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最近、何通か古い友人にメールを書いていた。近況報告というよりは、最近感じていることのまとめみたいな作業内容で、受け取った友人が何と考えたかは分らない。
チョッと無責任かな。などとも思うけど、つまりは友人へ無責任さは友人への甘えみたいな気配もある。

以下はそのメールの抜粋で、訂正とか省略がかなりあるので意味を成さないかも知れないけど、コピーする。

もう何年も金銭的なことを考えて仕事をする。という事をしていない。
儲けとかなどは考えないで仕事をしているし、工房の経営などは、多分、工房を始めた頃から、まあ、考えたことがない。
ということを誰かとと話していたら、誰かががそんなことでよく生きていけるな。などと言っていた。
彼はこうしたら儲かるんではないかと意味不明を言う。
以下は僕がよく言うことなのだけど、自営業をしている人間は、たいていは儲けを考える。
考えていれば儲かるのだったら、たいていの自営業は金を儲けている筈だけど、現実はたいていは意味不明を考え、シャッターを下ろしたりする。
彼らは経営を考え、金儲けを考え、そして無一文になる。
名古屋には活況があるというのは、勿論嘘で、どこでもいいから町を歩いて眺めて見ればいい。
つぶれかけた店ばかりが暗い感じの町並みの中に続いている現実がある。
誰かに限らないことだけど、勘違いが頭にこびりついている人はどうにも困る人で、彼らはそのうち、本当に町を失くしてしまう。
 
僕は金儲けを考えないが、仕事があるという状態であり続ける。ということを考えている。
そうであれば生活が成立するのだから、それを考えていればいい。
では、仕事があり続けるにはどうしたらいいかと考えれば、至極当たり前のことになる。
人が僕を必要とすればいい。ただそれだけのことだ。そのためにはいい仕事をする。いいものを作る。それしかないことで、そのために苦しんでいればいい。
以上書いたことはクラフトのプロになりたがっている人に言う。
理解するかどうかは彼らの問題で、理解できればプロになるだろうし、出来なければ消えるだけのことだろう。

まあ、こんなことを書いていた。
昨日、アウトドアの感想を書いたけど、僕が堀江個人が好きな人ではない訳は以上に書いたとおりで、彼が僕が嫌う感覚で動いたせいだ。
堀江個人ではなく、彼に似た人は、現在、限りなく多くいる。
人の人生をトータルで考えれば人には輝く瞬間は必ずある。その反対も必ずある。
若いということは、それが理解出来ないということで、理解が出来るようになれば、再生が出来る。
堀江氏の再生を祈る。

1 24

ライブドアに捜査が入り、昨日、堀江貴文氏が逮捕、本日、彼は社長を辞任した。
逮捕以後、彼の名前の後には氏ではなく、容疑者の形容が付くことになる。現在彼は堀江氏ではなく堀江容疑者と書かれる。
これがこの8日間の経緯で、事件の進展は早い。
現在、これは事件と形容されるので、やはり事件なのだろう。
にしても、やり過ぎなのではないか。やり過ぎというのは捜査している側に感想をしている。

経済の犯罪はよく分らないことが多い。今回の事件の概要を理解出来る人っているのかななどと、僕は素直に感じてしまう。
感じてしまうほどに僕には理解が出来ない。
雑多な新聞記事を読んで、今回の犯罪の内容を理解出来る人がいたら、僕は聞いてみたい。
僕に理解出来ることを説明して欲しいし、いろいろなコメントを出す人に聞いてみたい。
彼の犯罪は、それほどに大きな犯罪なのか?
そうではなく、世間で彼の印象が大きいが故の大きな犯罪なのか?

個人的に僕はライブドアに何の興味もなく、堀江個人は好きな人ではない。これは印象として書いている。
印象を与えたのはメディアで、そのメディアは彼を持ち上げていた。現在メディアは彼と、彼を持ち上げた連中をバッシングすることに熱を上げる。
そんなことはいい。そんなことはメディアとか世間がのいつもしていることで、腹は立たない。
ただ、教えて欲しい。

1 20

2日前、知人の父親が亡くなり、その通夜に出向く。
知人とは高校時代に一緒に弓道をしていて、通夜でその時代の何人かの友人と会う。
こうした機会にしかその頃の友人と会うことがないというのも、それだけ長い時間が過ぎてしまったせいで、その長い時間を実感する。
何だか、どうにも後戻りの出来ない道を僕は歩いている。

古い時代といえば、夢にその頃の知人が出来てきたことがある。
Sといい、その頃、僕が好きだった女性で、彼女も僕が好きで、よく一緒に時間を過ごしていたものだった。
夢の中でSはニコニコと笑って僕を見ていた。夢の中で僕は今を生きていて、彼女は昔を生きていた。
僕はここにいて、今の年齢なのに、彼女と来たら、昔の年齢で昔のままで、そのまま時間を飛び越えて僕の夢の中に現れた。
何で?と僕が聞く。「何で?」のあとの言葉は余りに多く、もう覚えていない。
そんな夢だった。
幸福な夢なのかどうかは分らない。ただ、夢のあと、ひどく昔が懐かしく、昔の記憶ばかりを手繰り寄せたりしてみた。

