Tomas Milian トーマス・ミリアン
フィルモグラフィ その4
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ガン・クレイジー(1966年)
監督 ユージニオ・マーティン監督 / 脚本 ホセ・G・マエッソ &ユージニオ・マーティン / 撮影 エンツォ・バーボニ(E・B・クラッチャー) / 音楽ステルビオ・チプリアーニ / 原題 " El Precio de Un Hombre "  aka " The Bounty Killer "  


イタリア製ウエスタンへの転向
ミリアンの記念すべきマカロニ・ウエスタン初出演作であり、イタリア=スペイン合作ウエスタン史上にのこる傑作。ミリアンが出演した十数本におよぶ傑作ぞろいのウエスタンもののなかでも、トップクラスにはいる出来映えだ。監督はユージニオ・マーティン、脚本に参加しているホセ・G・マエッソは『続・荒野の用心棒』の脚本にも参加している。筋立ては単純ながら、主演男優ふたりの名演によって主役の人物造形が、脚本の要求している以上に陰影にとんだものになっているところが泣かせる。またこれがサントラ・デビュー作となったステルビオ・チプリアーニの哀愁あふるるメロディが抜群に美しく、作品に品格をあたえている。

主役をとらせて
いただきます

原題は"The Bounty Killer"、つまり賞金稼ぎ、である。ミリアンが賞金稼ぎかというとそうではないことから、そう、本来この映画の主演はリチャード・ワイラー(Richard Stapleyの名前で、戦後USの戦争映画などに多出していた俳優。60年代にはいってから、イタリア史劇に出演、以後イタリア製ウエスタンで活躍した)の渋い賞稼ぎチルソンで、ミリアンは本来その敵役だったことがしれる。しかし、松竹の公開当時のポスターや、イタリア本国のポスターをみると、ミリアンが一人で拳銃をかまえている絵柄になっているものがほとんどなことから、ミリアンが実質的主役の座をうばってワールドワイドに成功した映画、といえるだろう。さらに公開当時の資料によっては、チルソンがまるで悪役扱いされているものもあって、これはまたこれで泣かせるのだ(正義の味方なはずだったのに・・・)。

それまでのミリアンは文芸ものを中心に積極的に活躍しており、ヴィスコンティやフランチェスコ・マゼッリの作品で主役を演じて賞をうけるなど、演技派として、イタリアでのキャリアをほぼ着実なものにしつつあった。それが、なぜ本作から「マカロニ」に路線変更したのだろうか。
本来英語もはなせることから、さらなるステップアップを夢見ていたであろうし、前年の作であるキャロル・リードの『華麗なる激情』で端役としてチャールトン・ヘストンと競演したりしてハリウッド形式の現場から非常に刺激をうけたことなどは容易に考えられる。娯楽作品で主役を演じて、ワールドワイドに成功する。くわえて、文芸作品でブルジョアな役柄ばかりをおしつけるプロダクションにいやけがさしていたのかもしれない。しかしなんといっても、60年代初頭からはじまったユーロ・ウエスタンブームに、65年の『荒野の用心棒』でなぐりこみをかけ、いきなり火をふいたかたちのイタリア映画界のいきおいがあった。映画界は新しいヒーローをさがしていたのである。しかも、若くてだれがみてもわかりやすいという・・・。

▲なお、Arizonaさんが提供してくださった貴重な資料、"Westerns All' Italiana !" #25, 1990.によれば、ミリアンは当時クリスタルディ・プロダクションと契約していたのに、ちょっとばっかしカネづかいがあらくて、もっとカネがほしかった、という非常に単純な理由もあったらしい。こいつう、あそんでたな〜。きっときれいなおねちゃんにみついでたんだな、うらやましいぞっ。以下、"Westerns All' Italiana !"はたびたび引用するとおもうので、"WAI"と略します。


