FILE:013 <Smython .357mag VS Glock17>


 あの時は……確か、フリージアの花だったな。
 表裏を何度も入れ替え宙を舞うコインを見詰めながら、そんなことを考えていた。
 夕陽に透けて、紫色に見えた一枚の花弁。花言葉は、純潔と無邪気。風に散る、花びらと花言葉か。決闘の幕開けにしては、なかなか気が利いた話だ。
 ――あれから三年。
 色々と状況は変わったが、ひとつだけ変わらないこともある。
 それは、彼がやる気で、僕がやる気でないということだ。
「でも、今度は……!」
 甲高い音を立てて、銀色のコインが甲板に落下する。
 その瞬間、体ごとバックステップ。スウェーしながら、武器に選んだ <スマイソン357マグナム> を抜く。

 決闘の始まりを告げる銃声は、殆ど完璧なまでに同時だった。向かいから飛んできた九ミリ弾が、僕の左耳たぶを掠めていく。
 夜闇の中に発せられた一瞬の閃光に、鮮血が舞うのが見えた。
「ちっ!」
 緊急用のロープが収められた金属製の大きな箱の陰に飛び込み、僕は小さく舌打ちした。
 耳たぶだから痛みはない。だが、アスカの五〇口径に撃たれた左肩がズンズンとナイフで突かれる様な痛みを絶えず発している。
「ピアスは嫌いなんだけどな。どうせならイアリングにしてもらいたいね。」
「そうなのかい?」
 暗がりの向こうから、どこか音楽的な声音が返って来る。上手く反響を利用しているせいで音源はキャッチできない。流石は最強として傭兵社会の頂点に上り詰めた男だ。隙がない。

「だったら、アスカは君好みの女性だということになる。彼女はピアスをしないひとだからね。」
「――それは良かったよ。こうなったらもう、結婚するしかないかな?」
 口にして、我ながら苦笑いを禁じえない。本当にそうしようかな。
 もしも、この戦いを上手く切り抜けることができたら……彼女に結婚を申し込むのも悪くはない。
「フフ。それは無理な相談だね、碇シンジ君。ボクはそれを阻止するために、こうして君と戦っているのだから。状況を正しく認識すればそれくらいは分かるはずだよ?」
 確認するまでもない。状況は最悪だった。抜き撃ち〇.四秒を誇る射撃の名手相手に、左腕を完全に使えない状況で挑むのだ。こうしている間にも刻一刻と傷口から体力が漏れ出ていくような錯覚に陥るほどに、体力低下は著しい。
 それに痛み止めとして打ったモルヒネの副作用も無視できるものじゃない。
 考えなくても、長期戦は不利だ。

「長くは……もたないな。」
 だが、光源の一切ない夜のデッキは、殆ど完全な暗黒を形成している。
 相手は移動の時でも完全に気配を断って動くだろうから、銃声と、火薬が発する一瞬の閃光で相手の位置を測り、それを目安に攻撃するしか戦う術はないわけで。
 そうなると、嫌でも長期戦になることは避けられない。
「こりゃ、奇策でも用意しないと。」
 こんなに『勝てる気がしない』戦いは初めてだ。これまでどんな窮地に陥っても、心のどこかで必ず勝利の確信を抱いて戦うことができたのに。
 今は何故だろう、全然、勝てるっていう気分がしない。だけど死ぬわけにはいかない。もし僕がここで負けて殺されたら、多分アスカを呪縛している過去は一生消えることなく彼女に付き纏い、彼女を苦しめ続けることになる。それだけは、避けなくてはならない。


 再び銃声が響いた。それと同時に、僕の傍らでチュイン! という兆弾の音が炸裂する。
 あと五〇cm左にズレていたら、まともに食らっていたところだ。
「くそっ!」
 僕は銃声の発せられた方向と、火薬が弾けた瞬間に生まれた白光からカヲル君の位置を予測し、その場所に向けて二発撃ち込んだ。
 そうして相手を足止めしておきながら、素早く場所を移動する。
「殺すには、やはり惜しい腕だよ。シンジ君。」
 闇の向こう、決闘には場違いな程に涼やかな笑い声が聞こえてくる。
 やはり、巧みに音の反響を利用しているせいで、声から彼の居場所を特定することはできない。
 武器がハンドガンでなく、アサルト・ライフルで弾にも充分な余裕があるというのなら、撃って出るのも手だが――。
「世界最強の評価を得る傭兵にそこまで言われるとはね。光栄だよ。」
「決着をつける前に、一つ訊いておきたい。」
 声の温度が下がった。氷炎。凍て付くように冷たいのに、だが燃えるような激情を潜ませた凄絶な気配が伝わってくる。
「君と言葉を交わすのも、これが最後の機会になるだろうからね。何でも訊いてくれ。」

