FILE:008 <burn'ing heats on the road>


 まるで、ゴーストタウンに迷い込んでしまったかのような静寂。
 まったく生命の営みを感じさせない無機質な船内に、コツコツと二つの足音が頼りなく響く。
 ――もちろん、僕と時田君だ。
 公海上に浮かぶ豪華客船。
 一見華やかなその舞台は今、凶悪なテロリスト……ならぬ、傭兵団に占拠されている。
 人を殺すことに戸惑いすら覚えない、非情な武装集団。
 人質に取られた乗客たち。
 そして、逃げ惑う人々に襲いかかる追跡の魔の手。
 絶望と恐怖によって席捲された船内には、一筋の希望すら残されていないのか?
 否! 断じて、否!
 何故なら、その豪華客船にはとってもパワフルなナイスガイが乗り合わせていたからである。
 その名を、何でも屋・イカりん! すなわち、
 そう。今の僕は、殺人のプロフェッショナルたちに単独で挑み、正義を貫く不屈のヒーローなのだ。
 ……なんか、無性に燃えるものを感じてしまうシチュエーションである。
 まるで、映画の世界だ。
「はぁ〜。なんだか『ダイハード』のような展開になってきましたね……先生。」
 どうやら、時田君も同じようなことを考えていたらしい。疲れきった表情で、彼はそう言った。
「う〜ん。確かに言えてるね。」僕は腕を組みながら、その言葉に頷いた。
 時田君の言う『ダイ・ハード』というのは、前世紀のハリウッドで作られた、有名なアクション・ムービーのことだ。
 その大まかなストーリーはこうだったと思う。
 ――あるクリスマスの夜、インテリジェント・ビルがテロリストたちに突如占拠された。そして、ビルで行われていたパーティ出席者たちは、テロリストに人質に取られてしまう。<彼らテロリストの武装は完璧で、警察やFBIもなかなか手を出せない。
 そんな中、恐るべきテロリストたちに悠然と立ち向かった男がいた!
 偶然そのビルに居合わせた、ロス市警の刑事がそうだ。
 彼は、単独でそのテロリストに立ち向かい、人質たちを無事解放する。
 ああ、これぞアクション・ムービー。
 ……時田君の言う通り、今、僕らがおかれている状況は、この映画のシナリオと良く似ている。
 テロリストが占拠した場所を、インテリジェント・ビルから豪華客船に置き換えれば、殆ど同じと言っていいくらいだ。
 そういえば、ダイハードには続編があったなぁ。
 ダイ・ハードIIでは、インテリジェント・ビルに続き、今度は <空港> が占拠され。
 ダイ・ハードIIIでは、 <街> がやられちゃったような気がする。
 僕の予測では、次回作の『IV』あたりで、今度はアメリカ <本土> がまるごと占拠され、そして『V』に至っては火星人が襲来し <地球> が占拠される……予定だったのだが、残念ながらダイハードは『III』で打ち止めらしい。
「――ときに先生。」後ろをチョロチョロと着いてくる時田君が、僕に並ぶと言った。
「私たちは、一体どこに向かっているのでしょうか?」
「駐車場だよ。」僕は前を見据えたまま、短くそう応えた。
「駐車場……ですか。」
 時田君は、あからさまに『そんなところに、何しに行くんだ?』という表情をしている。
「まさか車で脱出しよう――なんて考えてませんよね?」
 僕の横顔に疑惑の視線を向けながら、時田君が訊いてきた。
「考えるわけ無いじゃない。ここは公海上だよ? 海の上を、車でどうやって移動するのさ。」
 僕はため息交じりにそう言った。
「いえ、それは至極もっともなお話なんですが……。先生なら、それくらいのことを考えてもおかしくないかなぁ〜などと思いまして。」
「……時田君。君、僕のことを激しく誤解してないかな?」
 と言うより、絶対に誤解してると思う。
「そうでしょうか? 私は正しく先生を認識していると思ってますが。」
「……」
 なんだか、とっても失礼なことを言われているような気がする。
「それで、先生。本当のところ、駐車スペースなどに何をしに行くのですか?」
 時田君は真顔に戻ると、改めて問い掛けてきた。
「ん、武器を取りに行く。」
「……武器、ですか?」
「うん。僕の車のトランクに積んであるんだ。」
