Concert venues "Forum" 9-17 Highgate Road, NW5
GMT Sat,22 July 2000 22:00 P.M.
7月22日午後10時00分ハイゲート ライヴハウス『フォーラム』

 渦巻く熱気と観客たちの興奮が、その空間に独特の濃い空気を生み出すことがある。それは、一種の文化の象徴だ。例えば、父が働いているアメリカでメジャーリーグのホームゲームを見るためにスタジアムに足を運んだ時、それを感じたことがある。
 長い歴史と、観客たちの情熱や期待が入り混じった様々な想念が織り成す、異様な空気。私が今いるライヴハウスにも、それと同種の空気が蔓延していた。
「わ、あそこのお姉さんなんか、ほとんど裸だよ」
 人で埋め尽くされた会場内をキョロキョロと盛んに見回しながら、名雪は言った。
 確かに、まだギグは始まってさえいないというのに、周囲の熱気で私の身体は既に汗ばんでいる。来ると時は、絶対にTシャツ1枚になれるような格好にした方が良い――そう夏夜子さんに言われたから、その通りの格好で来たわけだけれど、その理由が分かった。
 元よりあまり換気の良いとは言えない会場の空気は、観客たちの異様な熱気で既に熱く高められている。これで本番が始まったら、一体どうなるのだろう。不安になるほどの熱狂ぶりだ。
「うぐぅ。それにしても、祐一君はどこにいるんだろう?」
 あゆちゃんの途切れ途切れの小声が、なんとか耳に入った。誰かがプレイヤーでも持ち込んだのか、会場内には大音響のR&Rが鳴り響いており、開演を待ちきれないファン達がそれに乗じて騒ぎ出しているせいで、隣同士にいてもそれなりの声を出さないと会話さえ侭ならないのだ。
「ご両親と一足先にここに来ているはずなんですけどねえ」
 栞も不思議そうな顔をして、周囲に視線を走らせている。
「あはは〜。祐一さんのことですから、その内ヒョッコリ現れますよ」
 倉田先輩がにこやかに言った。彼女の声は、この喧騒の中でも不思議と良く通る。そんなに大声というわけでもないのだが、何故だろう。不思議だ。選ばれた人間が持つ、一種の才能なのかもしれない。
 ――それにしても、どうやら彼女たちはまだ気付いてないみたいね。そもそも相沢君の分のチケットは用意されていないんだから、彼がこっち側に姿を現す可能性は低い。現れるとすれば、恐らく……
「天野さん、やっぱり相沢君って」私は隣席の彼女の耳元に囁きかけた。
「ええ、そうでしょう」
 全てを語らずとも、天野さんは私の言いたいことを理解してくれたようだ。小さく頷いてくる。良いわよね。こういう頭の回転が速くて、会話の歯切れが良い人って。私にとって理想的。
「相沢さんの過去のことは知りませんが、ご両親が共に深く音楽に携わっているのです。彼も幼少の頃から多少なりの影響を受けていたと考えても不思議はありせん」
 天野さんは私の意図を完全に汲み取り、必要な意見を返してくれた。
「――そうよね、やっぱり」
 私たちが貰った特別チケットで通されたのは、何と一階の最前列だった。ステージの目の前の場所。両国で言うところの『砂被り』ってやつね。まあ、実際にはステージを取り囲むようにロープが張ってあるから、少し距離があるわけなんだけど。
 普通、関係者用のチケットを持った者や招待客は、ステージから程好く離れた位置に通される。出演者を間近に見ることができて、しかも会場のセッティングなどの演出面全体を評価することもできる一番良い席だ。クラシックのコンサートなんかでは、少なくともそれが常識なのだと思っていたから、最前列だなんて少し驚き。やっぱりジャンルの異なるコンサートとは勝手が違うのかしら? それとも、国の影響? 或いは、今回が全くの特別な例なのかしらね。
 それにしても、この『The Forum』という会場は、広い。ライブハウスと言うよりはほとんどホールだ。当初、場末のクラブのような場所を何となく想像していた私は、だからその予想を大きく覆す規模にまず驚かされた。一階は完全なスタンディング。立ち見ね。そして、その後方に二階のテーブル席がある。イギリスの人達は体格が良くて、軽く1800mmを超える男性もゴロゴロしている。確かに、一階の立見席であるならば、最前列でもないとまともにステージが見えないでしょう。特に栞やあゆちゃんなんかは絶望的だ。
 上にテーブルの席があることもあって、会場内ではお酒や、ちょっとした食べ物も売ってるみたい。ライヴハウスでロックを聞くこと自体初めてで、しかもここは日本ではないのだから私には全く勝手が分からないけど、イングランドのライヴハウスって、どこでもこんな感じなのかしら?
 周囲を見回せば、客層は年季の入ったコアなファンから、ノリの良いサウンドで踊りに来たという感じの若者まで、老若男女入り交じっていた。カメラもレコーダも持ち込みは自由らしく、誰かが持参したラジカセから流れる大音量のR&Rが周囲に木霊している。