 勝負の方法は、三年前と同じ。武器はハンドガン。デッド・オア・アライブ――即ち、勝って生き残るか、敗北して死ぬか。これはどちらかが相手を殺すまで終わることのない、正真正銘のデス・マッチなのだ。考えなくても、これが二人が心臓を動かしたまま話す最後の機会になることは明らかである。
「何故、あの時アスカを撃った。」
 訊かれるとは思っていたが、それでも返答に迷った。全てはそこから始まったのだから。
「あれは、僕なりの決着のつもりだった。だけど、まだ幼かったんだね。」
 きっと鏡を覗き込んだら、そこに自嘲的な笑みを浮かべた男の顔が映るだろう。そんなことを思いながら、僕は一言一句を噛み締めるようにして言った。
「決着のつもりの一撃はただの逃避でしかなかった。あの時の僕には、まだ何の覚悟もなかったんだ。君を殺す覚悟も、アスカへの想いを断ち切る覚悟も。」
 決闘を申し込まれたとき、『この時が来たか』と自分でも冷たいくらい心は平静を保っていた。でも、出した結論はこの上なく中途半端で。或いは、僕のその不甲斐なさが、幼さが、こんな無意味な戦争を呼び起こしたのかもしれない。
「君は、あの時アスカを殺した。殺すつもりで撃った。何故、どうしてそんなことができた?」
「ひとの心は侭ならないものだよ。ロジックじゃない。それにカヲル君、世にはハッキリさせない方がいいこともあるんじゃないのかい?」
 彼はまだ気付いていないか。覚悟のない人間が好きな女を殺す気で撃てるわけないだろう。殺すつもりなんてさらさらなかった。僕が撃ったのはウイングマークだ。僕がアスカへ送った最後のプレゼントだったんだ。そして、それが何を象徴していたかアスカ本人は、もう気付いている筈だ。

「……少し喋りすぎたようだな。」
「全くだよ」
 それきり、声は夜に溶け込むように消え去った。
 デス・マッチ再開というわけだ。殺し合いをしている相手と呑気にお喋りしていたことに気付き、僕は声を立てずに笑った。
 ――しかし、ずっと気になっていることなんだけど。さっきの敵の射撃、どうしてあそこまで正確だったんだ? 何故だ。どうやって、この闇の中で僕の居場所を知ることができた?
 船首側デッキは、恐らく故意にセッティングされたのであろう、全ての光源が破壊されている。電源は落とされ、辺りを照らし出してくれる電灯の類いは一切ない。
 三六〇度、見渡す限りの地平線と、そして風に運ばれてくる潮風、潮騒。夜の暗闇に閉ざされたこの場で頼りになるのは、朧に浮かぶ月の光と、傭兵として鍛えた技術と経験、そしてカン。それだけだ。
「匂い、か……風上に立っていると、それで位置を知られる。」
 あり得ない話ではない。彼ならそれくらいのことはやってのけるだろう。潮風は独特の香りを含んではいるが、今の僕は出血している。血の匂いが微かでも混じれば、戦場で一〇年以上生きてきた傭兵である彼なら、それを嗅ぎ分けてみせる筈だ。
「いや、それだけじゃないな。それにしては、あまりに正確に位置を探り当ててきた。」

 この戦い、単なる銃撃戦に終わらない。
 どちらかと言えば、推理合戦だ。限られた情報量から、的確なデータを抜き取り、そしてより正確に相手の居場所を推理する。先にビンゴを当てたほうが、勝つ。
「考えろ。考えろ、シンジ。お前が渚カヲルなら、どうやって相手の位置を突き止める。」
 僕には、彼がどこにいるのか検討もつかない。
 なのに、向こうは正確にこちらの居場所を掴んできた。何故だ。何故、そんなことができる。
「まさか、見えるのか。」
 スターライト――暗視スコープ。暗闇の中でも、僅かな光を集めて周囲を見渡すことが出来る、軍が開発した装備品のひとつだ。だが渚カヲルという男の性格を考えれば、その可能性は低い。
 ハンドガン、つまり拳銃一丁のみを用いたデッド・オア・アライブ。それは彼が自ら提示した条件だ。自分から言い出したからにはそれ以上の装備を例え武器ではないにせよ、使ってくる男じゃない。
 勿論、それはこの三年間で彼の人間性が大きく変わらなかったという前提があっての話だが。
「いや、待てよ……」

