8 22

午後1時半に生徒がひとりここにいた。彼はここに来るのがはじめてで、はさみケースなどを制作していた。
暑い中、お客さんが来た。
お客さんは女性のふたり連れで、どちらも常連さんのようなお客さん。
彼女がふたり店に入った瞬間に生徒が突然「誰々さん」と叫ぶ。ホントに叫ぶ感じだった。
するとお客さんも叫ぶ感じで、「誰々さん」と叫ぶ。
何と生徒さんとお客さんは仕事の同僚で、毎日顔を合わしている仲だと言う。
すごい偶然が僕の目の前で起きる。こんなことってあるんだ。

最近、ミクシーなどをやっている。やっているという表現は変だけど、やはり、やっている。
今日、検索に「中村高校、弓道部」と入れてみた。そんなコミュニティがあるのかなと思ったんだけど、あった。
読んでいると、懐かしさがこみ上げてくる。
余程管理人にメールを書こうかとしたのだけど、それは止めた。
管理人と僕の娘の年齢が一緒だったから。

ところで、僕は中村高校を卒業していて、部活は弓道部。妻は同じ高校の1年後輩で、弓道部の部長と副部長の履歴などがある。
メールを書いたら、管理人はやはり驚くだろうな。


8 15

午前2時にコンビニへと歩く。昼間の暑さの余韻が身体を包む。
余韻は朝になっても消えないので、また、明日も暑いのだろう。

関東のどこかで40度を超えたという。それを知って、40度を超えた気温がこの日本にあったのかと驚く。
これは生活の出来る気温ではない。

先日、デジカメを購入した。830万画素、メモリは1Gを購入。
1Gのメモリは実際の使用には不適なので、通常は16MBのメモリを使用している。
デジカメはHP掲載用の画像を撮ることを主に目的にするのでこれで充分なのだ。
ところで、これほどに高機能で、これほどに安価になっているのは、やはり驚き。

8 14

墓参をする。
今年の暑さには閉口しているので、日差しが弱くなった頃に出かけた。墓は誰かが掃除をしてくれたらしい。
僕は死んだ父がそうしたように墓にある樹の枝を切る。持参したのこぎりで切る。
どうも、墓参りですることも父に似てきた。

お盆のせいか、町は閑散としている。
我が家もシャッターは降ろしたままで、気ままに仕事をしている。
生徒は16日まで来ない予定なので、気ままも許されている。
我が家の電話は16日までは留守電にしている。

8 11

午前に郁ちゃんと一緒にいるとバイクの音がする。バイクは我が家の前に停まり、ライダーが店に入って来る。

そんな約束をしていた。バイク用の鞄を納品する約束をしていたのだ。
早速ライダーに制作した鞄を渡す。彼の顔が喜びに溢れているのが分る。彼はそのまま鞄を抱いてバイクに取り付ける。
彼の喜んだ顔から満足さが溢れ出すのも分る。こうした時ほど、ホッとする瞬間は他にはない。
この鞄は彼がイメージデッサンをしている。それを僕が素材を考えて制作したものなのだ。

昨日、ここに学生のコンテストの審査員のコメントへの感想を僕は書いた。
似たことを続けて書く。

僕の仕事はオーダーされた品を作り、それをオーダーした人に渡し代金を受け取る。
これが僕の日常だ。
こうした仕事は何だか毎日コンテストに作品を提出して高得点をを取り続けることに似ていると書きたかった。
違いは僕とお客との間には代金というものがあり、コンテストの場合には作品提出者と審査員の間に代金というものが存在しないということだ。

まず、人が人の制作したものにお金を払うということは大変なことだと認識して欲しい。
つまりは、大変さを前提にするから生活の糧が入るということを認識して欲しい。
認識したことは遊びで出来ることではない。

コンテストは、遊びではないにしろ、お遊びの感覚がどこかにある。
これは代金というものが存在しないからで、賞が取れないからといって、生活が出来なくなるというものではない。
だったら、コンテストの作品制作は純粋に勉強だと認識していた方がいい。
勉強するということは、目の前にある何かを得るためにあるのではなく、人生をより有意義にするためにあるのだから。
人生のどこかで必ず生きて、人生を豊かなものにしてくれるものだから。

今年の7月にここに通い続けた学生に、今、書いていることを言いたかった。
今、帰省中ですか?

