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ウラガリ第2話



 温羅は歴史上、幾度となく人類の前に現われている。
 だが、彼らについての――とりわけ客観的な――一次資料は数少ない。
 温羅を見た人間は生きて戻らないことがほとんどであったし、仮に生還した目撃者がいたとしても、彼らの多くは使いものにならなかったからだ。
 深い心的外傷を根拠に沈黙を通すケースならまだましな方だろう。それ以外の場合は、大概が精神崩壊を起こして情報源としての価値を失っていたのである。
 だから矢野祐一郎准尉は、信頼のおけない二次以下の資料を参考に連中の姿を想像するしかなかった。しかしそれは、火星人と聞いて八歩足の化物を連想する程度のものでしかなかったらしい。
 少なくとも、漠然とあった法隆寺の仁王――金剛力士像のイメージは完全に覆されていた。共に約四メートルの人型と、スケールだけは一致する。が、温羅は生物というよりむしろ無機物的だった。
 そう思わせるのは <矢喰> をともなう外皮のせいであった。
 相転化した空間が可視光を乱屈折させているのか、彼らの体表はプリズムのごとく様々に色を変えていた。見ようによっては黒ずんだ水銀に全身を覆われているかのようでもある。
 頭部に至っては、その水銀が炎さながらに揺らめいていた。顔面を含めたほとんどは不定形で輪郭もはっきりしない。
 そんななか、死んだ魚の濁り目をほうふつとさせる双眸だけは別だった。冷たく、しかし爛々とした眼光が見る者の精神をざわめかせる。
「あれ、が……温羅……」
 近くで甲班の誰かがぽつりとつぶやくのが聞こえた。
「班長、どうしたら……どうしますか? ここには <帰神甲冑> もありませんし――」
 一番気を強く持っているのは、意外にも竹内澄子曹長だった。
 案外、彼女のようなバランスに優れた人格の主こそが、極限状態においても安定していられるのかもしれない。
「とは言え、手ぶらで帰るわけにもいかないでしょ。仮にも対温羅を謳うATFの部隊員がさ。それに、逃げるにしたって足と経路がない。相対距離を維持しつつ応戦。時間を稼いで算段をつけよう」
 汗が頬を伝っていくのを感じながら祐一郎は言った。
 逃げ惑う人間の大半は駅へ向かっていた。
 だがそれは、バスタブいっぱいの水を小さな排水溝だけで流し出そうしているようなものだった。
 駅ビルに入りきれない避難民たちは、ロータリィはもちろん駅前広場まで溢れ返り、黒い人海を形成している。多発する事故と氾濫する群衆に埋め尽くされ、もはや各車線も機能していない。
「うそだ。だって、 <温羅の日> は三百年周期だって……なあ、そうだろ? だからあと二百年は、最低でもおれらのひ孫の代までは安全圏だって言われてたじゃないか。ひ孫までは余裕で大丈夫って……ヒ孫は……ヒ……ハ、はは……ヒマゴマデッて……」
 へたり込んだ本田曹長のヒステリックな叫びが、徐々に乾きを帯びた笑い声へと変わっていく。逃げ場を失い、路上で足を止めた人々のなかからも既に同様の症状が多数発生していた。
 うつろな眼でけたけたと笑いだす中年の女。白目を剥き、唇の端に泡を浮かべながら崩れ落ちるスーツの男。いつもは毅然とした鳥飼曹長までもが、口を半開きにして半ば放心状態に陥っている。
 その間にも温羅は角の向こうから続々と姿を現し、勢力を増しつつあった。立ちくらみにも似た意識の軽い混濁をこらえ、祐一郎はその数をなんとか七体まで数える。
 先頭との距離は――化物どもの異常な縮尺で距離感が狂っていなければだが――もう百メートルを切ろうとしていた。
「しかたない。第四小隊甲班に発砲を許可する」
 腰の後ろでホルスターの留め金を外しながら、祐一郎は叫んだ。
「澄子は電話と無線で基地と連絡つけてくれ。勝時は本田のフォロー。とち狂って乱射されたらたまんないから、正気を取りもどすまで本田には武器を持たせるな。シルヴァージャケットは金かかってんだ。びびって無駄弾使うんじゃないぞ。充分に引き付けて撃て」
 指示を飛ばしながら鳥飼曹長に歩み寄る。彼女の頬を両手で挟みこみ、両の眼を正面から覗き込んだ。
「素子、しっかりしろ。気を強く持て。飲まれたら終わりだぞ」
