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作者別一覧

KINOKO NASU
奈須きのこ

「空の境界」上・下
形態	新書	種別	ノヴェル	部門	長編
出版	講談社	値段	￥1100+1200	初版	2004-06-05

総合	－
ストーリィ	－
技術	－

　空（から）の境界は、1998年にネット上で公開され、2001年12月に同人誌として発表された長編伝奇小説である。
　今回紹介するのは講談社から刊行される運びとなった新書（講談社ノベルス）版で、新訂にあたりオリジナル原稿に加筆修正したもの。上下巻に分冊されており、いずれもニ段組で400頁を超える文量を誇る。すでに文庫版も刊行されているため、新規読者はそちらを求めても良いだろう。
　新書版の巻末に収録されている作品解説は、作家の笠井潔。
　上巻には「山人と偽史の想像力」、下巻には「リアルの変容と境界の空無化」と題したかなりの長文（合わせて45頁超）がそれぞれ寄せられている。が、いずれも伝奇小説の歴史紹介や解説者独自の理論展開が大部分を占めており、それそのものが持つ情報的価値はともかく、小説の内容を掘り下げる解説文としての評価は芳しくない。
　なお、本作「空の境界」には <限定愛蔵版> なる特別パッケージが存在する。通常版との違いは特別装丁と著者のあとがき、設定資料など。

　物語の内容は――極めて乱暴にいうと――、二重人格者の少女・両儀式とその友人たちが、魔術師や超能力者、幽霊などと死闘につぐ死闘を繰り広げていく伝奇風のバトル（戦闘）ものになっている。ミステリ的な要素や手法も盛り込まれているが、それだけを目的に読むには向かない程度の割合だと言っていいだろう。
　主人公は、両儀式という一風変わった名を持つ女子高生。
　いわゆる変人の部類に入る性格の上、二重人格者でもあった彼女は、ある日の交通事故をきっかけに「斬りつけるとあらゆるものを死に至らしめることのできる線」を見ることができるようになってしまう。――だが <直視の魔眼> と呼ばれるこの能力の獲得は、代償としてもうひとりの自分であった男性人格「識」を彼女から奪ったのだった。
　半身を失い苦悩する式は、やがて「識」特有のものであったはずの <殺人衝動> を自らの内にも見出すようになり、その精神状態を更に危うくしていく。そんなおり、彼女の周囲で人間の仕業とは思えない怪奇事件や猟鬼殺人が頻発するのであった。
<殺人衝動> の発散も兼ねバケモノ狩りに乗り出す式だったが、時を追ううち、一見無関係に見える事件の背後に彼女をつけ狙う持ち者たちの影が見えはじめる……。

　この作品の特徴は、おそらくそのまま書き手としての著者の特徴でもある。
　細部まで綿密に練りこまれた設定。魔法や魔術など、異能や非日常の事柄についての独自の定義。そして個性的な語り口とクセのある文体。
　時において批判の対象ともなっている上記の要素は、だが、個人としてそれほど気になるものではなかった。特に「読みにくい」と評判の文章も、一部の作家や翻訳作品などと比較すればかわいいもので、ストレスを感じるほどのものでもない。
　問題はむしろ別のところにあるように感じられた。
　たとえば、物語の序盤「１／俯瞰風景」に以下のような記述がある。

　遺書がないのはなぜだろう。遺書がないのでは、人は自ら死なない。（中略）
　遺書のない自殺。
　遺書を残す必要がない。それはもうこの世になんの意見もせず、潔く消えるという事。それこそが完全な自殺だ。完全な自殺とは遺書など初めから存在せず、その死さえ明らかにはされない物を言うと思う。
　そして、飛び降りは完全な自殺ではない。
　人目につく死はそれこそが遺書めいてしまう。残したい事、明らかにしたい事がある故の行為ではないのか。だとしたら、何らかの形で遺書は用意されているのが道理だ。

