FILE:001 <ANGEL>
「スネーキング?」
このセキュリティ全盛の時代に、それは凄い。
どれくらい凄いかといえば、時田君が年齢通りに見られるくらい凄い。命知らずのチャレンジャーだ。ハッキリ言って尊敬の念すら感じるね。
「それにしても
不法侵入
(
スネーキング
)
のプロとは、手強そうですね。しかし、そういった被害を受けられたのなら警察に訴えられた方が――」
「違いますよ、先生。ストーキングです。ストーキング。」
驚く僕に、トーテムポールのように突っ立っている背後の時田君が突っ込んでくる。
「ストーキングってなに?」
首を捻って時田君を振り仰ぐと、僕は素朴な疑問を口にした。
「えっ、先生知らないんですか?」
そんな呆れ顔で言わなくたっていいのに。知らないものは知らないで、しょうがないじゃん。
「はぁ。先生は1日中寝てばかりだからいけないんです。だからあれほど新聞を読んで、時事ネタを仕入れておいて下さいと再三――」
お説教モードに入った時田君。当然、そんなもの無視である。
「第一、先生。ディテクティブたるもの、世の出来事に精通しておき、浅くてもいいから広い知識を持つようにと、常日頃おっしゃっているのは先生ではありませんか!」
「うん。そうだよ。でも、僕は
私立探偵
(
ディテクティブ
)
じゃなくて『何でも屋』だもん。関係ないよ。」
「なっ!?」絶句する時田君。そんなに意外だったのだろうか。
「先生っ! あなたにはディテクティブとしての誇りはないのですか!」
「うん。無い。」だから、僕は何でも屋だって言ってるのに。
「あがっ!?」時田君は口をアングリと開いて、固まっている。
「ストーカー……つまり他人の身辺をうろついてプライバシーを監視しようとする人が、私の周囲にもいるらしいんです。」
応接セットの向かいに掛けてもらっている、依頼人の女性が言った。
多分、時田君に任せておいては話が進まないとでも思ったのだろう。賢明な判断だ。
「へえ。なんか、変な人ですね。時田君といい勝負だ。」
「放っておいて下さい。」
僕が今向き合っているのは、時田君曰く5ヵ月ぶりのクライアントである。
要するに、時田君の横領や着服によって、かつて無い程の財政危機に陥っている我が事務所に現れた救いの天使だ。」
「そんな、天使だなんて。」
クライアントの女性が、照れたような笑みを見せる。
可愛い。素直に可愛らしい。時田君の、思わず目を背けたくなるような身の毛のよだつ微笑みとは月とスッポン。ゴム動力と対消滅機関だ。
「人を凶悪犯みたく言わないで下さい、先生。我が事務所が極貧状態に陥っているのは、先生が食っちゃ寝しているせいでしょう!」
プルプルと、何かを堪えるように震えながら言う時田君。トイレを我慢しているのだろうか?