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実家の玄関を出て北へ300メートルほど歩くと路地ばかりの町内がある。路地を抜けると窪地のような場所があり、現在は小さな駐車場になっている。
そこに石碑あり、読んでみると、丹羽長秀邸跡とある。丹羽長秀とはあの丹羽長秀である。織田信長の重臣であったあの長秀である。
彼の邸跡が僕の実家からわずか徒歩5分にあった。
そこからさらに北へ1キロほどを歩くと、庚申塚がある。現在は名古屋市西区名塚町という町名になっているけど、ここが稲生合戦の戦場跡と伝えられている。
庚申塚とはその戦死者を供養した塚である。
稲生合戦とは織田信長がその弟信行と戦った合戦で信長が勝利する。この戦のあと、信長は信行を許すが翌年信行を謀殺し、信長の尾張での専制が始まる。
歴史的にはそんな記述になる。
ところで、丹羽長秀と稲生合戦とは何らかの関係があるんだろうか?
ちなみに、稲生からさらに北へ1キロばかり歩くと、比良に着き、比良にはあの佐々家の城がある。

西区をぶらぶら歩くと、そんな時代の跡とよく出会う。
そんな時代とは信長がまだまだ若いの頃で、尾張という地がまとまりのない地侍の集団であった時代の頃。

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そういえば、お正月に献血をしていた。ということを日本赤十字献血センターからの血液検査表が届いて気が付いた。
検査表を眺め、すべての項目が標準の中にあることを確認する。それが健康体かどうかのの判断には無理があるのは知っているけど、
ひとまずは安心する。

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今年の冬は実に寒い冬。
テレビは連日、大雪の報道を流す。報道する死者72人という数字は、名古屋に住んでいる限り、理解しがたい数字に思えてならない。

さて、この寒い中、例年のとおりに成人式がある。今年の成人式は僕の息子の成人式。
息子は午前に会場の小学校へと出かけ、僕は午前の惰眠をむざぼる。今日は休日なのだ。
で、20年。この20年の意味が息子にあるのか、僕たちにあるのかよく分らないが、息子が誕生してから20年間も息子を育てかと、そんな感慨があるのは確かだ。
ちなみに僕たちとは僕と僕の妻の意味で書いている。


昔、世界はゆりかごなんだろうと考えていた時期があった。子どもたちが我が家から離れて、いろんな人に交わって成長するのを眺め、周りは、
子どもを囲む周りはすべて子どものゆりかごで、ゆりかごの中で子どもはどんどん大きくなってゆくもんだと思っていた。
まだ子どもたちはゆりかごの中にいるのか、ゆりかごを揺らす人になったかは見当も付かないが、ホント、大きくなった。

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仕事を始める。始めていいのかと考えながら仕事を始める。休暇をもう少し欲しい気分が大きかったから。

昨夜、「古畑任三郎」を観ていた。松嶋奈々子が犯人役を演じていた。
この女優が出演するとドラマではなく、彼女ばかりを見てしまう。ずっとそうで、本当に僕はこの人が好きなんだ。

ドラマの話
「北の零年」という映画を衛星放送で観ていて、つくづく思ったんだけど、ミスキャストは映画を最悪にしてしまう。そんな映画。
この映画の主人公を吉永小百合が演じていたけれど、演じた役にはどうにも無理があり、それがずっと気になって映画は終わる。
どう見ても吉永小百合には母親役は無理で、祖母役が適していている。
「新撰組」をNHKは放送していた。土方歳三のさいごの一日をドラマにしたので、興味深く見たけど、面白かった。
何だか舞台劇を見ている感じで、台詞のテンポはいい。
同じ作者の「古畑任三郎」を3話とも見て、エンターテイメントとはこんなドラマをいうのだろう。飽きなく見ていられるのは、さすがな感じ。

年末にDVDをアマゾンに頼んだら、本当に年末に届いた。で、観た。
題名は「亡国のイージス」。
この映画の原作を読んでいたので、やはり観る事にして、大晦日の夜に観ていた。久しぶりに骨太の日本映画を観た感じがする。
ついでに書くと「終戦のローレライ」とセットの感じがする映画で、「終戦のローレライ」が漫画に終始したのと違い、漫画であることは止めて、
現実の中で人はどう動くかを熱心に描いている感じがする。映画だから、あり得ない現実だけど。
韓国ではこの映画を右翼的だと評論していたけれど、そうした思想性は完全になく、むしろエンターテイメントとしてまとまっている。でいいのではないか。

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昼過ぎに墓参する。風が強く、蝋燭の火は付かない。諦めてお線香を焚いて帰宅する。
帰宅すると近所のお坊さんが来て読経する。読経のあと、坊さんと話し込む。古い頃の話を話し込む。そのせいか、変な夢を見る。

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初詣に熱田さんへと出かける。JRに利用した。列車の中は空いていて、往路ともに座っていられたのは4日のせいか?
年末にニューヨークにいるJさんが来た。Jさんは18年ぶりのお正月を日本で過ごすとはしゃいでいたけど、
日本のお正月はいつも変わらないのでいい。と言っていた。
確かにこの国のお正月の風景はどんなに時代が変わろうと、変わることはなく、それは何だか素晴らしい。

さて、2006年が始まっている。僕の休暇も明日で終わり、週末にはいつもの仕事が始まる。
最近はどうにも仕事が受身的に続いている気がしているので、今年は何とか能動的に仕事をこなしたい