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ブボンボロボロ……
咳き込むような排気音と共に、黒々としたガスが吐き出される。
排ガス規定は完全無視。
環境破壊もなんのそのといった感じだ。
おまけに、ただエンジンをかけただけなのに、ガッタンガッタンと自己主張も激しく振動している。
確かにこれに乗るには、勇気が要るかもしれない。
今朝、綾波さんが渋ったのも頷けるような気がしてきた。
「先生、早く乗って下さい! 出港時間に遅れてしまいますよ。」
運転席から顔を覗かせて、時タンク――もとい、時田君が呼びかけてくる。
まったく、落ち着きがない人だ。
人間、時間が無い時にこそ、余裕を以って行動しなくてはならないというのに。
彼にはそれが分かっていない。
「分かってるよ、時田君。ちょっと待って。」
僕は荷物を積み終え、渾身の力をもってトランクを叩き閉めると、助手席に回った。
「何を積み込んでいたんですか? 準備は私が万全に整えておいた筈ですが。」
ドアを開けて乗り込む僕に、時田君が怪訝な表情で訪ねてくる。
「……ん、なに。ちょっと、まあ、色々ね。」
「色々、ですか。」
「そう。色々だよ。」
僕はおざなりにそう応えると、 <助手席> ならぬ <助手ベッド> に寝転がった。
「さ、僕の準備もOKだよ。チャッチャと出しちゃって。」手をヒラヒラさせて、発進を促す。
「先生。いきなり寝転がっては、折角のスーツにシワが付きますよ。」
相変わらず真面目っ子な時田君が、また面倒なことを言い出す。
「いいよ。どうせ、こういう格好は様にならないんだ。適度にシワが付いていた方が、僕には似合ってるのさ。それより、早く出発しよう。本当に出港に間に合わなくなっちゃうよ。」
「はぁ……」
そう。今日の僕らは、とある理由から精一杯めかし込んでいたりする。
時田君に至っては、燕尾服に蝶ネクタイ。いわゆる第一級正装というやつだ。
僕はそんな上等な服など持っていないから、只の黒のスーツで固めている。このまま葬式にでも出られそうな格好である。
なぜ僕らがこんな格好をしているかと言えば、それはもちろん、例の船上パーティに出席するためだ。
フォーマルなパーティなのだから、当然これくらいの格好をしていなければ入れない。
まあ、そういうことだ。僕だって、好きでこんな堅苦しい格好をしているわけではない。
「しかし、タキシードを着て、こんなポンコツを運転することになろうとは。恥ずかしくて、顔から火が出てしまいそうです。」
「本当。鬼のように浮いてるよ、時田君。」
ガチガチのフォーマルルックの男が、ガタガタと不自然に振動しながら頼りなく走る、サビと凹みだらけの小型車を運転しているのだ。かなり笑える光景だろう。
ちなみに、僕は普通の黒のスーツだから、そこまでおかしくはない。
「……しかし、綾波さんはどんなドレスで現れるのかなぁ。フフフ。たのしみ楽しみ。」
彼女のことだ。どんなドレスを着ても、何処かの姫君のように栄えるに違いない。
きっと凄く奇麗なんだろうなぁ。
「そうですね。本当にお奇麗な方ですから。」時田君が、軽く頷いて相槌を打つ。
――結局、昨夜は僕の予想通りストーカーが現れる事はなかった。
何事もなく夜が明けると、僕と時田君はこのオンボロ車で、彼女を職場まで送り届けた。
綾波さんが言うには、職場まで行けばパーティ会場に入るまで、常に大勢の人に囲まれているらしいで、僕らは一旦事務所に引き揚げることにしたのだ。
パーティに出席するからには、着替えをはじめ、僕らにも色々と準備があったからだ。
まあ、これがただの荷物の積み込みなら、時田君ひとりにやらせれば良かったのだが、彼には秘密の積み物もあったから、そういうわけにもいかない。
結局、僕らは2人して事務所に戻ったというわけだ。
「しかし、先生。」
「ん。なに、時田君?」助手ベッドに寝転がり、瞼を閉じたままの姿勢で適当に応える。
「……あの看板は、いったいどういうことなんでしょう。」
妙に抑揚の無い口調で、時田君は訊いてきた。
「看板?」一瞬、何のことを言っているのか分からなかった。
「我が社の看板のことですよ。」
バックミラー越しに、事務所の看板を見詰めながら彼は言う。
「ああ、あれね。カッコイイでしょう?」
「どこがです!」時田君が、突如叫び出す。
「私の記憶が確かなら……
昨日綾波さんのお宅へ出かけるまでは、あの看板には『碇総合調査事務所』と書かれていた筈です。」
