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ウラガリ第4話



 午後になっても、校内を丸ごと覆う不穏な空気は晴れなかった。むしろ時を追うごとに悪化していったと言って良い。
 教室で見る教師――あるいは廊下ですれ違う職員たちは、みな一様に硬い表情を浮かべるか、表情そのものを失っていた。しかもその理由をようとして明かそうとはしなかった。無邪気な小学生たちの中には、問いただそうとした子がいたにはいたらしい。だが、それも煙に巻かれて終わっている。
 操個人にとって象徴的だったのは、昼休みの出来事だった。
 コフィン島はその地理的条件から、情報通信網の整備が遅れており、携帯電話はもちろんインターネットの使用も制限されている。機能そのものが利用不能であったり、常に不調気味であったり、あるいは使用料金が本土と比較して非常に高かったりするのだ。
 ネットを使った調理レシピの検索を趣味とする操は、そのため学校のコンピュータ室を利用することが多い。
 だが、この日は開放されているはずのドアが開かなかった。
 小首をかしげていると、図書館との間に挟まれた教材準備室から教師が現れた。操の姿を見て、なぜかぎょっとしたように両肩を震わせる。
「吉沢さん……? 何してるの」
 引きつった笑みをはりつかせ、社会科の女性教諭が問う。
「いえ、パソコン使わせてもらおうと思ったんですけど。今日は閉まってるみたいですね?」
「ええ、そう」教師は盗み見るように、コンピュータ室の扉へすばやく視線を走らせる。「そうなのよ。よく分からないけど、磁気風って言うんだったかなんだったか、そういうものの影響で、衛星からの電波が今、かなり悪いらしいの。だからTVもラジオも、あと電話も無線も今日は使えないのよ」
「電話も? そうなんですか?」
 確かに、コフィン島は新聞が数日分、まとめて船で届けられるような土地だ。書店も存在せず、得られる情報の量というものが極めて少ない。したがって、本土で起こった大きな事件を数日遅れで知ることも稀にはあるが――
 しかし、衛星の受信状況が悪いからといって、有線接続の電話やネット回線までが使用不能になるのは理屈に合わない気がした。さらにいうなら、当日になって知らされるというのも唐突に過ぎる。
 さらに問い重ねようと口を開きかけた時、別の声にそれをさえぎられた。振り返った廊下の背後側から、茶色を帯びたブロンドの長身が近づいてくる。
「操、やっぱりここか」
「どうしたの、ジェイク。こんなところに来るなんて珍しいね」
 彼に気をとられた瞬間、教師はあからさまな安堵の表情を見せた。それじゃあ、先生はちょっと忙しいから。ごめんなさいね。そんな言葉を残し、入れかわりに立ち去っていく。止めようにも、ジェイクの強力な存在感が許してはくれなかった。
 操はしかたなく闖入者の方へ意識をもどす。
「悪い。ちょっと話がしたいんだ。時間良いか?」
 断ったらこの人を傷つけてしまうのではないか。そんな心理にさせる表情と声音でジェイクが言った。
「それは……良いけど」
「じゃあ」と言って、ジェイクは周囲に人気がないことを確認しつつ、ごく自然に操の手をとった。そのまま一番近くの下り階段へと導いていく。その最初の段に、彼は自分のハンカチを広げ置いた。身振りで操に座るよう示してくる。そうして、自らは階段を何歩か下って、腰を落とした相手と視線の高さを合わせた。
 図書館やコンピュータ室は小中で共用だが、四十余名からなる他生徒たちはどちらも昼休みに使おうとは考えなかったらしい。あたりはひっそりと静まり返っていた。ただ、中庭や教室の方から甲高い少年少女のはしゃぎ声が遠く聞こえてくるだけだった。
「ずっと態度で示してはいたつもりだったけど――」
 ややあって、ジェイクは穏やかに切り出した。
「俺が話したいことには想像がついてる?」
「そうね。私のうぬぼれじゃなければ、少しは」
 その言葉に彼はひとつうなずき、わずかに顔の向きを変えた。どこか遠くを見るような目で口を開く。
「来年は俺たちも受験生だ。でも、コフィン島には高校がない。進学したけりゃ、隣のピイル島に行くか、本土に出るか……どっちにしてもここを離れて寮生活になる」
「うん」
