FILE:002 <White House>


 ブボンボロボロボロボロ……
 自らの性能を強弁に主張する怪しげな排気音が、人の迷惑省みず近所に響き渡る。別段、ジャリ道というわけでもないのに、妙に振動が激しい。留め金がバカになっているせいか、時々トランクがパカパカと開き出すのはご愛嬌か。
 軋むような、半ば悲鳴じみた音をたてた挙げ句、
 ――ぱすん
 と、最後に気の抜けるようなオマケを残して、廃車寸前の軽自動車は停止した。
「先生。」運転席の時田君は、サイド・ブレーキを引くと僕に声を掛けてきた。「先生、着きましたよ。起きて下さい、先生。先生ってば。」
「ん……ん、なぁに時田君。」
 僕は常に熟睡できるよう、ベッドに改良してある助手席から躰を起こすと、目を擦りながら言った。
 いや座席の原形を留めておらず、それはもはや完全なベッドにカスタマイズしてあるのだから、助手席ではなく助手ベッドと表現するべきか。ま、いいや。
「よくもまぁ、毎日平均一六時間も寝ていながら、車に乗ってまでグウスカ眠れますね。」
 時田君が呆れを通り越して感心したように言う。
「才能だよ。」
「はぁ、さようで」時田君は深いため息を吐く。「――それにしても、先生。この車、いい加減買い換えませんか? なんか理由も無くガタつかれるのは非常に怖いのですが。しかも何の前触れも無く唐突にエンストしますし。我々のような職業に従事する人間にはとてもそぐわない機体かと。」

「なんと!」僕はくわっと目を見開くと、時田君を凝視しながら言った。「時田君。君、本気でそんなこと言っているの」
「は……はぁ」時田君は、気圧されたように眼を白黒させる。
「いいかい、時田君。君の今の台詞は、長靴みたいな <イタリア> の国民の皆様を愚弄するとんでもない暴言だ。」
「そうなんですか?」予想もしなかった言葉に、時田君は目を瞬いている。
「あのねぇ、この <FIAT-500> は、イタリアが誇るシャイでグレーとな国民的庶民派マッスィーンなんだ。しかも、ルパン三世『カリオストロの城』にも登場したという伝説の名車なんだよ。それを、それを君という人は……なんという……」
 うっうっと、ここでウソ泣きを入れる。
「あ、すみません、そうとは知らず。何を言いたいのか全く分かりませんでしたが、とにかく私が軽率でした。反省します。」
「ホント? 本当に反省する?」
 僕は鳴咽を堪えながら――もちろん演技だ――、時田君に上目遣いに訊いた。
「はい、それはもう。海よりも深く反省しております」

「あ、そう。じゃ、時田君。今月の給料四〇〇%カットね」
 演技モードから速攻で通常モードに復帰すると、僕はサラリとそう宣言した。
「あがっ!?」関節が外れるほど、顎を落として驚愕する時田君。「そんな! 経費やら雑費やらを散々私のポケットマネーから払わせておいて、その上給料までカットなんて。先生、あなたは私に死ねとおっしゃるのですか」
「はは。大袈裟だなぁ、時田君」
 僕は爽やかに笑うと、言った。オプションとして光る歯もつける。
「全然大袈裟な話じゃありませんよっ! 四〇〇%っていったら、逆に私が三ヵ月分の給金を先生に支払わなきゃならないじゃないですか。間違いなく死にますよ」
「まあまあ、押さえて押さえて。ここを何処だと思ってるんだい? 仮にも、今回のクライアント様。綾波さんの御宅の前なんだよ。」
「……っく。」時田君は悔しそうに口を噤む。
 彼は妙にお堅い人間だから、それを攻めてやればチョロイものだ。
「大体お金なんて、たかが紙切れ。日本銀行が発効するペラペラの銀行券じゃないか。トイレットペーパーと大差無いよ。そんな紙ごときで躍起になるなんて、大人げ無い話だ。ここはサラッと忘れて、綾波さんのお宅にお邪魔しようじゃないか。」

