FILE:011 <Friend>


 傭兵業なんてもので生計を立てていた以上、然るべきことではあると思うが、僕は過去に『これは死んだな』と自分の人生を諦めかけたことが何度もある。
 しかし今回は、過去の事例とつき合わせても抜群にヤバイのじゃないかと思われる状況だ。
 いや――環境的条件だけを考えれば、まあ、それほど一大事と言うわけではない。
 確かに撃たれたせいで片腕はほぼ完全に使い物にならないし、体力もそう持たないだろうから長期戦は不利だろう。だけど、まったく武器を持っていない丸腰の状態というわけでも、絶対に守らなくてはならない人質を取られているというわけでもない。
 ある意味身軽だし、僕くらいの実力があればどうとでもできるシチュエーションだ。
 問題はただ一つ。敵が、今まで相手にしてきた人間の内でも文句なしの最強であろうということだ。
 正直、この戦いに何の意味があるか僕にはサッパリ分からない。個人的には、もう彼らとは終わったつもりだったから。
 だけど、彼らにとってまだ碇シンジは終わった存在ではなかったらしい。
 だから、僕は決着をつけなくてはならない。
 その決戦の場として指定されたのが、――今、目の前にしている船長室だった。
ゴクリ……
 緊張が高まる。硬く握り締めた掌が、汗でジンワリと滲んできたのが分かる。
 流石の僕も、史上最強の敵を前に緊張を隠しきれ……
「――いや、まてよ。」
 舞台や映画に例えるなら、今は最終決戦を目の前にしたクライマックス。佳境だ。
 そんなシーンにおいて、緊張に体を強張らせながら慎重な足取りで決戦の場に向かうのは、並の主人公なら誰でもやることだ。
 だが、僕は碇シンジ。何でも屋『イカりん』代表取締役社長。独身。あまつさえハンサム。加えて、若くてピチピチしているという、恐らく只者ではなかろうと思われる主人公だ。
 その僕が並のヒーローと同じような行軍をするなどというのは、神を冒涜するにも等しい、時田君に劣るとも勝らない最低愚劣な畜生行為だ。ハッキリ言って、時田君なんて人間のクズだ。ゴミだ。ダストだ。

 ……と、なると、ここはやはりアレしかないだろう。そう、スキップだ。
 スキップ、スキップ、ランランラン♪ の、あのスキップだ。
 緊張感とは無縁の爽やかな微笑、きらめく汗、跳ねるような足取り、そして調子っ外れな鼻歌を同時に実行しながら軽やかにリズミカルに進む、最終決戦への道。多分、残された道はこれしかない。
 今、突然、僕はそう確信した! 間違いない、間違いないとも!
「よ〜し、そうと決まれば……」
 僕は、クルリと踵を返すと来た道を速やかに引き返すことにした。そして先ほどまで休息を取っていた客室までわざわざ戻る。やるなら徹底して、とことんやり遂げるのが僕の良いところだ。中途半端なところで妥協なんて出来ない。それが僕、碇シンジなのだ!
 ――というわけで、僕は行軍を最初からスキップ方式でやりなおすことにした。
 スタート地点から、もう一度。今度は心軽やかに、楽しく、リズミカルに、だ。
 いくぞ、シンジ!
 自らにカツを入れると、僕は意気揚々とその記念すべき第一歩を踏み出した。

 フワリ……
 スキップ走法により、体が宙に舞う。
 口元には爽やかな微笑。キラリ、光る白い歯。煌き飛び散る、美しい汗の雫。
 そしてなにより、歓びに満ち満ちたこの弾む心。
美しい……。
 あまりの美しさに、我ながら酔いしれてしまいそうだ。
 もはや、今の僕の姿を見てまさか最終決戦の殺し合いの場に向かおうとする戦士だと予想する者は誰もいまい。
 それはつまり、僕が並の主人公ではないと証明されていることに他ならない。
 ――だが、そんな完璧なプランにもたった一つだけ致命的な欠陥があった。