 曹長がはっと我に返るのを確認し、祐一郎は銃を抜いた。
「いつものトリちゃんにもどってくれ。お前の小言がないと、甲班は調子が出ないんだよ。分かるだろ」
 周囲には壊れた人々の金切り声や何かの破壊音、人間の声帯が発しているとは思えないほど低く掠れた絶叫、断末魔、助けを求める悲鳴などが重々しく渦巻き、ビルの狭間で複雑な反響を生んでいる。
 それらにかき消されないよう、祐一郎は腹の底から声を出した。
「敵は道路標識を小枝みたいに扱う相手だ。建物や自動車などを遮蔽物にして、後退しつつ応戦しろ! 再度言う。絶対に気を抜くな。一瞬でも <鎮魂> を揺るがしたら精神崩壊がはじまると思え」
 一気にまくしたてた直後だった。明らかに改造車のそれと分かるエキゾーストノートが辺りの空気を揺らした。
 後方から接近したセダンが一台、豪速で甲班を抜き去り、温羅の群れへと疾走していく。助手席の窓から若い男がほぼ全身を乗り出しているのが見えた。素肌の上に来た派手なシャツが風に大きくなびいている。
 それは器用な運転だった。事故車や転がった死体の間を縫うように走り、速度をまるで落とす気配がない。
 彼らはカーステレオの大音響に合わせ、威嚇とも思える奇声をあげていた。「死ねや、オラァ」激突の瞬間、そんな声が聞こえたような気もする。
 結果を見届けるより早く、祐一郎は静かに眼を閉じた。
 思いのほか素っ気ない破砕音を聞きながら、彼らの冥福を祈る。
 黙祷を終えて最初に見たのは、温羅の足首にまとわりついた青い鉄塊だった。それをアンクレットのように付けたまま、温羅は数歩進んだ。ややあってようやく足元の付着物に気づくと、面倒そうに軽く振り払う。
 転がっていく車体は、激突の衝撃で半分にまで圧縮されていた。
 助手席から、派手なシャツの人影がぽろりと転げ落ちた。路上、微動だにしないそれを、遅れて行軍する別の温羅が踏みしめる。
 そのつもりもなく、気づけば落ち葉の上を通り過ぎていた。そんな無造作な感覚で、温羅はただ歩いただけだった。
 ……いくらなんでも、そりゃないだろ?
 こんな状況下にありながら、祐一郎は笑い出しかけた。
 喉の筋肉が声をあげようと痙攣しはじめる。
 だが、それは狂いかけている精神の一部分が生んだ欲求だった。
 気づかないうちに紙一重の状態にまで追い込まれていたらしい。
 近くから銃声が聞こえてこなければ、一線を越えていたかもしれなかった。
 祐一郎は慌てて歯を食いしばり、締め付けるように喉を押え込む。
「来るな! 来ないでくれよッ」
 声の方に目をやる。甲班のひとり、出口勝時が唾を撒き散らしながら引き金を絞っていた。地肌が見えるほど刈り込まれた坊主頭には、こめかみ近くに太い血管が浮かんで見える。
 その足元には、彼に任せていた本田曹長が伏していた。まぶたが小刻みに痙攣し、ズボンの下腹部が糞尿でしみになっているのが見えた。
 本田が生きていること自体は間違いない。ただし、保証できるのはあくまで肉体面に限った話だった。
「だめよ、勝時。さっきの車、見てたでしょ。銃なんて――」
 繋がらない無線相手に呼びかけを続けていた竹内澄子が、ようやく諦めて仲間のフォローに回る。
 が、錯乱する出口曹長に、もはや仲間の声は届いていなかった。
「来るな。くそっ、なんでだよ……来るなって……言ってるだろォ」
 出口勝時は泣きながら、もう弾の出ていない銃を撃ち続ける。
 銃口が大きく震え、弾丸のほとんどは標的に向かっていない。
 数少ない命中弾も、 <矢喰> に触れた瞬間、熱湯に落とした氷のように消えていった。
「だめっ。勝時、逃げて!」
 竹内曹長が助けようと駆け出すが、間に合わない。祐一郎も、再び棒立ちになった鳥飼曹長のフォローで手一杯だった。
 そして、温羅の一体が糸の切れた傀儡のように動き止めた。
 しばらく彫像のごとくたたずんだあと、おもむろにその無慈悲な双眸で足元の獲物を睥睨する。
 温羅が大樹のような腕の片方を伸ばした。人間と同じ構造の――しかし、一本が巨漢の二の腕ほどもある――五指が開かれ、ふたりの曹長をいっしょに握り上げた。出口勝時の悲鳴がドップラー効果で急速に遠ざかっていく。