 僕は朗らかにそういうと、返事を待たずして車から降りた。
 そして綾波邸のチャイムを一六連打する。むかし、ファミコンで鍛えたのだ。
 ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴんぽ〜ん
 更にチャイムを巧みに押して、世紀の名曲『猫踏んじゃった』を奏でようかと画策している時、ガチャッとインターフォンがとられた。どうやら家の人が応対してきたらしい。
「はい、どちらさ……あ、なんでも屋さん?」
 インターホン越しに聞こえる美しいこの声は、間違い無い。
 僕の心の蜜蜂、綾波レイさんだ。ああ、ハニー。どうして君はそんなにハニーなんだ。
 ――しかし、まだ名乗ってもいないのに相手が僕である事に気付くとは。ひとえに、これも『愛』のなせるわざだろう。というか、それ以外に可能性を考えるつもりはキッパリない。
「さすが綾波さんですね。たとえインターフォン越しであろうと、僕の存在と気配を察知するとは。やはり僕ら二人の燃える――」
「ええ。このインターフォン、小型カメラも内蔵してありますので。こちらで玄関先の映像を確認できるんです」
 愛は開始二秒で散った。

 そこに運転席を降りた時田君が後ろからやってきた。彼は生意気にも僕を押し退けて、綾波さんに話し掛ける。
「すみません、突然おしかけまして。所長との協議の結果、今夜からさっそく調査を開始したいと思います。その件で窺ったのですが。」
 協議? また変な表現を持ち出すものだ。そう思ったが、とりあえず突っ込まないことにした。
「あ、はい。では門を開けますので。」
「恐れ入ります。」
 あっさりと訪問の意図を理解してくれた綾波さんに、時田君はペコリと頭を下げた。
 彼は電話先ですら無意味に頭を下げる変態だが、この場合カメラ越しに相手に伝わるだろうから問題はない。
 しかし――僕は改めてこの閑静な住宅街と、綾波邸を見回しながら思った。この高級住宅街にありながら、綾波家はそれでも際立った豪邸だ。恐らく、いや確実にお金持ちなのだろう。
 その証拠に、誰もいないのに豪華絢爛なデラックス極まりない門が、ウィ〜ンという音と共にゆっくりと開き始めたではないか。
「やった。逆玉の輿、略して逆タマだ!」
 とりあえず僕は、ガッツポーズをとって喜びを表現してみた。
 綾波さんのハートをガッチリ掴めば、絶世の美女&多額の財産が我が手に入る。そしてなにより、この僕の乾いたハートを濃厚な愛が満たしてくれるわけだ。そうなればもはや時田君など用済み。破棄は時間の問題となるだろう。というか、有無を言わさずあのボロ車と一緒にスクラップだ。
「登記簿などを参照するに、この邸宅の評価額だけで一〇億は下らないようです。」
 時田君が囁くようにそう言った。その表情から、僕の思考を読んだらしい。
 しかし、家だけで一〇億以上か。これはもう、愛も資産もウナギ上りって感じだね。
 因みに <住民基本台帳> や <登記簿> <金融関連> など基本的なデータは、既にここに来る途中インターネット経由で取得してある。僕のような特殊ライセンス保持者は、それだけ特権というものがあるのだ。行政書士や弁護士が、自由に個人のプライベートなデータを入手できるのと同じである。
 勉強狂の時田君の話によれば、二〇世紀まではそれらの書類の入手のためには、わざわざ役所まで出向かねばならなかったらしい。難儀な話だ。