「あの、なにか?」
じっと見詰める僕の視線に気が付いたのか、依頼人が居心地の悪そうに訊いてきた。
「――いえ、なんでも。」
それにしても、嘘つき時田君の報告は、珍しく真実を告げていた。
彼の言った通り、クライアントの女性は若くて、とっても美人だったのだ。こんな綺麗な人と向き合うなんて久しぶりのことだから、思わず見とれてしまう。頬も、ちょっと熱い。自慢じゃないが、僕はそのあまりの堅物ぶりに女性に免疫というものが無いのだ。
白く透けるような、そう、朝日に煌く処女雪を思わせる滑らかな肌。厳選された、この世で最も美しいルビーを嵌め込んだような、澄み切ったレッドアイ。そして、くるくると可愛らしいくせのある、ちょっと短めのシルバーブロンド。そのあまりに見事な銀は、光を反射する鏡のように艶やかだ。思わず手を伸ばして、その感触を確かめてみたくなる。
それに比べて――
僕は厭々ながら、後ろにウドの大木の如く突っ立っている時田君を見上げる。
「この時田君と来た日には、まだ27歳のくせに、どう考えても世間の汚れに塗れ、人生に疲れ果てた中年オヤジにしかみえない、その暑苦しい顔。そして、狂気の世界に旅立ってしまったとしか思えない、腐りきったその瞳。さらには、そのインテリぶった、イヤミ極まりない蝶ネクタイ。もはや、手を伸ばして触れるどころか、半径6000m圏内に近付くことすら躊躇ってしまうような人だ。」
「よくもまぁ、人のことをそこまで滅茶苦茶に言えますな。」
「いやいや。気にする事は無いよ。僕はもう慣れたから。」
そんな部下をやさしく労ってやるこの優しさ。涙ものだ。僕はきっと世間一般で言う、理想の上司とやらに値するに違いない。
「それで、え〜っと……あの、時田君、彼女の名前なんだっけ?」
僕はこっそり時田君に訊いた。
「もう、しっかりして下さいよ、先生。
綾波
(
あやなみ
)
さんですよ。綾波レイさんです。」
時田君はコソコソと僕の耳元に囁きかける。
「それで、アジャ波さん」
「
あや
波です」
彼女は綾の部分をやけに強調しつつ、訂正した。
「失礼、ちょっと間違えてしまいました。」僕は紳士らしく素直に謝罪する。
「では、間違いのないよう、今後は縮めて『アジャさん』とお呼びしてよろしいですか?」
「先生、それ縮める以前に間違えてますよ」
「えっ、そう?」
僕は時田君の指摘に首を捻った。改めてそう言われると、そのような気もしてくる。でも、アジャさんなんて、
ちょっと巷ではお目にかかれない
素敵ニックネームだと思うんだけど。
……まあ、いいや。
「それで、綾波さん。話を戻しますが、そのストーカーには具体的に何かされたわけですか?」
まさか――!
まさか、自宅に入り込まれて無理矢理あんなことや、こんなことや……
あまつさえ……、あまつさえ、そっ、そんなことまで!?
ゆるさんぞっ、変態ストーカーめっ! 僕を差し置いて、レイさんの柔肌に触れおって〜!」
「ちょっと、先生。なに白昼夢見てるんですか。落ち着いて下さいよ。」
頭を抱え込んで苦悩する僕に、時田君が憎いほど冷静に言葉をかけてくる。やはり、彼には人の心というものが欠落しているに違いない。前から、アンドロイドじゃないかなぁって不審に思ってはいたんだ。
僕は早速、人間とアンドロイドを見分けるという、あの、伝説の <フォークト=カンプフ検査> の準備を始めた。
「あの……具体的に私自身に被害が及んだという訳では無いんです」
そこに、綾波さんが遠慮がちにそう口を開いた。
「えっ!?」
僕はその声に、希望の光を見た。ひとりで勝手に絶望に陥っていただけ、というウワサもあるが。
「じゃ、じゃあ、助かったんですね!? 何事もなく、僕の天使は守られたわけですね!?」
ずいっと身を乗り出すと、彼女に顔を寄せながら僕は問う。
「は、はぁ……」気圧されたように、綾波さんは頷いてくれた。
おお……! 神よ。ありがとうございます。このご恩は、3日は忘れません。お礼に時田君の魂を捧げます。いつお召になっていただいても構いませんから。はい。
「では、どうしてストーカーが貴女の周囲にうろついていると?」
時田君が、主である僕を差し置いてそんなことを訊きだした。
「実は、それなんですが……」
