12 27

映画「なごり雪」を観る。
昨日観て、今日も観た。何度も読む本があるように何度も観る映画がある。何度も聞く歌があるように
何度も観る映画はある。

映画「なごり雪」は伊勢正三が創り、歌い続け、愛し続けた「なごり雪」を映画にしたもの。監督は大林さん。
映画の舞台は九州の臼杵市で、映画は古い街の切ない青春を描いている。
青春と交差する老いの始まる年齢というものが痛いほどに伝わるのは、おそらく僕がそうした年齢になりつつあるから
だからだろう。個人の持つ青春というものは何度も反芻して理解するしかないものだ。

若さが切なさならば、人が生き、老いるということも切なさに違いない。

12 25

クリスマスも終わる。例年と同じで何かがあった訳ではない。
どうもクリスマスというのは、小さな子供がいるか、恋人がいるかという状態に意味があるらしく、
どちらもいない僕には無駄な日付になる。街は賑わっていたのだろうか?

12 23

祝日といっても、仕事をしているような仕事を休んでいるような日。

今、深夜の午前3時を半分ほど過ぎて、キーボードを叩いている。
眠気がないのは、最近実によく寝てすごしているせいなのだろう。妻もそんな僕を呆れてみている。

12 20

寒波襲来して、雪が降る。一日中雪が降る。
雪の中、nさんが来る。先日までパリにいたそうで、パリのお土産を持参して来る。甘いお菓子でした。
そういえば、我が家の娘も二人でパリにいる頃か。ロンドンからパリへと旅行する予定も入っている。これは偶然です。

昼、東急ハンズまで歩く。歩いても知れた距離なので歩く。
もっとも、相変わらずにハンズには欲しいものはなく、歩いて帰宅。何だか一時間ばかりを散歩して過ごした気分。

夜、実家に寄る。

12 16

午前4時に電話が鳴る。電話はロンドンからで長女が無事にヒースローに着いたとの連絡。
これで我が家の娘はふたりでロンドンでクリスマスを過ごす。父は寒い部屋で仕事に勤しむ。

12 10

浜松からKさんが来て、札入れを製作して帰る。
当工房では教室をしていても個人的には先生という感じを抱いていないので、いつも先生と呼ばれると戸惑う。
よくここに通う人に言うのだけど、これは実に個人的なのだけど、生徒という感じではなく、同志という感じを感じてしまう。
だから一緒に遊んで製作しているようなものです。

本日、昼から雨になり、雨は夜も降り続く。

録画した映画「宣戦布告」を観る。面白かった。

12 8

夜、パトカーに乗り、交通安全の広報をする。パトカーに乗ったのは多分人生で初めての出来事。

12 4

地域の協議会に小学校の教頭が出席していたので、何だろうと思っていたら、これが防犯ブザーのお願いでした。
小学生全員に防犯ブザーを持たせることになったので、もしもの時はお願いしたいとのこと。
もしもというのは防犯ブザーが鳴った場合、外に出て対処して欲しいと言う。そんな話を聞きながらとうとうそんな
事態になったかと唖然としてしまう。児童を対象にしたわいせつ目的の誘拐が多発しているので、その防衛手段なのだけど、
これは地域社会が実に住み難いところだと言っているような話。

12 3

先月が終わる頃にひとつ年を取り、いよいよ人生は佳境に入ると認識する。さて、いくつと書いたらいいのでしょうか?

日曜日に大阪からケイコさんが来る。夕方、彼女を駅まで送る。
送るついでに駅前のイルミネーションを眺める。綺麗でした。

水曜日になる。1週間の半分はひどく簡単に過ぎてしまう。
時間は早く、12月は気分すら早く過ぎる。時間に追われるように過ごすのが最近だけど、12月という名詞は、それに輪をかける。

本日、河童のアクセサリーが200個完成する。200という数字は手作りの限界を超えた数字。
もっとも僕ではなく、ほとんどを妻が製作する。ご苦労様です。

唐突な話ですけど、昨日、テレビでゴジラ映画を放映していたので、録画して観る。
2002年度版のゴジラ映画でチョット面白かった。
唐突な話の続き。
ある人がワニ革で財布を作って欲しいと言う。ワニ革を持参すると言う。いいですよと僕が言う。
すると、彼は本当にワニ皮を持参したのだけれど、
それ、ワニ革ではなくて、ワニ。ワニの実物。だから本物のワニが一頭、ここにいた。もっとも生きてはいなかったけれど。
これは本当の話で、そんな話を今日、ユカリさんとしていました。この話、誰でも驚く話だろうな。

驚くと言えば、こんな話に本日は驚いた。
午後、大阪の或る女性から電話がある。その女性は大阪の伊勢丹でとてもステキなリュックを見たと言う。
で、それを作ってくれないかと言う。話を聞いていたら、リュックではなくランドセルのようで色は黒、ランドセルには
持ち手が付き、ショルダーもついていたと言う。10分ほどそれを眺め、思い切ってランドセルの所有者に、
ランドセルについて聞いたのだそうだ。その辺からこの話の理解が始まる。つまりそのランドセルは僕が大阪の某さんの
注文で製作し、某さんはそれを背負い、背負って歩いているのを電話の主に眺められ、声をかけられ、ランドセルに付いて聞かれ、
気持ち良く応じたらしく、ついでにこの工房を教えたということらしい。そうしたことから当工房に電話が入り、注文が入る。
某さんというのは当工房に来たこともあるとても感じのいい人で、電話の主もとても感じがいいと言っていた。
当然なことですが、僕はすごく気分が良くなった。これはこうした仕事をしている特権みたいなご褒美のようなもの。