「さて、じゃ時田君。車を適当な場所に停めさせておいてもらって。僕は先にお邪魔してるから。車を止めたら、さっそくこの辺をしらみつぶしに当たって、綾波さんを盗撮したと思われる場所を割り出すんだ。仕事の話は、僕がしておくから安心して。じゃ、がんばってね。」
 早口にそう言い残すと、僕はテクテクと玄関に向けて歩きながら言った。
 しかしなんて広い庭なんだ。開かれた門からホワイトハウスのようなゴージャスな豪邸の玄関まで結構歩かされる。
 う〜む、時田君が言ってた評価額一〇億って、もしかして家だけの話で土地は別だったりして。あり得るだけに恐ろしい。
 僕がドアに辿り着くのと、綾波さんが内側から迎えに出てくれたのはほぼ同時だった。
 ゆっくりと大きなドアが開くと、そこから控えめな彼女の笑顔がのぞく。うむ。美人だ。
 住民票の記述から算出するに、彼女は現在花の二一歳。何が花なのかは不明だが、基本的に僕と同い年だ。たしか、誕生日はおめでたくもクリスマス。僕は六月生まれだから、半年お兄さんということになる。
 しかし、彼女の経歴。これがまた凄い。イギリスの一流の大学をスキップにスキップを重ねて、なんと一五歳にして卒業している。
 大した勉強家らしい。とびきり頭が勉強に向いていたか、あるいは、それを周囲に強要されたか。いずれにしても、凄い話だ。

「わざわざおこしいただきまして申し訳ありません。」
「あ、いえ。」深々と頭を下げる綾波さんに戸惑いながら、僕は言った。なんだか礼儀正しい人だ。うむ、合格。「――これも仕事ですから。」
「あの、お連れの助手の方は?」
「ああ。時田君ですか? 彼はさっそく外で調査を開始しております。どうぞ、彼のことは記憶から完全に消去なさって下さい。二度と思い出される必要はありませんから。はい。」
「そうですか……。では、中へどうぞ。」彼女はドアを全開すると、僕を招き入れてくれた。
「おおう!」
 感嘆の呻きを禁じえない。これまた凄い玄関だった。まず広い。しかも奇麗。あまりごちゃごちゃとした装飾品はないが、センスを感じさせる調度品が幾つか並べられている。さらっと自然に敷いてある敷き物なんかに、意外ととんでもないお金が注ぎ込まれていそうだ。
 嫉妬を感じさせるような、これ見よがしな金の使い方ではなく、趣味の良さが光る上品な感じである。
 僕の使い古したボロボロの靴なんかで、ズカズカと上がり込んで良いのだろうか。ちょっと遠慮してしまう。
 ――が、そんなことで本当に悩んでいるようでは碇シンジは務まらない。結局、僕は遠慮も躊躇もなくズカズカと上がり込み、前方で揺れる形の良い綾波さんのヒップを追いかけた。

 穏やかな微笑みをたたえる彼女の案内で通されたのは、これまた豪奢な造りの応接室だった。
 南側を見ると、壁の一面が丸ごとガラス張りのワインセラーになっている。中にはマニア垂涎の高級ワインがズラリと並んでいた。酒好きの友人がいるので、テイスティングは別としてもラベルで大体の価値くらいは分かるのだ。
 その素晴らしいワインコレクションの隣には、磨き上げられたクリスタルのような輝きを放つグラスも、所せましと並べられている。温度調節もバッチリ。保存方法、管理その他も及第点。
 ただの金に物を言わせて、世界中の高級ワインを買いあさる俄成り金とは一線を画すといった感じだ。 「こんな広いお屋敷なのに、綾波さんひとりでお住まいなんですか? 使用人とか家政婦とか、メイドさんの類は?」
 玄関からこの応接室までの長い廊下を歩いてみた限り、人の気配は全く無かった。
「一人だけそのような方を雇ってはいるのですが、今は暇を取らせています。私もこの家を出ることになっておりますし。」
「なるほど。」