綾波さんはポーチというか、小さ目のバッグの口を開けると、中から封筒のようなものを取り出した。
大きい。B5サイズくらいの封筒だ。スッと差し出す綾波さんから、それを受け取る。
「拝見します」そういうと、僕は封を切って中身を取り出してみた。
出てきたのは、数枚の写真と紙切れだった。写真の方は封筒のサイズまで、大きく引き伸ばされている。
「先生、私にも見せて下さいよ」そう言いながら、時田君が暑苦しい顔を近づけてきた。
「おおっ」
「こっ、これは!?」
綾波さんが、何故困ったような顔をして俯いているのかが分かった。
それは盗撮写真であったのだ。それぞれ違うアングルから、恐らく自宅であろう彼女の部屋を撮ったものが5枚。うち1枚はパジャマ姿だ。
ら、らぶり〜♪
頬が上気してくるのが、自分でも意識できる。
多少粒子が荒いが、お宝画像であることには変わりない。
とまあれ、我が青春に一片の悔い無しって感じである。
「ちょ、ちょっと先生! なに、あたかも当然の如く懐にしまい込んでるんですか!?」
「あ、いや、つい……ね。」
時田君は僕からお宝写真を奪い取ると、テーブルに戻した。
ちっ。時田君の癖に、目ざとい。何時もボーッとして、事務所の金を片っ端から食いつぶす、食っちゃ寝の穀潰しのくせに。恩を仇で返されるとはこのことだ。
「昨日、この写真がポストに入っていたんです。その手紙と一緒に」
そう言って、綾波さんは封筒に一緒に入っていた白い紙切れを指した。
「これですか。」僕はその文面に視線を走らせた。
と、いっても大した事は書かれていない。いや、内容は大した事大有りなんだが……。
ENDLESS DUAL
「――終わらない闘い? なんでしょうね、先生。」
時田君が訊いて来るが、そんなこと分かるわけがない。
「綾波さん、なにか心当たりでも?」
役に立たない時田君に変わって、僕が綾波さんに訊いてみる。が、彼女は小さく首を左右に振っただけだった。
悲壮な顔をしている。それはそうだろう。得体の知れない変人に、四六時中監視されているようなものだ。例えるなら、それは時田君のような歩く犯罪者を雇用する経営者のような心境なのだろう。
安眠は妨害され、事務所の蓄えは食いつぶされ……まさに、この世の地獄だ。」
「先生。私になにか怨みでもあるんですか?」
時田君がなにか言っているようだが、そんなものは無視。
「――それで、綾波さん。」僕は、改めて綾波さんに話し掛けた。
「我々に対する具体的なご要望……率直に言えば、今回の依頼内容をお聞かせ願いたいのですが」
「はい」綾波さんはちょっと俯くと、直ぐに顔を上げて語り始めた。
「3日間で結構なんです。私の身の安全を守っていただきたいんです。」
「それはつまり、ストーカーから?」
「ええ。」
「まぁ、ストーカーがいるのはどう見ても、この写真から明らかですし。確かに不安はあるでしょうね。」
しかし、3日間に限定するのは何故だろう? 怪訝に思った僕がそれを問おうとした瞬間、時田君が口を開いた。
「ストーカーを見つけ出せ、というのではないのですか?」
暫くなにか考えると、綾波さんは言った。
「勿論、そうしていただけるのが1番なのですが――仕事の関係で3日後には、オーストリアに移住することになっているんです。ですから、その当日までの間だけ守っていただければ。」
「ほう、オーストリアに。グロックの故郷ですね。しかもお仕事で移住とは……ハンニバルですね、綾波さん」
「先生、それを言うならグローバルですよ。グローバル。バルしかあってませんよ。というより、私くらいしか突っ込めませんよ。今のは。」
かかなくていい恥をかいてしまった。
「つまり、そのオーストリアに出発するまでの間ストーカーの脅威から貴女をお守りすればいいと。そういう訳ですね?」
羞恥で硬直している僕に変わって、時田君が綾波さんに訊いた。
「はい。お願いできますでしょうか。」
「――で、どう思う? 時田君。」
調書を取り簡単な契約手続きを済ませてアジャ波さんを帰した後、ソファに座り直した僕はおもむろに口を開いた。
それにしても、花が失われてしまった空間というのはこれほどまでに寂しいものなのか。やはり、時田君はクビにして可愛らしい女子職員を雇うべきだろうか。検討の余地ありだ。