 仲間を救出すべく、澄子が発砲をはじめた。しかし、温羅はそれに気づく様子すらない。事実、巨人の視線はもう、手にした獲物にも銃撃者にも向けられていなかった。
 それからどれくらいしてか、ふたりの少年曹長は解放された。
 地上三メートルの高さで温羅の手が唐突に開かれたのである。
 垂直に落下する二名の肉体は、大した音も衝撃も生まず、波打ったアスファルト上にぼとりと着地した。
「素子、澄子、ふたりとも見るな!」
 鳥飼曹長を連れて後退しながら、祐一郎は絶叫した。
 温羅に捕らわれた――陰界の法則に取り込まれた人間がどうなるか。それはかつての <温羅の日> で嫌というほど知らしめられていた。人体もまた、陰相に堕ち得るのだ。そして、陰相転化した人類は、次の <温羅の日> に別の生物へと成り果てて現われる。
 落ちてきたふたりの仲間がそれを実証していた。彼らは奇形児のように混じり合い、ひとつの肉塊と化していた。絡み合ってるのではなく、陰相の別法則に飲まれ物理的に融合しているのだ。
 その半液状化した全身は沸騰するように泡立ち、やがて破裂するようにしぼんでいった。もうそこに、彼らが二分前まで人類であったことを示す痕跡はなにもない。
「くそっ、畜生ッ!」
 悪態を吐き散らしながら、祐一郎は自分が泣いていることに気づいた。鳥飼を抱く腕に力を込め、懸命に走り続ける。
 誰かの体温を感じ、意味を成す言葉を聞く。そうすることでしか、もう狂いだしそうな自分を止める手立てはなかった。
「澄子、お前は素子を連れて逃げろ!」
 いったん離れて後退していた竹内曹長と合流し、祐一郎は腕の中の少女を渡した。
 もう鳥飼は何をされようと微動だにしない。伝わってくる体温も、先ほどから急速に失われつつあった。そのことが何を意味するかなど考えたくもなかった。親友を抱きとめた竹内の表情が見る間に青ざめていく。だが、すべてを無視して祐一郎は続けた。
「捨てられた車の中には、まだ動くキィ付きのやつが幾つもあるはずだ。見つけ出してとにかくこの場から離れろ。行けるとこまで行け。進めなくなったら、素子を背負ってでも歩くんだ」
「でも、素子は……もう、素子は……」
 大粒の涙をこぼしながら竹内曹長が下唇を噛む。
「言うな! 良いから行け。たのむから」
「だけど班長は? あなたはどうするんですか」
「おれはまだちょっと残る。責任者は最後に現場を離れるもんだ」
「そんなの――」
「行かせてくれ、澄子。本田や出口を楽にしてやりたいんだ。お前は情報と経験を持って生きてもどれ。そして次にいかしてくれ」
 卑怯な言い方だったが、効果はてきめんだった。
 この一帯は、遠からず完全に陰相転化して不毛の地と成り果てるだろう。そこに精神崩壊を起こした人間を残せば、いずれは彼ら自身も陰相に堕ちてしまう。
 温羅に転生し、昨日までの仲間を襲いはじめるくらいならば、自ら尊厳ある死を選べ。ATFに限らず、各国の主だった軍隊ではそう教育される。慣例として書かされる遺書にも、尊厳死を望む内容の記述を残す隊員が多い。たとえ教育がなくとも、だ。
「トリちゃんをよろしくな、澄子」
 言い残し、祐一郎は走り出した。壊れた人間の群れをかきわけ、駅前広場を横目に高架下を抜ける。たかだか数百メートルの距離だったが、障害物のせいで前進には難儀した。
 祐一郎が目をつけたのは、路上駐車の大型トラックだった。
 運転席は遠目で見る限り無人に見える。キィがついているかは賭けだった。
 駆け寄るってみると、荷台部分の巨大タンクには危険物の積載を示すマークがある。確認した瞬間、祐一郎はにやりとした。表記が確かなら、可燃性の有機化合物を満載しているらしい。本来の用途は、ポリエステルの硬化剤あたりか。だが、テロリストに渡せば簡単な加工を経て立派な爆弾を作り上げる主材料ともなる。
 運転席のドアを開いた瞬間、祐一郎は再び微笑した。
 賭けに勝ったのだ。引火しないよう注意しながらガソリンタンクに亀裂を入れ、ドライヴィングシートに滑り込む。
 そして、繋がれていたキィに手を伸ばしかけた時だった。
「――矢野准尉!」
 阿鼻叫喚で満たされた世界に、その凛とした声は不思議と良く響き渡った。これだけは聞き違えようもない。窓から首を出すと、予想したとおり車両の後方に石原芹香の姿が見えた。
