西暦 元号 百花園史 関係史 1940
昭和十五年
九、日独伊三国同盟条約調印
一0、大政翼賛会発足
1941
昭和十六年
四、傷い軍人、国民学校の団体入園を無料とする
一二、太平洋戦争開戦
1943
昭和十八年
七、東京都制が施かれる
1944
昭和十九年
一一、東京初空襲
1945
昭和二十年
・三月十日、東京大空襲により焼夷弾の直撃を受け全園消失、石碑、福禄寿尊像を除き書画、版木等全て消失する
八、終戦
・大倉別邸、進駐軍高級将校のための慰安施設となる
1946
昭和二一年
一一、日本国憲法公布
1947
昭和二二年
○「向島百花園運動場建設促進会」の運動に対し「名勝向島百花園復興協賛会」の運動が起きる
・十一月、都議会、百花園の復旧費を計上、議決
・十二月、墨田区議会に百花園を野球場にする主旨の陳情が提出される
・墨田区議会議長、同区議会復興委員長が連名で都知事、都議会議長に、一部を草花園に、残部を総合運動場とする区議会決定を主旨とした陳情提出
・都議会、前記の陳情を不採択
三、向島区と本所区が合併して墨田区となる
五、日本国憲法施行
五、ボートレース復活
1948
昭和二三年
九、第一回全国花火コンクール
1949
昭和二四年
・「多賀神社」再建
・五月、復興園地として再開
四、隅田公園内に少年野球場完成(王貞治氏が練習を重ね球場)
1951
昭和二六年
七、墨田観光連盟発足
1953
昭和二八年
五、子育地蔵尊の縁日復活
1954
昭和二九年
・売店(「茶亭 さはら」)設置
1955
昭和三十年
・「名勝碑」再建
七、楽焼「角田川焼」復活(伊藤氏)
1956
昭和三一年
一0、開都五百年記念隅田川七福神早詣競技会開催
・「名勝」指定を解除
1958
昭和三三年
二、「お成座敷」集会施設として再建、四月開放
1961
昭和三六年
七、両国川開き(花火大会)防災上の問題から中止
1963
昭和三八年
八、外郭防潮堤完成、平作堀・銅像堀の埋め立て
1964
昭和三九年
一0、東京オリンピック開催
1965
昭和四十年
・「園門」「花屋敷遍額」「春夏秋冬聯」復元
・入園料無料化
二、玉の井おはぐろどぶなど、下水暗きょ化すすむ
1967
昭和四二年
一一、首都高速道路工事のため東京大学・一橋大学の艇庫取壊し
1968
昭和四三年
・文化庁発足
1970
昭和四五年
四、一二才以下の入園料を無料にする
1971
昭和四六年
四、入園料有料化、正月七草までも有料となる
三、首都高速道路六号向島線開通
六、隅田公園内墨堤通り、休日自動車通行止め
七、環境庁発足
1972
昭和四七年
・管理事務所改築
1973
昭和四七年
三、墨田観光連盟解散
1978
昭和五二年
・十月、「史跡及び名勝」に指定
1979
昭和五三年
・四月、早慶レガッタ復活
・七月、隅田川花火大会復活
1980
昭和五四年
・「大輪朝顔展」のはじまり(墨田朝顔同好会)
1984
昭和五九年
・園内人止め柵の全面改修、青竹荒縄の手法廃止
1985
昭和六十年
・お成座敷改築着工
1986
昭和六一年
一、隣接地の高層マンション反対運動始まる
四、お成座敷竣工、再開
八、隣接マンション計画地、都市計画公園に都市計画決定
1988
昭和六三年
・万年塀、一部生け垣化に改修
・池水浄化装置の設置
・児童遊園地の改修
・夜間行事のアンドン改修
1989
平成元年
1990
平成二年
1991
平成三年
1992
平成四年
1993
平成五年
1994
平成六年
1995
平成七年
1996
平成八年
1997
平成九年
1998
平成十年
・草花見頃案内看板の改修
・園内人止め柵の一部改、青竹荒縄の手法復活1999
平成十一年
2000 平成十二年 2001 平成十三年 2002 平成十四年 2003 平成十五年 2004 平成十六年 ・創設200周年行事
・売店前植え込み土壌改良工事