 僕のその言葉に、時田君はようやく悟ったらしい。
「ああ! 事務所を出る時に何かコソコソと積み込んでいたのは、それだったんですか。」
「まあ、ね。ちょっとイリーガルな積み荷だったから、君には内緒で積み込んでおいたんだ。」
 駐車スペースに止めてある車のトランクには、 <ぴきゅ> ちゃんのマガジン(弾丸)や、手榴弾、少量だけどC四プラスティック爆弾が積んである。
 どれも、一〇〇人を越える傭兵を相手にするには、必要不可欠なアイテムだ。
「あれ?……ということは、先生。先生は、この船に乗り込む前から、『こうなること』を予測しておられたということですか?」
 時田君も、ようやくそこに気が付いたか。
 まったく。僕の弟子にしては、鈍いと言うかなんと言うか……。それくらいのことには、もっと早くに気が付いて欲しかった。
「その『こうなること』って、どうなることだい?」僕は呆けて訊き返した。
「ですから、クルーが実は傭兵達で、彼らが武力をもってこの船を占拠するということですよ。ここに来る前から武器を用意していたということは、それを前もって察知していたということでしょう?」
「察知と言われると、なんだけど――。確かに、こうなることをある程度までは予測できていたよ。」
「やはり……」時田君は何か思案するように俯きなから、そう呟いた。
「しかし、どうして分かったんです?」
「う〜ん。ま、カンってやつかな?」僕は鼻の頭を掻きながら、そう応えた。
 他にも言い様はあるだろうが、適当な表現が見つからない。経験則……にも似た、経験と説明不能な感覚に裏付けられた『カン』と表現するのが、やはり一番近いだろう。
「勘ですか……」
「もともと、これは単なるストーカー事件なんかじゃなかったんだよ。」
 これ以上、時田君に考えさせるのも酷かもしれない。
 そう思って、僕は事の真相を少しだけ解説してあげることにした。
「ストーカーじゃないって……綾波さんの件を言ってるんですか?」
「うん。そう。」僕は頷いて肯定する。
「どういうことなんでしょうか? ……そう言えば、さっきも綾波さんのことついて言及されてましたね。」
「うん。そうだね。」
 やはり、この一連の事件は彼女から始まる。彼女がキーとなることは、間違い無いのだ。
「時田君。考えてみて。……僕らがこの船に乗り込むことになったのは、そもそも何でだい?」
「それは、綾波さんのガードをするためでしょう。彼女はストーカーに狙われています。ですから、このパーティでも一応警護しておこうと……それでですね。」
「そう。その通り。僕らは、綾波さんを護衛するために、この船に乗り込んだ。つまり、僕らは綾波さんという女性に伴う形で、この場にやって来たわけだ。」
 ――問題は、そこだ。乱暴な言い方をすれば、僕らは綾波さんを守るために、この船に乗り込まざるを得ない立場にあった。
「このこと少し考えれば、全てが奇妙で、全てが計画的すぎることに気付ける筈だ。」
「う……ぅん。」時田君は眉間に皺を寄せて、考え込む。「だめです。私にはサッパリ分かりません。」
「根性が無いなぁ。」あまりに早いギブアップに、僕は苦笑しながら言った。
「あ、時田君。こっちだ。この階段を降りれば、駐車用のスペースに出る。」
 僕は直進しようとする時田君を呼び止めると、眼下の階段に導いた。
「よくご存知ですね。こんなに大きな船の構造を、熟知していらっしゃるようだ。」
 時田君が何やら感心したような事を言って、着いてくる。
 少し狭い階段を暫く降りると、目の前に両開きの扉が現れた。
 それを開くと、リムジンの群れの中に出る。目的地である、この船の駐車用スペースだ。テュルフィング号には、何故かフェリーのように車ごと乗船できる。奇特な船なのである。
「あ。先生。我々の車を発見しました。」
 時田君が指差す方向を見ると、確かに僕らのオンボロ車が見える。
 あっさり見つかるのも無理はない。奇麗に磨かれた傷ひとつ無い高級リムジンがズラリと並ぶ中、僕らの庶民派ミニは、異様に浮いている。
「時田君、気を付けて。待ち伏せされている可能性も、結構ある。」
 僕は時田君に一応の注意を促すと、車に向かって歩を進めた。