 やがて、開演を知らせるブザーのような音が館内に響き渡った。
 昼食の時に聞いたのだけれど、彼等ワイズロマンサーのギグには、前座といった概念はないらしい。相沢氏は、あれの意味と必要性が全く分からないとか言って首を捻っていた。まあ、落語じゃないんだから別にどうでも良いわよね。確かに。
 でも普通は、1夜の内に色々なバンドが出演するというのが、この国の常識的なライヴらしい。相沢君(祐一の方ね)が言ってたけど、ライヴが開演するのは大体夜の10時前後。それから色々あって、本格的に盛り上がりはじめるのが夜中の1時か2時を過ぎた頃。それから夜が明けるまでコンサートは盛り上がるとか。――信じられない話よね。一番フィーバーするのが午前2時? 日本の常識で考えれば、私たちなんて問答無用で補導されちゃう時間だわ。
 大体、相沢氏が「10時から演(や)るんで」とか言ってた時点で、薄々おかしいとは思ってたのよ。
 まあ、ギグやコンサートといえば何となく『夜』ってイメージがあるから、この国では夜中の方が盛り上がるって言うのも分かる気はするわね。夏場だと、こっちは9時頃まで空が明るいから。
「う〜。いよいよだね。緊張するよ」
 全然緊張しているとは思えない表情と声音で名雪は言った。
 秋子さんや倉田先輩のボディガードたちは落ち着いたものだけど、他の女の子の多くは固唾を飲んでワイズロマンサーの登場を今か今かと待ちわびている。栞も例外ではない。
 彼女たちが凝視するステージ上には、客席から見て右の奥に大きなドラムのセット、左奥にキーボード。それから前列の中央にスタンドマイク、その右側にギター、左側にベースとギターのセットがスタンドに立てかけられた状態で置かれていた。
 特に目を引くのは、右側に置かれたギターだ。煌煌と燃えあがる紅蓮の炎を思わせるような、目にも鮮やかな深紅のエレキ・ギター。会場内を縦横無尽に走る数々の照明の光を反射して、とても綺麗に輝いている。
 きっと高いんでしょうね。まるでピジョン・ブラッドのルビーみたいに綺麗だもの。あの楽器から、一体どんな音が奏でられるのか。とても楽しみだわ。

 と、ステージの奥から、バンドのメンバーと思わしき複数の男女が遂に現れた。煌びやかなスポットライトが、その姿を鮮やかに照らし出す。先陣を切って出てきたのは、見知らぬ若い女性と長身の男性だった。二人とも白人で、どちらも金髪碧眼。
 男性の方は相沢君のお父様と同じ位の年齢かしら。肩まで無造作に伸ばしたその髪のせいで、ちょっとミステリアスな雰囲気がある。ラフだけど、エネルギッシュだ。女性の方は、美人と言うよりはチャーミングといった感じの小柄な人。露出の高いステージ衣装を着ていて、信じられないくらいセクシー。なのに可愛いってのは不思議ね。私もプロポーションを誉められることがあるけれど、やはり外国人は発育が違う。もう、骨格のレヴェルでの相違ですものね。まともに勝負できる国産は、きっと川澄先輩くらい。
 その彼女は、向かってステージの一番左端に置いてあるベースを手に取った。一緒に入ってきた壮年の男性の方は、奥のドラムに腰を落としスティックを握っている。
「ああっ、出てきましたよ! 祐一さんのご両親です」
 栞のその声と同時に、客席から悲鳴のような喚声が上がった。凄まじいまでの熱狂。彼等のフィーバーが振動となって、ライヴハウスそのものを揺らしている。バンドのコアメンバーである相沢芳樹・夏夜子夫妻は、その喚声に手を振って応えながら現れた。
 あれがワイズロマンサーのコスチュームなのだろうか、二人とも紺色のレザーであしらわれた揃いの衣装に身を包んでいる。共に露出の大きなもので、芳樹氏なんかは裸の上半身の上に、袖を切り落とした薄めのジャケットをそのまま羽織っていた。夏夜子さんのは、背中と肩を大胆に開いたイヴニングドレスの簡易版といった感じ。コルセットみたいで、白い肌が大胆に晒されている。
 そして、彼等に続いて最後に姿を現したのが――
「うぐぅ!?」
「はぇ〜、祐一さんですね。 舞、祐一さんが出てきたよ」
「あらあら、まあまあ」
 そう。我等が相沢祐一その人だった。彼もまた、紺色のレザーを基調としたロックバンドのメンバーっぽい衣装を着こなしていた。今日いきなり用意できるようなものじゃないでしょうから、相沢夫妻はきっと彼がUKを訪れるという話を聞いた時から、このことを企画していたに違いない。
 昼食後、無理矢理に近い感じで相沢君を連れ去っていったのも、曲の練習と打ち合わせをするためなんでしょうね。
「どうして、祐一さんがステージにいるんですか?」
「わ、びっくりだよ」
 栞と名雪は顔を見合わせて驚愕している。いや、彼女たちだけじゃない。あゆちゃんも、倉田先輩も目を丸くしている。あら、ボディガードの人達も結構驚いているみたいね。特に女性のスタッフなんかは、結構興奮してるみたい。彼女たち、相沢君を弟みたいに可愛がってたし、無理もないかも。
 対して、この事態を最初から予測していた私と天野さんは至って冷静だ。川澄先輩も、いつも通りのポーカーフェイスを保っている。
「でも、どうして祐一が……」名雪は、仏頂面でステージに立っている相沢君を見詰めながら呟く。
 どうやら父親の手によって無理やりステージに上げられたみたいね。納得がいかないのか、人前で歌うのが趣味じゃないのか、とにかく相沢君はやる気無さそうに突っ立っていた。
「あら、名雪は忘れてしまったの? 祐一さんは昔、姉さんや芳樹さんに影響されて、極自然に音楽に慣れ親しんでいたものよ。作曲もやっていたみたいだし。自分で作った曲を、一度だけ、ピアノで弾いてくれたこともあったんだけど……覚えていない?」
 秋子さんはニコニコと満面の笑みを浮かべながら言った。
「あ、そう言えば……祐一がピアノ弾いてたの覚えてるような気がする」
 名雪は言った。昔って、彼がこの街にいたという七年前のことかしらね。
「やっぱり素質があったのかしらね。何でも器用にこなす子だったのよ。チェロやハーモニカ、それにギターもヴァイオリンも上手だったわ。勿論、歌も。でもそれらは、祐一さんにとっては人に見せるショー的なものじゃなくて、日記のようなものだったみたい。目的のない、自分のためだけの何か。だから、耳にする機会は少なかったわ。一人で良く楽器を弾いたり、歌っているのを見かけたものよ。――それでも祐一さんは、幼いながらも既に本当に素敵なアーティストだった」

