作者別一覧
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マイクル・ムアコック
(1)
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村上龍
(1)
MICHAEL MOORCOCK
マイクル・ムアコック
「メルニボネの皇子」(原題:ELRIC OF MELNIBONÉ)
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
ハヤカワ文庫
値段
¥360
初版
1984-11-30
総合
☆
ストーリィ
−
技術
☆
本書「メルニボネの皇子」は、 <エルリック・サーガ> と呼ばれるシリーズの第1作目にあたる記念すべき作品である。
―― <エルリック・サーガ> 。世界中のどこにいようとも、この作品を知らずしてファンタシィ小説のファンを語ることは許されまい。1972年に刊行された、まだ古典とは言えない年代の作品ではあるが、それでなお <エルリック・サーガ> は既に伝説的作品として認知されるようになってきている。
では、そもそもファンタシィ(ファンタジー)小説とは何なのか。
実を言うと、これの定義は非常に困難だ。日本語では「幻想小説」とか「空想小説」というように訳されるが、これだと空想的要素の入った作品は全てファンタシィに含めることができてしまう。――実際、その通りなのだ。
世界各地に残っている伝説や昔話、神話の類も広義的にとらえれば全てがファンタシィと言える。というより、あらゆる物語や小説は強引に押し切ればファンタシィと言いきってしまえるのだ。
だが、それはあまりに乱暴過ぎる。そのため、文学界の人々は『ハイファンタシィ』だとか『ソード&ソーサリィ』と呼ばれるカテゴリィを創設し、ファンタシィの1分野として定義することにした。これがどういうものかというと、剣と魔法が存在する世界で繰り広げられる冒険譚である。
光り輝く甲冑をまとい、剣と魔法を駆使してドラゴンだとか黒魔術師(魔法使い)にさらわれた姫君の救出に向かう騎士の物語などはこの典型だ。
若者にとっては、TVゲームのロールプレイング・ゲーム(RPG)をイメージすれば感覚を掴む際の大きな助けとなるだろう。
今回紹介する「メルニボネの皇子」ひいては <エルリック・サーガ> も、この『ハイファンタシィ』に分類される作品である。
だが、この世にハイファンタシィを謳う作品は星の数ほど存在する。その中で、なぜに <エルリック・サーガ> は特別視され、そのジャンルの象徴として扱われるまでになったのか。
その理由は、 <エルリック・サーガ> という物語が当時の社会において非常に斬新だったからだ。
旧来のファンタシィ小説の主人公は、ロバート・E・ハワードの『英雄コナン』シリーズなどがその典型であるように筋骨隆々とした屈強でタフな男が主人公に据えられていた。
(このコナンが、アーノルド・シュワルツェネッガー主演で映画化されている事実が何よりそれを如実に語っている)
彼らは思い迷わず、その逞しい肉体と比類無き腕力をもってあらゆる敵に敢然と立ち向かい、そしてこれを撃破する。そして英雄と呼ばれるようになるのだ。
だが、ムアコックの送り出した <エルリック・サーガ> の主人公エルリックは、コナンのような英雄像に慣れ親しんでいた当時の社会人たちを驚愕させる人物だった。
なぜならエルリックは、特殊な薬を飲まなければ自力で歩きまわれないほどひ弱で病弱だった。その上、自分の立場や責任、社会、将来などといったことに思い悩む物憂いげな男だったのである。
こういう作品もあったか!――当時の人々はハッさせられる思いで膝を叩いただろう。もちろん保守派や伝統派からは批判の声も多く出たはずであるが、大抵の読者はこれを受け入れた。
だからこそ、 <エルリック・サーガ> は現代まで生き残ってこれたのである。
結局、ムアコックの <エルリック・サーガ> は設定の斬新さだけでなく、物語としての高い完成度も兼ね備えていたのである。
第1作の「メルニボネの皇子」では、メルニボネという歴史ある王国の王座に就く主人公エルリックと、これに反目し一種のクーデターを目論む従弟イイルクーンとの闘いを描いているわけだが、これが今読んでもスリリングに描かれている。古さが感じられない。
エルリックは様々な策謀に餌食となり、王位を追われそうになったり、殺されそうになったり、恋人を誘拐されたりとありとあらゆる窮地に追い込まれる。