 どこで拾ってきたのか、彼女は黒い国産の自動二輪にまたがっていた。後方に三台、同じ服装をした男女を従えている。年齢からして、明らかに十代を中核とする第四小隊の隊員ではないようだった。
 計四台の二輪はすべらかにトラックの横につけ、アイドリングストップした。
「石原、良かった。無事だったか」
 ここにきてはじめて、恐怖の混じらない純粋な笑みがこぼれた。
「そちらも。ひとりのようだけど、甲班は健在?」
「いや……本田と出口をやられたよ」
「そう、か」石原の瞳に刹那、影が兆した。「申し訳ない。私が遅れたせいで」
 祐一郎は無言で首を左右した。そして問いで返す。
「そっちは? 乙班は大丈夫なのか」
「全員大事無い。とりあえず、使えそうな二輪を人数分探し出して撤退させたよ。ロープウェイから見た限り、温羅は複数箇所で発生している。矢野准尉、ここは退くしかない」
「やっぱり、あれは温羅なんだな。本当に。五十狭の血筋でもどうにもならんか?」
「この数が相手では無理だね。 <帰神甲冑> があればまだしも」
 淀みのない口調でそう言ったあと、澄んだ瞳がじっと祐一郎を見据えた。心裡まで見透かそうとするかのような目だった。
「いつから気づいていた?」
 石原が――五十狭が穏やかな口ぶりで問う。
「おれは京都出身でね。あっちには、石原と書いて <イサ> と読ませる地名がある。正直、会って間もない頃から、もしかしたらとは思ってたよ。それに今連れてるの、どう見ても護衛かなにかだろ」
 彼女に笑顔を見せつつ、祐一郎は改めてエンジンを始動させた。
「さて。残念だけど、おれ、もう行かなきゃ」
「こんな大物を持ち出してなにをする気かな」
 五十狭が後部のタンクに一瞬視線をやり、すっと目を細める。
「逃走には向かない車両だ」
「まあ、せめて一太刀ってとこかね。危ないから、石原准尉は離れてたほうが良い。どっかでウチの竹内と鳥飼を見ることがあったら、基地まで一緒に連れて行ってもらえるとありがたいんだけど」
「まるで自分はもどらないような言い方だ」
「いや、運が良ければ生還できる計画だよ」
 祐一郎は軽く肩をすくめ、ゆっくりと微笑んだ。この状況下、不思議に思えるほど穏やかな表情を浮かべることができた。
 それから、彼女の名を一音一音確かめるようにして唱える。
「五十狭芹香准尉。最後に会えて良かった」それはウソ偽りのない、心からの言葉だった。「じゃ、またな」――こちらには、少しウソが交じっていたかもしれないが。
 彼女がなにか言うより早く、祐一郎はアクセルを踏み込んだ。
 サイドミラーを通して最後に見た五十狭芹香は、祐一郎を止めようと二輪を動かしかけ、周囲の護衛たちに止められていた。
 ありがとう。唇の上で言って、視線をフロントウィンドウにもどす。意識を前だけに集中させた。
 温羅の隊列は破壊と殺戮を繰り返しながら、ゆっくりと、だが確実に駅前広場に接近しつつあった。祐一郎からは距離にして七十メートル前後といったところか。その間にある倒れた電柱や主の失われた車両を避けつつ、祐一郎は温羅に向かった。蛇行を繰り返し、魂を破壊された人々は構わずはね飛ばして進む。中途半端にならないようブレーキは敢えて踏まない。
 なるべく広範囲にガソリンを撒き、できるだけ多くの人間に尊厳死の機会を提供しなければならない――
 だが、どんな使命感で己を支えようとも、人体に乗り上げた時の振動と感触は最悪だった。それでも歯を食いしばり、アクセルペダルを踏み続ける。
 温羅まであと数秒の位置に迫った時、祐一郎は腰からベルトを抜いた。微調整のあとハンドルを固定する。進行方向にはもう、ほとんど障害物はない。ガソリンも充分に撒き散らされていた。
 祐一郎はアクセルから足を離し、ドアを開いた。重要なのは速度ではなく、温羅の群れまで車体が届くかどうかだ。
 気は進まなかったが、祐一郎は倒れた一般人をクッションにできるタイミングで車外へ飛び出た。落下傘式の多点着地を成功させ、勢いを殺すべく身体を回転させる。途中、右手で拳銃を抜き、膝立ちになると同時に射撃の体勢をとった。
 狙い通り、トラックは温羅の群れのど真ん中に入り込んでいる。