 だが考えを纏めるよりも早く、また二発、一〇時方向から弾丸が飛んできた。
 不意を突かれて避ける間もない。だが幸運にも一発はデッキの床に、もう一発は隠れていたドラム缶に当たって弾けた。
 しかし今度もまた、かなり的確に狙ってきたことになる。少なくともドラム缶がなかったら一発は食らっていただろう。
「流石じゃないか!」
 また音と刹那の閃光を頼りに二発撃ち込み、僕は場所を移動する。動いては撃ち、動いては撃ちと、絶えず移動を繰り返していないといずれ捉えられることは必至だ。
「分かったぞ……やはり、暗視だな。」
 スコープを使った、光学的な話じゃない。長く傭兵生活を続けていると、『夜目』が発達するんだ。二四時間、絶えず光に溢れた文明国家日本で生活していた僕と比べ、戦場を駆け回っていた彼は夜の暗闇の中でも物を見通すことができる視力が異常に訓練されているわけだ。だから、僕が何も見えない闇の中にいるにしても、彼には見える。
 ボンヤリと動く人型くらいは、その肉眼で捕らえることが出来るのだろう。つまり、もう一つ決定的なハンデが僕にはあったということだ。僕は元傭兵。対する彼は、現役の傭兵。この違いである。
「こりゃ、大きいぞ……ズルイ!」
 腕は互角。鼻と眼は向こうの勝ち。
 左腕は使用不能、モルヒネで頭は朦朧と仕掛けてる。状況は最悪だ。まともにやり合って勝てる相手じゃない。
「でも、やらなければ殺られる。いくしか……ない。」
 渚カヲルの武器は、グロック17。
 これまで五発撃ったが、チャンバーに予め弾丸を込めていなかったと考えても、まだ一〇発以上弾が残っている計算になる。
 対して、こっちは『スマイソン』。
≪コルト・パイソン≫と≪スミス&ウェッソン≫を合成した、リボルバータイプである。
 これはシリンダーに六発の357マグナム弾が装填できるタイプで、使い勝手、グルーピング(命中性)、精密性、共に抱きしめてキスしたくなる程高い。プラス弾の威力も敵のグロックを大きく上回っているが、問題は……。


 場所を変えようと走り出した瞬間、再び二発の銃声。
 一発は完全に外れたが、一発が鼻先を掠めていく。
 ちょっと良いパンチを食らったような衝撃が、鼻っ柱を叩いた。
 拳銃の弾丸ってのは、初速は音速を超えるくらいに速く飛ぶ。掠めただけでも、それなりの衝撃が襲ってくるわけだ。
「あと五cmズレてたら死んでたところだ! 僕を殺す気か!」
 体を宙に投げ出し、横っ飛びしながらお返しの一発を撃ちこむが、手応えがまるでない。
 しかも、コッチはこれで六発全弾撃ち尽くして弾切れだ。
 柔道の『前回り受け身』の要領で肩から着地すると、僕は地面を転がりながら空薬莢を捨てた。
 パラパラと、デッキの固い床に鉛の抜けたカートリッジが落ちる。この甲高い連続音も、向こうに捉えられているはずだ。居場所を宣伝していることになる。
 弾の交換を急がなくては――!
「……クッ!」
 だが、負傷している左肩が思うように動かないせいで、何時ものような流れる動作での弾の交換が出来ない。
 リボルバー使いは、この弾の装填速度が命となってくると言うのに……!
 焦りを理性で捻じ伏せ、痛む肩の痛みを無視しつつ懐からスピードローダーを出す。
 そして、手早く六発の弾丸を再装填――しようとした、その時だった。

「SMOLTは、確かに良い銃さ。」
 背後から、聞き慣れた音楽的な声が聞こえてきた。
 それは聞き違えようはずもなく――渚、カヲル。
「装弾数が、僅か六発だという点を除けばね。」
 グロックの銃口が、膝を突き357マグナム弾の再装填をしようとしていた僕の背にピタリと向けられているのが、かつて傭兵として鍛えた勘と気配で分かる。
 振り向いた瞬間、心臓を撃ち抜かれることは必至だ。
「オートマチックのUSPも持っていたのに、まさかこの後に及んでスモルトを選択するとはね。その銃は、傭兵時代からの君のお気に入りだった。――あの頃から思ってたんだよ。君のその可笑しな趣味は、何時か命を縮める要因になるだろうとね。奇特なところは三年経っても変わらなかったというわけだ。碇シンジ君。戦場でリボルバーを使う人間なんて、君以外にそうそうお目に掛かれるものじゃないよ。」
「結構、思い出深い一品なんだよ。この銃はね。何度も命を救われた恩義もあるし。僕は気の利く美人よりも、気心の知れた不細工の方がいいんだよ。例え、不器用というオマケがさらに付いてきてもね……」
 こんな場面でも、減らず口を利ける僕に乾杯だ。この性格、我ながら嫌いになれない。
 僕は堪え切れずに、そっと唇の端を吊り上げてみせた。

「――その銃へのこだわりが、君の敗因だよ。碇シンジ君。僕はこのグロックで、既に君より一発分多い七発の弾を撃ったが、それでもまだマガジンには、君を撃ち殺すには充分過ぎる弾丸が残っている。」
 僕は動けずに、その言葉を背中で聞くしかなかった。
 振り返っても、飛び退いても。微動でも僕が動きを見せれば、彼は躊躇いなく引き鉄を絞る。
 グロック17は、世界中の警察関係機関が使っている良い銃だ。  だが、九mmパラベラム弾は威力が低い。マン・ストッピングパワー(人体阻止能力)に至っては、軍や特殊部隊が使う四五口径の約半分。当然殺傷能力も落ちるから軍事行動には向かないわけだが、それでも真後ろの至近距離から、脳や心臓に複数発も撃ち込まれれば、どうやったって死ぬだろう。
 僕は防弾チョッキなんてお洒落な装備は持っていない。
 銃弾を直接的に防ぎ、命を守る手だては……ない。
「――さあ、王手チェックだ。」



to be continued...


■初出

FILE 18「王手 Smython .357mag VS glock17」2001年

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。

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and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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