「うん。その通りだ。」
確かにその通りだったので、僕は素直にそう返した。
「では、何故!? なぜに、今日帰ってみると『なんでも屋・イカりん』になっているんですか!?」
「僕が、留守中に『書き替えて下さい』って、業者に頼んだからだよ。」
他にどんな可能性があるというのだろう。相変わらず頭の固い男だ。時田君という男は。
だから時タンクなんて呼ばれるんだよ、君は。」
「私をそう呼ぶのは、この世で先生ただ1人です!」
いけない。また途中から、思考を口にしてしまったようだ。
このクセ、なかなか治らないなぁ。
「私がお訊きしているのは、なぜ! 看板の内容を! 私になんの断りも無く! 変えてしまったか!? ――と言うことです!」
「だってさ、時田君。『碇総合調査事務所』なんて、よく意味が分からないし、第一必要以上に堅苦しいじゃないか。それより、『なんでも屋・イカりん』の方が、親しみやすくて良いと思わない?」
「断固、思いません。」キッパリと言い切る時田君。
「また、そんなこと言って。いい、時田君。これは常日頃思っていたことなんだけど……
僕らはもっと依頼人の立場に沿った経営を心がけるべきなんだ。」
「それが『なんでも屋・イカりん』と、どう関連してくると言うんです。」
しっかりと前方を見据えたまま、僕を一瞥たりともせずに時田君は言った。
声音が妙に冷たい。なにか、刺のようなものを感じるのは僕の気のせいだろうか。
「考えても見てごらんよ。僕らの事務所のドアを叩く人達は、皆、他人には知られたくないような極プライベートな悩みを抱えた人が殆どでしょう?」
「ええ。まあ、そうですね。」努めて冷静に相槌を打ってくる時田君。
「その人が、あんなあからさまに『興信所』や『探偵事務所』っぽい看板を掲げたビルに、果たして入りたいと思うかな?」
「……」
町を行き交う人からも、奇異や好奇の視線に晒されることは請け合いだよ。そこをいくと、『なんでも屋・イカりん』だとどうだい? 実に親しみやすい、フレンドリーな名前だ。依頼者は、カラオケボックスに行くような気軽な感覚で来れるし、またビルに入っていくそんな依頼者の姿も、通行人たちの目にだって自然に見える。」
我ながら、完璧な理屈である。
顧客の心理とニーズを見事に捉えた、経営者の鏡とも言えそうな処置。
自分の才能が怖い。
「だから、我が社の社名は本日をもって『なんでも屋・イカりん』に変更されたのさ。」
「しかしですね……」
なんとも煮え切らない表情で、時田君は呟く。
「まあまあ。もう変えちゃったんだから、今頃四の五の言っても仕方ないよ。」
「……」納得がいかないのか、時田君は憮然とした顔だ。
「それはそうと、あとどのくらいで着くのかな?」
眠気を感じ始めた僕は、目を閉じたまま訊いた。時間がかかるようなら、勿論ひと眠りするつもりである。
「もう着きますよ。少なくとも寝る程の時間はかかりません。」
僕の思考を読んだのか、時田君はそう言った。
そう言えば、潮の香りがするような気がする。
僕は助手ベッドから上半身を起こして、外を見た。なるほど、貨物用のコンテナや倉庫が、窓の外を流れていく。時田君の話し相手をしてやっているうちに、いつの間にか波止場にまで進んでいたらしい。
彼の言葉通り、寝ている時間はなさそうだ。あと数分で到着だろう。
「あ、見えてきましたよ。先生、あれじゃないですか?」
雑然とした港を走るうち、時田君が声を上げた。
見ると、右前方に巨大な客船らしき白い船体が見える。
「おお! 凄いね。」
大きい。想像していた以上だ。クイーンエリザベス号みたい。
いや、実際あれを見たことがあるわけでは無いが、なんと言うか感覚的に。
近付く船体の威容。う〜ん、間近で見るとそそり立つ壁のようだ。
見上げんばかりの巨体。
これを貸し切ってのパーティか。一体幾ら掛かってるんだろうか……。
湾内には、僕らの乗り込む客船を含め大小様々な種の船が停泊している。
桟橋も、フェリー乗り場も、船着き場も。乗客や、船員、見送り客などで結構賑わっている。
冬も間近の晩秋にも関わらず、今日はそんなに寒くないから、なんだか余計に活気付いているようだ。
ボロンボロボロ……
ぱすんっ
我等が愛車は、乗先客のリムジンの列の最後尾に着けると、怪しく停車した。
磨き上げられたリムジン。みんな高そうだ。
そんな中、颯爽と現れたスクラップ寸前のミニ。もはや挑戦としか思えない。
