FILE:012 <Dead or Alive>


「いつか――」
 銀色の髪が風に踊る。
「いつの日か、こんな時が来ることを、僕たちは恐れていた。」
 その声に僕は頷くことでしか応える事はできなかった。言葉が口をつけば、それがあまりにも残酷すぎるものになることを知っていた。
「そして恐れながらも、僕らは崩壊を食い止めることが出来なかった。それを運命と呼ぶのなら、これほど哀しいことはない。」
 向かい合う彼が、戦友であった男が微笑む。だがこの場にふたりが対峙したその瞬間から、全ての関係は破綻していた。
「運命か。確かに人間の力では決して変えられない、逃れられないカタストロフもあるようだ。今の僕らの様にね。」
 ――だから、この悲劇に結末をつけよう。
 僕らは、静かに頷きあった。瞬間、ふたりの間を一陣の突風が駆け抜ける。揺られたフリージアの花弁が一片、ゆるやかに宙を舞い、そして地に落ちた。
 それがはじまりの合図となった。

「碇シンジ!」
「オオッ」
 己の愛銃を抜き、構える。ふたりの抜き撃ちの技術は全くの互角だった。
 そして破滅の引き金に両者とも力を込める。
 その瞬間だった。ふたりの間に割込むように一つの人影が躍り入る。銃を構えた僕らは驚愕に身を強張らせた。
 アスカ・ラングレー。思えば彼女が女であり、そして碇シンジと渚カヲルが男であったという時点で、この破滅は約束されていたのだろう。
 共にかけがえのない時を過ごしてきた戦友、そして誰より大切な女。アスカの存在は碇シンジと渚カヲルにとってまったく同じ意味を持っていた。
 だから――

 その彼女が今、僕らのデュエルを阻止するために現われる。蒼い瞳に涙を秘めながら。
 彼は、撃てなかった。
 当然だ。それは僕たちが狂おしいまでに求めたもの――全ての始まりともなったアスカ・ラングレーその人の泣き顔だったから。
 だが一瞬の逡巡の後、僕は引き金を絞った。
 撃てば、彼女はきっと誤解してくれるだろう。碇シンジとは、止めに入った戦友を撃ち殺してまで最強の称号に固執する男だと。私を撃ち殺そうとした男だと。きっと彼女はそんな風に考え、碇シンジに絶望するであろう。そう、思ったから。
 だから、僕は引き金を絞った。狙いは左胸。心臓だった。


――えっ。シンジ、これ、あたしに?
――幸運のウイングマークだよ。本当は戦闘機のパイロットなんかが持ち歩くものなんだろうけど。
――本当に、ホント〜にあたしにくれるんでしょうね? 前みたいに、「な〜んちゃって、ウソよねん」とか言い出したら、コロスわよ?
――今回は、ジョークはナシだよ。だってホラ、今日ってアスカの誕生日でしょ。
――あ。
――なにさ、その「あ」って。忘れてたの、もしかして。
 まあ、いいや。とにかく孤児院に寄付しすぎてお金なくてさ。そんなものしか買えなかったんだ。アクセサリィにすらならないだろうから、お守りにでもして。
 大丈夫、アスカは飾り物なんかつけなくてもいつだって綺麗だから。アクセサリィなんて必要ないんだ。いや、別にちゃんとした飾り物を買ってあげられなかった言い訳じゃなくてだよ?
――うん、わかってる。ありがと。シンジが私にプレゼントくれたの、はじめてだよね。大事にするから。左胸のポケットに、いつも入れとくね。
 ハートに一番近い場所。今日からあたしのお守りよ。