「どう思うとは、どういうことでしょう?」
時田君は僕の向かい側――先程までアジャさんが座っていた席――に腰を落とすと言った。
「どうって、今回の依頼の件だよ。」
僕の言葉に、時田君は怪訝そうな顔をする。
「どうもこうも、昨今ストーカーに関する依頼はそんなに珍しいものでもないでしょう。いつも通りでいいのではないですか? 既に契約したわけですし、詳しい調書もとったわけですし。何でもない、ただのストーカー事件として処理すればいいでしょう。」
溜め息を禁じ得なかった。
「なに言ってるんだよ、時田君。これの何処がただの事件なの」
「と、申されますと?」
「やっぱり時田君は所詮、時田君どまりだねぇ」
ヤレヤレと首を左右に振りながら、僕は言ってやる。 「――いい? 普通のストーカーだったら、相手の出方を待って現行犯で押さえるのが常套だよね。でも、今回の件の期間はたったの三日。相手が動くかどうかすら分からないじゃないか。」
「まあ、そうですね。」
時田君は片眉を上げて、何度か頷く。どうやら僕の言わんとしていることがまだ理解できないらしい。相変わらずダメダメだな、時田君は。何年、僕の助手をやっているんだろう。
「あのね、こうまで調査期間が短いと相手が動くかどうかも分からない。アジャ波さんも平穏を望んでいるから、罠を仕掛けておびき寄せるのも躊躇われる。となれば、これはストーカーを捕まえるというよりも、むしろボディーガードになるじゃないか。」
「おお、なるほど。言われてみれば確かに、わざわざストーカーを捕まえるより彼女を護衛した方が簡単ですね。ちなみに、アジャではなく綾です。綾波さん」
ぽんっと手を打ちながら、時田君はそう言った。当然のことに今更なにを驚いているんだか。
「しかも、綾波さんは明日行われる船上パーティに出席するために一日帰らないんだ。招待状がないと出席できないようなフォーマルなパーティなんだから、ストーカーなんかが近づけるわけがない。事実上、期間は二日なんだよ」
「そう言えば、調書を取る時に聞いた詳しい話によればそうなっていますね。」
この場合の調書とは、調査に関係する詳しい情報を依頼者の証言と資料を元に作成した書類のことだ。この調書を元に調査方針を決定するのが我々の通常業務である。
「と、いうわけでだ。時田君、僕にいいアイディアがある。」
「なんですか」
「ここはひとつ <調査班> と <護衛班> 、二つに戦力を分散しようではないか。」
「調査班と護衛班、ですか。」キョトンとした顔で、時田君がオウム返しに呟く。
「そう。何も二人揃って同じ行動をとる必要はないでしょ? ひとりは綾波さんのボディガード。そしてもうひとりはストーカーをひっ捕らえるための調査を行うわけだよ。」
「なるほど、それは合理的かつ能率的です。流石、普段は食っちゃ寝してはいますが先生もやる時にはやりますね。」
時田君は何度か小さく頷きながら感心したように言った。何やら引っ掛かるところはあるが、一応誉めているようなので許してあげよう。
「そこで、だ。時田君には <調査班> になってもらおう。僕は <護衛班> ということで、綾波さんのすぐ……もうほんのすぐ近く、体温が感じられて、何かふとした弾みがあれば事故でチューとかしちゃいそうなくらいすぐ近くに常に張りつき、みっちり二四時間、トイレからオフロまで責任もって全力でガードするから。ストーカーだか痴漢だか知らないけど、完全にシャットアウトしてみせるよ!」
僕は拳を握り締めて力説した。
「その痴漢にボディーガードを任せていては、本末転倒のような気がしますが」
「ん、何か言った? 時田君。」
「いえ、特には。しかし先生、私に本格的な行動調査というのは些か荷が勝ち過ぎるような気がするのですが。先生のおっしゃる通り、私はまだまだ調査員としては未熟ですし。」
時田君がやや俯き加減で言う。事務員としてはそこそこ優秀であることは認めてやってはよさそうな気がするが、時田君は確かに現場に出ての実際的な調査――フィールドワークとなるとからっきしだ。きっと才能を致命的に欠いた、もう救いの様の欠片も存在しない究極欠陥調査員なのだろう。」
