S H I N I N G  Y O U T H
ライダー


Christopher Stevenson
クリストファ・スティーヴンソン








10:にちようび 「戦わなければ」


 ――2000年10月08日、日曜日。彼はライダーになった。

 10月といえば、岩手県内陸部に位置する白丘市にとっては既に秋も末。木枯らしは吹き荒れるし、気温は氷点下までぐっと下がるしで、関東出身の相沢祐一からすれば、もはや冬と表現してしまっても問題ないくらいである。大体、学校が終わって校舎を出ると既に外が真っ暗っていうのはどういうことよ、と声を大にして主張したくなる今日この頃だ。
 だがその日、10月8日(日曜日)は一味違った。いや、祐一個人としては二味くらいは充分に違ったかもしれない。なにせ蒼穹には太陽が輝き、眩しい陽光を大地に向かって注ぎ放題そそいでいるのだ。ちぢれ雲ひとつ見当たらない、まさにパーフェクトな快晴。しかも木枯らしだとか、そういう冬を間近に思わせる要素は一切なし。まさに神が、自分の記念すべき初ツーリングを祝してこの天候を用意したのではと思いたくなる好条件だ。

 ご機嫌な祐一は、水瀬家の玄関から躍り出ると颯爽と門を開けて路上に降り立った。そこには、輝く新品のボディを惜しげもなく晒した、白と紅のツートンカラーが印象的なバイクがドーンと鎮座している。その隣には、川澄舞のBMWが存在感タップリに停められていた。親友の倉田佐祐理が隣りに陣取るサイドカー付きのタイプではなく、最近また新たにプレゼントされたというK1200 RSという新型なんだそうだ。名前の示す通り、ナイトブラックのその車体は1200ccの超大型のものである。もちろん、サイズも凄ければ値段ももの凄い。

「よし、舞。行こうぜ」
「了解」
 祐一は舞と並んで、さっそく機体に歩み寄っていった。後ろには、今日のためにわざわざ時間厳守で呼び寄せたAMSの女の子たちが勢揃いしている。いつも楽しそうな名雪や佐祐理などは普段通りの笑顔を見せているが、クールなキャラクターとして認知されている香里や美汐は退屈そうに溜息を吐いていた。なんだってエロガッパのライダーデビューのために、好天に恵まれた貴重な日曜日を潰さなければならないのだろう――という不満が、ありありと窺える佇まいだ。
「じゃあ、お前ら……」
 ひとり能天気な祐一は、ヘルメットを被り顎紐をギュッと固めると彼女たちを笑顔で振り返った。顎紐をしめるなんて、小学校の『赤白帽』以来のことだ。レトロ感漂う素敵なヘルメットである。
 対照的に、隣りの舞は車体とお揃いのナイトブラックのフルフェイスで決めていた。後ろから垂れている艶やかな黒髪のテイルが、風に靡くととても格好良く見えることは誰もが知っていることだ。大型バイクを颯爽と駆る川澄舞の姿は、AMSの女の子の密かな憧れの的だったりする。
「俺たちはこれから、ちょっと風になってくるぜ。この相棒とな!」
 祐一はニンマリと邪悪に笑い、シートに跨った。始動はキック併設のセルフ式だ。キーをスロットし、軽く捻る。レスポンスは即座に、エンジン音として返って来た。少し遅れて、隣のBMWも獣の咆哮のような排気音を上げた。
 祐一はなにやら感極まったように目を閉じ、愛車のエンジン音に聞き入っている。大方、「このエンジンと共に俺のビートも加速中だぜ!」とか思っているに違いない。
「なにやら随分と長い瞑想ですね」
 冷え切った表情と声で、ミッシーが言った。
「多分、あれね。心の中でマシンスペックなんかをいちいち確認してるんだわ」
 ヤレヤレと呆れ顔で首を左右しながら、となりの香里が呟く。
「見て、あの弛緩しきっただらしのない顔。あたしたちの胸を見て、バストサイズとか触り心地とかを想像してるときのエロガッパ顔とほとんど同じじゃない?」
「まさにその通りですね。察するに、今はエンジン仕様なんかを得々と語ってるんでしょう」

