FILE:005  <Let's party>



 ――19:00
 テュルフィング号 パーティ会場メインホール


 んがつがつがつがつ!
 ぐ〜びぐびぐびぐび!


「ぷっはぁ〜、美味いっ!」
 これぞ人生って感じだね。いやぁ、綾波さんに取り入って参加させてもらって本当に良かった。
 その日の夜、豪華客船 <テュルフィング号> のメインホールにて、僕はひたすら御馳走をむさぼっていた。
「さ。もうちょっと食べとこ。」

 んがつがつがつがつ!
 どがつがつがつがつ!


「ちょっと、ちょっと! 先生っ!」
「んぐ……?」
 血相を変えた時田君が、なにやらスッ飛んで来た。
 僕は仕方なく、口に御馳走を放り込むのを中断して振返った。
「アンタなにやってんですかっ!」
「はぐ……?」
 時田君は、なにやらご立腹のご様子だ。頭からプンプンと湯気なんて立てちゃっている。
「ほうひはほ?」
<訳:どうしたの? >
「口一杯に頬張ってるんじゃありませんよ! しかもキャビアを!」
「はむはむはむはむ」
 僕は仕方なく咀嚼すると、近くにあったシャンパンのボトルをとり、それに口を付ける。
「ぐびぐびぐび……」

 すぱ〜ん!

 と、僕の後頭部を時田君がハリセンでどついた。
「高級シャンパンをラッパ飲みすなっ!」

 ごっくん。

 ようやく口の中の食べ物を飲み込んだ僕は、時田君にさっそく文句をつけた。
「いきなり引っ叩くなんて酷いじゃないか、時田君っ!」
「酷いのは、先生のマナーの方ですっ!」
「マナー?」
 また面妖なことを。
「――ハッ! これは、とんだ言いがかりを付けられたものだね。 <シンジ・ザ・エチケットマン> と呼ばれるこの僕に対して、マナーが酷い? 相変わらず、なぁ〜〜んにも分かっちゃいないなぁ、時田君。君という人は。」
 僕は時田君の言葉を、鼻で笑い飛ばすと言った。
「なぁ・にぃ・がぁ、『君という人は』なんですかっ! 先生っ! あなた、このパーティがどういう席なのか知ってるんですか!? ここは持参の割り箸でガツガツ! と口の中に掻き込むような、そういう料理は出ないパーティなんですよ!? ナイフとフォークで小鳥がついばむように食する、そういう品格が問われるパーティなんです!」
「えっ。そうなの?」
「当たり前ですっ! それをあなたという人は……テーブルに並べてある料理を片っ端から、しかも1人で食べ尽くしていく始末! 一緒にいる私が、どれほど恥ずかしい思いをしてると思ってるんです!?」

「いや、だってさ。最近、依頼がこなくて極貧生活が続いてたじゃない? そんな中、せっかく御馳走が『タダ』で食べられる機会に恵まれたんだよ? これを機に、向こう数週間分の栄養をミッチリ付けておかずしてどうするの。やっぱり、ここは本能の赴くままケモノになるのが筋ってもんじゃないかな。」
「そんな筋がありますかっ!」
 ますますヒートアップする時田君。なんか、火に油を注ぎまくってるような気がしてきた。
「とにかく、もっとお淑やかに……といいますか、大人しく食べて下さい。」
「例えば?」小首を傾げて訊く。具体的な反省点を列挙してもらわないと、何も改善できない。
 僕の個人評価では、はっきり言って限りなくパーフェクトに近い礼儀作法だったと思うんだが。

「はぁ〜。こんなことなら、前もってミッチリ教育しとくべきでした。」
 ガックリと項垂れると、時田君は言った。
「……で、どこをどうすればいいのさ。」
「まず、手掴みは厳禁です。それから、ラッパ飲みも厳禁。他人がお皿に取った御馳走を、横から掻っ攫うのも厳禁。ワインを飲んでいる人の前で、自分の顔を変形させ、口に含んだものを吹き出させるのも厳禁。それから、炭酸水のボトルキャップを、中年男性の頭目掛けて発射するのも厳禁です。」
「え〜。面白いのに……」
「楽しむなっ!」
 まあ、今時田君が列挙したようなことは大概やり尽くして飽きてしまった遊びなので、今更禁じられても、そこまで痛手というわけじゃあないけど。」
「アンタ、ここに何しに来たんですか。」疲れきった表情で、時田君は言った。
「まあまあ、そう青筋立てて怒鳴らんと。――ときに時田君。綾波さんの警護の方はどう?」
「ええ、彼女なら……あ、ウワサをすれば何とやら、です。」
 時田君の視線の方向に顔を向けると、確かに綾波さんが重役っぽい人達の輪の中から抜け出て、こちらに歩いてくるのが見える。