 恐らく、ストーカーにつけ狙われるようになったのでその人を屋敷から遠ざけた――というようなシナリオなのだろう。もちろん、被害がその人にまで及ぶことを恐れたための処置だ。賢明な判断と言える。
 ストーキングってのは、実際されてみないと分からないんだけど、精神的な意味での疲労や恐怖を強く受けてしまうものなのだ。だからこそ、被害と被害者の数は小さい方が良い。当然だ。
 綾波さんは僕に椅子を勧めると、一旦部屋を出て紅茶を載せたトレイを携えて戻ってきた。白い湯気と芳しい香りが応接室を漂う。アッサムだな。
 なんにせよ、この寒い時期に飲む温かい紅茶は格別だろう。
「綾波さん、今日は提案とご相談に伺ったんですが。」
 彼女が僕の向いのソファに腰を落とし、落ち着くのを待ってから僕は口を開いた。
「はい?」小首を傾げる綾波さん。
「まず、改めて本件の依頼をお受けする旨をお伝えしたいと思いまして。」
 こんな事を言わずとも、既に一応の契約は済ませてある。ま、確認のためだ。
「はい。ありがとうございます。どうかよろしくお願いしますね。」
 お嬢様は、お行儀良く僕に頭を下げた。実に自然な動作だ。

「――それで、明日の船上パーティのことなんですが。」
「はい。」
「確か、お仕事の関係でのものなんですよね?」
「ええ。」小さく頷くと、彼女は続けた。「今度、私どもの会社とオーストリアの企業とが業務提携、と申しますかオーストリアの企業に事実上の吸収合併をされることになりまして。明日の <テュルフィング号> を貸し切って行われるパーティは、両社間の主立った社員同士の顔合わせと、親睦を深める意味で行われるそうです。」
「オーストリアの企業、ですか。もしかして三日後にオーストリアに移住されるというのは、その関係ですか?」
「ええ。向こうの本社から声がかかりまして。」
 普通、吸収される側の企業の社員は合併後の待遇が落ちる筈だ。それにも関わらず綾波さんは向こうの本社勤務を命じられた。彼女の実力が桁を外れているか、彼女の家柄にそれ程の価値があるかだろう。

「そうなると当然、限られた人間しか船に乗り込むことは不可能になるわけですよね?」
「そうですね――」彼女は天井を見上げ、一瞬だけ沈黙思考した。「確かに招待状は必要となりますが、そこまで形式的なものでもないと思います。現に社員の家族も出席できるくらいですから。」
「つまり、そこそこフォーマルな催しではあるが入場制限はゆるい、と。」
 確認の言葉に綾波さんは小さく頷いた。
 なるほど、ここまでは良い。問題はここからだ。。僕は膝に肘を付けて身を乗り出すと、綾波嬢と正面から眼を合わせて再び口を開いた。
「では、こんなことを申し上げるのもなんですが、綾波さん。貴女を付け狙っているストーカーが潜り込まないという保証も無いわけですね?」
「それは……そうです。」ストーカーという言葉が出た瞬間、彼女の表情が曇った。
「それでなんですが、やはり僕たちとしても依頼をお引き受けする以上は万全の構えで望みたいと考えます。どうでしょうか、綾波さんのお力で明日の船上パーティの席を僕たちの分も確保していただけませんか」
「それはつまり――」
 綾波さんが、少し驚いたような表情で僕を見詰める。

 既に船上パーティで何が起こるかについてはある程度の予測が立っていた。一連の事件そのものが、贅を凝らした舞台演出に過ぎない。
 ここまでの用意をして我々を待っている人間がいるのだ。無下にもできない。
「ご想像の通りです、綾波さん。オーストリアへの出立までの間、我々は貴女の安全を完璧な形で保障したいのです。そのためには、僕らもそのパーティ会場にお邪魔して密着警護をさせていただくのがベストと考えています。」
 僕はそういうと、急いで付け加えた。
「もちろん、お邪魔になるようなことは極力しません。これもパーティのセキュリティ強化の一環というように考えていただければと。」
「それは、私としては願っても無いことなんですが。」
 遠慮がちな視線を僕に向けながら、綾波さんは言った。
「でも、かえって <なんでも屋さん> のご迷惑になりませんか?」
「いえ、とんでもない。これも仕事ですから。」僕は微笑みを返した。「では、お許しいただけるんですね?」
「もちろんです。こちらからお願いします。碇さんは私の親族か、あるいは個人的な招待客としてお招きできると思います。」
 綾波さんは、どうやら会社の中でもかなり発言力のある立場にいるらしい。なるほど、思っていたよりも難しい話でもなかったということか。
「それからパーティ後のことなんですが、より安全な警護を実現するために是非とも僕の事務所に……」