 ――その通りだった。

 エンジン仕様、水冷4ストローク単気筒。最高出力、3.6kw/8,000rpm。ミッションは勿論のこと、男の無段変速(Vマチック)式ッ!
 隙がない。一部たりともスキが見当たらねえぜ、クレアちゃん(車名)!……とかなんとか、祐一は愛車のマシンスペックを脳裏に思い浮かべ、ひとしきり悦に入っていた。
「さあ、そろそろ行くぜっ」
 シートに跨って目を閉じてからたっぷり五分後、カッと目を見開くと彼はようやく宣言した。
「ねえ、祐一。どこまで行くの?」
 何やらのせられる形で興奮してきたらしい。名雪が胸の前で拳を作りながら訊いた。
「名雪」祐一はフッと不敵に笑う。「道ってのはな、俺が走った後に出来るもんだ」
 言下にアクセルを捻ると、祐一はクレアちゃんと共に走り去っていった。排気ガスの不快な匂いと、小うるさいエンジン音の残響が周囲に漂う。

「最後のセリフ、見事に答えになっていませんでしたね」
 さっさと水瀬家へ踵を返しながら美汐は言った。
「でもきっと、本人は『今のセリフ、決まったぜ!』とか思ってるんでしょうね」
 香里は、疲労の色を隠そうともせず嘆息する。
「まあ、30分もすれば現実を思い知って、半泣きで帰ってくるでしょうよ」
「確かに。きっと胸の大きな倉田先輩か、美坂先輩のところに行きますよ。気を付けて下さいね」
「あたしのところに来たら、カウンターで鉄拳をお見舞いしてやるわ」
「えー、どうしてですか? 祐一さん、凄く嬉しそうでしたよ。半泣きで帰ってくるなんてあり得ないと思いますけど」
 ぼんやりと姉と美汐の話を聞いていた美坂栞が、二人の会話に割り込んでいった。
「あの2台のバイクを並べてみて思わなかった? 大きさが全然違うって」
 香里は水瀬家の玄関ドアを開けると、靴を脱ぎながら指摘した。礼儀正しい彼女は、きちんと靴を揃えてから廊下を進んで行く。リヴィングに戻れば、家主の水瀬秋子が人数分のお茶を用意してくれているはずだ。
「それは思いましたね。川澄先輩のバイクはとても大きくて格好良かったです。祐一さんのは、私でも乗れそうな可愛いやつでしたけど」
「川澄先輩のBMWのエンジンは、4ストローク直列4気筒4バルブ。総排気量は1171cm3よ。49cm3の相沢君のとは、単純比較して23.9倍の差があるの」
「つまり、BMWの方が24倍もパワフリャということですか?」
「単純にそうは言えないけど、たとえば昨日、相沢君が『リミッターを解除してくれ』ってあたしのところに泣きついてきたでしょう。あれのおかげで彼のバイクは時速60キロメートルは出せるようになったわけだけど、川澄先輩はその気になればその3倍出せるわけよ」
「そもそも、道路交通法で定められた限界速度の設定自体が違いますから」
 天野がとどめを刺すように言った。
「50ccの相沢さんは、標識に50キロメートルとあっても時速30キロメートルまでしか出すことが許されません。高速道路にも自動車専用道路にも入れませんしね。対して、川澄先輩は普通乗用車と同じように50キロまで出して、どんな道でも走っていいわけです。大体からして、原付自転車と1200のスポーツバイクが仲良く並んでツーリングするなんて無茶なんですよ。それが可能だと思っているのは、日本で相沢さんだけです。
 本人は『風になってくるぜ』とか言ってましたが、時速30キロで、どうやって『風になる』つもりなのか教えて欲しいものです。30キロなら普通の自転車でも出せますよ」

 ――そうなのである。
 先日、祐一が商店街の福引で当てた「クレアちゃん」、正式名称「クレア・スクーピィ」はHONDAが発売しているファンシーなスクータータイプの原付自転車なのであった。
 そのフォルムは、舞が駆るナイトブラックのBMWとは対照的に、丸みを帯びた若い女性向といった風情の可愛らしいもので、スイッチを入れるとメーター部分に「Hello!」などと表示されたりするという、芸の細かさがウリなバイクだ。車体の色もクラシカル・ホワイトとジョリィレッドという組み合わせで、やはり女の子タイプといった印象がある。むしろ、名雪や秋子さんが乗ったりすると大変絵になるだろう。
 祐一のように、格好付けて黒いレザーのロングコートを纏いながら走れば、周囲に奇人扱いされること必至なマシンなのだが――恐ろしいことに、本人はその事実に全く気付いていない始末だ。
 そもそも、祐一が聞いてウットリしていた迫力ある排気音は、舞が乗っていた隣のBMWのそれであって、クレア・スクーピィのエンジン音などBMWに比べれば蚊の泣くような音でしかない。第一、原付自転車の駆動音など1200の唸りに掻き消されてしまって、ほとんど聞こえなかったに違いないのだ。

