「悪のクィン」

彼の名はケン・スミス・クィン。
ノンフィクション作家である。


第4回「悪のクィン」

 ノンフィクション作家ケン・スミス・クィンには欠点が多い。欠陥とすら言い換えられるその幾多の短所は、ときに「プロの物書きとして如何なものか」と人々に首を捻らせる部分さえ多分に含むものである。ノンフィクションを書いているつもりが、ふと気付くと単なる物語にしてしまっていた――という悪しき性癖などは、その代表的な例と言えよう。
 言うまでもなく、ノンフィクションの制作には多くの関係者の理解と協力が必要不可欠である。たとえば、努力の末にプロ野球選手になった青年を書こうとする時、本人への取材やインタビューはもちろんのこと、彼を育て上げた教育者や両親などにも話を聞きにいかなければならない。在籍していたクラブのチームメイトたちにも貴重な時間を割いてもらい、何らかの形で力を貸してもらう必要がある。
 こうしたことを踏まえた上で、改めてケン・スミス・クィンとその著作物を見詰めた場合、ある大きな問題が歴然として存在することに我々は気付く。
 それは、結果的に“ノンフィクション”という衣を纏うことを諦め“物語小説”としてしか作品を発表できないことが、ある意味において制作に協力してくれた関係者たちへの裏切りにも等しい――という事実である。

「あなたのことをノンフィクションとして描き、本にさせて下さい」と頼み込み、その上で協力をとりつけた人々が、プロジェクトの頓挫により自分の協力が徒労に終わったことを知れば、果たしてどのような反応を示すものか。これは想像に難くない。
 ケン・スミス・クィンが題材として取り上げる人々は、器が大きく懐の広い快男児が多いため、「それはそれで一興」と笑って許してくれる者も意外に多い。が、その一方で立腹する者、憤慨する者もやはり珍しくはないのである。
 こうなった場合、ケン・スミス・クィンは素直に頭を下げた上で、小説として完成したその原稿を破棄し、公開や発表を取りやめることが多い。取材相手への約束を反故にしてしまった代償として、自らも作品とそれに費やした労力を捨てるわけだ。彼なりの“落し前”のつけかたである。
 これにより先方にはたらいた非礼と不義理には、一応ながらのケジメをつけたことになる。一見した限りでは事件が決着したかに見えないこともない。
 だが、忘れてはならないのはケン・スミス・クィンがプロフェッショナルだということである。

 ケン・スミス・クィンの作品は自腹を切って本を出す素人の自費出版とは違い、出版社にも相応のリスクを背負わせる企画出版形式で世に送られることが多い。これは予め出版社の担当から仕事を貰い、それに作品をもって返すという形で成立する話である。
 だからして、「取材相手とのトラブルから、原稿を破棄することになりました」――といった結果しか出ないのでは、今度は出版社に見せる顔がなくなってしまう。もちろん、相手の顔を潰す事にもなるだろう。
 編集部にとって、約束の仕事を約束した通りに仕上げられない作家は使いようがない。結果的にケン・スミス・クィンは信用を落とし、仕事と取引相手を徐々に失っていくのだった。
 そうしたわけで、我等が <クィーン・プロダクション> は今、創設以来最大の危機に直面していた。

「先生、校正終わりました」
 アシスタントBはパソコンのモニタから顔を上げると、会心の笑みを浮かべた。それから原稿のデータをディスクに移して師に手渡す。
「ん、ごくろうさん」
 ケン・スミス・クィンは微笑で彼女の働きを労うと、もう一人の高弟に顔を向けた。
「アッシーはどうだい。進んでるか?」
「はい。もう少しでこっちも片付きます」
 アシスタントAの顔には疲労の色が濃く浮かんでいたが、それを生む原因からもうじき解放されることを知った安堵と歓喜も同様に見受けられた。
「どうやら、今回の仕事はかつてないほどスムーズに進んで、スムーズに終わりそうだな」
 ケン・スミス・クィンは満足そうに深く頷きながら、爽やかに告げた。事実、彼は生まれてはじめて意図した通りのノンフィクション作品を完成させようとしている。原稿は既にあがり、現在はアシスタントたちに協力を求めて校正と推敲を行っている段階だった。

「締めきりは来週の火曜日。まるまる五日も残っている。出版社の担当に原稿を送る前に、主人公になった大谷さんに挨拶しに行く余裕すらあるぞ」
 ケン・スミス・クィンは卓上カレンダーを見詰めながら、勝ち誇ったように胸を張る。
「今回はトランス状態に入ってしまわないよう、先手先手を打って創作に励みましたからね。スケジュールも厳しく調整しましたし」
 アシスタントBは我がことのように喜びながら言った。
「これならきっと、大谷さんも出来に満足してくれますよ」
「うむ、ありがとうビィちゃん。私もそう願ってるよ」
「兄貴、校閲終わりました!」
「おお。そうか、終わったか」
 アシスタントAの任務完遂宣言に、ケン・スミス・クィンは喜色を浮かべた。
 校閲や校正というのは、しあがった原稿を読み返して誤字脱字や文法上の誤りなどがないかどうかチェックし、もしミスがあればそれを修正する作業のことである。
 編集者に原稿を渡せば、出版社が雇った専門の校正担当が肩代わりしてくれる仕事ではあったが、 <クィーン・プロダクション> では、弟子であるアシスタントA&Bがこれを請け負うことになっている。
 出来あがったばかりの原稿に触れ、それが本として印刷される完成段階に至るまでにどのような変化を見せるか。プロはどこをどのように修正し、最終的にどのように仕上げるのか。それを実作業を通して体感することは大きな勉強となるからだ。



















































































 あとがき
 ケン・スミス・クィンと著者・槙弘樹とを混同する読者が非常に多い。だが私こと槙弘樹はこれを強く否定する。それはたしかに、ケン・スミス・クィンの抱える苦悩や葛藤、心意気や情熱などはプロアマ問わず広く物書きに共通する部分を備えるため、私と彼とにも幾つかの類似点が見受けられることは確かである。
 だが、違う。違うのである。必死に違うといってるのに、でも誰も信じてはくれない。

初出
「炎のクィーン」前篇:2004/05/28
追記:2004/05/30
改訂:2004/05/31

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。

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