 聞くところによると、相沢夫妻は子供が出来る前からずっと音楽に携わり、それを生業にしてきたと言う。 生まれるずっと前――きっと胎内にいた時から、相沢君はワイズロマンサーのサウンドを聞いてきたに違いない。そして、生まれてからも毎日それらに触れ、それらによって育まれてきた。
 幼き日の彼が、もはやサウンドを呼吸と同じような極自然な生命活動だと考えていても、全くおかしくはないだろう。
「では、今でも相沢さんは音楽を?」
 私の脳裏に浮かんだ疑問を、天野さんが代わりに言葉にしてくれた。
「――いえ」秋子さんは、何故か悲しげに首を左右する。「祐一さんのそういう意味での音は、七年前、いえもう8年ね。彼が私たちの街を離れたあの時を境に、一切聞かれなくなったと言うわ。多分、色々な記憶と一緒に捨てられてしまっていたのね」
「でも、祐一は今、ステージに立ってるよ」
 名雪は、多分その意味を一番良く知っているのだろう。ギターを構える相沢君を見詰めるその目は、微かに潤んでいるように見えた。
「そうね」秋子さんは、いつもの微笑と共に力強く頷いた。「封は解かれた。祐一さんは、辛い記憶を受け入れて昇華させることができた。だから、今度はその『調べ』の番」
 8年前――相沢君に何があったのか、私は詳しくは知らない。名雪にも聞いていない。ただ、月宮あゆという少女が致命的な事故に遭い、そして深い眠りについた。そして相沢君はあの街を去り、全てを忘却した。名雪のことも、川澄先輩のことも、そしてあゆちゃんのことも、その全ての記憶を封印することで、彼は自分を保とうとした。それが、最近まで様々な人の憂いとなって生き続けていたということなのだろう。……恐らくだが、私はそう予測をつけている。
「今、あそこに立っている彼こそが、相沢祐一という人の本当の姿なのかもしれないわ。きっと、姉さんも芳樹さんもそのことが分かったから……だから、もう、祐一さんはステージに立てると判断したのでしょう。今の祐一さんなら、『ワイズロマンサー』のステージに立つ資格があるって」
 秋子さんは、成長した我が子を見守るような目で相沢君を見詰める。母の微笑だ。

「そんじゃ、いくぜ! Fire, Wolk with me!」

 そして、ギグは始まった。



 ――それは、充実した4時間だった。
 勢いあるハードロック、コミカルでポップな曲、メロディアスなバラード、寂然としたブルース、瀟洒なジャズ。ワイズロマンサーのサウンドは無頼を極めていた。
 メインヴォーカルの相沢芳樹の歌声も、曲調によって「本当に同一人物か?」と思わせるほどガラリと変わったし、その上、口笛やブルースハープ(一種のハーモニカ)も器用にこなした。女流としては、イングランド最速の誉れも高い相沢夏夜子のギータもまた然り。キレのあるリフ、指先を肉眼で追えない程速くて、なのに正確なピッキングの凄みは、素人である私でも充分に分かる。それに加えて、アコースティックの心に染み入るようなバラードもしっとりと爪弾く器用さは本当に圧巻だ。
 でも、彼等の本当の凄さはテクニックじゃない。やはりその曲に込めた、情熱のようなものが違い過ぎるほど違う。彼等の紡ぎ出す調べを耳にしていると、その1曲ごとに、脳裏に鮮明な様々な情景、記憶、場面が浮かび上がってくる程だ。
 北米の荒涼とした大地を吹き抜ける野生の風、天を突く世界樹のような大木が聳える果てしない草原、全ての視界を遮るほどの凄まじい土砂降りの雨、ネイティブ・アメリカンが星空の元で囲む黄昏色の原初の炎。
 世界中を周り、戦場で、海上で、地図にも載っていない小さな街で、場所を選ばずに歌い続けてきた彼等だからこそ生み出せるサウンドなのだろう。
 自己の表現だとか、観客を楽しませるだとか、言葉に還元される目的などは一切無く、ただ「歌いたいから歌う」、それだけの歌。その姿勢は、確かにプロフェッショナルとしては失格。彼等は、自分の感情や思い出や記憶を込めて曲を作り、自分にしか歌えない歌を歌い、自分にしか奏でることができない曲を奏でているのだ。