 潰れやすい弾丸を選んだ。正確に狙えば、ウイングマークがそれを受け止めてくれる。アスカに被害が及ぶこともあるまい。
 だが、そうした目論みを知らない人間が客観的に見れば、それは僕がアスカを撃ち殺そうとしたようにしか見えない筈。
 アスカは、それで僕に見切りを付けられるだろう。僕に幻滅し、僕を捨てることができるだろう。そして、躊躇することもなく渚カヲルを選べるだろう。
 カヲル君は、僕を殺してでもアスカをその手に抱こうという強い意志を持っていた。でも僕にはそこまでの勇気がなかった。選べなかったのだ。踏み出せなかったのだ。親友の命を奪い、楽しくて無邪気だった三人組みを破壊し、そうまでしてアスカを求めることに。
 だから、逃げた。
 碇シンジ、最初で最後の逃避。
 そしてアスカ・ラングレーと渚カヲルが残る。碇シンジは千切れた過去の記憶と共に消えていく。
 散りゆく花が似合いのこの崩壊劇は、それで終わる筈だった。
 終わる……筈だった。


「君が去った後、僕とアスカは二人で傭兵を続けた――」
 おもむろに、そしてゆっくりと、かつての戦友渚カヲルは語り出した。
「あの時、君の撃ち放った弾丸は、幸運にも彼女がお守りにしているウイングマークに当たったんだ。 左胸のポケットに収められた羽の形をした金属製のアクセサリー。彼女お気に入りのそれが、あの時その命を救った。もし、あれがなかったらアスカは心臓を打ち抜かれ確実に死んでいただろう。」
 一瞬、彼女に視線を向ける。だが彼女はただ人形のようにそこに在るだけだった。その瞳でさえ何も語らぬまま沈黙を守っている。
「アスカは最高のパートナーだったよ。あれからたった一年半で、僕らは最強の兵士として傭兵世界に君臨するようになった。あらゆる思想、あらゆる宗教、あらゆるイデオロギィをもった様々な権力者が我々の力を求めてきた」
 渚カヲルはそこで一旦言葉を区切ると、その長い睫毛を微かに伏せ自嘲的な微笑を浮かべた。
「よもや、この身体のことまで読まれていたとはね。いつから気が付いていた?」
 彼は静かに問うた。その鋭い面持ちは、とても死に至る病を抱える男のものには見えない。
「別に読んでいたわけじゃないよ。ただ、この一連の事件の中で、不意になにか鬼気迫る意志のようなものを感じることがあった。あとは君と実際に顔を合わせて、確信を得ただけさ」
 命が尽きる前に、碇シンジとの決着を。
 そう考えれば、この三年間沈黙していた彼らが突如僕の前に姿を現したのにも、説明がつく。僕なりに、現実を自然な流れに沿うように読んでいけば当然至る結論だった。

「宣告されたのは、三ヶ月前だ。悪性の増殖細胞にやられてね」
「増殖細胞?」
「いわゆる腫瘍。ガンさ。できた場所が悪かった。頭蓋の内側なんだよ」
「脳に――、近過ぎる」
「ああ。近すぎた」僕の言葉に、彼は頷いて見せた。
 アスカは、先ほどからカヲル君の傍らに立ったまま、彫像のように微動だにしない。
「見つかったのが遅過ぎてね。脳に近いから下手に手術もできないし、放射線や化学療法の効き目も薄いと言われた。現代の医学ではどうしようもないと、もう手の施し様がないと」
 彼は薄く笑った。
「あと半年だと言われたよ」
 また、重い沈黙がその場を支配する。
「――勝負の、方法は?」
 もう、これ以上の言葉は必要ないと思った。この部屋のドアを潜るときから、こうなるであろうことは心の何処かでわかっていた。だから僕は問うた。
「Dead or Alive。一対一。武器はハンドガン一挺のみ。場所は船首側デッキ。三年前と同じルールだ」
「分かった」
 応えた僕のその声は、酷く掠れていた。







 シンジ……
「――勝負の、方法は?」
 カヲル……
「Dead or Alive。一対一。武器はハンドガン一挺のみ。場所は船首側デッキ。三年前と同じルールだ」
 また二人が闘おうとしている。殺し合おうとしている。最強の称号と、そして私――アスカ・ラングレーを賭けて。
 三年前のあの悲劇が、また繰り返される。
 あの時、私は二人を止めようとした。シンジとカヲル、共に引き金を絞ろうとする彼らの間に身を滑りこませた。必死だった。哀しかった。好きだった……。
 私は私たち三人を愛していた。二人ともを愛していた。子供の頃からずっと一緒だった彼らを誰よりも想っていた。
 私たちは、家族だった。でも、二人の男とそして一人の女でもあった。
 そう。唯一の女である私の存在が破綻を、あのカタストロフを引き寄せたのだ。