「スムーズに流すために、川澄先輩は周囲に合わせて50キロ出すしかないわ。でも、相沢君は30までしか出したくても出せない。一緒に走れるわけないのよ、公道をね。きっと大通りに出た瞬間、川澄先輩に置いてけぼりを食って相沢君はオロオロし出すはずよ。もうすぐ半泣きに突入ね」
 お茶を啜りながら、香里は冷徹に言った。
「あの人が、危急の際にとても頼りになる存在であることは認めるわ。でも平時においては――」
「ただの変な人でしかありませんよね」
「うー、それは確かに認めざるを得ないような気もします……」
 がっくりと項垂れる3人だった。

 そして彼女たちの予測は7分後、半泣きで飛び込んできた祐一を以って現実のものとなった……。





11:予鈴前 「君の青春は」


「良かった、間に合ったよ。今日はわりと余裕あったね、祐一」
 にこやかな笑顔で、名雪は言った。間に合ったとは言っても走ってきたことに変わりはないのだが、現役の陸上部員だけあって、息一つ乱していないのは流石と言うべきだろうか。
「お前が言うな、お前が」
 倒れこむようにして自分の席に腰を落とし、教科書を整理しながら祐一が返す。
「そもそも遅刻寸前に駆け込まざるを得ない状況を毎日作り上げているのはお前だろう」
「そのことに関しては、相沢君の肩を持たざるを得ないわよね」
 息を切らして教室に飛び込んで来たことなど一度もない香里が、涼しい表情で言う。彼女も、名雪の寝起きの悪さを実感として知る数少ない人間のひとりだ。
「あれ、斉藤はどうした?」息を整えつつ、祐一は後ろに首を捻った。「まだ来てないのか」
 クラスメイトの斉藤は、祐一の二つ前の席に位置する生徒だ。成績は目立たないが、素行の面では優等生に分類される男で、祐一の記憶にある限りかつて遅刻した経験はほとんどないはずである。
「そう言えば、今朝はまだ姿を見てないような気がするわね」
 香里が微かに怪訝そうな表情で呟いた。
「珍しいな。風邪でも引いたか? 借りてたCD返そうと思ってたのに」
 その瞬間、教室の後側のドアがガラッと勢い良く開かれた。

「おっ、噂をすればなんとやらだな」
 姿を現したのは、噂の主である斉藤その人だった。進路調査書の第一志望として、ごくナチュラルに「X−MEN」と記入する素敵な性格の男だ。ちなみに、第二志望は「バットマン」だったという噂である。
「斉藤君、おはよ〜」
「よう、斉藤。今日は遅かったな」
 祐一たちは親しげに挨拶を寄越すが、斉藤はそれに答えない。硬い表情をして、キビキビと歩み寄ってくるだけだ。ようやくにして、祐一たちは彼の様子がいつもと違うことに気が付いた。
「斉藤、お前どうかし――」
「相沢ッ!」
 クワッと目を剥き、斉藤は神速で祐一との間合いを詰めると、両肩をガッチリと掴んで絶叫した。
「な、なんだよ。いきなり」
 斉藤の篭める力は徐々に強まり、その指は万力のように祐一の肉に食い込んでいく。痛みに不平の声を上げようとする祐一だったが、ギラギラと手負いの獣のそれのようにギラつく斉藤の両眼に射竦められた。
「相沢よ……」
「ど、どうした?」
「お前の青春は輝いているか?」


 ――はぁ?