 Like dew on the gowan lying
 Is the fa' o' her fairy feet.
 And like winds in the summer sighing,
 Her voice is low and sweet.

 今流れているのは、ギンギンのロックとは一線を画す静かで優しいメロディだ。1本のアコースティック・ギターからそれは緩やかに紡がれてゆく。
 どこかで聞いたことがある、でも名も知らぬ旋律。それにワイズロマンサーの澄んだ歌声が重なる。日々の生活の中で知らず知らずの内に鬱積していた、心の膿のようなものが晴れていくような、清浄効果を持った綺麗な曲だ。
……正直に言おう。私は、ワイズロマンサーというバンドがあまり好きではない。その並外れた技術とパワーは認めるところだけど、元々彼等がメインとしているハードロックやヘヴィメタルのことは良く理解できないし、パッションよりはファッション――音楽に芸術性を求める私にとって彼等のサウンドはあまりに荒削りであり、ストレートで洗練されていないように思える。要するに、ちょっとダサイ。センスに欠けると思うわけだ。
 救われるのは、彼等がジャンルに捕らわれない演奏をやるということ。こういったアコースティックの綺麗な音色があればこそ、私はこのバンドの良さを僅かながらも認めることができる。
「このうた、知ってる……」
 黙して調べに耳を傾けていた川澄先輩が、ポツリと呟いた。
「ええ。祐一さんが、舞に時々歌ってくれる曲ですね」
 ちょっと聞き捨てなら無いことを、倉田先輩が言い出す。
「祐一さんはたしか、イギリスの民謡だとか言っていたような気がしますけど」
「哀しくて泣いてしまう夜に――」川澄先輩は微笑むように目を細める。「いつも私を抱いてくれる、あのうた」
 川澄先輩や倉田先輩は、相沢君の歌を聞く機会に誰より恵まれているというのだろうか。
 何故だろう。悔しいような、妬ましいような、不思議な感覚を覚える。私は相沢君が歌っているところなど見たことが無い。私のために歌ってくれたことなど一度も無い。何故、彼女たちだけがそれを受けたのか。何故私には聞かせてくれなかったのか。
 あとで相沢君に問質してみよう。そう思った。

 Her voice is low and sweet,
 And she's a' the world to me,
 And for bonnie Annie Laurie,
 I'd lay me doon and dee...

「俺たちのギグでも良く演るから知ってる奴も多いだろう。それに地元の奴も来てるだろうしな。今の曲は、"Annie Laurie"っていうスコットランド生まれの民謡だ」
 ソロで歌い上げたワイズロマンサーは、アコースティック・ギターを傍らに置きながら言った。
「曲名にもなっている"Annie Laurie"は、300年前に実在した、スコットランドの準男爵の娘の名前です」
 夏夜子さんが捕捉する。
「彼女は詩人のウィリアム・ダグラスと恋に落ちたけれど、両親の許しを貰えずにその恋は引き裂かれたの。やがて彼女は他の男性と結婚させられてしまうけれど、ウィリアム・ダグラスの想いはそれでも変わらなかった。その変わらぬ気持ちを彼は詩にし、1838年、その詩にジョン・ダグラス・スコット夫人がメロディを付けて生まれたのがこの曲」
「だから、もう150年以上前のサウンドってことになるけど……でも分かる奴には分かる。時間なんて関係ない。人の想念に、時代や社会なんて関係ないんだ。俺たちY'sの音もそうありたいと思ってるよ。本物のサウンドは、流行で片付けられるエンタテイメントなんかじゃねえ。そうだろう?」
 ――そうね。誰かと誰かが恋に落ちて、でも結ばれることは無くて。そんな悲しい物語は、いつの時代にもどんな社会でも生まれてくる。決して途絶えることは無い。人間がこの世に存在して、恋を忘れない限り。
 それは恋だけじゃなくて、どんな感情も同じなのだろう。人の夢、愛憎、悲哀、そして歓喜。強い想いを込めて作り上げられたものならば、それに時代も時の流れも関係ない。
 この曲"Annie Laurie"だって、詩は300年前に作られ、その詩に感銘を受けた誰かが150年後にメロディを付けた。そして、それから更に150年経った今、ひとつのロックバンドがここでそれを歌っている。
 なんだか、とても素敵じゃない? 時間も国も関係ない。当たり前のことなんだけれど、でも日常の中で忘れてしまいがちなことなのね。
 ワイズロマンサーのMCは完璧なイングリッシュ。だから、英語のテストをいつも赤点ギリギリでクリアしている名雪や栞には、今の言葉は届かなかっただろう。だけど、彼等が言ったことを彼女たちも知るべきだと思ったから……だから私は、それを日本語にして仲間たちに伝えた。