その困難に立ち向かうエルリックは、従来の主人公とは違っていちいち考える。筋骨隆々の旧来型ヒーローなら、恋人をさらわれ敵がクーデターをしかけてくれば怒り狂って猪突猛進、相手の本拠地に殴りこんでいくのが常道だ。
だがエルリックは、クーデターを起こそうとする政敵イイルクーンの思想や立場を理解してしまう。もともと自分は王には向かない人間なのだから、不満が出るのも当然だとイジケさえする。
目的のために手段を正当化したりせず、いつも倫理を気にしたり慈悲の心を見せたりもする。
こうしたハッキリしない男が主人公だからして、状況はますます混乱・悪化の一途を辿り物語としてはますますスリリングになるというわけだ。
なるほど、パターン化していたファンタシィ小説に一石を投じ、大きな波紋を及ぼした本書が高い評価を得て伝説的存在にまで上り詰めようとしているのも理解できるような気がする。本書が後世のファンタシィ作家に与えた影響は絶大であろう。
そうした歴史的、文学的意味合いにおいても、また純粋に1冊の優れたファンタシィ小説としても本書は多くの人々にお勧めできる良書なのである。 2004/08/16
RYU MURAKAMI
村上龍
「イン ザ・ミソスープ」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
幻冬舎文庫
値段
¥533
初版
1998-08-25
総合
☆
ストーリィ
☆
技術
☆
1997年10月に読売新聞社より刊行された単行本を文庫化したもの。読売文学賞受賞作。
主人公「ケンジ」は片言の英語を武器に、外国人を相手にした歌舞伎町の風俗店ガイドで生計を立てる20歳の青年。そんな彼の元に、「フランク」を名乗るアメリカ人から依頼が舞い込む。このフランクだが、どうにも不審な点がある。人造物のような不気味な肌、機械的な笑い方、ちぐはぐな身の上話、些事でガラリと変わってしまう雰囲気と態度。
おりしも売春をしていた女子高校生が首と四肢を切断されて発見されるという事件が世間の話題をさらう中、ケンジはこの殺人とフランクとの関係を徐々に疑っていくようになる――。
フランクの正体は何者なのか、彼のガイドを務めるケンジはどうなってしまうのか。物語の展開が非常にスリリングで面白い。これを別にして、根底に流れるテーマ――各国の文化的な相違とそこから生じる問題、異常や狂気といった定義との向き合い方、日本文化が独自に生み出した社会の暗部とその中で生きる人々の鬱屈した生き方なども興味深い。
星を見てもらえば分かると思うが、お勧めできる面白い本だった。ただ、欠点もある。海外の文化を良く知る人間が陥りがちな罠なのだが、「私は外国の様々な文化や民族性などに精通していて、柔軟で国際的な視野を持っている。そういう人間から見れば、日本人は実に珍妙で滑稽な言動ばかりを繰り返しているのだ」と奢ってしまいやすいのだ。自分がその傾向にあるのだから、良く分かる。
私は、その他大勢の一歩先を行っているアヴァンギャルドな人間なのだ――というような何かを鼻で笑うような姿勢をこの作者からは強く感じた。
村上は、文学を「共同体の崩壊によって生み出される人々の悲鳴を翻訳」というように定義しているようだ。これはつまり、文学を扱う俺は社会が生み出す様々な問題を深く抉れる鋭い観察眼を持っていて、その問題を認識したり理解したりできなかった人間に教えてやるのが使命である、と言っているようなものなのだ。
それを実際にやれるから芥川賞を取れるのだろうが、多分、著者と同じくらい社会問題を認知する能力に長けた人間には、彼が作品を以ってやろうとするテーマの押しつけを「余計なお世話」だとしか思えないだろう。
まあ、文学に芸術的な感動を求めるなら話は別だけど。
欠点といえば、本書最大のそれは「解説」にある。河合隼雄なる臨床心理学者を引っ張り出してきているのだが、彼がやっている作品解説はある意味最悪のものになっている。だらだらと全体の9割を費やして本編を要約し、なんの断りも無くネタも全部ばらしてしまっている。
本書の魅力の半分は、「フランク」という謎のキャラクターの正体にあるわけなのだが、これも見事に全て語ってしまっているわけで。最初に解説から読んだ人は悲惨な目にあいそうだ。本を開く前に、その推理小説の犯人とトリックを耳打ちされてしまうようなものだから。
河合氏の解説は読了後に目を通すようお勧めする。彼は得意の心理学で、こういう批判を生み出しかねない自分の行動と読者の心理を読めなかったのだろうか。ある意味、最大の謎はここにあるのかも。
2004/01/20
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
I N D E X