 その後ろにピッタリと時田君が着いてくる。
 彼には武器を持たせていない。何故かというと、映画のように、まったくのド素人に武器を持たせるのは……ある意味、危険すぎるから。
 特に銃器社会に育った訳では無い、純日本人の時田君は尚更だ。
 下手に銃なんて渡すと、無意味な緊張状態に陥り、冷静な判断ができなくなる。
 何かある度に銃を乱射されたりしたら、それこそ最悪だ。
 シチュエーションはそれそのものだが、これはアクション映画じゃない。
 それに、相手はプロの集団だ。
 シロウトが武装したところで、どうこう出来る相手じゃない。
 撃ったこともない拳銃をプルプル震える手で構えても、なんの抵抗にもならないわけだ。
 そのことは、僕自身が証明できる。
 時田君が相手なら、例え彼が銃を持っていたとしても、素手で簡単に殺せる。
 ……そういうことだ。
 もっと言ってしまえば、逆に敵さんに武器を奪われて、状況が悪化するのがオチ。
 だから、『護身のためだ。もっとけ。引き金を引けば、弾が出る。』とか言って、簡単に銃を渡すわけにもいかないのだ。
「時田君、キーかして。」僕は我等がポンコツ <FIAT-五〇〇> のトランクに辿り着くと、時田君に言った。車のキーは彼が管理しているのだ。
「あ、はい。どうぞ。」時田君は慌てて内ポケットを探ると、僕にキーを手渡した。
「時田君、一応辺りに注意を払っていてね。」
 僕はそういうと、トランクを開けて中を漁り始めた。
「わ、分かりました。お任せ下さい。」
 時田君は緊張の面持ちで、薄暗い駐車場をキョロキョロと見回している。
 さて……と。このオンボロのトランクは、少々クセがある。開け閉めにある程度の力と、コツがいるのだ。
「時田君、クルーの人数って確か全部で一〇九人だったよね?」
 この船に乗り込んでいるクルーの全てが傭兵だとすると、やはりそれに見合った装備を選ばなくてならない。
 敵に回す人数によって、携帯する武器や装備が変わってくるのは当然のことだろう。
「あ、はい。綾波さんの話によれば、そうなります。」
「へ?」僕は一瞬耳を疑った。
「じゃあなに。さっき渡してくれた資料、綾波さんの証言を元に製作したの?」
「え……ええ。それが何か?」時田君はキョトンとした表情で言った。
 はぁ〜。アホなことやってくれたよなぁ。よりによって、綾波さんに情報提供願ったとは。
 綾波さんは拙いんだよ。綾波さんは……って、時田君はまだ何にも知らないんだから、ある意味しょうがないか。
「仕方ないなぁ、もう。」カリカリと頭を掻きながら、僕は言った。
 これ以上、時田君に情報を伏せておくのは、かえってマイナスになるかもしれない。やっぱり、ここいらで事の真相を明かしておくべきか。また『知らなかった』で、大ポカやらかしてもらっても困るし。
「ん〜、よし。こうなったら、教えちゃおう!」僕はゴソゴソとトランクを漁りながら、そう決意した。
「え? なんのことですか?」時田君は一瞬僕を見るが、慌てて周囲の警戒に戻ると言った。
「綾波さんのストーカー被害からはじまった、今回の一連の事件の真相だよ。」
「ええっ!?」時田君は驚いたようだ。
 僕がまさか、真相にまでいきついているとは思っていなかったのだろう。
 フフ……見くびってもらっちゃあ、こまるな。時田君。
「教えていただけるんですか!?」
「うむ。大サービスしちゃおう。本当なら、最後の最後で名探偵の推理お披露目みたく、大々的に発表しようかと思っていたんだけど。」
「それでは、先生にはこの事件の全容が既に見えておいでなんですか?」
 驚きを隠しきれない表情で、時田君は訊いて来る。もはや見張りどころではないようだ。
「まあね。細かい謎はチョコチョコ残ってるけど、大体のことは分かった。」
「本当ですか!? それは凄い!」拳を握り締めて叫ぶ時田君。
 フッ。尊敬しろ、尊敬しろ。
「それで、事の真相とは……!?」
「――そうだねぇ。」僕は顎に手をやって小さく唸った。結構、複雑な話だから説明も難しい。
「どこから話したものか……」
 時田君は、待ちきれないといった表情で僕に注目している。
 これ以上焦らすのは可哀相だと思った僕は、組んでいた腕を解くと、おもむろに語り始めた。
