作者別一覧
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ジョン・ディクスン・カー
(1)
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オースン・スコット・カード
(1)
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加地尚武
(1)
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片山恭一
(1)
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川上稔
(1)
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神林長平
(1)
JOHN DICKSON CARR
ジョン・ディクスン・カー
「三つの棺」(原題:THE THREE COFFINS)
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
ハヤカワ文庫
値段
¥440
初版
1979-07-15
総合
☆
ストーリィ
☆
技術
−
パズラー(本格ミステリ界)の大御所ジョン・ディクスン・カーの代表作。ファンの間では最高傑作の呼び声も高い作品で、原著は1935年に刊行されている。本書はハヤカワ・ミステリ文庫から出版された、その日本語版。翻訳者は三田村裕。巻末に同氏による後書きあり。
――いきなり個人的な話になるが、カーには特別な関心などなかった。もちろんファンでもないし、本格ミステリに特殊なこだわりを持つミステリマニアでもない。それどころか自分は、今回カーの著作にはじめて触れるという、その道の典型的な素人である。ところがこれとは対照的に、ジョン・ディクスン・カーの熱狂的な信奉者は現代にも数多くいるものらしい。
普通「カーキチ」という俗語は“熱狂的な車好き”を意味するものだが、ミステリ界では“熱狂的なカーのファン”を指すとさえ聞く。彼らは絶版になって久しい彼の著書を求めて古書店を訪ね歩き、また翻訳されていない原書を英和辞典片手に読み解く奇特な人々だ。だが、そこまで駆り立ててしまうほどカーの作品はある種の人々にとって非常に魅力的なものらしい。
本著「三つの棺」は、典型的な本格ミステリである。つまり人間にはとても実現できそうにない不思議な犯罪が発生し、警察関係者は犯人の目星さえつけることが出来ず途方にくれる。そこへ名探偵が颯爽と登場し、論理的な推理で犯人の仕掛けたトリックを看破、真相を暴き立てる――という、謎解きや奇抜な犯罪トリックをメインに掲げた推理小説だ。
この本格ミステリで扱われる事件の大半が「殺人」という大罪であるものだが、この「三つの棺」でもそれは忠実に踏襲されている。今回殺されることになるのはグリモーという老博士。
彼はある雪の晩、仮面をつけた客人を自宅の書斎に迎え入れることになったのだが、しばらくすると客と二人きりで篭った部屋から銃声が鳴り響き、駆け付けた人々によってグリモー教授は瀕死の状態で発見されるのである。
だが、いたはずの客人の姿が部屋には見当たらなかった。書斎にある唯一のドアには見張りが二人もいたし、窓から逃げ出したにしても降り止んでいた雪に足跡一つついていないのは奇妙過ぎる。
犯人と目される謎の客人は、グリモー博士を撃ったあと密室から忽然と姿を消したのである。
名探偵フェル博士とハドレイ警視はこの密室殺人の謎に挑むが、そうこうしているうちに第二の殺人が起こり事件はますます混迷の色合い濃くしていく。
その世界では有名な『密室談義』を含む本書は、確かに本格ミステリとしては名作の部類に入るのかもしれない。しかし個人的にはあまり魅力を感じなかった。それには幾つかの理由がある。
まず、文章がまずい。カーの技術が未熟なのか、あるいは翻訳が稚拙なのか、どうにもプロのそれとは思えない文章が延々と続く。そのせいで、あまり内容に集中できなかった。
また引き込まれるものがなかった、というのも痛かった。確かに犯人がスーパーマンよろしく空を飛んで逃げたしか思えない密室殺人の謎はそれなりに面白いが、後に発生する第二の殺人の謎も含めて、長篇1本を引っ張っていくには幾分パンチ力に欠けると思う。要するに、たんなる殺人ナゾナゾだけじゃ、全然ドキドキしないのだ。
――これは、登場人物たちの全員が死んでいるからだと思う。言い方を変えると、人間の描写が薄っぺらだからだ。『三つの棺』の人間たちは生き生きしてない。人間としてのリアリティがない。だから、彼らに感情移入して一緒に事件を追いかけるような気分になれないわけだ。
