10 28

2冊の雑誌が送られてくる。「ケイコとマナブ12月号」、それから「ブルゾン・スペシャル」。
どちらも2回目の掲載になり、前者は当工房の紹介に1ページを使い、後者は半ページを使う。
どちらの雑誌社にも感謝をするしかない。ありがとう。

ドラゴンズが50年ぶりの日本一を逃し、台風が来て、地震が襲う。イラクでは人質が出て、人質の家族への中傷が強いと新聞に書かれていた。
何だか多難な最近の日本だとつくづく思う。ドラゴンズの話は別だけど。

「新撰組!」の話の続き。
先日、坂本竜馬が暗殺される場面を放映していた。だから次は伊東甲子太郎の殺害になる筈なのだけど、この両人はどことなく似ているなと思う。
御陵衛士の集合写真はないので、以下は想像なのだけど、もしその写真があれば、伊東甲子太郎は集合写真の中央にはいない感じがしてしまう。
これは亀山社中だったか海援隊かの集合写真の中で坂本竜馬が集合写真の中央ではなく、その端にどうでも良さそうな顔つきで突っ立っているのと
同じではないかということです。これは、多分、新撰組が集合写真を残していたとしたら、近藤勇がその中央にいるだろうと想像されるのと対照的な想像です。
写真の話ではなく、別のことを書くと、坂本も伊東も年齢は近い筈で、剣は北辰一刀流という流派。
どちらも「俺は剣術使いだよ。」などと人には自己紹介をした気配すらして、つまりは剣には自信があった。
でありながら剣を抜いて戦う。ということは愚かなことだと認識していたらしく、剣は無用と考えていた感じがずる。
両人とも身の安全にはどうにも無頓着で、その死に際し、初めて事態を悟ったぐらいだったかも知れない。
こうした感覚の人は確かにいて、周りの人はは歯がゆくて仕方がなくなる。
事件の後で、「だから言ったろう。」などと周りの人は言った筈で、いろんな意味で似ていた両人でした。

10 21

台風一過。街は台風で汚れ、大気は澄み渡る。

大正3年に撮影された写真が我が家にある。僕の祖母と祖父の若い頃の写真で、父はまだ誕生してはいない。
この大正3年に50才を過ぎた人は、実はみな徳川時代に生まれたことになり、さらに書けば、70歳を過ぎた人は
幕末の動乱期にその青春を過ごしたことになり、何と幕末が身近な時代かと驚いてしまう。
先に書いた御陵衛士だった人の何人かもまだ生存し、新撰組の隊士をしていた人もまだ生存している時代だ。
僕が結婚する頃、まだ生存していた祖母は、その若い頃、新撰組にいた人たちと一緒の時代に暮らしていた。
信じられないかも知れないが、永倉新八などは、まだ生きて生活していたし、斉藤一も生存していた。
伊東甲子太郎の弟だった鈴木三樹三郎も生きていた。
これは、溜息が出るような話。

10 20

台風が来ている。まじかに来ている。夕方になり、シャッターを降ろす。
今年は台風が本当に多く、いろんな影響が出ているらしい。

御陵衛士の話を少々書く。
「新撰組!」の最近に伊東甲子太郎という人が出ている。
例によって脇役なので、例によって損な役回りをしている。
伊東甲子太郎という人は当時の評判はとても良く、その死は誰もが惜しんだ死だったらしく、
そうしたことでも彼の一辺が分りそうなのだけど、こうした番組ではやはり損をしてしまうのは仕方がないか。
伊東甲子太郎の仲間だった人に佐野シメノスケという人がいて、「新撰組!」の中ではひどく簡単に会津屋敷で
切腹してしまうだけの役回りだったけれど、これも仕方がないか。
佐野シメノスケは伊東甲子太郎の仲間と書いたけれど、この集団は仲間意識が極めて強く、伊東甲子太郎をボスにしていた訳ではない。
これは新撰組の中での近藤勇の役割と対照的で、近藤がボス意識がひどく強く、意見の違う人間を殺す。ということを
生涯の仕事にしていたこととはやはり対象的で、伊東甲子太郎は刀を抜いたことがない。とさえ言われていた。
ましてや人を切ったことなどはなく、人を殺そうと考えたことなどあるはずがなく、
彼の人生で人を切ったのは、彼が襲撃を受け、その死に際して初めて人を切った。と言われているぐらいで、
つまりはいろんなところで近藤とは対照的な存在でした。
伊東甲子太郎にはボス意識が全くなく、だから小細工をすることもなく、人に指図をすることもなく、何となく呑気にその人生を過ごした感じが
するけれど、それを周りの人が歯がゆく思ったらしく、これが油小路事件へと繋がる。
油小路事件というのは、新撰組が伊東甲子太郎を殺害、その屍骸を囮にして御陵衛士を誘き寄せ、御陵衛士の殺害を計った事件で、
御陵衛士の3名が殺害される。殺害された人に藤堂平助などがいた。
驚くべき話は、この時、新撰組は伊東甲子太郎の屍骸を囮にした。ということで、こうした話は歴史の中にそんなにある話ではない。
また、こうした話は新撰組という組織が士道というものと無縁というか、むしろ逆を生きてゆくより他がなかった証明のような話にはなる。
この油小路事件が第1ラウンドなら、次が沖田襲撃、次の近藤襲撃になる。
沖田襲撃は沖田が不在で未遂に終わり、近藤襲撃は肩への負傷で終わる。
両人とも命を拾ったことになるが、その場で命を拾ったという程度だったのは、何か運命的な話で、
結局は近藤は御陵衛士の中にひとりの証言で断罪になる。
断罪された首は塩漬けにされ、京都に護送され、晒されることになるのは、伊東甲子太郎殺害への報復の意味合いが感じられて仕方がない。
ちなみに御陵衛士は鳥羽伏見に参戦、のち赤報隊に参加する。のち一年間を東北の戦陣に過ごし、京都帰還になる。

御陵衛士の人たちに新撰組に在籍した期間があったのは事実だか、多分、彼らは元新撰組隊士といわれるのを、極めて嫌ったはずで、
藤堂平助ですら、そうだったろう。と思われる。

10 4

昨日は朝から雨が降る。
雨を予定していなかったので、大いに焦る。
10月3日は「西区民まつり」が庄内緑地で開催予定の日で、こうした野外イベントは天候次第な訳で、どうなるかと心配する。
中止かとも予想したけれど、、中止の連絡はなく、雨の中での開催となる。
雨では、こうした企画は殆ど無理になるはずだったけれど、そうでもなかっかったのは、クラフト人気かも知れない。

イベントが終わり、生徒がみんなで我が家に集まり、大いに騒ぐ。二人ばかりが我が家に泊って、朝帰りとなる。

お疲れ様でした。

10 2

昨夜はドランゴンズが優勝したので、殆ど徹夜して、テレビの特番を観てました。
朝、イチローが安打を放つのを見る。歴史的な瞬間に立ち会ったような気分で、どうにも感動を感じたものでした。

10 1

本日の空の青さは快感さえ感じるもので、何と、秋ですね。
明後日は、「西区民まつり」があるので、天候が気になって仕方がないのだけど、ひとまずは大丈夫そうで、
さて、まつりです。

ところで、昨夜、ドラゴンズの優勝はなく、今夜になるんだろうか?優勝したら、徹夜になるんだろうな。