「あれは、三年前のことだ――」
 ――だから、もう、この悲劇に決着をつけよう。
 吹き荒ぶ風の中、対峙したふたりの男たちは、静かに頷きあった。ふたりの間を一際強い突風が通り過ぎ、それに攫われた一輪のフリージアの花が宙を舞い、そして地に落ちる。
 それがはじまりの合図となった。
 身を起こし、男たちは己の愛銃を抜き構える。ふたりの抜き撃ちの技術は全くの互角だった。そしてトリガーに、破滅の引き金に両者とも力を込める。
 その瞬間だった。ふたりの間に割込むように、ひとつの人影が躍り入った。
 銃を構えた男たちの顔が、驚愕に変わった。
 ひとりは撃てなかった。
 当然だ。それは、彼らが狂おしいまでに求めた女性。全ての始まりともなった彼女の泣き顔だったから。
 だが一瞬の逡巡の後、もうひとりは引き金を絞った。
 散りゆく花が似合いのカタストロフを終わらせるために。

「――そう。」
 僕はじっと開けられたトランクの影を見詰めながら言った。
「あれは三年前のことだ」
 そうか。もう、あれから三年も経ったんだな。自分の言葉に、不思議とそんなことを考える。
 時田君は、固唾を飲んで僕の話にじっと耳を傾けている。三年前に想いを馳せる僕。緊張と沈黙を頑なに守る時田君。両者の奇妙な睨み合いが続いていた。 「やっぱり……」暫くの沈黙の後、僕は静かに口を開いた。
「やっぱり?」
「やっぱり、やめた。」
 ズコッ!
 大袈裟に倒れ込む時田君。どうやら肩透かしを食らったようだ。
 決めたのは僕というウワサもあるが。
「あれ?  どうしたのさ。時田君。」
 トランクに頭をぶつけて悶絶する時田君に、僕は声をかけた。
「貧血?」
「アンタのせいでしょうがっ!」スクッと立ち上がると、時田君は叫んだ。
「無茶苦茶いいところで、話をやめないで下さいよっ!」
 そんな、青筋たてて怒鳴らなくてもいいのに。
「まったく、先生はいつもいつもいつもいつも……!」
「いつも、なに?」僕はにこやかに訊いた。
「いつもワナに嵌めたり、騙したり!  私をおちょくって、そんなに楽しいですかっ!?」
「うん。」僕は爽やかに即答した。
「……クッ!」おや、今度はプルプルと震えだした。
「どうしたの、時田君。禁断症状?」
「違います!」ガーっと怒鳴る時田君。
 倒れたり震えたり、はたまた叫んだりと本当に忙しい男だ。仮にも僕の弟子なんだから、少しは落ち着きと余裕を持って欲しいものだ。
「まあ、時田君。とにかく落ち着いて。あんまり大声出すと、また敵に見つかっちゃうよ。」
 その声にハッと口を噤む時田君。ようやく状況を理解したらしい。
「何も話自体を終えたわけじゃない。説明の順番を変えるだけさ。」
「順番?」
「うん。時田君が状況を理解していることから始めようと思ってね。」
「本当ですか?」疑惑の視線を向けてくる時田君。どうして彼は僕を信じようとしないのだろうか。
この世で最も醜いのは、人を信じられないことなのだよ、時田君。
「今度こそしっかりお願いしますよ、先生〜。」
「わかった、わかった。」僕は苦笑しながら言った。「それじゃあ、改めて始めよう。」
「はい。」時田君は居住まいを正すと、神妙に頷いた。
「まず、この <武装集団による船の占拠> と、綾波さんの <ストーカー事件> との関連性について考察してみよう。」
「やはり、ふたつの事件には何か関連があったんですね!?」時田君はくわっと目を見開いて訊いくる。
「いや、関連があると言えばあるんだけど……。無いと言えば、まったく無い。」
「はぁ? なにをおっしゃってるんですか、先生。確か、前にもそのようなことをおっしゃってましたが。全然わけが分かりませんよ。」
 眉を顰めて、僕を非難する時田君。
「まあまあ、落ち着いて。」僕はそれを何とか宥めた。
「いいかい、時田君。武装集団によるこの船の占拠。そして、綾波さんがストーカーに被害を受けたこと。この二つには、直接的な関連はまったく無い。完全な別件だ。」
「まあ、普通に考えれば……そうですよね。」
 僕はトランクを漁っているから、幸運にも後ろに立っている時田君の顔を窺うことは出来ないが、きっと彼のことだ。納得の証明に、ウンウンと小さく頷いているに違いない。