「で、だ」ジェイクは操に視線をもどしながら言った。「俺は当然、本土に行く。こんなちんけな島に押し込められてるのは、もううんざりなんだ。操も知ってるだろう? 俺には帰神の天性がある。犬飼一族の末裔だっていう、お前の弟だって問題にしないほどにだ。本土のやつらにだって、AOFのエリートにだって、潜在力なら引けを取るつもりはない」
「そう、ね」
「だからゆくゆくはその才能をいかす職に就くつもりだ」彼は語りながら身振りを交えはじめた。「そして世界の理を変える。いつ現れるとも知れない温羅に怯える時代はもう古い。俺は次の <温羅の日> までに、第四階梯の帰神法を安定して行える技術を確立させてみせる」
「第四階梯の帰神法?」
 操は目をしばたく。
 それは限られたごく一部の才人にしか許されなかった偉業だった。瞬間的にでさえ成し得た人類は、イサセリを代表に神話領域の英雄として歴史に名を刻んでいる。そのようなものを――
「誰もが、安定して成功できるようにするの?」
「そう。操にも分かるだろう? それは温羅の時代がもう二度と来ないってことなんだ」
「本気なら、まさに大志だね」
「それだけじゃない」舌で唇を湿らせ、ジェイクはさらに続けた。「温羅たちを統べるのは <王> たちだ。精神崩壊した人間が陰相転化して成り果てる四メートルの化物なんざ、ただの雑魚さ。それより問題は、何千年と生きてるっていう古代種なんだよ」
 確かにそれは一応の事実だった。温羅の王たち、すなわち <真羅> ともなれば、もはや多神教の定義する神にも相当する存在なのだ。
 彼らは姿かたちを自在に変化させ、世界中の人語を流暢に扱いこなすともいわれる。
 そして、その身にまとう <矢喰> は瞬時に一帯を侵食。先の <温羅の日> においてロシアに出現した <王> のひとりは、He3型の核爆弾をも完全遮蔽している。衝撃波が地球を三周したという人類史上最大の核撃を、だ。
「ジェイク、もしかして <真羅> と戦うつもりなの?」
「そう」不適に笑みながら、彼は肩をすくめた。「歴史を信じるなら、 <温羅の日> は約三百年周期。前回の終わりからまだ半世紀しか経ってない以上、普通に考えて俺が生きてるうちに温羅のやつらが現れることはない。つまり、もし自分の代で決着《ケリ》をつけたいなら、こっちから幽界まで攻め込まなくちゃならないってことだ。だろ?」
「そんなのだめよ。それって <鬼城山> に行くってことでしょ?」
 操は思わず腰を浮かしかける。信じられない思いだった。
「攻め込む先は、別に <鬼城山> でなくとも構わないさ。 <八大陰相> ならどれだって良い」
 ジェイクは操の反応を楽しんでいるかのようだった。余裕のある笑みを浮かべ、大仰な仕草と共に続ける。
「まだ、どこだって踏破はされてないんだからな。踏破どころか、生きてさえ戻れば <処女王ジャンヌ> 以来、史上二度目の偉業になる」
 そこで言葉を切り、形の良いあごをさすりながら彼は夢想にふけった。
「でもまあ、そうだな。その意味で、ルーアンの <無限階塔> は処女王《ラ・ピュセル》がもう生還を果たしてるから二番煎じとも言える。だったら、ロシアの空中大陰相だとか、ダルヴァザ・クレーターなんかの方が箔がつきそうではあるな」
 通常、温羅が荒らしまわった土地は陰相転化し、外部からは進入することのできない人外魔境と成り果てる。
 しかし、これには例外がないわけではない。
 世界で八ヶ所だけ、内向きの陰相領域が発見されているのだ。
 ジェイクのいう <八大陰相> である。
 一度足を踏み入れたが最後、二度と外へは出られない。通常とは裏返った性質を持つ閉鎖空間の総称だ。
 これら八つの内向き陰相領域は、その特殊性から <真羅> の根城に通じているとまことしやかに囁かれていた。
 日本の本州中部に広がる <鬼城山> も、そうした <八大陰相> のひとつと認定されたスポットである。伝承が事実なら、内部は外観の何倍もの広さを誇り、その最深遠にはイサセリを殺害したという <真羅> の一体が異形の宮殿に座しているという。
 もちろん、こうした <八大陰相> があるのは日本に限った話ではない。地理的に比較的近いところでは、北極海に浮かぶロシア領のノーヴァヤ・ゼムリャ島にそれはある。
 上空四千メートル地点に浮遊する巨大な釣鐘型の陰相領域――
 通称 <セヴェルヌィの天蓋> だ。
 政府公式調査によれば、 <セヴェルヌィの天蓋> の平均半径は四十キロ。直下にあるセヴェルヌィ地方は、この陰相領域に陽光を遮られ、今も明けない夜が続いているのだという。