 その後部――ナンバープレートの直上に、祐一郎はゆっくりと銃の照準を合わせた。
「くたばれ、化物」
 迷いなくトリガーを絞る。
 この距離なら的を外す心配もない。
 五発目を放った直後だった。車体が小さく身震いし、次の瞬間、曇天によってもたらされた灰色の世界に白い裂け目が生じた。薪が爆ぜるような乾いた音が一際高く轟く。
 気づくと、トラックの車体は炎に包まれていた。やや遅れて小規模の爆発が起こる。それは体長四メートルの温羅さえ飲み込むものだったが、破壊力という意味では物足りない。おそらく、先ほどのスポーツカーの直撃の方がその意味では効果があっただろう。
 失敗の二文字が脳裏を過ぎり、祐一郎が絶望しかけた寸前、二度目の爆発は起きた。
 最初のそれとは比較にならない規模の轟音が、周囲一帯の空気を震撼させた。音が突風のような衝撃波となってばらまかれる。内臓がしびれるような低音。遅れて、比喩ではなく肌を焦がすほどの熱風が祐一郎をなぶり、一瞬で通り過ぎていった。
 それで通りに並ぶビルのガラス群が枠から外れたらしい。加速のついたガラス片が衝突と同時にアスファルトへ次々と突き刺さる。
 目をつぶったまま、祐一郎は死体だか生ける屍だか分からない誰かの陰に身を移した。指でかばいつつ、なんとか薄目をこらす。
 あるべき場所に、トラックはもう視認できなかった。そこには太陽と同じ色の爆炎が居座り、入道雲のように蠢いている。その縁を濃い黒煙が唐草模様のように彩っていた。
 温羅の群れは爆発の劫火に飲まれ、トラックと同様に姿が見えない。
 これなら――
 本田も、出口も送ってやれただろう。そして、あの化物どもも。この爆発ならば。
 そう安堵しかけた時、紅蓮の炎を身にまとわりつかせながら、それは現われた。
 体長四メートルを超える人型の群れだった。
 体勢も変えず、足取りも変えず。彼らはそよ風でも浴びたように淡々と歩を進めていた。
 ――おい。
 くだらない冗談を聞いた時のように、祐一郎は口から小さな吐息の塊を吐き出した。世には「もう笑うしかない」という心境があるらしいが、まさしく今はそれにふさわしいのだろう。
 と、なんの前触れもなく、本当に唐突に、温羅の一体が目の前に現われた。手を伸ばせば触れられる距離、黒光りする玉虫色の足首がそそり立っている。
 至近距離で見る温羅は、単なる水銀の巨人ではなかった。
 岩を荒々しく削り上げたような鋭角的肉体を持つ――しかし確かな生物だった。
 そこに色を複雑に変える <矢喰> をまとっているため、彼らは洋館に飾られた騎士の甲冑が動き出したかのようにも見える。
 その騎士のガントレットがゆっくりと頭上からおりてきた。猛禽類を思わせる、どこか金属的な五指が祐一郎を無造作に掴みあげる。
 これじゃ、ほとんどぬいぐるみだな。
 左腕のどこかと複数の肋骨をまとめて粉砕されながら、祐一郎は奇妙にもゲームセンターのクレーンゲームを思い浮かべていた。
 笑みの形にゆがめた唇の端から鮮血がこぼれていく。
 温羅はもう一方の手に、どこかで引き抜いてきた道路標識を握っていた。先端のひしゃげた三角形を見る限り、今度は駐車禁止のそれではないらしい。
 その金属製のポールには、焼き鳥よろしく幾つもの人体が串刺しにされていた。一番上にはボーイッシュな黒髪の少女、その下に軍支給のズボンを履いた眼鏡のおさげ――
 抱き合うように折り重なっているそのふたりには見覚えがあった。誰より良く知っていた。
 すべてを理解した瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
 祐一郎は咆哮をあげながら、右手の銃を温羅に向ける。
 そして残弾がなくなるまで――否、スライドが下がりきったままもどらなくなっても、ただひたすら引き金を絞り続けた。
 やがて、腹にこの世のものとは思えない灼熱感が走る。
 内臓が破れ、背骨が砕かれる。鮮血に染まった白い鉄棒が背中から突き出していくのが分かった。
 それでも叫び続けた。
 最期の瞬間まで、矢野祐一郎准尉は空の銃を撃ち続けた。


to be continued...
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