「あ、時田君。これ君に預けとくよ。持っといて。」
 そう言って、僕はトランクから引き出した武器を時田君に手渡した。
「なっ……なんです、これはっ!?」
 鈍く黒光りする筒状の大きな物体に、時田君は驚愕の声を上げる。
「ん、 <M七九グレネードランチャー> 。」
 これは、結構な破壊力を持つ。火力としては、小口径の迫撃砲に近いパワーがあるのだ。隔壁を閉じられた時なんかに、意外と役に立つだろう。
「グ……グレネード……ランチャー!?」
「そう。高いんだから、無くさない様にね。」そう言うと、僕は再びトランクの物色に入った。
「それで、話の続きだけど……」
「あ、はい。」後ろで、時田君が慌てたような声が聞こえる。
 きっとグレネードランチャーの迫力に気圧されているのだろう。無理も無い。一般人じゃ、まずお目にかかる機会のないシロモノだ。
「船の占拠と、ストーカー事件。一見、まったく関連性が無いと思われる両方の事件だが……
 実は、ある因子を挿入することで、完全に繋がってしまう。」
「え? ……その因子っていうのは?」
「ズバリ! 世界最強のナイスガイ。 <何でも屋・イカりん> 代表取締役社長さ。」
「何でも屋・イカりんって……そりゃ、先生! 我々のことじゃないですか!?」
 時田君がランチャーを抱いたまま叫ぶ。
「その通りさ。ま、正確に言えば『我々』ではなく、『僕』のみだけどね。」
「ど……どういうことなんです?」
「考えてもごらんよ。 <ストーカー> と <武装集団> 。この両加害者、どちらからも被害を受けている薄幸の美女がいるでしょ? 僕らの知り合いの中にさ。」
「綾波さん……のことをおっしゃってるのですか?」時田君が、なぜか遠慮がちに言う。
「その通り。綾波さんだ。彼女はストーカーの被害者であり、またこの船に乗り込んでいる乗客の一人であるからして、武装集団の占拠の被害にも遭遇している。」
「確かに……そうですが。」話が見えていないのだろう。時田君は戸惑いがちに相槌をうつ。
「そして、もう一人。悲劇ヒロインである <綾波さん> に巻き込まれるようにして、やはり両方の事件に関わることになった悲劇の主人公がいるだろう?」
「それは、我々のことですね。」
「そうだ。正確には <我々> ではなく、 <僕> オンリーだが。」
「では、 <綾波さん> と <我々> が、二つの事件を関連付けるファクターとでも言うのですか?」
「ピョピョピョピョ〜ン♪正解。」時田君の声に、僕は頷きながら応えた。
「ま、正確には <綾波さん> と <我々> ではなく、 <綾波さん> と <僕> オンリーなのだが。」
「しかし、私たちが二つの事件に関わることになったのは、『偶然』でしょう?」
 時田君は言葉を選びながらそう言った。
「ノンノン。……まず、それが違う。僕らがこの二つの事件に巻き込まれたのは、『偶然』なんかじゃなく『必然』からだ。」
「必然ですって?」僕の言葉に、時田君は少なからず衝撃を受けたようだ。
「そう。必然。その必然を作り出した人間が、二つの事件の裏側にはいるのさ。ま、俗に言う黒幕ってやつだね。」
「まさか! ウソでしょう?」信じられないのか、時田君は小さく叫んだ。
 恐らく言葉と共に頭でも振ってることだろう。
「ウソなんかじゃないさ。」僕は冷静に応える。
「こんなことで驚いていたら、犯人の名前を聞いた日にはショック死しちゃうよ?」
「ええっ! ――と言うことは、先生は既に犯人まで突きとめていらっしゃるんですか!?」
「ああ。……だけど、それはもうちょっと後で話そう。」
 僕はトランクに積んであったタクティカル・ベストをつかみ出すと、時田君に振り向いた。
「時田君。その燕尾服を脱いで、これを着て。」
「な……なんですか、それは!?」
 ヌッと差し出された真っ黒のベストを指差して、時田君が言う。
「なんだかよくTVなんかで、特殊部隊の兵士が着ているようなチョッキですね……」
「大正解。これは <ミルフォース・SDUベスト> 。世界中の特殊部隊が採用している、多目的のベストさ。」