「テュテュル……フィ……ング……。5番埠頭の、 <テュルフィング号> 。間違いありませんね。」
船体に威風堂々と刻まれた船名をたどたどしく読み上げると、時田君は頷いた。
「そうみたいだね。」
「字体からすると、ドイツ語でしょうか。変わった船名ですね。」
船にリムジンごと乗り込む乗客の列を見詰めながら、時田君は呟く。
「船名じゃないさ……」僕は助手ベッドに再び寝転がると、小さく言った。
「あれ? 先生、語意をご存知なんですか?」
「まあ、ね。」
「へぇ。どういう意味なんです?」
「知りたい?」片目を開けて時田君を一瞥すると、僕は訊いた。
「はい。是非。」
「テュルフィングは、魔剣の名前さ。伝説に登場する、呪われた剣の名前だよ。一度抜かれれば、血を見ることなくしては収まらない。最後には、持ち主の血すら啜る、邪剣ってやつさ。」
「なんだか、妖刀 <村正> みたいですね。」
時田君が、またマニアックなことを言い出す。
彼の言う <村正> と言うのは、日本刀の名前だ。
元は刀を作る職人――つまり刀工の名前なのだが、名匠の鍛えた刀には、その職人の名が付くのだ。
だから、彼の鍛えた刀も <村正> と呼ばれることがあるらしい。
伝説上で語られる <テュルフィング> とは違って、 <村正> の刀自体は実在する。
問題は、その刀にまつわる伝説だ。
戦国時代あたりに起こった血生臭い事件の首謀者の手に、何故か何時も <村正> が握られていたというのだ。
確か徳川家に関する暗殺劇なんかには、必ずといっていいほど登場するらしい。
天下統一で有名な、徳川家康の祖父、父、長男なんかも、この <村正> で死んだとか。
そんなこともあって、幕府転覆を目論む勢力が、その徳川に対する妖力を信じて村正を集めたとか言う話が結構残っている。
ま、偶然の一致とゲン担ぎが生んだ伝説だろうけど。
「――前世紀、 <ストームブリンガー> という魔剣に纏わる悲劇を描き、一世を風靡した有名なファンタジー小説がある。
<テュルフィング> は、その <ストームブリンガー> のモデルともなった伝説の剣なのさ。
村正のように、自ら血を求めるらしいよ。それと、剣自体に意志が宿っていて、持ち主を選ぶとも言うね。」
「なんだか無気味な話ですね。」
時田君は、何だか眉を顰めている。
「こんな純白の奇麗な客船に、そんな名前を付けるなんて。誰だか知らないけれど、良い趣味してるよ。」
順番を待ちながら時田君とそんなことを話していると、案内だか受付だからしい船員が、ツカツカと僕らの車に近付いてきた。
「すみません。釣り舟 <貧乏丸> は、ここではなく9番埠頭です。こちらの乗船の邪魔になりますから、早々に移動して下さい。」
「釣り舟?」
「貧乏丸?」
僕と時田君は呟くと、顔を見合わせた。
確かに、意味不明な振動を続けるこのポンコツ・マッスィーンの持ち主には、なんとも似合いなお船だ。
「なんだか、誤解の理由が十分納得できるが故に、頭に来るものがあるなぁ。」
「私たちって、そんなに貧乏そうに見えるのでしょうか……」
時田君は、ガックリと項垂れてそう言った。
「時田君、綾波さんから貰った <招待状> を見せて、バッチリ納得させてあげて。」
「はい。」
僕が言うと、時田君は懐から招待状を取り出し、船員に提示した。
目を丸くして驚く船員。
何度か招待状と、僕らのポンコツの間で視線を往復させる。
なにを考えているのか、なにに驚愕しているのかが、手に取るように分かるだけにやはり頭に来る。
彼は、たっぷり1分は硬直すると、「す……すみません。では、どうぞ。」
ペコペコと頭を下げ、駆け足で去っていった。
「もはや、貧乏が骨の髄まで付いてしまっているようですね……私たち。」
「失敬な。彼は時田君の姿を見てそう思っただけで、僕は関係ないよ。」
「さようで……」
「さ。じゃ早速お邪魔しようか、時田君。」
「そうですね。」
僕らは車を預けて船内の駐車スペースに入れてもらうと、意気揚々と船内へと続く階段を登っていった。
船に乗るわけだが、飛行機に乗り込む時に結構形が似ていた。
入り口の辺りで、また別の船員に紹介状の提示を求められる。
「ようこそ、テュルフィング号へ。」
紹介状を見せると、船員はニッコリと微笑んで言った。
「良い船旅を。」
――旅って言うほど、大したものでもないんだけどね。
僕は苦笑を返すと、ゲートを潜って船内に入った。
「おお!」
「凄いですね……」