「――さて、そろそろギグも佳境だ」
 午前2時。4時間に及ぶ怒涛のマラソン・ギグも、彼が言うようにクライマックスである。ワイズロマンサーの手には、アコースティックのギターに代わりキーボードが構えられている。少し変わったタイプのキーボードで、ギターやベースのように肩から下げて弾くタイプのものだ。私も初めて見るタイプの代物だった。
「それじゃ、こっからラストまでは、特別ゲストのこいつをメインにいくぜ」
 ステージ上のワイズロマンサーはそう宣言すると、中央のマイクを相沢君に譲った。それを受けて、アコースティック・ギターを構えた相沢君がマイクの元に歩み寄る。
 彼はそのままスタンド・マイクの前に置いてある、銀色のフレームの小さな椅子に腰を落とした。そして、意外にも慣れた手付きでそのマイクの角度を調節すると、観客に微笑みかけた。
「Hi. My name is Yuuichi Aizawa, came from Japan. Nice to meet you. Are you enjoying?
...Now, I know it's been a long time since I've been up this way. It's been about what? 4 years since I've been London, right? 4 years now? 96?」
 相沢君は一旦後ろを振り向き、両親に確認する。彼等が頷いてそれを肯定したのを見て、再び客席に視線を戻した。
「So...First time I came here, almost 4 years ago. I was very young kids around this time of the year I left TOKyo for the first time. "I came to London!" ...Now, a lot's happening in 4 years...I mean a lot is happening in 4 years.
By the way...This is the song that I'm...I don't perform all that often. But I tell you this a.....o, I wish I could speak better English.」
 そう嘆き、相沢君は頭を振る。
「ねえねえ、お姉ちゃん。祐一さん、なんて言ってるのか分かりますか?」
 隣の栞が脇腹を突ついてくる。見ると、名雪やあゆちゃんも私に何か期待の眼差しを向けていた。
「そうね。あれは英語というより米語かしら。無茶苦茶で何が言いたいのかイマイチ分からないけど」
 そう断ってから、内容を簡単に邦訳してみた。
「まず、自己紹介して、四年ぶりにこの国に来たって説明して……その四年の内に色々あったとかなんとか。で、これから歌う歌はあまり人前では歌わない曲なんだけどって。そこまで言ったところで、自分の英語力に限界を感じたらしいわ。もっと上手く英語が喋れたらいいのにって嘆いているみたい」
「ぐはっ。恰好つけて英語でいったせいで、かかなくてもいい恥をかいてしまった。――親父、俺やっぱ日本語でいくから通訳頼むわ」
「OK」
 相沢君は安堵の笑みを浮かべると、改めて観客席を向く。そして、今度は母国語で語りはじめた。
「良く分からないけど、今、俺は自分の意思とは無関係にステージに上げられている。最初は戸惑ったし、みんなにも迷惑なんじゃないかと思ったけど、演ってる内に俺も盛り上がってきた。だから精一杯やるつもりだ。コアメンバーのテクに比べれば情けないもんだけど、俺の歌を聞いてくれ」
 観客は声援でそれに答えた。相沢君も、それに精一杯の笑顔を返す。
「俺にはとても大切な人がいて、これは彼女のお気に入りの曲なんだ。教えてくれたのは、俺の母親。ガキの頃、子守唄代わりに歌ってくれたのが出会いだった」
 そう語りながら、相沢君は静かにアコースティック・ギターを奏で出す。
「Grandfather's Clock。子供の頃、誰もが聞いた曲だけど、メロディは綺麗だし、歌詞もどこか切ないようで、でもとても優しい。眠れない夜に歌ってやると落ち着くみたいでね。ホント、子供みたいな奴だけど、俺はそんな彼女を心から尊敬しているし大切に思ってる。だから、今夜もこの歌を彼女に捧げたいと思う。皆もガキの歌だなんて括って決めつけずに、気持ちを素直にして聞いて欲しい。きっと、何か感じるものがあると思うから――」

 My grandfather's clock was to large for the shelf,
 So it stood ninety years on the floor;
 It was taller by half than the old man himself,
 Though it weighed not a pennyweight more.
 It was bought on the morn of the day that he was born,
 And was always his treasure and pride.
 But it stopp'd short, Never to go again, When the old man died...