 その後、結構な時間を掛けて、僕はこの件に関する色々なアドヴァイス、提案をした。パーティでの直接警護、その後僕の事務所での寝泊まり等といった出発までのプランを、綾波さんは快く受け容れてくれた。やはり残り三日とは言え、一人でいるということは不安があるものなのだろう。いや、残り三日だからこそ不安が増長されるのかもしれない。
 ストーカーが綾波さんの渡海を知っているかは不明だが、もし知っていたとしたら……
 残り時間が無いと焦って、大胆な行動を仕掛けてくるかもしれない。
 最悪、直接綾波さんに接触を試み、襲い掛かるということもあり得ないわけじゃない。
 ああいう連中は、得物を自分の手の中に仕舞い込んでおかないと、気が済まないものなのだ。
 その得物が、自分の意に反して掌中から飛び立とう……などとした時、常人が思いもよらない反応を示すことがままある。

 失うらなら、いっそ殺してしまおうとか。
 いなくなってしまうなら、その前にさらってずっと側に置いておこうとか。これらを実際に行動に移すと、それは殺人になったり、拉致監禁といったことになる。まあ、これは極端なケースだが――。
 とにかく、精神を病んだ人間に、一般的な尺度での犯罪の動機はいらないということだ。
 彼らにあるのは、ただ閉鎖された自分だけの世界。そして、抑えること、コントロールすることを学べず暴走・肥大した欲求。
 ――この二つだけなのだ。
 それらは、健全な精神を持つ者や、被害者側から見れば <異常> <異様> なものとして映る。
 そういうものらしい。






 チュンチュンと、煩く風を裂いてゆく弾丸。
 どしゃ降りの鉛弾から、身を隠して雨宿り。
 僕ら三人は身を寄せて、いつもの様にプランを練っていた。

「さて、どうしたものかな?」アルカイックスマイルから、楽し気な言葉が紡がれる。
 どの顔にも、緊張など一欠片も無い。三人が三人である限り、どんな絶望的状況もかならず乗り越えられる。
 絶対の自信と、絶対の信頼感。どの胸にも等しく、それは宿っていた。

「どうでもいいけど、やたらめったらに乱れ撃つのはやめて欲しいよ。ホント、セミプロなんだから。下手な鉄砲は数撃っても当たらないって言うのに。
 ……あ〜ぁ、何でもいいから早く終わらせて寝たいなぁ。」

「なに言ってんのよ、シンジ!」青い奇麗な瞳が、非難の色を込めて僕に向けられる。
「ん。なに、アスカ。僕、何か変なこと言ったかな?」
「今は仕事中でしょ! 寝ることは終わってから考えなさい!」
「ん〜……」




 ――これは、いつの頃だったかな。
 そうだ。多分あれだ。
  <なんとか解放戦線> とかいうのに雇われて……
 敵側の兵器取り引きをぶち壊し、その兵器を奪取もしくは破壊するのが任務。
 あの時だろう。



「……ねぇ、アスカ。」
 間延びした声で、僕は飛び交う弾丸が収まるのを待つアスカに呼びかけた。
「なに、シンジ。」真顔で僕を振返るアスカ。
 深い深い、海を思わせる青の瞳。
 戦場を駆け回ったせいで、火薬と煤と埃で汚れているけれど、それでも透けるように白い肌。
 彼女はキリングフィールドにありながら、なんでこんなにも奇麗なのだろう。

「……ひざまくら、して。」

 しばしの沈黙。
「……はぁ?」キョトンとした表情で、アスカは言った。
 アサルトライフルから連射される弾丸が、僕らが身を潜めるコンクリートの壁に跳ね返り、埋め込まれ。
怒涛の銃撃と、はじけ跳ぶ兆弾。たなびく硝煙。
 そこは紛れも無く、死と隣り合わせの戦場だった。