「いや、なにもそこまで言わなくても。」
泣きそうな顔でなにやら時田君が訴えているが、当然無視。
「とにかく苦手だからって敬遠してちゃ、いつまで経っても成長が無いじゃない。ここはひとつ奮起してみたら? それに今回はストーカーを見つけるのが達成目標ってわけでもないし。こんなこと言っちゃなんだけど、別に時田君が期待通り大失敗したとしても問題はないわけで。」
「はぁ……」何だか時田君は複雑そうな顔をする。だが結局は僕の提案に乗ることにしたらしい。「それでは、折角の機会ですし、お言葉通り私がストーカーの方を調査してみます。」
「そうそう、それがいいよ。段取りくらいはしてあげるから、君はそれに従って調査を進めればいい。報告は毎日必ず一回は、口頭でするんだよ。適当なアドヴァイスくらいは出来るかもしれないしね。」
時田君が僕の事務所で調査員として働き出したのが確か二年前だ。二年といえば大体一通りの経験を積んで、新人が何とか一人前になるくらいの長さだ。
それなのに時田君ときた日には、いつまで経ってもセミプロのままで。仕方が無いなぁ。本当にクビにして、可愛いくて優しくて美人で若い女性所員と入れ替えようかなぁ。」
「そんな殺生な……」なんか時田君が泣いているような気がするが、とりあえず無視。
「とにかく綾波さんの笑顔と事務所再建のために頑張るんだよ、時田君。僕は彼女を密着ガードするから。」
「一抹の不安は残りますが、先生を信用することにしましょう。」
「うむ。じゃあ、調査のプランを煮詰めよう。へっぽこ時田君のために。」
僕は応接セットのテーブルに置かれた <調書> に目を落とした。
「――さて、これによるとストーカーの行動は段々とエスカレートしてきている。最初は尾行したり周りをウロチョロするだけだった様だけど、一週間後には無言電話が始まってるね。それからこの盗撮。」
僕は結局綾波さんから与かることになった、例の盗撮写真を指しながら言った。
「いつ現れるかは決定されていないようですね。気が向いた時に気ままに現れるといった感じですな。」
時田君が、顎に手をやって呟く。
「いずれにしても週に一回は現れるみたいだね。綾波さんがストーカーの存在に気付いてから約三週間。ランダムに現れてはいるが、とりあえず週に一度は何か行動を起こしている。」
「その様ですね。」
「ふむ……しかし、何で綾波さんなんだろう。普通はああいう美人のような高嶺の花より、純朴そうな田舎娘タイプが狙われるものなんだけど。ストーカーに限りなく近い思考回路と精神状態を誇る時田君、君はこれをどのように考えるかね」
「私をこんな変態と一緒にしないでください、先生。」
「気になるのは、この盗撮のアングルだよね。綾波さんの御宅に伺って、どのあたりから撮られたものか割り出そう。そこにポイントを絞って時田君が張り込みをする。二四時間体勢でね。後は綾波さんの近所の巡回。特に夜、必然のない場所に止められた車なんかは要チェックだ。」
僕の言葉を、時田君はサラサラと手帳に書きとめている。
「あと、どうやって綾波さんの電話番号を知ったのか、この線から洗ってみることも可能だね。」
綾波さんに一応訊いてみたが、彼女の自宅の電話番号は一応電話帳に載っているらしい。彼女は良家のお嬢さんなのだ。今は両親とも仕事の都合で家を開けているから独り暮らしなのだそうだが――。
「まあ、住所と名字が分かっていれば、逆引きすればいいんだから電話番号を知るのはそう難しいことじゃないけど。」
「そうですね。一応、調べてみます。」
「これがストーカーの逮捕が目的なら、綾波さんを囮にしてストーカーをおびき寄せるなんて事も出来そうなものなんだけど、三日しかないならなるべく負担は掛けたくないしなぁ。」
「どうせ、近日中にオーストリアに移住するんですからね。」
時田君も同じように考えているらしく、小さく頷いている。
「あ、そうだ。明日の船上パーティ後はこの事務所に匿うというのはどうだろうか」
「――なるほど、それは良いアイディアかもしれませんね。」
「そう思うでしょ。ここなら安心だし、部屋は時田君のを使ってもらえばいい。」
我ながら名案である。自分の才能が怖い。
