶湖をじっくりと見た過去がなく、長浜という町もぶらついてみたかった。
だから、半日ほどの旅をした。
長浜は秀吉の築いた町というイメージがあり、そのとおりの町で、歴史資料館まで行くと、そこは桜が満開で、花見客が大勢いて観光客も多くいて、
琵琶湖があった。琵琶湖は広く、琵琶湖の空はさらに広い。
琵琶湖を体感する感じで、しばらく湖畔で佇んで過ごす。
長浜には北国街道が通過していた。長浜をぶらついてそれを知った。
その北国街道に黒壁スクウェアという一角があり、ガラス工芸のお店が軒を並べている。
開放された工房とショップが並び、一軒を覗いてみる。
ガラス細工の繊細さはいい。
4 7
午前の生徒が帰ると雨になり、雨の中を社会保険庁まで傘をさして歩く。
しばらく道に迷い、着いた事務所は人が多かった。
社会保険庁の事務所まで出向いたのは、国民年金特別便が届いていたので、その手続きのため。
30分ほど待ち、10分ほどで手続きは終わる。
特別便は母の元に届いていて、その母には認知症で記憶はなく、ない記憶を元での手続きになる。
4 5
桜、満開。
みんな、花見の話などをしている。
近所の公園の桜も満開で、それを今日から携帯の壁紙にしている。
来週辺りに、どこかに行こうかと考えている。
どこかも決めて、日も決めたのだけど、いろんな電話が入り、本当に行けるかと心細い。