　――論理が破綻している。
　そもそも自殺者が「遺書とはなんぞや」などと死ぬ前に考察するとは限らず、そもそも自殺と遺書がセットになっているという考え自体が、現実ではなくＴＶドラマよりの見解だ。
　自殺者が遺書を書かないケースは珍しくないし、そもそも計画やその予定がなく、突破的に突然飛び降りることにした人間も多かろう。
　ここで著者が語っている「遺書論・自殺論」はひとつの考え方のひとつであり、普遍的真理ではないのだ。
<魔法> とは人類がもつテクノロジでは実現不可能な現象を生むものであり、対して人間が別の手法で実現しうる現象を扱うのが <魔術> である……
　魔法と魔術を、著者がそのように定義し、基本設定として読者に理解させる分は構わない。そういうルールのもとで語られるお話なのだ、と理解しながら読むことができる。
　しかし、遺書がなければ人は死なないだの、完全な自殺の定義だのは、 <魔法> や <魔術> と違って書き手が勝手に定義して良いルールではない。読者それぞれの考えや解釈が優先される問題だからだ。
　その「作者が規定できるライン」を理解しないまま、奈須きのこは独自の論理展開を広げすぎている。この点は、最初から最後まで非常に気になった。
　自殺に限らず、こういう大胆で飛躍的な論理をこの世の摂理のように語っている場所は、作中で幾度も見られた。
　正直な話、こういった基本設定を超える分野でのウンチク話や独自理論は、かなり内容がお粗末で練りこみが不足している。かといって、「飛躍のし過ぎだが、考え方のひとつとして面白い」と思わせるような新鮮味や迫力もない。
　蒼崎橙子というキャラクターは特に説明的な長口上で目立っていたが、回りくどいだけで哲学や思想的な観点からいえば表層をなでるようなことしか述べていない。彼女の台詞や主人公たちの無駄な考察といった贅肉を削ぎ落としていけば、案外、この作品は一冊の書籍に収まったのではないかとさえ思わせる。

　もう一点気になったのは、この物語が連作中編に似た形式をとっていることだ。
　たとえるなら一話完結のＴＶドラマシリーズのようなもので、世界観や登場人物、出来事に関連性と連続性を持たせながら、エピソードを独立したドラマとして紡いで行く方式である。
　これは雑誌連載などでは有効に働くかもしれないが、書籍で一気に読ませる分には弊害の方が大きそうに思える。冒頭で登場人物の簡単や紹介やそれぞれの関係、物語の世界観などをざっと説明することになるため、重複した描写が非常に多くなる。これが、必要以上にページ数を増やしているような気がした。
　これとは別な意味で言及せざるを得ないのが、人間の描写である。
　設定が細部まで緻密に組上げられているのは「空の境界」の長所でもあるが、登場人物の人間性まで設定を羅列するように描いているため、彼らに体温や息遣いが感じられないのである。
「今、主人公はこのように考えているが、これは設定によると性格的に○×な女性であり、だからこの状況下では▲□という心理が働かざるをえないためである」
　本書における人間や心理の描写は、構造として上のようなものである。
　資料集が作れるほど設定を練りこむのは悪くないが、それだけでは人間は描けない。
（著者は「登場人物ＡとＢとは性格的に相性が良くない」といったような発言をしているが、リアルな人間関係においてこうした断定は必ずしも成り立たない）
　この作品の登場人物は、実はそのすべてが人形師である蒼崎橙子の作った人形であり、物語自体も糸で操られたマリオネットが見せている劇に過ぎないのだ――といわれても別に違和感が生じないのは問題と言わざるを得ないところである。
　これで、主人公たちのグループは異様に打たれ強く、しかも奥の手を幾つも隠しているため、敵に負けて間違いなく殺されたように見えても、「実は裏技で生きていました」というパターンが続くのだ。緊迫感もなにもあったものではない。
　どうせまた説明されていなかった新法則が語られ、それを根拠に再登場するのだろうと考えてしまうのだ。
　著者の演出力には一定以上のセンスを感じるのだが、どちらかというとそれは映画や舞台などで真価を発揮しそうな視覚的演出力であり、活字の上ではあまり有効に働かないものなのかもしれない。

　――このように振り返ってみると、本書には非常に欠点が多い。処女作ならではの粗が大変目立つ。
　だが、若い新人ならではの勢いがあり、そこがある種の読者に魅力として映っても不思議はない。
　実際、少年漫画的ではあるがストーリィテリングには注目すべき部分があるし、キャラクターの立て方もある種の読者層を強く引き付けるために方向性を絞って上手に特化している。
　万人受けなど最初から狙っていない、ある種の潔さとクレバーさとを兼ねた作品ともいえそうである。
　波長が合えば忘れられない物語のひとつとなり得る本書。どちらかというと若い年代の読者にお勧めしたい。
2007-12　

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