 もうひとつ、ジェイクが挙げたダルヴァザ・クレーターは、カラクム砂漠に口を開けた直径約八十四メートル、深さ二十メートルのすり鉢状をした大陥没である。
 地元では <幽冥の門> とも呼ばれるこの大穴は、絶えず大量の有毒ガスを吐き出し、引火したそれにより常に紅蓮の炎で包まれているという。
 この障害を超えてクレーターの底に辿り着くと、そこに待っているのは綺麗にくりぬかれた長方形の縦穴だ。運よく精神崩壊を起こさなかった者は、人ひとりがようやく通れるその穴から、地底へと伸びる長大な階段を下りていける。
 この <冥府の門> には、一九七一年、ロシアの地質学者をリーダーとする一団が公式調査のために立ち入っている。操の記憶が正しければ、三十年以上経った今も、彼らはまだ帰還していない。
 すなわちジェイクが言っているのは、こうした先人たちの後を追うということだ。それは常識的に考えて、先人たちの末路を辿ることとも同義と言える。
「できないと思うか?」
 操の思いを見透かすように、ジェイクが訊いた。
「現実を知らない中学二年生の――ちんけな島で大将気取ってる井の中の蛙がほざく、大それた夢に聞こえるか」
「ううん」操はゆっくりと首を左右する。「私が思うのは、危険そうだなって。それと、ジェイクらしいなってことだけ」
「そうか。だったら、操」
 不意にジェイクは表情を引き締めた。真正面から瞳を覗き込み、充分な間を取ることで操の心理を掌握する。そして言った。
「お前、俺と一緒に来ないか」
「えっ……?」
「今のは将来的な話だ。高校を出てからの。でも、いつかは実現させるつもりの話でもある。だから、そこまで俺についてきてくれ。そうすれば、誰も見たことのない偉業をお前にも見せてやる」
 今にも両肩を掴んで揺すられそうな熱弁だった。
「歴史が変わるところをお前に見せたいんだ。横で見ててほしいんだよ」
 沈黙がおりた。まばたきすら忘れたようなジェイクの眼差しに、操はどこかぼんやりとした視線を返す。
 にらみ合いにも似た、奇妙な時間がしばらく続いた。
「それ――」
 どれくらいしてか、操は自分から沈黙を破った。
「それは単に一緒っていう意味じゃないのね?」
「そう。単に一緒って意味じゃない」力強い即答だった。「進学の話に限って言えば、ピイル島のやつらも含め俺たち以外にも何人かは本土の高校を進路に選ぶんだろう。場合によっては同じ学校になるかもしれない。でも、そいつらは別だ。一緒の意味が違う。俺とお前は特別な関係として、男女として一緒に行くんだ」
 操は――自分でも分からない――何かを言いかけ、しかし結局、口をつぐんだ。そしてまた、無言の時間が訪れる。
 ふと目をやると、踊り場の床に窓から陽光が射し込んでいた。枠の影に切り取られたその長方形を操は意味もなく眺めた。
「どうだ? 自分で言うことじゃないんだろうけど、俺はそう悪い話じゃないと思ってる。何人かの女子は、俺からこの言葉をかけられるのを待ってる。そのことも知った上だよ。それでも、俺は操が良いと思ったんだ」
 対面から届く熱を帯びた問いに、操は顔を上げた。
 本来、こうした将来に直結する問題には熟考の時間を取るべきなのかもしれない。だが、今度ばかりは話が違った。
「ジェイク。私、今すぐに答えを出せると思うけど……」
 言ったほうが良いのだろうか? 言葉尻に含ませた無言の問いに、彼はゆっくりとした動作で、しかし確かにうなずき返した。
 向こうもそれを想定していたのかもしれない。
 実際、ここにいるのがジェイクのいう「何人かの女子」の誰かであったなら、申し出を即座に受け入れ、愛しい少年に抱きついていっただろう。
「そう。じゃあ、お返事します」
 言って、操は小さく息を吸った。そして頭を下げた。
「ごめんなさい。ジェイク。誘ってもらえたのはとても嬉しかった。でも、私はあなたと一緒には行けません」
「――なんで、だ」
 頬に平手打ちを受けたような表情で彼は言った。
「健か? あいつがいるからか」
 操はただ無言で相手を見つめ返す。だが、ジェイクはそれですべてを悟ったらしい。しばらく呆然としたあと、髪を振り乱しながら猛然とかぶりを振りはじめた。
「正気の沙汰じゃない。あいつはお前の弟だろう」
 操は冷静に応じる。「でも、血のつながりはないのよ」
「血が繋がってなけりゃなんでも良いって話じゃないだろう」
「ジェイク。声、おっきいよ」