「グアッ!?」
 何の前触れもなく、突如、利き腕である左の肩に激痛が走った。
 そう、スキップとは全身をフルに使って歓びを表現しつつ軽やかに歩行するという、一種肉体を用いたアートであり自己表現の手段だ。
 あまりの美しさにスッカリ忘れていたが、五〇口径の弾丸で左肩を撃たれている状態で、そんなスキップなんぞにチャレンジすれば、傷口が開くのは必定――当たり前である。
「い〜〜た〜〜い〜〜!」
 ゴロゴロゴロ。
 暫くのた打ち回って、その痛みを表現してみる。
 いや、冗談ではなく、本当に転げまわるほどの痛みが僕を襲っていた。美しさを追求するあまり、その代償として要求されるものに気が回らなかったのだ。今更だが、僕は自分が普通でない主人公であることを激しく後悔していた。

 ――結局、なんとか痛みが引いた後、普通に歩いてもう一度船長室へ向かうことにした。
 なんだか、クライマックスに至りながらも非常に無駄な時間を浪費してしまったような気がするのは果たして気のせいだろうか。
 なにやら複雑な心境のまま、僕は再び先ほど辿り着いた船長室へ至るドアの前に立っていた。
 船首側のデッキに一度出て船尾方向を向いた時、真正面に見える大きな扉。それが僕が脳内に記憶している船長室へと続く唯一のルートだ。
 一巡目の途中四〜五人の傭兵を片付けて、漸く辿り着いた指定の場所。
 無意味に引き返して、またやって来た……決戦の場所である。
「ノックするのも変か」
 基本的に彼らはここまで来た人間にワナを張るタイプの人間ではない。もちろん、この三年間で大きく人間が変わっていなければ――の話だけど。
 今は、とりあえず彼らの人間性が致命的なまでに歪められていないと、信じるしかない。僕はゆっくりとノブに手を伸ばし、それを回した。鍵は掛かっていない。
 拍子抜けするほど、ドアは簡単に開いた。開けたドアをくぐると、短い通路が真っ直ぐに伸びているのが分かった。ちょっと薄暗いが、辺りの物が見えないほどではない。
 通路の行き止まり、終着点には船長室への最後のドアが見える。
 ここまで来て躊躇しても仕方がない。そう自分に言い聞かせて僕は歩を進めた。
 最後の舞台へと続く花道は短く、すぐに突き当たった。
 緊張は消えうせ、不思議と自分が冷静になっていくのを僕は感じていた。
 きっと、楽観を捨てたからだろう。もう、何かを失わずにこのドアを再び潜ることはない。いや、生きてこの部屋から出ることすら叶わないかもしれない。そう覚悟を決めたから。
 だから冷たいほどに今、自分は冷静でいられるのだろう。
「……お邪魔するよ。」

 その向こう側にいるであろう人物に確実に届くような音量で言葉を発しながら、運命のドアを開く。夜の海、船内の薄明かり。それとこの船長室とのギャップに目が慣れるまで、恐らくほんの数秒しか時間はかからなかっただろう。
 だけど僕は、その数秒をとても長く感じた。
「ようこそ。」
 眩いばかりに明るい船長室。広い室内の一番奥に、その声の主はいた。
「待っていたよ、碇シンジ君。」
 長い銀色の髪。そして赤味がかった茶色の瞳。病的と表現される一歩手前、微妙なほどに美しい白の肌。――彼は三年前と少しも変わっていないように見えた。その口元に浮かんだ涼やかな微笑さえも。
「やあ、久しぶり。元気だった?」
 片手を上げると、にこやかに挨拶を返す。
「……ちなみに、僕は今あまり元気じゃないけどね。」
「相変わらずだね、キミは。」
 彼は少し残念そうに言った。いや、残念がっているのは確実だ。なにしろ次の言葉で彼自身がそれを認めたのだから。
「僕の姿を見ても驚かないんだね。ちょっとリアクションを期待したんだが……残念だがキミは、全てを予測していたようだ。流石だねシンジ君。」