「分かった……」
 シンジは踵を返し船長室のドアの向こうに消えていった。決戦の場所は船首デッキ。一足先にそこでカヲルを待つつもりなのだろう。
 ドアが閉まる。静寂が訪れる。
 また、私は止められないのか――
 あの時、カヲルは身を躍らせた私を見て撃つのを躊躇った。そして最後まで撃つことはなかった。
 だけどシンジは撃った。一瞬の躊躇の後、私を撃った。私を殺した。
 殺そうとした。
「アスカ――」
 装備を整えたカヲルがドアの前で立ち止まり、そして私を振り返って言った。
「君はここで待っていてくれ。僕らは全てに決着をつける。そして勝利者が……生き残ったものが、君を迎えに再びこのドアを潜って現われるだろう」
 私は声にならない悲鳴を上げた。だが、体は動かなかった。ビクリと震えるだけで、やはり彼を止めることは出来なかった。
 ドアがゆっくりと開けられ、そして閉ざされる。
 男たちのラスト・デュエルが始まる。

 シンジ……
 シンジ……
 どうして消えちゃったの。どうしていなくなっちゃったのよ。一言の言葉もなく、どうして去っていったのよ。
 おバカなシンジ。お調子もののシンジ。いつも笑顔のシンジ。
 へらへら笑って。ふらふらいい加減で。でも、目はいつも哀しげで。
 私は、シンジを癒したかった。明かりのない寒い夜のようなあの瞳に、ただ温もりを教えてあげたかった。
 優しくて強くて、ホントは誰よりも孤独なシンジ。私の碇シンジ。
「――あたし、確かめたかったのよ」
 だから、カヲルに協力した。
 あの時、シンジは私の心臓を撃ちぬこうとした。でも、彼は本当に私を殺そうとしたのか。もしそうだとするなら、一瞬見せたあの時の躊躇、あれはなんだったのか。
「シンジ。貴方は、本当にあたしを殺すつもりだったの?」
 直接彼に問いたかったその言葉が、誰もいない静かな室内に染みこむように消えていく。
 この二年間、ずっと悩みつづけていた。そのことばかりを考えていた。
 シンジはそんな奴じゃない。決闘を止めに入った女を撃ち殺すような男じゃない。絆を自ら破壊するような人間じゃない。
 でも、彼が引き金を引いたのは紛れもない事実。私の姿を見て止めることもできた筈なのに、一瞬の逡巡を置いて死の弾丸を放ったのは真実。私を狙って撃ったのは、覆ることのない現実。
 なにを信じればいいのか、誰を愛せばいいのか。私には、もう分からなくなってしまった。
「どうすればいい。あたし、どうしたらいいの……」

 ……ォオン……

 返ってきた答えは、デッキから木霊する銃声だった。
「はじまったんだ……」
 このデュエルの決着をつける最後の銃声が鳴り終えた時、シンジか或いはカヲルが死ぬ。
 シンジが、死ぬ……
 死ぬ……?
 身も凍りつくような戦慄が、全身を走り抜けていった。押し潰されそうなほどに胸を圧迫する恐怖に、体が震えだす。
「いや……」
 それだけは、絶対に、イヤ。
 どんなに辛いことがあっても耐えて見せる。哀しくても、辛くても我慢する。でも、もしシンジが死んじゃったら……耐えられない。私は、生きていける自信がない。
 たとえカヲルがいなくなっても、でもやっぱりシンジは。あの人だけは、失えない。

 愚かな、アスカ――
 私は今、漸く、その答えに行き付いた。本当は、悩むことなどなかったのに。考える必要なんてありはしなかったのに。碇シンジなら当たり前のことなのに!
「あたしはシンジを失うわけにはいかない」
 そして今度こそ、ふたりの哀しい決闘を止めなくてはならない。
 私は船長室を飛び出した。



to be continued...


■初出

FILE 17「追憶 Dead or Alive」2000年12月02日

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。

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and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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