僕ら貧乏人の第一声はそれだった。
これが船の中だろうか。
そこは、一流ホテルのロビーを思わせる豪奢な空間だった。
一言で言えば、リッチ。
これに限る。
落ち着いた感じの、だが見るからに高そうな装飾品があちこちに惜しげもなく飾られている。
まさに豪華客船だ。
う〜ん。凄い。
「これはもう、船というより洋上の <一流ホテル> と考えた方が良さそうだね。」
「……そのようで。」
時田君もこのような場には慣れていないのか、絶句している。
フッ、庶民め。
入り口向いには、ホテルのカウンターのようなものがあり、案内嬢らしき女性が2人も常駐している。
赤い絨毯の敷かれた大きな階段。
船内マップというか、案内板も大きく、幾つもある。
広すぎて1枚では案内しきれない、ということか。
「あの、この部屋番号は何処の何等船室でしょうか。」
時田君がさっそく受け付けに訊ねている。
暇なので、僕はざっと船内案内を見ておくことにする。
「う〜む、広い。」
凄いな。
スカッシュ・コートや、ビリヤードをはじめとする遊技場。
<カジノ> や <シアター> 専用のスペースもあるし。
メインホールのほかに、ダンスホールなどの広間も幾つかある。
なんと驚き、周りは海だというのに室内プールまである。
他にも海に関する資料室や、図書室。
トレーニング・ルームや、室内グラウンドもあるな。
フレンチ、イタリー、中華、日本、アメリカン、色々な国のレストランやバーも完備されている。
それから客室は、 <特等> を頂点に <1等> から <3等> まで。
他には船員用のスペースと、貨物用、駐車用のスペースもある。
この船独特の区分けやシステムがあるようだが、何にせよ文句の付けようがない。
これなら世界一周の旅で、延々と海の上を漂っていても、退屈せずに旅を満喫できそうだ。
きっと特等だと、1泊で何十万。下手したら数百万とられるかも知れない。
恐ろしい話だ。
「……先生。」案内を受けた時田君が、背後から声をかけてきた。
「どう、僕らの部屋の場所は分かった?」
「はい。私たちには贅沢にも1等船室が割り当てられていました。
しかも、私と先生は別。個室を1つずつです。」
「へぇ〜。綾波さん、奮発してくれたみたいだねぇ。」
特等は数が少なく、しかもパーティの主催者や企業のトップたちに割り当てられているのだろうから、いきなり参加を申し入れた僕らにとっては、望みうる最高の扱いだ。
「それから、今夜のパーティは7時から、メインホールで始まるそうです。」
「ふむ。」
まだ結構時間がある。
「では先生。私たちの部屋は隣同士みたいですから、ご案内しますよ。行きましょう。」
「あ〜、いや。僕はちょっと船内を散策してくる。」
「えっ? 今から早速ですか?」
「僕は手ぶらだし。問題ないよ。」
「はぁ……」
「それに、戦場の下調べは重要だ。」僕はニヤリと微笑むと、言った。
「あっ、先生! さては、パーティ会場や厨房に忍び込んで、御馳走をつまみ食いする気ですね!?」
「いや、まぁ、……ははは。」
僕は笑って誤魔化すことにした。
「まったく。油断も隙もないですね。」
片手を額のあたりに当てながら、時田君はため息交じりにそう言った。
「それじゃ、そういうことで!」
シュタッと手を挙げて挨拶すると、僕は早々に退散することにした。
「あっ、先生! ちょっと!」
「だいじょうぶ、大丈夫! 心配ないって!」
小走りに駆けながら、僕は爽やかにトンズラを決め込む。
「先生の『大丈夫』が1番心配なんですよぉ〜!」
なにやら時田君の叫び声が聞こえるような気がするが、僕は当然それを無視すると、さっそく船内探索にでかけた。
この胸にくすぶる、熱き冒険者魂あるが故に!
to be continued...
■初出
FILE 05
「魔剣 staging」
2000年04月19日
本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。
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Copyright (c) 2000-2004 by Hiroko Maki
and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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