「ようこそ、テュルフィング号へ。先生、楽しんでいただけてますか?」
 ワイングラスを片手に、彼女は微笑んだ。
「今宵はお招きいただきまして。」
「……僕が無理に頼んだんだけどね。」律義に返す時田君の言葉に、小さく突っ込みを入れた。
「しかし、盛大なパーティですね。」
 ディープブルーのイブニングドレスを着こなした綾波さんに、僕は言った。女性版の第一級正装なのだろう。大きく開かれた背中の部分にショールを纏ったその姿は、実にエレガントだった。キュッと絞められた腰の部分は、彼女の線の細さを雄弁に語っている。
「ありがとうございます、先生。」
 にっこりと笑って、綾波さんは言った。いつもはナチュラルメイクの彼女だが、今日は大人の雰囲気漂うメイクが施されている。奇麗で、どこか妖艶な感じもする。不思議なものだ。
「こんな凄いパーティを成功させるんです。前途は有望ですね。」
「まぁ、先生にお褒め戴けるとは……。恐縮ですわ。」僕らは朗らかに微笑み合う。

 綾波さんに言った言葉は、決してお世辞の類じゃない。
 テュルフィング号で催されているこの大パーティは、僕の見る限りでは大成功を収めている。どの出席者も、こころからこの場の雰囲気を楽しんでいるといった感じだ。
 まあ、一部ではシビアなビジネスのやり取りも行われているんだろうけど、何にしろ傍目にはそんなものは窺えない。
「……あ、すみません。まだご挨拶を終えていないもので。申し訳ありませんが、私はこれで失礼させていただきます。」
 どこからかお呼びでも掛かったか、あるいは見知った顔を見つけたのか、綾波さんは一礼すると僕たちから離れていった。
「どうか、楽しんで下さいね。」
 微笑みを残して去っていく彼女の後ろ姿を、僕と時田君は見送った。

「あの様子なら大丈夫そうですね。彼女。人も大勢いますし、ストーカーも入り込めたとは思えませんし。」
 暫くすると、時田君が言った。
「そうだといいけどね。」
「?」含みを持たせた僕の言い方に、時田君は怪訝な顔をする。「なにか気になることでも?」
「気になること……?」
 自分で言って、考えてみる。
「――いや。特に無いよ。確かにストーカーは、この船には忍び込んでいない。綾波さんの身の安全は僕が保障するよ。彼女に危害を加える輩とは、少なくともこの船上にはいないだろう。」
「そうですか。」
 あからさまに安堵の表情を浮かべて、時田君は言った。
「……だけど、何も起こらない筈もない。」
 僕は小声で付け加えた。
「えっ? 何かおっしゃいましたか、先生。」
「いや、何も。」僕は首を左右して、誤魔化した。「――さて、時田君。念のためだ。パーティ会場の外も巡回しておこう。それから、甲板に出て夜の海でも眺めようじゃないか。」
「いいですね。お供しますよ。」
 ワイングラスをボーイに渡すと、時田君は言った。

 この船は、出港して一旦 <公海上> に出るらしい。法の適応されない場所に出てから、朝方までカジノパーティが開かれるという話だ。
 賭博は法で禁止されているが、公海上ではその船の属する国の方が適応されるわけだから、条件さえ満たしていれば、賭博も許されるというわけだ。ま、貧乏人の僕らには関係の無い話だけど。
「しかし、この船を1日とはいえ貸し切るなんて豪勢な話だねぇ。」
 酣(たけなわ)となったパーティ会場を時田君と出ると、僕は誰とはなしに言った。
「そうですね。8万総トン以上の超豪華客船ですからね。」
「入れる港を探すだけで、大変なのかもしれないね。」
 この <テュルフィング号> のスペックはそれ程凄い。総トン数:10万1353t。全長:314m。幅:36m。乗客定員:2700人。乗組員:1200人。
 どれをとっても、世界トップクラスだ。あの <クイーン・エリザベス号> の総トン数が、83673t。乗客店員は2000人だったというから、その凄さが分かるだろう。並の企業がパーティだといって、借りてこれる船じゃ無いと言うことだ。