こざっぱりしたならずもの
筋立ては簡単。ならずもののホセ・ゴメス(うーん、なんかひどく簡単だけど、これがミリアンの役柄なのなまえなのだ)が、刑務所に護送される途中でホーム・タウンにたちよる。彼を本質的にはワルでないと信じている町の人と、手下、彼のおさななじみで、彼のこれまでおこした殺人は正当防衛だとしっていてる美女イーデンの手によってホセは脱走。それを賞金稼ぎのチルソン(ワイラー)が追ってくる、という筋。町人はホセをまもるため、チルソンを撃退するが、ホセは実際にはならずものの集団をひきいるうち、どうしようもない極道ものになっていて、助けてかくまってくれた人々の家で手下が暴れるをとめようともしない。こまった人々をみかねてイーデンがホセを説得するが、まったくきく耳をもたない。そこでチルソンにあらためてホセをとめるように依頼する、という筋。

どことなくおぼっちゃま風

ならずもののホセ、のはずのミリアンなのだが、出だしからひどくユニークだ。なんとマカロニにはめずらしい「美男」あつかいなのである。髪型も、整髪料をつけいないので、ひどくぱさぱさした印象だが、うしろ髪はきちんとかりあげられているし、きのうまでおぼっちゃんでした、という姿なのがほほえましい(きてるシャツには、なんとピンタックまである)。このへん、マカロニ世界の梯子をあがってはみたけれど、まだ完全に梯子ははずしていない状態、という印象をうけるのだが、どうだろう。じつはホセの設定そのものも、もとは地主のぼっちゃんだったが、家が野盗の集団におそわれて以来ひとりになって、ここまでおちぶれて極道になったらしいというもっともらしいことになっているのだ。

最初の場面では手錠にいましめられて、馬車で護送されるショットだが、どうみても大金をつかいこんだ若旦那みたいで愛嬌があるし、場違いな印象(ただ、ときおりもらす神経質そうな笑い声が、あざとくなくサイコキラーっぽくてなかなかよい)。しかも、本格的登場となる、駅馬車の休憩所にはいってきたときのショットはゴージャスである。なめるようにミリアンの男前な表情をとらえたうえ、バックでチプリアーニのテーマ曲が麗々しくながれてしまうのだ。これでたいていの観客は、この映画の主役は彼だと思うだろう。つづく、護送についてきた保安官たちをを手錠でいましめられたままの姿で皆殺しにして逃げ去る見せ場(よくかんがえると人でなし。でもうごきが美しいので、みてるこっちの善悪の判断基準がにぶる)があざやかで、はっきりいって、冒頭にしか見せ場がないうえ、人から蛇蝎のようにきらわれている賞金稼ぎ業にいそしむしぶいおじさま(にしかみえない)ワイラーは気の毒なのだ・・・。

しかし、だれからも理解されない人狩り稼業に、正義感をもってはげむワイラー演じる賞金稼ぎも、なかなか味わいがある。あまつさえ、ホセをかばう町の人にとらえられ、拷問まがいなことをされてもへこたれないのがよろしい(主役だからあたりまえか)。最後、ミリアンと決闘するシーンでも、理解されない反社会的なやんちゃぼうずにある種の共感をもって接しているところが度量がでかそうで好感がもてる(「Boy」ってよんでるし・・・)。


破滅するマイノリティ青年の悲哀
さて、ミリアン演じるホセがなんでならずもののになっているのか、というのは映画のなかではさきにいったような事情がさらりとあかされる程度で、くわしくはかたられない。彼の役柄が「ホセ・ゴメス」という、どっからみてもスペイン系の名前になっているということ、町の人に「アメリカ市民さんよ」と皮肉っぽくかたりかけるところから、自分はちがう、つまり、自分がおさないときに野盗にではあるが、財産を剥奪され、以後、アングロサクソン系の共同体からまもられることもなく、ただひとり官憲からひどいあついかいをうけてきてここまで屈折した、ということがよみとれ・・・なくもない。こういうのは、とくに主人公にせつせつとかたらせるより、それとなくにおわせる程度の演出のほうが、けっこうじんわりくるからなかなかよい配慮なのかもしれない。なお、ホセにこのようなバックグラウンドをつくらせたのは、プロットをもらった段階で、「なんだ、これじゃただの悪党じゃねーか」と思ったミリアン自身であったらしい("WAI"より)。監督とプロデューサーになぜこのメキシコ人が悪党になったのか、理由をあたえたいと発案したのは自分だとインタビューで語っている。