「だから、膝枕して。アスカのあったかいし、やわらかいから好きなんだ。いい匂いもするし。」
 迷彩服に包まれた僕は、にっこり笑うと言った。
「な……なにいってるの、シンジ?」
「くすくす……」隣では自動小銃で口元を隠して、カヲル君が笑っている。

「向こうの銃撃さ、止む気配が無いから。」
「だからなんなのよ?」わけが分からないといった表情で、アスカが訊いて来る。
「だから、弾切れするまで眠って待とうと思うんだ。……そういうわけで、アスカに膝枕して欲しいの。」

「アンタ、バカぁ!? 何が『そういうわけ』なのよっ! シンジ、あなた分かってんの? ここは戦場なのよ!? この絶体絶命の状況下で、どこから『寝て待つ』なんて選択肢が出てくるのよっ!」
「ずるいよ、シンジ君。アスカ君が膝枕してくれるなら、僕も寝る。」
 ガバメントをホルスターに仕舞い込みながら、カヲル君が言った。
 彼も既に寝る気だ。さすが物心ついた頃からの相棒だ。気が合う。
「カヲルっ! あんたまで、なに寝言言ってんのよっ!」

「……ねぇ、アスカ。はやく膝枕して。」
 眠気に目を擦りながら言う僕に、アスカはふかぁ〜いため息を吐いた。
「もう、信じられないわ。あんた達のその神経が。ただでさえ緊張する戦場で、どうやったら眠気がでてくるわけ?」
 呆れたようにアスカが言う。
「才能だよ。」僕が即答すると、彼女はまた深ぁ〜いため息を吐いた。

「ん? まずいよ、ふたりとも。見てくれ。例の輸送車が動き始めた。」
 突然カヲル君が、僕らに注意を促してきた。
 武器商人から、敵側の勢力が武器を受け取るのが今日。
 選ばれたのは、今、僕たちがいる崩れかけたコンクリートの冷たい廃屋。
 アスカのあったかい膝枕でもなければ、眠れそうも無いヒンヤリとした寂しい場所だ。
 僕らの任務は、その兵器の積まれた輸送車を奪取して逃走するか……
 或いは、輸送車に積まれた武器の破壊。

 見れば、カヲル君の言う通り任務のターゲットである輸送車――軍用色の貨物トラックが動き出していた。このまま見送れば、任務は失敗である。
 なんか聞いていたより敵の数が数倍多かったり、色々と契約上の問題が浮上してくるこの仕事だが……
 それでも失敗は好ましくない。

「え〜い、逃がさないわよっ! こうなればバズーカよ、バズーカ。ここから狙い撃ちにしてくれるわっ! ……援護して!」
 負けず嫌いのアスカのことだ。そう言い出すと思っていた。
 僕とカヲル君は肩を竦め合い、仕方なく彼女の援護を開始する。
 バズーカで輸送車ごと破壊か。アスカらしくていいや。……なんてボンヤリと考えながら。




 ――よかったな、この頃は。
 幾つくらいだったっけ。僕らは。確か、一五〜六歳だったかな?
 普通だったら、ハイスクールに進学する頃か。なのに僕らは、三人揃って傭兵稼業なんて奇特なことをやっていた。
 子供でも、大人でもない微妙な年頃。……だから、か。
 それまでは、1+1+1の3人だった。だけど、この頃から僕らは2+1に変わり始めたんだ。
 男の子と女の子から、男と女に。

 それは、ある意味必然だった。
 この頃から僕らの関係は少しずつ壊れ始め……
 やがて、坂道を転げ落ちるように、急速に世界は崩壊していった。

 なにもかも、いつまでも変わらないと無邪気に信じていた、三つの笑顔だけを残して――。



to be continued...

■初出

FILE 02「護衛 Bodygard」2000年04月14日
FILE 03「膝枕 WhiteHouse」2000年04月17日

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。


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and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
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