「あっ、このうた……」
 その静かな調べの中、あゆちゃんは小さく囁いた。
「ボク、知ってるよ」
「ええ。『大きな古時計』ですね。佐祐理は日本の曲だと思っていましたけど」
 倉田先輩のその言葉に、川澄先輩はコクリと頷く。
「祐一が私に聞かせてくれる時は、いつも日本語だった」
 その言葉を裏付けるかのように、歌声は日本語に変わって紡がれ出す。

 なんでも知ってる古時計 おじいさんの時計
 きれいな花嫁やってきた その日も動いてた
 嬉しいことも悲しいことも みな知ってる時計さ
 今はもう動かない その時計……

 淡いスポットライトの中、相沢君は優しく、何かを慈しむように歌い上げる。静かで柔らかなメロディが、世界を満たしていく。聞き慣れた曲のはずなのに、彼がこうまで心を込めて歌うと、それはまるで違った調べとして聞こえた。
 何故だろう。目を瞑ってその旋律を瞼に受けていると、とても穏やかな気持ちになれる。癒される――とは、もしかするとこんなときにこそ相応しい表現なのかもしれない。そう思った。

 As we silently stood by his side;
 But it stopp'd short, Never to go again,
 When the old man died...

 今は、もう、動かない……
 その時計

 透き通った声がホールの虚空に消えていった瞬間、会場は大きな拍手に包まれた。
「Thank you. Thank you very much!」
 そして、再びステージ全体が目映くライト・アップされる。相沢君のバックでは、既にコアメンバーたちが次の曲の支度を整えて構えている。
「OK、みんな待たせたな。次の曲は、フォークのノリでいくと失神しちまうぞ。気を付けな」
 相沢君がギターをフライングVに持ちかえる時間を作りながら、ワイズロマンサーは高らかに宣言する。
「俺たちのデビュー曲、BITE ON THE BULLET! スペシャル・エディションでいくぜェ!」
「Woooo! Wooooo!」
 観客たちは狂わんばかりの大絶叫。それはY'sromancersのナンバーの中でも最も人気のある曲のひとつだ。
「Are you OK?! Are you ready?! Are you able to keep up with the man as out of control tonight?!
I'm here to warn you right here right now, for those who might be feeling fainted, for those who don't think they can stay up late, better watch yourselves and head out for the exit, cos' I can't be the hell responsible for what I am about to do!
OOKay! Live wire! Bite on the bulleeet!」

 ――バイト・オン・ザ・ブレット。
 直訳すれば『弾丸を噛む』というような感じになるだろうか。確か、「苦痛や苦難に歯を食いしばって耐える」、「あえて困難な方法を取る」とか、「怯まない」とか、そういう意味を持った言葉だったと思う。実際には、「我慢しろ」とか「歯を食いしばれ」とかいう命令形の意味で使われることが多い。
 開拓時代の戦場では、兵士が負傷しても麻酔をしてやれる程の余裕は無かった。経済的にも文化的にも、そして技術的にも、麻酔の存在はまだまだ浸透しきれていなかったのだ。だから麻酔無しで手術をする時、兵士にピストルの弾丸を噛ませて痛みをこらえさせたという。それが、この言葉の由来となったと聞いているけど……。
 BITE ON THE BULLET。その曲は、イントロの初っ端から、車をカッ飛ばしたくなるような勢いで始まる。油断をしていたら、即座にKO。Y'sromancerの攻めの姿勢をそのまま楽曲に叩きこんだようなサウンドだ。
 勿論、その先陣を切って炸裂するのは、相沢夏夜子の超絶ギター。先端が消えて見えるほどの速度で動くその指先からは、火花が散りそうな程の迫力あるサウンドが生み出される。程なくそのギターに加わるのは、怒涛の如きドラムのリズムだ。これぞまさにR&Rというような、アップテンポの激しいビートが会場を支配する。
 そして、とどめとばかりに、黒い左腕でマイクを掴むワイズロマンサーの歌声が響き渡った。

 今日こそが、その時さ!
 また明日、また来週、いつかまた今度
 自己欺瞞、自己嫌悪……
 今までに呆れるほど繰り返してきた

 Y'sromancerの歌声は、たとえるならバズーカだ。何より優先して特筆されるべきは、その破壊的なまでのパワー。物理的な攻撃力を持ち、烈風を伴った衝撃波として襲いかかってきているのではないかと錯覚してしまうほどにそれは凄まじい。腹部を撃ち抜かれるような感覚を伝える異様なまでの破壊力に、一瞬、恐怖すら感じるくらいだ。
 でも、その反面で透き通るような高音は凄く綺麗。声の伸びも、そこらのプロとは次元が違う。全てを問答無用で押し潰すかのようなパワーと、澄んだクリスタルが震えて生まれるような硬質の美しさ。極端な二面性を内包しているのに、破綻が無い。
 ――これは、すごい。
 刺激が強すぎて好みは分かれそうだし、明言しているように私は苦手だが、一度魅入られてしまえれば、もはや抜け出すことは不可能だろう。そしてこの場には、そういう連中が溢れかえっている。確かに、流行云々で追いかける類のものではない。

 Change yourself
 逃げ場はもう捨てろ
 本当はもう気付いてるんだろ、さあ覚悟決めちまえよ!

