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prologue
序章


 それが自分を呼ぶ声であることに気付くまで、大津晨一郎はしばらくの時間を要した。
 一九六六年の初代から数えて、三六人目となる <弐番棟> の棟長。この四月から引き継ぐことになったその肩書に、彼はまだどうにも馴染み切れずにいた。まるで実感が沸いてこない。
「弐棟長、おはよう御座います」
 足を止めて振り返った大津に、優男という表現がぴったりの少年が軽やかな足取りで駆け寄ってきた。
「おう、香月。連休中だってのにご苦労さんだな」
「それはお互い様でしょう」
 そう言って香月は柔らかく微笑む。走ったせいか頬が薄っすらと紅潮しているように見えた。
 香月敏幸の相貌を見るたび、美形とはこういう人間のことを言うのだ――と大津は実感させられる。長身痩躯の華奢な身体にのせられた小顔は、彫りが深くてどことなく中性的だ。くっきりした二重目蓋の目元はいかにも涼しげだし、茶色がかった黒髪は女性のように柔らかく、緩やかで上品なカールがかかっている。
 骨格の段階からこうまで違い過ぎると、もはや嫉妬する気さえ沸いてこない。ほとんど別の生き物を見ているような感覚だった。

「大津さん、これから真っ直ぐに会館に行くんですか」
「ああ」大津はその言葉に小さく頷いた。「そのつもりだ」
「ではお供させていただきます」
 何が嬉しいのか、香月は今にも跳ね出しそうな足取りで大津の隣に並ぶ。二人はそのまま学園の正門に向かい、詰所の守衛に学生証を提示して敷地内に足を踏み入れた。
 例年、五月の初旬に満開を迎える桜並木は、すでにその鮮やかな花弁を散らせてしまって久しい。今年は全国的な暖冬のせいで、花見のシーズンも随分と早めに訪れ早めに去っていった。
 最上級生である大津にとって、薄桃色の花弁に彩られた桜並木を眺める機会はこの春が最後であった。一抹の寂しさを覚えながら、大津は香月と肩を並べて会館まで続くヨーロピアン・スタイルの石畳を歩く。
「しかし、月日の経つのは早いな。高校に上がってからまだ幾らも経ってないような気がするのに、いつの間にやら受験生の身の上だ。おまけに分不相応にも、周りから棟長なんて呼ばれるようになってる」
 大津は自嘲的に口元を歪めた。
「良いじゃないですか、弐棟長って肩書きには相応の名誉があるわけだし。そう呼ばれたがってる生徒は沢山いるわけでしょう。むしろ誇るべきだと思うなあ」
 一学年後輩ではあるが、香月は慰めるような口調でそう言った。
「それより、僕なんか酷いもんですよ。館長が僕のことを何て呼んでるか知ってるでしょう?」
「――ああ」大津は思わず苦笑する。

 香月のいう館長とは、大津の同級生である松田奈子のことだ。やはり大津や香月と並ぶ <候鳥会> のコアスタッフのひとりで、誰とでもフレンドリィに接する気さくな女子生徒だった。
 香月は <候鳥会> においても、また周囲の友人知人たちからも専ら苗字や名前で呼ばれているそうだが、この松田奈子だけは「カッキィ」なる珍妙な渾名を持ち出してくるのであった。
「恥ずかしいから普通に呼んでくれと頼んでいはいるんですけどね」
「無駄だよ。あいつは自分が楽しんでる間は、まったく他人の話に耳を傾けやしない」
 慣れるしかないさ、と今度は大津が慰める側に回り、香月の背を威勢良く叩いた。
 そうこうしている間に、二人が目的地とする施設が視界の端に入ってくるようになった。生徒会館として機能する木造三階建てのエキゾチックな洋館は、その名を <孤舟館> といい、これは生徒会がかつて <校友会> と呼ばれていた頃――すなわち昭和初期に建築された、歴史ある施設である。

「まあ、呼ばれ方なんざこの際どうでもいいさ」
 エントランスにたどりつくと、観音開きになっているドアを引き開けながら大津は呟いた。重厚なドアはその見かけ通り重たく、開閉時はいつも小さな軋みをあげる。すんなり開いたところを見ると、いつものように壱棟長が一足早く来ているのだろう。
 香月が先にドアを潜り、大津が続いた。
「それより、目下最大の関心事は後継ぎ問題だ」大津は表情を引き締めて言った。「俺が棟長でいられるのも今年一年間だけだろう。その次の代は須賀の莫迦に任せるとしても、更にその次となるとアテがない。二年後、誰に棟長をやらせたもんか」
「なるほど。古今東西、王侯貴族や大富豪といった特権階級・支配階級にある人間の多くを悩ませてきたのが、その後継者に関する問題ですからねえ」
 その深刻な言葉のわりに、香月は何かを楽しむような表情をしていた。実際、大津たち <候鳥会> のトップが誰を世継に選ぶかに少なからず興味を抱いているのだろう。彼はにこにこしながら続けた。
「実態がなんであれ、二年後に棟長の座を継承する人間を選び出すわけだしなあ。一年の男子生徒はみんな、自分が選ばれはしないか……って期待に胸を膨らませているんじゃないかな」
「そうか?」大津は思わず苦笑する。「――まあ、そんなもんかもな」
 外野の人間の目には、棟長の称号が光り輝く大勲章に見えるものなのかもしれない。だが多くの人間は、その光沢ばかりに意識を奪われ、勲章を持つ者がそれを光らせるために必死の研磨を続けている事実に目を向けようとはしないものだ。