例えば小学生の頃、『虎の牙』という推理小説を読んで手に汗握る緊迫感を味わったことがある。この話では、とても残忍で凶悪な殺人事件が続発する。しかもどうやって犯罪が行われたのかすら良く分からない。読者は事件の謎に首を捻りながらページを捲るわけである。
だが本当にドキドキさせられたのは、虫も殺せそうにない可憐な女性にこの凶悪な連続殺人の容疑がかけられたからだ。探偵役をつとめるアルセーヌ・ルパンは彼女に恋をするのだが、あらゆる証拠が犯人は彼女だと告げている。実際、彼女は何度のルパンを騙し動きを封じたり、罠に嵌めて行動の自由を奪ったりする。
もう彼女が残忍な連続殺人鬼であることは疑い様がない。でも、彼女が悪人だなどとは信じたくない。ルパンは葛藤する。彼の思いがあまりにも真剣で必死だから、思わず読者はルパンと一緒に頭を悩ませてしまう。彼女が犯人ではなく、ルパンが信じる通り心優しい女性であったら良いのに――と祈りたくなる。そうした感情移入が、読者を事件や物語に引きこみ手に汗を握らせるのだ。
なぜ『虎の牙』にはドキドキして、『三つの棺』にはドキドキできなかったかといえば、やはりそこに人間が絡んでいないからだろう。
人間たちが織り成す愛憎劇、欲望がもたらす悲哀などは確かに『三つの棺』でも描かれているし、これが犯罪の動機として大きく絡んでくることは間違いない。
だがその描写が平坦で薄っぺらなのは問題だ。とって付けたような印象を拭えず、それに対して想像力を働かせてみる気になれない。人間を人間として描き切れていないカーは、その点で致命的な弱点を持っているように思える。
更に、この事件は進行しない。クリスティの「そして誰もいなくなった」のように現在進行形で犯罪が進み、次に誰がどのように殺されるのかといった緊迫感で事件を引っ張れないのだ。『三つの棺』で発生する殺人は二件だが、これは序盤で早々に発生しあとは主人公たちが延々と調査・推理を推し進めるのみである。ときおり新事実が浮上して事件の様相が二転三転したりもするが、現在進行形で行われる連続殺人の緊迫感とカタルシスには遠く及ばない。
殺人トリックやそれを追求していく論理の展開には目を見張る部分があるが、それを面白く書き切るだけの描写力や構成力に著者は欠けているのではあるまいか。
本格ミステリは好きだけれど、これが最高傑作と呼ばれているようではカーに特別な関心を持てそうにもない。
2004/06/07
ORSON SCOTT CARD
オースン・スコット・カード
「アビス」(原題:THE ABYSS)上下巻
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
角川文庫
値段
¥520+520
初版
1999-11-10
総合
☆☆
ストーリィ
☆☆
技術
☆☆
言わずと知れたSF界の大御所カードの作品。下巻の巻末には監督、著者、訳者の三者によるあとがきがあり、これは合計で30ページを超えるボリュームを誇る。カードのノヴェライズ(映画の小説化)に対する考え方やスタンスなども書かれており面白い。
これは一応、同名のハリウッド映画の小説版である。だが、ノヴェライズと聞いて一般的な読者が抱いてしまうチープなイメージをこの作品に当て嵌めてしまうのは大きな誤りだ。まず、著者がオースン・スコット・カードであることからして、そのことは充分に証明されている。
彼は後書きで自ら語っているように、その基本姿勢としてノヴェライズの仕事は受けない。だが、この映画の小説化を行うという契約書に例外的にサインをしてしまったのである。それはつまり、ノヴェライズという形ではあるが、自分で納得できるレヴェルの物語を執筆できるとカード本人が確信したことを意味する。だから、カードの実力を知っている人間は安心してこの本を手にとって良い。彼は世界でもっとも優れた技量を持つ作家の一人だからだ。
本書は、いわゆる地球外生命体と人間との遭遇を描いたもの。SF小説の世界では、ファーストコンタクトものと呼ばれる類の物語だと言っていいだろう。
この作品で扱われる不可思議な生物は一風変わっていて、海底奥深くでなければ生存できない、水と深い関わりを持った存在だ。その彼らが人間を知るため、海底油田のボーリング作業のために海中を訪れた人間たちに接触(コンタクト)を計ろうとすることから話は展開していく。
だが、「アビス」という物語の核は、実はそこにはない。アビスは地球外生命体との接触や海底という極限状態の中で、人間同士がいかに付き合っていくか、どのように変わっていくか。そこに重点を置いて描かれている。要するに人と人との「絆」のあり方を中心に据えた話なのである。特に主人公であるバドと事実上の離婚状態にあるリンジーとの関係は見物。