「第一、お前や周囲の人間がそれを知ってたとしても、健本人はなにも知らされてやしない。そういう決めごとらしいからな」彼は操の指摘を無視して続ける。「あいつは一生、自分が何者かも知らず、島民たちに保護されてる珍獣であることにも気づかず、適当にあてがわれた血筋の近い女と結婚させられ、子を作り、お前を実の姉だと思って死んでいく。そういう決められてるんだ。違うか?」
「表向きは――」語尾を引っ張りながら、操はうなずく。「そうね。その通りよ。健は何も知らずにいるはずだった」
 瞬間、ジェイクが仰け反るように体勢を崩した。そこが階段上であることを思い出し、とっさに手すりを掴む。彼の相貌からは、はっかり分かるほど血の気が引いていた。もちろんそれは、転落しかけたからなどではない。
「私が話したの」穏やかな口調で操は言った。「酷い背信行為だって分かったけど、自分を止められなかった。私、健に全部聞いてもらったの。自分が知ってることは全部」
「いつ……」
「自分の気持ちに確信が得られた時。私が小学五年生だった年の夏よ」
「じゃあ、あいつは自分が犬飼部の血筋だって知ってるのか」
「知ってる」静かに認め、操は意図して淡々と続けた。「私が話せることは、本当に残さず教えたの。その上で、彼は私を受け入れてくれたのよ。今も気持ちは変わってないって、時々言い聞かせてくれる。だから、ジェイク。あなたとは行けない。私、健と一緒にいたいの。血を継ぐ赤ちゃんがいるなら、彼と私で作りたい」
 青白くなった彼の顔に血液が逆流していく。見る間に赤黒く染まった相貌は、肌が白い分、いっそう際立って見えた。
 その様は、なぜか操に父の言葉を思い出させていた。プロ野球観戦を熱心な趣味とする彼が、教訓を語るようつぶやいていた時の話だ。
 投手ってものを評価したいなら、必ずランナーを背負った場面でのピッチングを見ておかなくちゃいけないんだよ、操。
 ――それが父の主張だった。
 勝ってる時とか調子が良い時は超一流の投球をするのに、走者を出た瞬間、別人になっちまうのが結構いるんだよ。得点圏にでも進まれた日にゃ、もうボロボロでな。一気に大量点を献上して、試合をぶち壊しちまう。プロでもメジャーでも、そういうのは少なからずいるもんだ。
 あれから数年経った現在も、操はあいかわらず野球が分からない。
 しかしこうして見ると、父の話は案外、応用がきくのではないか。ジェイクはその典型例なのではあるまいか。今、なんとなくそんな気がしていた。
 ジェイク・セヴァレイは早熟な少年だった。容姿、学力、運動能力。あらゆる方面で優れたパフォーマンスを披露してきた。島内でも早くから抜きん出た存在で、同世代や年上にも比肩する者はおらず。数字だけ見るなら全国平均値と比較しても優位性が目立つ。
 だから彼は常に勝利し、賞賛を受け、自信をつけ続けてきた。
 しかしそれは――父の表現を借りるなら――ランナーを背負ったことのない半生であったのかもしれない。
「操。お前――」
 複雑な色を湛える茶色い目が真っすぐに操を射抜く。
 幸運にも続く言葉を聞かずに済んだのは、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り出したからだった。
 ジェイクは口をつぐみ、舌打ちしそうな顔で中空を睨み上げる。その視線の先には大音量を発するスピーカーがあった。
 安堵が表情に出ないよう努め、操は立ち上がった。敷かれていたジェイクのハンカチを手に取り、丁寧に折り畳む。
「これ、ありがとう」
 両手で差し出すが、ジェイクはそれに目もくれなかった。眉間に深いしわを刻んだまま、ただ無言で操を凝視する。やがてチャイムの余韻が静けさの中に消え、代わって外から戻ってきた生徒たちの喧騒が周囲に満ちはじめた。
 先に動いたのはジェイクだった。
 彼は差し出されたハンカチをようやく一瞥し、それを受け取ることなく踵を返した。もどるべき教室は二階にある。それでも彼は小学生の教室しかない一階へと下っていった。
 声をかけることはできなかった。
 遠ざかっていく少年の背中は、それを明確に拒絶していた。
 なにより、こんな時にかけるべき言葉が思いあたらなかった。そもそも、言葉などかけるべきではないのかもしれない。
 やがて、ジェイクの姿は階下へと消えていく。
 操は手に残ったハンカチに視線を落とし、静かに吐息をもらした。


to be continued...
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