8 10

去年の7月にある学生がここに通い続け、あるコンテストの作品制作を続けたとこのHPのどこかに書いた。
今年も同様に作品制作を続けた学生がいたとも書いた。
去年の学生の作品と今年の学生の作品の違いは作品に簡素さがあるかないかの違いで、これが作品の完成度に関係し、
出来栄えの印象度の違いになった。

簡素な作品はパーツ数が少なく、革の特性を知っていれば自在に変化する革での造形作業が楽になる。
つまりは、制作自体も楽な作業で、楽ということは気持ちに余裕が出て丁寧な作業になるということ、これが結果的に作品の完成度を高める。
従って、人が眺める作品への印象の度合いが高くなるのは当然のことになる。
今年の学生の作品は、大作としか言いようがない作品で、去年の作品に比べればパーツ数は桁がひとつ上がった感じで、
つまりは、作業には1桁上がった感じの困難さが伴ってくる。
革の特性を利用しようにも利用するに無理な素材を選んだということも困難さを増幅させてしまった。
実際に作業時間は去年に比べ5倍程度の膨らみがあった筈で、この膨らみは期限があるという場合、決定的に影響してしまう。
つまりは制作自体が乱暴になってしまう。乱暴さは完成度の低さを招き、完成度の低さは印象度の低さを招いてしまう。

印象度はこうした場合、決定的なものものだから、審査員の評価はおそらくは正当なものだろう。
全体的に去年に比べ今年の作品はレベルが低かった。とこのコンテストの審査員の一致した感想があったけれど、
多分、それは審査員が作品から受ける印象を元にした場合のレベルを感想してしまえばそうなるということで、
学生個人の持つ全体的なもののレベルのことではないように僕には思える。
ここに通った学生のことを書けば、去年の学生のレベルが今年の学生のそれより優れていたということはないし、その逆もない。
学生とは元々無知を前提にしているので作品に乱暴さがあるのは無理のないことで、無理を隠す作品にするか、
無理をモロに出してしまうかの違いに過ぎないとも思える。
前者は秀作になり、後者は駄作になる。これは学生個人のレベルとは次元が違う話になる。

今日、YKKファスニングアワードの2次審査の発表があった。
審査員のコメントを読み、去年と今年と続けて学生を指導した経験からその感想を書けば以上になる。

8 7

小泉八雲の「耳なし芳一」が中日新聞朝刊に掲載されている。
読んでいる。
ゆっくりと読んでいると、話の情景が浮かんで、すると、本当に怖い。

ところで、話の中で平家の怨霊が芳一を連れてゆく場面がある。
芳一は目が不自由なので連れてゆく武士の姿を見ることが出来ない。
カタカタと音がするので武士は甲冑を身に着けている。と話には書かれているけれど、
カタカタと音がするのは、甲冑のせいではなく、怨霊が骸骨だからかも知れない。
骸骨が早足で歩けばカタカタと音がするようにも思う。
芳一が連れて行かれたところは安徳帝の墓の前で、芳一の周りでいくつも人魂が漂っている。
こうしたことに芳一は気が付かない。

どうも、昔、人は闇の中に怨霊がいることがごく自然のことで、怨霊から身を守ることが人の知恵としてあったように思える。


8 5

午前中、富山からひとりでは持ちきれないほどの野菜が届く。
これは先日まで鞄制作の指導をしていた大学生の実家からのお礼。
突然のお礼だったけれど、新鮮さに満ちた野菜は夏を感じさせて、妙に嬉しかった。

暑い日曜日の午後。
これだけ暑くなると、街は人影もなく静まりかえっている。
元々静かな街だけど、犬さえ散歩をしなくなるといよいよ静寂が増す。
午後の生徒がキャンセルをしたので、僕の予定もなくなり来る筈のお客を待ち続ける。
冷房を効かせた工房で待ち続ける。


8 4

先日、阿久悠さんが亡くなったとの報道を読んだ。その前に小田実さんが逝ったという報道を読んでいた。
いよいよ昭和も遠くへ遠くへと過ぎ去って行く。
訃報に接するたびにそう思う。


8 1

先月28、29日は円頓寺のなつまつりで、我が工房も例年のとおりに参加する。
これは、例年のとおりの暑い夏を実感してのイベントになった。
例年のとおり、100人程がクラフトを体験して遊んでいた。

YKKファスニングアワードの作品制作をしている大学生が2日間とも円頓寺まで来て、作業をしていた。
これはそうしないと提出期日に間に合わないから。もっとも作品の鞄は殆ど出来上がっていたので、円頓寺では仕上げの作業だった。
イベントが終わると、彼女はそのまま僕の工房に来て作業を続けた。作業は深夜になり、地下鉄の終電はなくなった。
作業が終われば彼女を車で家まで送ろうと考えていたら、作業は続き、始発の地下鉄が走る時間になった。
何と、彼女は僕の工房で徹夜の作業をしてしまったのだ。
彼女がすごいというべきか、それに付き合う僕がすごいというべきか。

昨日、彼女がレポート作成に来て作品を梱包する。それから名古屋中央郵便局まで出向いて作品を発送する。
その瞬間、この仕事から僕も開放された。40日間の仕事もようやく終わる。
頑張った彼女にはこの経験が何かの糧になるといい。