特に劇的な何かがあるわけではない。ファーストコンタクトものとしては、わりと地味な部類のストーリィ展開なのかもしれない。だが、カードはそれでも読ませる。登場人物に体温を感じるし、彼らの感じる痛みに共感させられる。
著者の文章には少し癖があるし、ある種の人間にとっては読みにくい部分も持ち合わせていると思う。だがそれが気にならない方には、是非とも一読をお勧めしたい。
誉めるばかりでは何なので、この作品が抱える短所や問題点などを最後に幾つか指摘しておきたい。まず、翻訳。ちょっと読点の使い方が奇妙であるように感じた。具体的に言うと、多すぎる。たぶん、適量を100%とすると130%は余分に使われているだろう。リズムを崩されることがあるので、少し読みにくく感じた。
あと、何より大きいのがこの本がすでに絶版であるという事実だ。新品を普通の書店で入手するのはかなり困難だろう。古書店でならわりと見かけるので、そちらで探してもらいたい。……しかし名作の誉れも高き「ソングマスター」然りだが、オースン・スコット・カードの傑作を絶版扱いにしてしまうのは一種の犯罪だと思うぞ、出版社。
2003/11/28
NAOTAKE KAJI
加地尚武
「福音の少年
錬金術師の息子
」
形態
単行本
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
ぺんぎん書房
値段
¥1500
初版
2004-01-05
総合
☆
ストーリィ
☆
技術
−
<来訪> と呼ばれる悪魔との契約と、これにもとづく彗星の接近。これにより、人類が「魔法」と吸血鬼や狼男といった「人間の亜種」を得た――という、架空の世界を描くファンタジー長編。
もし、20世紀初頭に人類が「魔法」の力を得ていたら。その仮定にのっとって、魔法使いや魔女が一般人の尊敬を集め、政府が人類亜種「インヴォルヴド・ピープル」の存在を隠蔽し、歴史が第二次世界大戦を回避したという、もうひとつの現代社会がこの作品の舞台。
2段組のソフトカヴァーで500ページをこえるこの大型長編は、世界各地の神話を下敷きにしながら、魔女と錬金術師を両親にもつ平凡な中学生の少年、御厨恵(みくりやめぐむ)の成長物語として語られる。
内容は大きく5部構成をとっており、連続はしているがそれぞれ独立したエピソードの積み重ねとして読めるようになっている。序盤では物語の方向性がまだ定まっておらず、主要登場人物と世界観の大まかな説明に終始している感があるが、中盤以降からクライマックスにむけて大きな方向性が見えてくると、物語は加速をつけてダイナミックに展開されていく。
魔女や錬金術師が活躍する本書は、一時期のファンタジー・ブームの火付け役となった <ハリーポッター> シリーズに雰囲気が似ているため典型的なファンタジー小説だと思われがちだろう。しかし、その文法はむしろサイエンス・フィクション――すなわちSFに近しいものがある。
というのも、魔法や亜人の存在を幻想的な存在として描かず、これに独自の法則や体系のなかにとりこみ、科学的に分析し、なにより一般社会に浸透した生活感をともなう存在として描いているからだ。
そのため、荒唐無稽な基本設定ではあるが、作品世界のなかでは魔法や亜人の存在もどこかリアリティという衣をまとっているように見える。
そのため「ダンセイニ風」の純・幻想小説として本書に触れるのは、姿勢として懸命ではない。
面白いのは、われわれの知るものとは少し違った歴史をたどった現代社会を書いているため、実在する人物が魔法使いや狼男だとかゴム人間であったりする点か。
たとえば、 <相対性理論> で有名なアインシュタインである。彼は、兵器として利用されていた魔法を、世界に秩序をもたらす力として位置づけした大魔法使い <ウィザード> のひとりとしてたびたび意味深に語られる。
狼男のサダム・フセインは「亜人こそが真に神聖な人類」として、亜人の社会をつくるべく奔走する過激な独裁者として、「悪魔の辞典」でしられるアンブローズ・ビアスはABなる亜人穏健派の長として登場。フセインのなだめ役、扮装の調停役として活躍する。
この点からも本書は、いわば実在の人物と架空の歴史をネタにした、壮大な人類文明のパロディ小説であるともいえるだろう。
また本書の魅力のひとつとして、各ジャンルから幅広い文化や知識、うんちくを取り入れていることが挙げられる。
神話、宗教、科学、錬金術、ジャズ、オカルト、偉人の物語、民族問題とそのカヴァー範囲は広い。