「あ、いや。それなら私は何処で寝ればいいので?」
「やだなぁ、時田君。当然、外だよ。近くに児童公園があるでしょ? ダンボールと新聞くらいなら支給するから、そこで寝てよ。」
「そんな! あんまりですよ、先生」
「大丈夫、たかが二日だよ? それくらい外で寝たって死にはしないって。平気平気。」
「いや、しかし……そんな、まるでホームレスのような。」
眉をハの字みたいにして、時田君は何やら必死に僕を説得しようとしてくる。何がそんなに不満なのだろうか。探偵ならそれくらいの野宿は、基本じゃないか。大体、彼には学習能力というものが欠けている。僕がこれと決めたことを時田君が覆せた過去など一度も無いのだ。
「――ああ、もう! 時田君の癖にグチグチうるさいな。じゃあいいよ、綾波さんは僕の部屋に泊まってもらうから。うん、それがいい。綾波さんと二日ふたりきり。しかも同じ部屋、同じオフロ、同じベッド。何か過ちが起こったとしても全く不思議のない美味しすぎるシュチエーションではないか!」
「それだけは、断固反対です。」妙に悟りきった顔で、時田君が言った。
「え、なんでさ。ここなら悪戯電話も掛かってこないし、貸ビルの三階だから盗撮も不可能。安全極まりない究極のセーフティ・フィールドじゃないか。」
力説する僕に、時田君は小さな溜め息を吐くと言った。
「ですから、いくら強固な結界が張られていてもその中に予め痴漢が生息していたのでは、全く意味がありません。」
「痴漢? そうか。時田君、君も遂に自分を客観的に評価できるようになったというわけだ。感心感心。でも心配ないよ。時田君は近所の児童公園で野宿だから。」
「はぁ、もういいです。」諦めたように、時田君は言った。
「じゃあ早速、綾波さんの御宅に出発だ。まずはストーカーが綾波さんの部屋を盗撮した場所を現場にいって確かめないと。それが分かったら時田君は張り込み&調査&巡回。」
「はい。分かりました。」
「いい? 暗くなったら夜通し警戒するんだよ。二四時間体勢だからね。」
ぐうたら時田君に念を押す。目を離すとすぐにサボるとんでもない調査員なのだ、彼は。
「分かってます。先生も、くれぐれも粗相のない様にお願いしますよ。私はそれがストーカーよりも心配で心配で眠りたくても眠れません。」
妙に深刻な顔をして時田君は言った。何か胃のあたりを辛そうに押さえている。きっと自分の存在そのものが罪深いことに今更ながら気付き、なけなしの良心に胸を苛まされているのだろう。
「失礼なことを言うな、時田君。僕は正真正銘のジェントルマンだよ? 粗相なんて天地がひっくり返ったってあり得ないよ。」
「そうでしょうか。なんか、ふたりきりなのを良いことにオフロを覗いたり、下着を盗んだり、寝ている綾波さんに襲いかかったりと、ストーカー以上の被害が発生しそうで私は心配なのですが。」
「そんなわけないじゃないか。いやだなぁ、僕は紳士だって言ってるじゃない。」
僕は爽やかに、受け返す。
――チッ。時田君の癖に肝心な時に限ってカンが良いんだから。何時もはボケボケっとしてるくせに。
「さあ、そんなくだらないこと言ってないで行くよ。」
僕はコートを羽織ると、事務所の出口に向かった。
「不安だ。不安すぎる。」
時田君はまだブツブツ言っている模様。何故にこの僕を信用できないというのだろう。
「ほら、時田君。置いていくよ。」
ドアから半分顔を出して、最後通告する。
「あっ、待って下さいよ。先生っ!」
何はともあれ、いよいよ麗しの綾波さんとの愛の巣に出発である。よりエレガントに表現すれば、レッツゴー・ラブタイフーン・イン・綾波邸となるか。
――とにかく待っていておくれ、ハニィ。
to be continued...
■初出
FILE 01
「天使 ANGEL」
2000年04月08日
本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。
<<INDEX
Copyright (c) 2000-2004 by Hiroko Maki
and Based upon and incorporating the GAINAX animation "EVANGELION".
NEXT>>