「まったく、損な役を引き受けたもんだ」
 大津は小さく嘆息しながら、ドアを閉めて館内に足を踏み入れた。途端に、 <孤舟館> 特有の古い木の香りが微かに漂ってくる。不思議と懐かしさを感じさせるそれが、大津は嫌いではなかった。
 一般校舎と違い、この館には土間の概念がない。上履きに履きかえる必要もなく、土足で歩きまわることが出来る。大津は数歩先を進む香月を追うようにして、奥へ続く廊下を歩いた。
「後継者うんぬんを別にしても、ウチはとにかく人手不足だ」
 香月に追いつくと、大津は愚痴るように言った。洋風建築の孤舟館は間取りに余裕があり、天井が高ければ廊下も広い。二人が並んで歩くのも容易だった。
「須賀の莫迦が抜けてるせいで、それでなくとも負担が大きいからな。おかげでゆっくり飯も食ってられない。棟を預かる身の上としては、早めに優秀な人材を確保しておきたいところだよ」
「――あ、そうだ」
「どうした」
「それで思い出したけど、この前、その莫迦のお見舞に行ったんですよ」

「須賀に会ったのか? アイツ、どんな感じだった」
「右腕の調子は随分と良いみたいですよ。ピンピンしてましたし、怪我人とか病人って感じはしませんでしたね」
 須賀と面会したときのことを思い出しているのか、香月はクスリと笑った。
「ただ、事前に医者から言われていた通り幻肢痛の克服には少し時間がかかるみたいです」
 彼も大変ですよね、と香月は苦笑気味に口元を綻ばせた。
「ああ、ファントム・ペインとか言うやつか。話には聞いていたが、なかなか難儀なものらしいな。そもそも、切断して無くなったはずの腕がまだ残ってるように感じられて、しかも痛み出すんだろう? 対処法なんてあるのかね」
「――さあ」香月は無慈悲にも軽く肩をすくめただけだった。
「まあ、この件に関しては完璧に自業自得ってやつだ。仕方がないと言えば仕方がないか」
 二人は、地下と二階へ続く階段を接続した踊り場の前に辿りついた。ただ、これは巨大なハンマーで叩いても割れないという特殊な強化ガラスで作られたドアで遮られていて、傍らに設置されたパネルに身分証を提示し、更に暗証番号を入力しないと外側からは開けられない。
 外観こそレトロ感ただよう安普請にも見えるが、一歩足を踏み入れれば、孤舟館は最新鋭のセキュリティを張り巡らせた実用本位のイテンリジェントビルにその姿を変える。学園を運営する上での重要度の高い情報や生徒の個人情報を取り扱う以上、 <候鳥会> にはこうした気構えが必要となるのであった。

「それでですね。実は、その須賀君から弐棟長に言伝があるんですけど」
「なんだ、言伝? 定例議会に顔も出さないくせ、あいつはいつからそんなに偉くなったんだ」
 階段を上りながら憎まれ口を叩くと、大津は「それで」と香月に話を続けるよう促した。
「さっきも少し話題になっていた後継ぎの件なんですけどね、須賀君は弐番棟の <長補> として、中原均という生徒を推薦したいそうなんです」
 階段の途中ながら、大津は思わずその足を止めた。身体を半回転させ、数段下で同じように立ち止まった香月を見下ろす。
 言うまでもなく、 <候鳥会> に新一年生を迎え入れる際は慎重にも慎重を期さなければならない。校則の制定や改正、生徒会役員の非常任免権、教員人事に関する意見書の提出権や不信任案の提議権など、 <候鳥会> の構成員たちは一高校生としてあまりに強大な権限を持つからだ。

 しかも、これは公選で決定されるのではなく、大津や香月といった現職のメンバーたちによって任命される官選制の人事なのである。そのため、選ぶ側の彼らには極めて重大な責任がかかってくるのだ。
 知り合いだから、好感を持ったから、友達だから……というような安易な理由で簡単に推挙して良いような問題ではない。
 その人物の人間性や <候鳥会> としての資質をしっかりと見極めた上で、他の幹部たちの承認を得なければ新人を入会させることはできないのだ。――否、できたとしてもしてはならない。それが生徒会最高幹部連 <候鳥会> の会員に課せられた義務だ。
 そのことは、次代の弐棟長である須賀裕樹も良く理解しているはずだった。
「本当に須賀がそう言ったのか?」
「ええ、そう弐棟長や他のメンバーたちにも伝えてほしいと言ってしましたよ」
 その重みを理解しているのだろう。香月は神妙な顔つきで大津と視線を合わせ、はっきりと頷いて見せた。そして静かにこう付け加える。
「中原均こそ、自分の後を継いで <師光> になるべき男かもしれないって――」


to be continued...


■履歴

脱稿2004年08月23日
初出2004年09月24日

本作は書き下ろし作品です。

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