ただ、各方面から様々なネタを引っ張ってきているため、扱われるのは広く浅い知識に限定されるのが欠点。神話や宗教、オカルト関連については概論どまり、ジャズにかんしてもパーカーやセロニアス・モンクなどある意味で大統領より有名な人間の名前とスタンダード・ナンバーくらいしか登場しない。
そのあたりを微笑んで受け入れられるか、薄っぺらなうんちくの塊としか見えないのかで本書の評価もかなり変わってくるかもしれない。ストーリィの本筋には直接かかわらないが、物語世界の雰囲気を演出するうえで重要な役割を果たすからだ。
――ところで本書は、面白い経緯をたどって誕生している。
もとはインターネット上で無料公開されていた「錬金術師ゲンドウ」というネット小説のひとつであった。
これはTVアニメ <新世紀エヴァンゲリオン> を題材にした、一種のパロディ小説としてその筋に広く認知されており、本書を出版した編集者の目にもとまった。
そこで「錬金術師ゲンドウ」からアニメの要素を抜き、オリジナル小説として書き直したのが本書。
基本設定、人物描写、軽い文体などはライトノヴェルの範疇だが、無料公開されていたアニメ小説のころよりは技術的な進歩が見られる。頻繁な視点の切り替えはコミック的で、世界観も誰かがどこかで作っていそうな既視感を拭えないが、いきいきと動く等身大のキャラクターたちや勢いのある中盤以降の物語展開は一見の価値ありか。
出版に至った経緯やライトノヴェル風の文体、漫画的な挿絵の数々に抵抗がなければ、面白いSF(ファンタジー色のつよい)小説として読めるだろう。手にとって損はないと思う。出版元として「ぺんぎん書房」なる相当にマイナーな名前があがっているが、あつさと内容のわりに価格設定は良心的で、ソフトカヴァーのつくりも悪くない。
なんでも本書、シリーズ化される予定であるとかで、既に第2作「図書館のキス―Good News Boy福音の少年」が刊行されている。第3作も発売予定。著者の運営する公式サイトでは、外伝的短編が無料公開されているので、本書を読了したかたにはそちらもお勧めする。
2005/07/07
KYOICHI KATAYAMA
片山恭一
「世界の中心で、愛を叫ぶ」
形態
単行本
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
小学館
値段
¥1400
初版
2001-04-20
総合
−
ストーリィ
−
技術
−
純文学としては凡作、エンタテイメント系(大衆)文学としては駄作でありながら、宣伝と印象的なキャッチコピー、美しい装丁(表紙デザイン)の三要素を追い風として爆発的な人気を呼んだ、300万部超の大ベストセラー小説。
<セカチュー> なる略語も生まれ、これは2004年度の流行語大賞にも選出された。一時期みられた、いわゆる純愛ブームの牽引役、旗手的役割をはたした作品と見ることもできる。
具体的な内容だが、主人公である高校生の少年・松本朔太郎とヒロイン廣瀬アキとの恋愛模様、そして難病でアキを失った朔太郎の心情を描いたものとなっている。
タイトルやあらすじを見る限り、本書はオーソドックスな恋愛小説であるかのように受けとられがちである。その一方で、そうした青少年の恋愛や青春をフィルターとし、「死生観」「喪失」「克己」などをテーマとして描いた観念的作品であると解釈することもできるだろう。
――ただ、どちらであったとしても特筆すべき要素をもたない、平々凡々とした小説であることに変わりはない。それどころか台詞がところどころ奇妙であったり、「給食のカレー・ビーンズのような混乱」「マドンナがバージンだったと言うような奇妙」など、洒落っ気を出すつもりだろうが上滑りしているとも見られがちな表現、手垢のついたテーマと平凡な味付けなど、短所も目立つ。
興醒めなのは、メインテーマの1つが登場人物たちのセリフを通して直接的に語られている点だ。親しい人間を失った者の心の持ちようと前進。これについての終盤の表現は特に酷い。丁寧に描写を重ねて語るべきところを、キャラクターの口を借りて喋らせるだけ、というのはあんまりだろう。
現在と過去が交錯する構成も――著者は練りに練ったつもりなのだろうが――これがベストであったのかには疑問が残る。
それにしても、360万部という数字が大きすぎた。
国内作家の小説としては史上最大の売り上げを誇る空前絶後の大ベストセラーとなった本書であるが、これは――繰り返しになるものの――やはり編集および出版サイドのプレゼンテーションとマーケティングの勝利と言わざるを得ない。