 どれくらいあるだろう。とりあえず、僕の事務所よりかは確実に広いと思われる船長室。
 床には真赤な絨毯が敷かれ、室内のあちこちには趣味の良いアンティークものの家具が色々と配置されている。海でとれるアクセサリーや飾り物――巨大なパールや、見たこともない貝殻なども部屋の雰囲気作りに一役買っていた。まさに船長室に相応しい造りだと思う。
 その室内で僕を出迎えてくれた人間が、今、二人並んで僕と向き合っている。
 一人は、執務用だろうか大きな木製のデスクに腕を組んだ格好で椅子に腰掛けた男。もうひとりは、その彼の傍らに立ち真っ直ぐに僕を見詰めている女性。
 かつての僕の戦友――渚カヲルと、アスカ・ラングレーだ。
「この舞台そのものを巨大なトラップとするセンス。大げさな仕掛けと演出。それにアスカ・ラングレーまでもが出てきたんだ。バックにいる人間は、自ずと知れてくる。」
 全てが、最初から渚カヲルの存在を示していた。彼が関係していなければ、アスカがこうまでするはずがない。彼が関係していなければ三人が再び顔を合わせるなんてありえるはずがない。
「エンドレス・デュエル――」
 無意識に呟いていた。
 終わらない戦い。終わったつもりだった僕には……
 最後の最後まで、たった一つの謎だった言葉。

「決着は三年前のあの日着けたつもりだったよ。少なくとも僕はね。そのための決闘だったし、あれで三人の道は定まった筈だった。……聞かせてくれないか、カヲル君。」
 まっすぐに、彼の目を見詰める。そして問う。
「君は僕に何を求めるんだい。君の中で続いている戦いとは、なんなんだい?」
「意外だな、最初に問われるのは人質の安否だと思っていたよ。」
 彼は不思議そうな顔をしていった。
「――あ。」
 人質と言えば時田君だ。色々あってスポーンと忘れていたが、一応彼が人質に取られたから僕はここに来たという設定なんだっけ。
 まぁ、いい。なんてったって、所詮時田君だ。
「今はそんなことはどうでもいい。僕はただ、決着をつけにきたんだ。過去を、清算しに来たんだよ」
 真っ直ぐに、渚カヲル――かつての戦友を見詰めながら、僕は言った。
「だが、僕はその過去は既に清算済みのものと解釈していた。だから聞かねばならない。知らねばならない。なぜ、その解釈が君たちと異なっていたのか。」
「文字通り決着さ。」暫くの沈黙の後、徐に彼は言った。「世界最強の兵士を決定するという意味での決着。そしてアスカ・ラングレーと云う名の女を巡っての決着。僕は三年前のあの結末で、その決着が付いたとは思っていない。そして――」
 その紅い視線を、傍らのアスカに一瞬向けると彼は続ける。
「それは、このアスカも同じだ」

 軽い、溜息を吐いた。なるほど、その言葉で全ては理解できた。
 つまり、三年前のあの小細工は、僕の逃避は、彼らには通用しなかったということだ。
「僕は裏世界から足を洗った。もう傭兵ではない。だから君に戦わずしてそのナンバーワンの称号を譲ったつもりだった。アスカに関しても……僕は……」
 分かってくれていたと、思っていた。そう信じたかった。
 2+1の、2の部分――つまり男のうちの一人が脱落すれば、その式は1+1となり、自然、解答は2と落ちつく。
 一人の男と一人の女、重なり二つに、そして一つになる。そうなると思っていた。
 それが一番だと思っていた。最小の破壊で終わる最良のカタストロフだと信じていた。たとえ裏切り者と罵られても、逃避と蔑まれても。僕は、ふたりとも大好きだったから。
 でも、君は――
「君は死ぬんだね、カヲル君。」
 沈黙が、降りた――。
「ああ。僕は、まもなく……死ぬ」



to be continued...


■初出

FILE 16「戦友 Friends」2000年

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。

<<INDEX Copyright (c) 2000-2004 by Hiroko Maki
and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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