10 27
亀田家の長男が謝罪会見をして、どうやら、その評判がいいらしい。
最近、いろんな謝罪会見をテレビが伝える。
今回の謝罪はどうもホッとするような謝罪だったらしい。
不良や悪の印象を与えた少年たちの謝罪から受ける印象が良く、逆に地位や財産のある連中の謝罪がどうにもお粗末なのは逆説ではなくて、
本当のところ、人間の本当さかも知れない。
唐突な話を書くけど、
20代の成功者は30代の挫折者に過ぎないと僕は思っている。
また、30代の成功者は老いて挫折者になるしかない人だとも思っている。
この場合、成功者とは単純に収入の多い人を指しているので、そうした職業の人を指して書いている。
10 25
10月も残り1週間ともなると、いよいよかと焦る。
一年の早さのことだ。
なんて、早いんだろう。
僕の祖父は50年前に死去している。
祖父の記憶はあるようなないようなそんな感じだ。何しろ、あまりに遠い記憶だから。
その祖父の写真がある。日付は大正3年4月11日になる。
この写真は家族写真で、祖父と祖母などがいる。祖母の妹などもいる。
写真を眺めながら、この大正3年の田舎の風景などを想像している。
案外、江戸期と変わらない風景なのではないか。服装もそうなら、案外、人の表情なども。
その祖父の50回忌が今度の日曜日にある。
やはり、感無量と書くしかなさそうだ。
10 18
亀田一家の謝罪が始まる。
昨日、テレビで謝罪会見を見ていた。謝罪の相手はJBCになる。会見はその謝罪の後の会見。
その謝罪会見が謝罪になっていない。とテレビでコメントする人は言う。
つまりは、もっと真摯に謝罪をすべきだと言いたいのだろう。
ただ、思うのだけど、人には人の器というものがあり、それを元にして人の行為がある。
謝罪という行為は、人の器とか性格とかそういったものが濃厚に出てくるので、多分、あれは亀田一家の精一杯の会見かも知れない。
今日、亀田大毅がひとりで内藤選手の自宅を訪ね、謝罪をしたとの報道があった。
父親も内藤選手に電話をかけたらしい。
内藤選手はそれでいい。と言うのだから、これで終わりにした方がいい。
明日か明後日には金平会長と亀田史郎が内藤宅を訪問することになるかも知れない。
テレビの実況解説をした鬼塚勝也という人がそのブログで反省のコメントを出した。
反省というよりは内藤選手に無礼だったことを謝罪しているコメントで、まあ、当たり前のようなコメントだった。
勘ぐれば、いろいろ想像も出来るけれど、ブログで謝罪するのも、鬼塚という人の精一杯の謝罪かも知れない。
先の日曜日にTBSの「サンデーモーニング」という番組で浅井慎平がその試合について感想し、世間は反省した方がいいとかそんな発言をしていた。
それを聞いて、あっと、僕は感じてしまった。
多分、大勢の人もそう感じたんだろうけど、何かがこの浅井慎平という人には足りない。
今、問われていることはメディアのことで、メディアの無責任さのことだ。
鬼塚勝也は無礼だったとそのブログで書いたけれど、それ以上に無礼だったのは実況アナだ。これはTBSの番組制作方法だ。
これが世間の反感を買ったので、こうした騒動に発展してしまったのだけど、その責任を世間にしてしまって、おいおい、どうする気なんだ?
メディアの無責任さを、これほど世間に見せつける無礼はないだろう。
10 12
昨日、ボクシングの試合を観ていた。
チャンピオンが負けたら、おそらくこの国からボクシングというスポーツは消えてしまうかもしれないな。などと思いながら観ていた。
個人的にはボクシングはなくなってもいいのだけど、なくなる理由がこの挑戦者のせいかとなると、実に腹立たしい思いが残る。
結果は承知のとおりで、逆にボクシングの魅力が出てきたかも知れない。
挑戦者がひとりの男なら、そうして僕がその知人であるなら、彼に言うだろう。
腹なんて切るなよ。
この仮定はどちらも違うので、言わないけれど。
最終ラウンドで挑戦者は反則の連続を続けた。
頭の足りなさそうなアナウンサーと解説者は若さが出た。と言うけれど、無論出たのは若さではない。
若さという言葉をそんな場面に使うのは、若さという言葉への冒涜だ。
TBSはいつまで大衆に腹立たしい思いをさせるのか?
10 8
夕方、ホッとするように時間が空く。
すると、唐突に自転車でぶらつきたくなる。こうしたことが僕にはよくある。
美濃路をぶらつく。
美濃路は近所の小道で、この小道を庄内川に向かってぶらつく。この街道には僕の子どもの頃の面影はない。
それでも、昔と同じように道路をまたぐように名鉄電車が走っているし、堤防への坂道の空は広い。
僕は坂を上り、川にかかる橋に佇む。左手にはJRの鉄橋があり、右手には名鉄の鉄橋がある。
昔、この橋はとても大きな橋だった。川は大河のように見えたものだった。
どうも、子どもの頃はすべてが大きく見えるものらしい。
しばらくそうして佇んで過ごした。それから、坂を下り、路地に入る。路地をぶらついているといろいろと雑多な記憶が甦る。
風景が変わろうと、路地はそのままにあり、鎮守もそのままにある。
昔を懐かしがっているのは、とても幸福だとようやく気が付く。
夕暮れて、家に帰る。
小一時間ばかりの記憶の旅はそれで終わるのだけど、夢を見ていたようだと妙な感じになる。
10 2
西区民まつりから2日が過ぎた。
このおまつりは、毎年雨に祟られる。今年も予感のとおりに雨が降る。
小雨決行などと書いてあったけど、小雨ではなく本格的な雨。会場はグラウンドで土は泥と化している。
本当に開催かよ。などとつぶやいてみる。
野外イベントは天候次第なので、参加者はまばらにしか集まらない。
ホントに人は集まらない。こんな体験教室は珍しい。
このイベントの最中、僕は献血をした。
会場には献血コーナーさえあって、それを見つけた時は飛んで行くように献血カーに近寄ったものだった。
献血の前後にジュースを2本貰い、粗品を頂いた。
みんなに献血が出来るよ。と教えてみた。
それで驚いたのだけど、みんな嫌がるのだ。嫌がるというより怯えるって感じで嫌々をする。
ただ、真由美ちゃんだけは興味があるのか行く気になったらしく献血カーへと歩いて行く。
歩いて行って帰ってくる。満員だったのかな、など思っていると、やっぱり怖い。などと言う。
おいおい、ホントに献血って怖いんですか?