 これはアメリカ軍の古着を扱ってる店で、一万六〇〇〇円で買った。……生活感のある話である。
「なんだか、ポケットがやたらと付いてますね。」
 言われた通り燕尾服を脱ぐと、カッターシャツの上に早速着込みながら時田君が言う。
 彼の言葉通り、このベストには大・中・小、様々な形状のポケットが全面についている。
「特殊部隊用のアサルト・ベストやジャケットなんて、みんなそんなものだよ。」
 昔は、良くこういうのを着て走りまわったものだ。機能的で、結構使い勝手がいい。物を選べば、意外と通気性がいいから、僕は気に入っていた。
 ま、中には蒸れるは重いわで、着心地の悪いやつもあったけど。
「しかし……凄く重いですよ、これ。」情けない声で時田君が言う。
「まあねぇ。一〇kgはあるかもね?  <C四> や <RDX> 、さっき渡したぴきゅちゃんの <予備マガジン> 、それに各種 <手榴弾> なんかを入れてあるから。」
「そんな物騒なもの仕込まないで下さいよぉ〜!」
 爆弾と聞いて、時田君が顔を蒼白に変えながら言った。
「大丈夫。基本的にはかなり安全性は高いはずだから。」僕はにこやかに宥めた。
 とはいえ、やはり特殊部隊の装備はシロウトが抱えるには些か重い。
 例えば <C四> と呼ばれるプラスティック爆弾は、白色の粘土状の『爆薬』を四角い棒状に生成して、プラスティック製のカバーでコーティングしたものだ。
 通常はナイフで必要な分量だけを切り取って使うのだが……
 基本的に、これは長さ二八cm、太さ五cmと一律に揃えてあり、これだけで一.一kgも重量がある。幾つか携帯させただけで、結構ズシリとくるものがあるだろう。
「それでも嫌ですよ!」
「まあまあ。――そんなことより、話の続きは聞かなくてもいいのかい?」
 グズる時田君を、エサをちらつかせて黙らせる。
「それは……聞きたいです。」案の定、時田君は食らいついてきた。チョロイものである。
「うむ。では、黙って聞くこと。」
「……はぁ。」
「で、どこまで話したっけ?」僕は再びトランクに向き直ると、訊いた。「我々が事件に巻き込まれたのが『必然』であること。それから、その『必然』を産み出した黒幕がいることまでです。」
「ああ、そうだった……」僕は小さく頷くと言った。
「うむ。じゃあ、真相を究明していくために、今度は綾波さんのストーカー事件を突き詰めて考えていこう。」
「……はぁ。」ため息のような返事を返す時田君。
「なんだい。やる気のない返事だねぇ。――ま、いいや。」僕は爽やかに忘れ去ると、話を続けた。
「まず、事の始まりは、綾波さんがウチの事務所に依頼を持ってきたことだ。」
「そうですね。彼女が私たちにストーカーの調査を依頼してくれたのです。」
「その通りだ。そして、僕らはその依頼を受けた。」
 業界用語では、これを『受件』といったりする。が、僕はそんな気取った言い方はしない。
 何故なら僕は、誇りなき <何でも屋> だからだ。街の <興信所> や <私立探偵> なんかと、一緒にされたくはない。
「結局、僕らが定めた調査方針は、彼女の <護衛> に力を入れながら、その一方で <ストーカー> の割り出しを行う……といったものだったね?」
「そうです。」時田君が頷いているのが、気配で窺える。
「この方針は、どうだろう。適当なものだったと思えるかい?」
「思います。私はこの件に関しては、最善の策を選択したと考えています。」
 時田君は、即答した。そこには結構な自信さえ窺える。
「うん。僕もだ。たとえ僕らでなくても、同業者なら同じような方針をとったことだろうね。」
「はい。」
「――さて。僕らは綾波さんを護衛することになった。そしてその彼女が、船上で行われるパーティに出席しなければならないという。護衛者は、どうするべきだろうね。」
「当然、護衛を続けるでしょう。現に我々はこうして同じ船に乗り込み、彼女の護衛を続けてきました。」
 時田君は僕らの行動を省みながら、そう言った。
「そうだ。そして問題は、そこにある。」
「どこです?」分からないらしく、時田君は即座に問い返してきた。
「つまり、彼女の護衛者である僕らは、この船に乗り込まざるを得ない立場にあった、ということさ。」