たとえば、本書の初版8000部だった。最初に5000〜1万部を刷るというのは、中堅どころの作家としては平凡な数字である。また、2002年に人気女優の売り文句「泣きながら一気に読みました」が帯に採用されるまでは、売り上げが10万部にすら届かなかったというデータもある。
率直に言えば、その数字こそが「世界の中心で、愛を叫ぶ」本来の実力であり妥当な評価であったのだろう。
そもそも、受賞暦と過去の作品を見ればわかるように、著者はエンタテイメント系の大衆小説作家ではなく、どちらかといえば純文学をてがける書き手なのだ。また本書も、同様に純文学的な手続きと文法を踏まえて形作られた感がある。
つまり、もとから上手く宣伝し、ブームでもでっち上げなければミリオンセラーを記録できるような作品ではないのだ。
また活字離れ、読書離れが進み、「10万部さばけば大ヒット」とされる昨今の出版業界において、360万という数字はあきらかに異常なものである。普段は活字にふれず、本も雑誌が精々――そういう「読書を習慣としない層」を動員しなければ、とても稼ぎ出せない値だといえる。
装丁とキャッチコピーとしての女優のコメント、そしてマーケティング。本編の出来や内容をはずれた場所でもっぱら本書が批評されるのは、つまりそうした部分でのみ興味深い作品であることの証明に他ならない。事件的に面白い作品なのではなく、売れないはずの本を事件的に売った営業手腕こそが注目されているわけだ。
ハリーポッター・シリーズの成功しかり、売れるか否かは作品の中身より、むしろプレゼンと宣伝の出来にこそ左右される。本書は、そうした現代出版界の事情を如実にかたる好例として歴史に名を残すだろう。
ちなみに本書のタイトルは、アメリカSF小説界の大物ハーラン・エリスンの短編小説「世界の中心で愛を叫んだ獣」の安易な借用。言い方を悪くすれば盗用ということにもなる。
エリスンをオリジナルとするこの題名は、日本だとTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のサブタイトルとして使用されたとき、わりと広く知られるようになった。
著者による本書のもとのタイトルは、「恋するソクラテス」であったという。これが印象的とはいえないという理由で、編集者につっぱねられた。「世界の中心で〜」はその編集者によるネーミングであるという話。
2005/07/22
MINORU KAWAKAMI
川上稔
「パンツァーポリス1935」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
電撃文庫
値段
¥544
初版
1997-01-25
総合
−
ストーリィ
−
技術
−
第3回電撃ゲーム小説大賞の金賞(グランプリ)受賞作。版元の「電撃文庫」は一〇代の少年をメインの対象読者とする――いわゆるライトノヴェル・ブランドで、 <電撃ゲーム小説大賞> は同文庫が主催する新人賞ということになる。
なお、本書「パンツァーポリス1935」は著者のデビュー作であり、また後に <都市シリーズ> と呼ばれることになる架空都市を舞台とした長編群の頭を飾る作品でもある。
内容は、宇宙船の開発に心血を注ぐ男たちを描いた、SF的な要素の強い冒険小説となっている。
男たちの物語と書いたが、途中からヒロインである若い娘がこの私設宇宙開発隊に加わり活躍する――という事実は付け加えて記すべきだろう。彼女の目を通して描かれる「個人の生き方の追及」「夢を追うことの意義」といった精神的要素も本書を彩る大きなテーマのひとつになっていたりする。
タイトルにある1935は、おそらく西暦における年度。ただし我々が知る1935年ではなく、現実世界とは少し違った歴史と法則とを持つもう一つの地球が舞台であるらしい。
ところはナチスが台頭するドイツ、その首都ベルリン。史上最初の有人宇宙飛行が無惨な失敗に終わり、宇宙開発から各業界が手を引いたこの国で、それでも宇宙を目指そうとする男たちがあった。
元軍属の技師パウルと、白衣の青年ヴァルター。彼らは自らの欠点を補い成長していく飛行船カイザーブルグを開発。誰もが夢と笑う宇宙を目指し、本格的に始動する。
だが、大気圏脱出を可能とするカイザーブルグは、人類には早すぎる超技術の塊でもあった。
信念から宇宙へ向かおうとする男たちに対し、そのオーヴァテクノロジを危険視するナチス・ドイツ。このカイザーブルグを巡る軍と科学者たちの熾烈な争奪戦が物語の大部分を占めている。
できの方であるが、一〇代の少年を対象にした小説と考えるなら及第点といったところ。
無機物である乗り物や道具が成長していくというアイディアは珍しくないし、キャラクターにも際立った目新しさはない。「大きな宝」を巡ったクライマックスの大きな仕掛けには目を見張る部分もありそうだが、文章技術や描写力といった技術面においても特筆すべき点はなし。
