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 序章


 最初に体調の異変を感知したのは、三月の初旬だった。年度末の本決算を控えた、業界において最も忙しい時期の一つである。井上友子にとってはもちろん、デザイナー兼エディターとしての勤め先 <ビフロスト・システム> にとっても、弥生は等しく修羅場の月であった。どこのクライアントも納期を三月期内としたがるため、通勤する時間を惜しみ社内に泊り込むスタッフも毎年必ず出る。友子に限らず、体調を崩す人間は少なくなかった。
 このとき友子の抱えていた最も大きな仕事は、懇意にしている劇団から依頼された公演用のアイテム製作だった。劇団関係者たちが「印刷系」と呼んでいる、チケット、パンフ、ポスター、ビラなどのデザインを起こし、印刷に回す。代理店を通さず直で入ってきた貴重な仕事であった。相手の劇団は、大口取引先の一つであるだけに気が抜けない。アイテムの種類別に少数精鋭による個別チームが組まれ、急ピッチで作業は進められた。
 もちろん、それが全てというわけではない。友子には、四社から依頼されたWEBサイトの構築、来年度のカレンダーデザイン、個人受注で得たヴィデオ編集等の話もあった。交友関係が広いと、事務所の外でも様々な付き合いが出てくる。ヴィデオの仕事をもってきた福祉系市民団体は、個人受注のお得意様だった。彼らが撮影した活動報告用の映像素材を編集し、一四〇本のVHS、三〇枚のDVDに書き出す。やり遂げれば、これが諸経費込みで計二二万円になる。サイドビジネスとしては悪くない稼ぎといえた。
 三月は斯様に多忙な日々が続いたが、それでも友子は毎日きちんと帰宅した。何故、そうまでして――と周囲に囁かれても、無理をおして帰った。自動車通勤であったため終電を気にする必要もない。玄関に辿り着くのが夜明け近くになっても、自宅のベッドにこだわり続けた。
 事務所の仮眠室を利用した方が、あらゆる意味で合理的ではあっただろう。同僚たちにも指摘されたことではある。だが、友子には家庭に固執する理由があった。子供のために朝食を作り、一緒に食したかった。彼と当たり前の挨拶を交わし、登校していくのを見守りたかったのだ。この習慣を守らなければ、家族同士が顔を合わさない日々が続くことになる。母子家庭では、そのすれ違いが親子の間を冷え切らせる充分な理由になるのだった。だから、無理をしてでも自分のルールを破ることはしたくなかった。それが怖かった。子供のためだけに命を使う。その生き方に、友子は全く疑問を抱いていなかった。
 ――もちろん、こうした無理を通すためには相応の代価を支払わなければならない。睡眠時間は限界まで削られた。食事の時間も不規則かつ不充分になった。ストレスも必要以上に蓄積されていく。健康上の問題が多少出てくるのは覚悟していた。折込み済みといっても良い。毎年のように経験することなのだ。
 問題は月の中頃、首のリンパ腺に腫れが出たことである。こればかりは、かつて経験にないことだった。流石に少し頭を悩ませもした。が、考えてもみれば来年の誕生日で人生も折り返しに入る。もう若くはないのだ。
 結局、時間の問題もあって病院にはいかなかった。年度が変わって疲れが取れれば、いずれ腫れも引くだろうという楽観もあった。井上友子には武器がある。女手一つで子供を育て上げた精神力と、男性にも引けを取らない体力だ。――そう思っていた。
 その矜恃が破れ、事態が思わぬ方向に進み始めていることをようやくにして自覚したのは、四月に入ってからだった。
 リンパ腺の腫れが引かない。二日間貰った春休みは、自宅で充分な休息を取った。なのに偏頭痛、微熱、吐き気などが断続的に続いて収まらない。また、左耳がときどき酷く聞こえ辛くなる症状にも悩まされていた。風邪ならいつも二、三日で完治させてしまう人間である。こんなに長く体調不良が続いたことはなかった。

 ――四月四日、月曜日。友子は午前中に休みを貰い、健康診断を受けるつもりで職場近くにある大学病院の耳鼻咽喉科を訪れていた。
 週明けだけあって院内は混んでいた。一時間待たされてようやく、大学病院のそれにしてはこぢんまりとした診察室に入る。即座に簡単な問診と、腫れの引かない首リンパ腺の触診が行われた。これで医師は所見を出し、簡単な注射の一本でも打たれて診察は終わるはずだった。根拠はなかったが、確信してさえいた。生活が著しく不規則なものになれば、リンパ腺の腫れくらいは出てもおかしくない。むしろ、当然である。そのように叱責されることを心配していたほどである。
 だが医師の反応は真逆だった。彼はファイバースコープを持ち出し、鼻の中を少し見てみたいと告げた。初めての経験であった。鼻腔に異物が進入してくる違和感と息苦しさに、思わず生理的な涙が零れた。
「――少し気になりますね」
 羞恥心を誤魔化すように手早くハンカチで涙を拭っていると、検査を終えた医師は眉根に小さく皺を寄せて言った。
「午後にお時間はありますか。詳しく調べてみたいのですが」
 予想もしない展開に困惑し、そんな暇は無いと一度は断った。が、医師は譲ろうとしない。仕方なく会社に連絡を入れ、引き続き午後から精密検査を受けた。
 生まれてこのかた大病を患った経験などなかった。会社で毎年受ける簡単な健康診断が、医師と持つ接点の全てと言える人生だった。採血、生検、頸部の超音波検査、X線検査、CATスキャン。大掛かりなこれらの作業に、友子は終始、戸惑いっ放しだった。
 少しリンパ腺が腫れたくらいで、なぜ大袈裟な検査を受けなくてはならないのか全く理解できなかった。仕事はなるべく休まないようにしていたのである。同僚に迷惑をかけたくなかった。
 仕事と言えば、兄の英文は今年からシンガポールへ単身赴任となったという話であった。子供の問題で一〇年以上前に離婚した、気は良いが不器用なところのある男だ。慣れない海外でうまくやっていけるのか心配で仕方がない。その兄の一人息子で、進路問題の都合で日本に残ることになった陽祐は、数日後から隣家で独り暮しということになる予定だった。今日、まさにそのための引越しが行われている。陽祐はまだ未成年であるし、生まれたときから母親の存在を知らない子である。第三の家族として受け入れ、大作共々きちんと面倒を見ていかなくてはならない。
 家族が三人になるのは、もう何年ぶりのことだろう、と友子は遠く思った。初めて受けるCT検査は、寝台に寝かされ奇妙な装置に放り込まれて以来、何が行われているのか全く分からない。
 医師が何を見てどんな危惧を抱いたのかは知らないが、杞憂に終わるに違いなかった。そんなことよりも、考えなくてはならないことが山とある。それらの思考に己を埋没させているうち、全ての検査はいつの間にか終えられていた。
「検査の結果が出るには、数日から一週間ほどかかります」
 医師はそう言って、その日の友子を解放した。


to be continued...
つづく