「確かにそうですね。我々は依頼を受けたのですから、クライアントを守る義務があります。」
 キッパリとした口調で言う時田君。
「そこまで理解できたなら、分からない?」
「は?」
「言い方を変えれば、僕らは綾波さんのストーカー事件によって、この船に乗り込まされたんだ。」
「なんだか、ストーカー事件に裏があるような言い方ですね。」
 僕は沈黙でそれに応えた。
「……先生、あなた、まさか……」
 形成された雰囲気に何かを悟ったか、時田君が戸惑いがちに呟く。
「そうだ。ストーカーの狙いは、もともと綾波さんなんかじゃない。」
「なっ……!?」絶句する時田君。ま、驚きもするだろう。
 今まで必死で調査してきたストーカー事件が、自分の想像を超えた所で、遥かに大きく展開していたのだから。
「ストーカーの狙いは、綾波さん本人ではなく、彼女を護衛する人間を『この船に乗り込ませること』にあった。」
「……ッ!」もはや声も無いのか、時田君はただただ驚愕に身を強張らせている。
「ストーカー事件なんて、もともとあって無かったようなものなのさ。」
「そ、そんな! じゃあ、ストーカー犯の狙いは私と先生だったということですか?」
「いや。その言い方は正しくないな。」僕は小さく首を左右させながら言った。
「この事件には、最初からストーカーなんていやしなかったのさ。」
「ええっ!?」またまた驚愕に慄く時田君。
 彼にすれば、ここまでの展開だけでドッキリの連続だろう。だか、まだ本番はここからだ。
「ストーカーは存在して、存在しない。綾波さんは、ストーカーに狙われたわけじゃないって事さ。  ストーカーを名乗る、別の存在に狙われていた……ように『見せかけ』られていた。」
「どっ、どういうことですか!?」
「だから、犯人の狙いはストーキングではなく、綾波レイという被害者を作り上げることだったのさ。そして、その被害者が僕の事務所に依頼をしに行くように仕向けた。
 自ら事件を起こし、碇シンジという男にそれを調査させるように仕向けたんだ。」
「……そんな、馬鹿な。」
 だから、これはただのストーカー事件なんかじゃなかった。
 もっと高度に計画されて張り巡らされた、そう『ワナ』だと僕は考えたのである。
「犯人の真の狙いは、綾波レイの護衛者として碇シンジをこの <テュルフィング号> に乗船させること。そして、予め雇っていた傭兵団と対決させること。――この二つにあった。」
 あらゆるフラグメントは、この結論に収束していった。どんなに突飛で、信じられない事であっても、あらゆる状況と可能性がそこに導くのなら、それは『真実』なのだ。
「では、この一連の事件の黒幕とは……!?」
 時田君も、ここまで言えばようやく理解できたらしい。震える声で、僕に確認を迫る。
「――そうさ。」僕は小さく頷くと、静かに続けた。
「ストーカーの存在を作り出し、事件と被害があったと狂言。うちの事務所に依頼人として現れ、碇シンジをこの罠に導くことが出来た人物は……一人しかいない。」
「そっ……それでは……」
「ああ。君の考えている通りだよ。」僕は鋭利な笑みを浮かべると言った。
「時田君。この事件の黒幕。それはまさに今、君の背後に立っている人物――!」
 僕はホルスターからワルサーを抜き放つと、背後に振返り、時田君の後ろに立つ女性に銃口を向けた。
「……綾波レイさん。あなただ。」



to be continued...


■初出

FILE 09「死神 burn'ing heats on the road」2000年04月23日
FILE 10「真相 Ever Green Holy Night」2000年04月24日

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。

<<INDEX Copyright (c) 2000-2004 by Hiroko Maki
and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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