夢や理想、生き方といったテーマも枚数制限に押されたためか書き込めてない印象があり、結果として人物の内面描写を中途半端にしている。
それは、特にヒロインやナチス側のライヴァルキャラクターにおいて顕著にあらわれている。彼らは自らの生き方について苦悩、葛藤するが、その段階から結論に至るまでの流れが急すぎる。説得力と厚みを持たせるためにはもう少しジックリとやりたかったところだろう。
これはスポットライトをあてるキャラクターを主人公、その相棒の技師、ヒロイン、敵となるナチス側の兵士――と欲張り過ぎたことによる技術的な失敗と言わざるを得ない。
本作は350枚程度という枚数制限をもった新人賞に投稿されたものである。この制限と戦いつつグレードを上げるなら、焦点をあてるキャラクターを大胆に絞るべきだった。
主人公も書きたい、相棒も、ヒロインもライバルも、あわよくば脇役たちも……といった欲張り方が内面描写の浅さにつながり、結果として彼らの掲げる主義や信条などが上滑りを生んでいるような感がある。
とはいえ、ライトノヴェルでの人物描写として考えるなら必要充分な水準をクリアしているとも言える。一〇代の少年少女が濃厚な心理描写を求めているとも思えず、その点を鑑みれば本書のサジ加減はバランスのとれた素晴らしいものになるのかもしれない。
また、方々にスポットライトを散らしすぎている――というのは、裏を返せば端役にまで個性と魅力をもたせようという努力がなされているということ。確かにライヴァル的な軍人の上司、ヒロインの父親、飛行機の老技師などに至るまで丁寧な描写が心がけれられている。この点は読者に少なからず好印象を与えるであろうし、本書のもつ美点のひとつと言えそう。
あとは世界観や登場人物にどれだけ感情を移入できるか、といった個人的嗜好の問題となるだろう。
2006/06/19
CHOHEI KANBAYASHI
神林長平
「七胴落し」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
ハヤカワ文庫
値段
¥440
初版
1983-02-28
総合
−
ストーリィ
☆
技術
☆
神林長平を表現するなら、「鬼才」の二文字が適当だと思う。彼の凄さは、やはりそのイマジネーション(想像力)だろう。例えば本書『七胴落し』は、一種のテレパシー能力が実在する世界が描かれている。ただしそのテレパシーは子供だけが有する特殊能力であり、大抵の場合20歳を迎えるより前に失ってしまうというのが特徴だ。
テレパシーで全てを理解し合える子供たちは、表面を飾るばかりの「言葉」を信用せず、言葉で成り立つ大人たちの社会を蔑む。逆に大人たちは、かつて自分が子供であったことを忘れ、テレパシーの存在を半ば否定しながら表裏のある言葉社会で生きて行く。この一種のジェネレーション・ギャップをメインに据えて、『七胴落し』の物語は展開していく。
こういう紹介の仕方であると、「なんだ、もしテレパシーがあったら……というIFの物語か」と単純に片付けられてしまうかもしれない。そういう設定なら他にも腐るほどあると指摘され得るだろう。
しかし神林長平の凄さは、そこから発揮される。現実世界に、有り得ないとされている「IF」の要素を持ち込んだらどうなるか。その仮定と材料を元に、柔軟な発想と想像力で世界を再構築してリアリティのある別世界を演出する手腕に優れているのだ。
主観はそんなにあてになるものではない。客観だって、結局は主観でしか物を見られない人間が勝手に客観を主張しているだけのものに過ぎない。そうした認識や解釈の大前提から物事を疑ってかかり、考察する。だからこそ生まれるリアリティが、神林長平の描く物語世界に独特の空気を生んでいる。
この『七胴落し』も、そうした著者の手腕が窺える作品ではあるのだが、なんだかラストが尻切れトンボっぽい。ここで終わるというのも理解できるが、むしろここからを描くからこそ面白くなるのではないか、と思わせるラストだった。そういう意味で、ちょっと消化不良を感じる。
全体的に内向的で暗めの話であることも含め、あまり一般に広くお勧めできる作品ではないと判断して、総合欄には星をつけなかった。個人的には好きなんだけど……。2004/01/22
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
「タイトル」
形態
文庫
種別
ノヴェル
部門
長編
出版
講談社
値段
¥648
初版
2003-08-15
総合
☆
ストーリィ
☆☆
技術
−
I N D E X