 歌詞は日本語がベースになっている。
 どうやら、ワイズロマンサーに国籍はないらしい。今まで聞いた曲も、その性質や生まれた国によって言語は様々だった。フランス語の曲もあったし、スペイン語の曲も、聞きなれないアジアの言葉で綴られた詩もあった。自分の気持ちを一番表現しやすい言語を、種類に拘らずに使っているためだろう。

 Bite on the bullet!
 痛みなんて噛み殺せるさ 拳振り上げろ 時代に
 Bite on the bullet!
 もっと強くイメージできるさ 今この世界に名乗りを挙げろ

 サビは観客たちも「Bite on the bullet! Bite on the bullet!」の大コール。二階席の客も全員が立ち上がり、拳を掲げて裏声になるまで絶叫している。凄まじいまでの一体感。あまりノリの良い客でないはずの私にまで、経験のない未知の快感が爪先からゾクゾクと伝わって体を奮わせる。制御機能を破壊でもされたのだろうか、アドレナリンの分泌が止まらない。
 メインヴォーカルに続き、怒涛の如くBite on the bulletは相沢夏夜子のパートに雪崩れ込む。彼女は、ギターだけでなくヴォーカルもこなす。それも、あれだけのギターを弾きながらとは思えない程のレヴェルで。やはり、『ミーンフィドラーの歌姫』の二つ名は、伊達ではないということだろう。
 パワー押しの過激な相沢氏とは違い、彼女の歌声は限りない包容力を秘めた、とても優しいものだ。静かだけど、とてもホット。ロックなのに、とても柔らか。相沢氏とはある意味で完全に対照的なのだけれど、何故か二人の息はピッタリ。とても良く合っている。不思議な調和だ。

 言いたくて、言えなくて
 伸ばしかけたその手が今日もさ迷う
 泣いたって変らない
 あと少し、もう少し、勇気が欲しい……

 歌詞も、多分、二人が自分のパートを其々分担して作ったのだろう。徹底的な攻めの姿勢を歌う相沢氏とは違い、夏夜子さんのパートの歌詞は、どこか恋愛的な要素を思わせる女性的な柔らかさがあった。
 伸ばしかけたその手が今日もさ迷う、か。
 私も、あと少しの――もう少しの勇気が足りなかったせいで、栞の背に伸ばしかけた手をいつも宙に途中でさ迷わせてきた。だから、その気持ちは、よく分かるような気がする。
 隣に座る栞に目をやると、彼女は食い入るようにステージを凝視していた。

 Heart of hearts
 気付かないフリしてた
 可能性と云う名の自由は きっと私の武器になる!
 Bite on the bullet!

「Oh Yeah! Guitar!」
 ミーンフィドラー・ディーヴァのパートが終わった瞬間、ワイズロマンサーが叫んだ。その声を受けて動いたのは、他ならぬ相沢祐一その人。彼は蒼いエレキギターを構え、観客の前へ一歩進み出る。どうやら、彼のギターソロが間奏に入るらしい。
 衛星中継で、このBITE ON THE BULLETという曲を聞いたことがあるけれど、その時、この歌は2番までしかなかったし、ギターソロが入る間奏は一番と2番の間にあった。となると、今夜のライヴに限定されたスペシャル・エディションにお目に掛かれるみたい。飛び入りのゲスト、相沢祐一に合わせた3番があるのだ。
「ゆ、祐一だ! 今度は祐一が独りでギター弾くみたいだよ」
「わ〜、祐一さん、カッコいいですぅ〜」
「うぐぅ! 祐一君、がんばれー」
 名雪たちも俄然興奮し出した。まさか相沢君がステージに上がるだなんて考えてもいなかっただけに、その期待は逆に膨らむ。その気持ちは分かった。何より、私も彼が紡ぎ出す音というものを――相沢祐一の音を聞いてみたい。
 そして、ピックを握る彼の右手が微かな残像を残して閃いた。
 時が止まり、静けさが訪れる。世界に彼と二人きりになったような、酷くリアリティを損なった一時(ひととき)。
 やがて大歓声が甦り、それによって気を取り戻した時――
 私は思考するのも忘れて、ただ彼の姿をだけを追っていた自分に気が付いた。
 正直、音楽を学んだことの無い私に、彼を技術的に評価することは出来ない。夏夜子さんのプロのテクニックと比較すれば、それは学芸会のお遊戯レヴェルの幼稚な技術なのだろう。だけど、強大な猛牛に挑みこれを操る闘牛士のように、暴れ狂うギターを扱いこなすその姿は――
 くやしいけど、認めたくないけど、……でも、震えが止まらないほど衝撃的だった。

 Bran new heart
 今なら出来るだろ?
 敵はお前の中にいるのさ、そいつブン殴っちまえ!
 Bite on the bullet!