 祐一当人ばかりでなく、周囲にいた誰もがその耳を疑った。それも無理はない話だろう。朝一番、姿を現したと思ったらツカツカと歩み寄ってきて、いきなり青春がどうとか言い出したのだ。もちろん、人々は斉藤の精神状態をまっさきに疑った。
「おい、斉藤。お前、本当にどうか――」
「相沢ァッ!」
 再び、絶叫。そのまま斉藤は祐一の肩をガックンガックンと揺さぶる。
「お前は、本当の自分を隠してはいないか?」
「隠してねーよ」
「ならば、お前の人生は満たされているというのか? ちっぽけな幸せに妥協なんかしてないんだな?」
「だから何のことだよ、一体」
「いいから黙って聞けィ!」
 斉藤の目は真剣だった。とりあえず、ここで無理に逆らうとロクなことになりそうにない。祐一は名雪たちとアイコンタクトを交わし、しばらく斉藤のペースに合わせることにした。

「で、斉藤。お前は一体、何が言いたいんだ?」
「つまりな、相沢よ。この世には宇宙よりも時空連続体よりも広くて深いものが存在するってことなんだ。それがなんだかわかるか?」
「……さあなぁ?」
 しばらく考えるふりをして、祐一はそう返した。
「相沢、良く聞け。それはな、俺たち人間ひとりひとりの心だ!」
「あー、そうなの」
 耳の穴をかっ穿りながら、適当に返事をする。既に祐一は、これをまともに取り合ってはならない話題なのだと見切りを付けていた。勿論、それには香里も賛同したことだろう。だが名雪は、斉藤の言葉に少し感動している様子だった。
 まあ、名雪は人類の例外みたいなものだから。祐一は無理やり納得することにする。

「相沢よ……」
 ポムッと、再び祐一の両肩を叩きながら斉藤は囁く。
「今度はなんだ?」
「良く聞け、相沢。愛が欲しければ、誤解を恐れてはならない。ありのままの自分を太陽にさらけ出せ」
「ああ、分かった。愛は今のところ間に合ってるが、一応心に留め置こう」
「それからな、相沢」
「まだあるのか?」半ば呆れつつ、祐一は言った。
「夢を叶え果たすまで、一歩も退くなよ。自分で『負けた』と認めてしまうまで、人間は負けない」
「あ、ああ――」
「相沢よ。ひとの運命は誰にも見えないものだ。自分で切りひらけ。甘えんな、コラァ!」
 一人でヒートアップした斉藤が平手を見舞ってきた。とりあえず殴られっぱなしは癪に障るので、カウンターで左拳をボディに叩き込んでおく。
「グフッ……。なかなか、いいパンチ持ってるな、相沢よ」
「そりゃどうも」
「いいか、相沢。この世にはな、この大宇宙全てを含むよりも広大で深遠なるものがある。それがなんだか分かるか」
「人間のこころだろ。さっき聞いた」
「そうだ、相沢よ。よくぞ体得したな」
 馴れ馴れしく祐一の肩を叩くと、斉藤は暑苦しい涙を流しながら言った。
「良く聞け、相沢。友を裏切るな、自分をごまかすな、魂をぶつけ合い真実を語り合うのだ」
「分かったよ。心に刻んでおく。刻んでおくが、これは一体何なんだよ」
「相沢よ――」
 斉藤は優しく目を細め、父が息子に何かを教え諭すような声で言った。
「お前は、超人機メタルダーを知っているか?」


 ――はぁ?


「メタルダーはな、俺が生まれる前に放映されていた子供向けのTV番組なのだそうだ。変身して悪と戦うヒーローなのだ。俺は昨日の晩から徹夜で、そのDVDメモリアルBOXを観た。まさに魂で語る熱いバトルの連続だった。炎と男の物語だった。おかげで、遅刻しそうにさえなった」
 さめざめと涙しながら、斉藤は語る。
「で?」
「でな、今までお前に語って聞かせたのは、そのメタルダーのテーマソングなのだ。どう考えてもちびっ子向けとは思えない濃さと熱さゆえに、お前に向かって語ってみた。如何だっただろうか」

 ――いかがだったか。勿論、それはここで改めて語るまでもあるまい。
 生憎と、相沢祐一の心は宇宙ほど広くも深くもなかった。
 直後、彼は誤解を恐れず自分の怒りをありのままに曝け出し、真実を語る魂の一撃を食らわせて斉藤を星にした。
 だが男・斉藤は、翌朝、人造人間キカイダーのDVDボックスを徹夜で完全制覇し、再びクラスメイトの前にその姿を現したと言う。





きんこんかんこーん



■資料室(初回限定)

▲HONDA クレア・スクーピィI

▲BMW K1200 RS
劇中は2000年ですが、いずれの車種も2002年版のモデルを参考にしています。



(つづく)
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10脱稿:2002/10/13 00:49:27
11脱稿:2003/06/09 15:19:27

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