それゆえに、むくつけきならず者をひきいて、メキシコ風の毛布みたいなもの(ポンチョのもとにするようなあざやかな幅広縦縞の毛織物。あれ、なんていう名称なんでしょう。どなたかおしえてください)を肩にかけ、風をはらませてかっこつけて仁王立ちになっている姿は、主役をとってやれ、というミリアンの意志のつよさにホセのけなげなつっぱりが二重写しになっているようで、それだけでみごたえがあるのだ。

口のひらきぐあいがいいかも
エラ・カリン嬢

さて、こうしてかいてくると男主体の映画のようだが、一応、むくつけき男どもしかいないような宿屋にうろちょろして下働きをしながらホセをしたう美女イーデン(気の強そうな表情がなかなかかわいいエラ・カリン)がいる(目玉焼きといりたまごしかつくってない可能性あり)。この美女は最初おさななじみのホセにこっそり拳銃を手渡すなど、「ホセ(はあと)」状態なのだが、ホセは彼女のまえだと良心がとがめてチルソンをころすのはよす、くらいのことはするものの、なぜか終始彼女を黙殺状態。とおりすがりの若者を自分のいどころをもらすかもしれないからと笑いながら殺すホセの残虐性にやっときづいた彼女が(あとちょっとは無視されたはらいせもあったか?)、チルソンにホセをしとめるよう依頼してから、ホセははじめて彼女に裏切りはゆるさないとばかりに嗜虐的で強引な接吻をする。これにふるえおののく演技がなかなかよくって、彼女はマルです。おびえる美女は美しい。

たしか涎だったはずなんだけどな
血になってますね、ポスター

最後の決闘シーンは、当然ホセとチルソンの一騎打ちになるのだが、これはみごとなショットの連続。たしなめるようなチルソンのうごきに対し、あくまでもつっぱって破滅につきすすむホセの表情とうごきを写し取るカメラがよいし、とりわけ、悪運つきてしとめられたホセが、もうもうとまいあがる土ぼこりのなかに顔をつけて息たえるところのながまわしの撮影は、ほとんどカメラがミリアンに欲情しているといってもよいだろう。土ぼこりのなかで、目になにかがしみたのが、一筋の涙がながれ、口から流れ出た涎が即座に乾燥するところまで、ずっとカメラがまわりっぱなしである。『用心棒』で砂ぼこりのなかで目をむいたまま死んでいた仲代達矢にはかなわないかもしれないけれども、誰からも理解されない、無頼だが社会的には無力な若者の美しい最後としてははるかに上まわる出来だ。

結論として、またとない傑作だ、といいたかったわけなのだけれど、残念なことに、この映画、じつはビデオが日本未発売なのである。是非、大勢の人にみてもらいたい作品なので、どこの国でもいいからきれいなきれいなソフトを、ぜひ。何語バージョンでもいいんですから。さらに、いつか劇場でみることができたなら、こんなうれしいことはないでしょう。


■おまけ■
一番私がきにいっているシーンは、ミリアン演じるホセが、罪のない若者を保身のために殺すことを自らに強いる(というか、許す)シーンで、イスにこしかけたまま、顎をしゃくって手下に若者を殺すよう指示をくだしたあと、最後に残った一人に足でまったをかけ、その男のガンベルトに手をかけたまま自嘲気味に笑うところだ。この笑顔が、じつにうまくて、セリフがほとんどないシーンだけにミリアンの演技力がひかる結果となっている。

なお、手下にいるはぬけのおもしろい顔のおじさんは、「情無用のジャンゴ」で、町の人に殺される盗賊一味のなかにもいた。

わすれないで。
私が主役だったことを




その華麗なるフィルモグラフィ

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以下続予定


続々でてくる珠玉のマカロニ作品群
ルチオ・フルチのカルト作品
ベルトルッチ「ルナ」
アントニオーニ「ある女の存在証明」も予定



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