 綾波さんの口調は、ただの企業の合併といった感じのものだったが……恐らく世界経済にちょっとした波紋を投げ掛ける程の、大きな話なのだろう。これは。今回の合併劇で、きっと希有の巨大企業が誕生するに違いない。
 そして、そんな超大企業の重役として、綾波さんは今後も活躍することになるのだ。やはり、街の便利屋風情とはスケールが違う。
「あ、そうだ。先生、頼まれた資料できあがってますよ。」
 見回りを兼ねて船内を歩き回っている途中、時田君が言った。
「ん?」
 時田君はゴソゴソと懐を探ると、クリップで留められた数枚の資料を手渡してきた。
「これは?」
「もう、先生。忘れちゃったんですか? この船に乗り込んだ乗客の数、招待された人間の大まかな素性、それからクルーの数など、ある程度でいいから調べておいてくれと言ったのは、先生でしょう。」
「おお、そうだった。」
 僕はポンっと手を打つと、時田君から資料を受け取った。
「はぁ〜。先生、しっかりしてくださいよぉ?」
 時田君が呆れた口調で何やら呟いているが、爽やかに無視。

「それで調べた結果ですが、招待客は全部で265名。パーティスタッフや、クルーが合計59名。合わせて324人の人間が、この船には乗っているようですね。」
「クルーの数が思ったより少ないな。」
 僕は、気になった点を口に出してみる。
「それはこの船の操縦の殆どを、機械によるオートで行えるからだそうです。飛行機のオートパイロットみたいなものですね。計器を確認したり通信をしたりと人間の存在は勿論不可欠ですが、大抵のことは機械がやってくれるようです。」
「なるほどねぇ。近代科学の勝利ってところか。」
 資料をざっと読み流しながら、僕は適当に頷いた。

「……しかし、静かですね。」
 時田君の言う通り、パーティ会場から離れた途端、僕らは静寂に包まれていた。人の気配どころか、物音ひとつしない静かな空間。あるのは僕らの話声と、足音が微かに反響する音くらいのものだ。
 まるで、この船内に時田君と2人だけ置去りにされてしまったかのような――ある意味、地獄のシチュエーションを想像してしまう。
「う〜ん。客員たちが揃ってパーティ会場に行っているせいか、確かに無気味なくらいに静かだね。」
「ええ。」
 やがて僕たちはデッキへと続く階段に到達し、ふたりしてそれを登った。ドアを開くと、夜闇と微かな波の音に包まれる。
「良い風だ……」
 穏やかで優しい潮風に目を閉じると、僕は囁いた。
 僕は以前から、この海の風が大好きだった。それからこの潮の香りも。

「暗くて遠くが良く見えませんね。」
 時田君の言う通り、完全に日の落ちた今時分、海は完全な静寂と闇の中にあった。
「もう出港して数時間になるからね。どの道、360度見渡す限り水平線のはずさ。」
「しかし、気持ちがいいですね。海なんて、本当に久しぶりです。」
 僕らを優しく撫でていく海の夜風に、時田君は心地良さ気に目を細めた。
「僕は、外に出ること自体久しぶりだよ。」
「それは、先生が毎日ベッドの中で生活しているからです。」
 時田君が苦笑して言う。
「いつもいつもグースカ寝ている先生には、こうして外の新鮮な空気を感じるのもいいものでしょう。」
「ま、たまには……ね。」

 流石に秋の海は寒むかったが、それより潮風の心地良さが勝っていた。
 なにより、時田君の言う通り海に出るなんて数年ぶりのことだ。滅多にあることでは無いだけに、今この時を満喫しておきたかった。
 そうしているうち、どれくらいの時が過ぎただろうか。
 ただ波の音しか聞こえない静かな夜闇の中では、時の流れなど悠久のものに思えてくる。思いのほか長い時間そこに佇んでいたのかもしれないし、或いはまだそんなに時は経っていなかったのかもしれない。
 とにかく、すっかりリラックスした夜のひととき……
 なんか、時田君と一緒だとスッゴク嫌な感じに聞こえるが、何にせよ2人してデッキですっかり和んだ時間を過ごしていると――

 パンッ! パパパパンッ!

 ……という、なにやら爆竹を鳴らしたような音が、船内の方から微かに聞こえてきた。
「うん? なんでしょうか。クラッカーでも鳴らしてるんでしょうかね?」
 連続した奇妙な音は、どうやら時田君の耳にも届いたらしい。もたれていた手すりから身を離して、彼が問い掛けてきた。
「いや……」
 この時、僕は既に悟っていた。やはり、全ては僕の予測通りに進んでいるのだ。
「どうかしましたか、先生?」
 僕の緊張した声音から、何かを察したのだろう。時田君が怪訝な表情をして訊いて来る。
「あれはクラッカーの音なんかじゃない。」
「では?」
 あれは、本物の <戦場> パーティの始まりを告げる――
「銃声だよ。」



to be continued...


■初出

FILE 06「開幕 Let's party」2000年04月20日

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。

<<INDEX Copyright (c) 2000-2004 by Hiroko Maki
and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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