 プロフェッショナルと比較しても、一歩も引けを取らないその圧倒的なまでのパワー。先ほどのフォーク・ソングを、優しく透き通るように歌い上げた歌手と同一人物とはとても思えない。観客も予測を遥かに凌駕するその破壊力に、完全に押されていた。千人を越える人間が、たった一人の男に気圧されているのだ。
 彼のサウンドが、今、この世界を支配しているかのように錯覚させる程の力。
 かつて日本を代表するチェリストであった男を父に、かつてミーンフィドラーの歌姫と呼ばれた女を母に、母胎の中で眠りについていたその時から彼等のサウンドに慣れ親しみ、知らず知らずのうちにその英才教育を受けていた彼。

 Bite on the bullet!
 痛みなんて 噛み殺せるさ 声を張り上げろ 世界に
 Bite on the bullet!
 俺の歌で 一歩踏み出せよ 土砂降りの雨の中 歌い続けろ

 でも、その旋律は8年前の悲劇によって、当時の記憶と共に封印され、そして忘れられていた。だから、誰の前でもその才の片鱗すら覗わせることは無く、ただ一部の少女の安らかな眠りのために、その歌を捧げるのみだった。
 でも、雪の街での封印が解かれ、その過去の記憶と共に全てを受け入れた彼は、ここにそれを証明している。
 もはや疑い様は無い。相沢祐一は、紛れもなく――

Bite on the bullet!

 Y'sromancerの、嫡子なのだ。



GMT San,23 July 2000 03:51 A.M.
15 Oak Hill Way NW7 Hamsted
7月23日深夜03時51分 ハムステッド 佐祐理の別荘

 人間という生物は、結構意外なところで体力を使っているものである。たとえば、睡眠がそうだ。寝ている間、人間はちょっとした運動に相当する分の汗をかくし、それ相応の体力も消費する。他にも例を挙げていけば「えっ、そんなことで?」と驚くようなことで、私たちは自覚しない内に体力を消耗しているものなのだ。
 ライヴというのも、また同様らしい。午前4時、私たちを乗せたワゴン車が倉田先輩の別荘に戻って来た時、私は既にヘトヘトに疲れ果てていた。
「相沢さん、着きましたよ。起きてください」
「くか〜」
 ステージに上がっていた相沢君は、観客以上に疲労しているのだろう。後部座席のシートに持たれかかり、グッスリと眠りこけている。隣に座っていた天野さんが身体を揺すって起こそうとしているのだけど、よほど深い眠りに入っているのか名雪ばりに寝起きが悪い。まあ、最初こそ乗り気で無かったとは言え、ラスト付近ではステージ上で暴れまわっていたんだから、仕方が無いわよね。

 ――ザ・フォーラム・ハイゲートで行われたY'sromancerのライヴは、午前3時に4曲目のアンコールを終えて、熱狂の中幕を閉じた。私たちは未成年ということでそのまま帰されたが、バンドのメンバーたちはこれから朝まで打ち上げをやるとか。今頃、楽屋で1杯やっているに違いない。
 本当にタフな人たち。5時間も歌い続けた挙句、その後朝まで宴会だなんて、ちょっと信じられないヴァイタリティよね。
 バンドがバンドなら、ファンもファン。コアなY'sフリークたちは、会場から引き揚げる私たちを尻目に、フォーラム周辺で色々と盛り上がっていたようだ。周囲にはワイズロマンサーの曲が大音量で流されていたし、それをバックに踊ったり、歌ったり、今日のライヴについて語り合ったり。まったく、アレだけ騒げばさぞかし気分が良いものでしょうね。ライヴがある度にお祭り騒ぎだもの。
 それにしても、理解に苦しむ分も多かったけど凄いライヴだったわ。芳樹氏は、「ギグでなきゃ、本物は伝わらない」というようなことを言っていたけれど、そこは全面的に賛同せざるを得ない。CDやDVDでは得られない、独特の場と直に伝わってくる音の波動。これは、ちょっと衝撃的だった。今日のことは、一生の思い出になりそう。
「良い夜だったわね、栞。どうだった、はじめてのライヴ・コンサートの感想は?」
 先に車から降りた私は、続いて出てくる栞に手を貸しながら言った。
「もう最高でしたよ、勿論! 祐一さんがプロのステージで歌うなんていう、お宝映像も見られましたし」
 お宝映像というくだりは理解できなかったが、まあ言わんとすることは分かる。要するに、栞も十二分に楽めたということだろう。
「私は、バイト・オン・ザ・ブレットをTVで聞いたことしか無かったんですが、やっぱりあの曲は盛り上がりますね。カレーを食べたときみたいにピリピリするんですが、辛くないので大好きです」
「良く分からない喩えね」
「お姉ちゃんは、どの曲が好きでしたか?」
「そうね……」ライヴでは、オリジナルのナンバーから、世界の民謡、スタンダード・ナンバーまで何十曲と演奏されたわけだ。とても選びきれるものではない。でも、敢えて言うなら――
「やっぱり、私はヘヴィメタルとかハードロックよりも、フォークとかバラードが好きだわ。あと、アカペラの歌も素敵だったわね。あれは是非、もう一度ライヴで聞きたいものね」
 相沢親子3人が、まったく楽器を使わずその声だけでハミングした数曲は、本当に綺麗だった。あそこまで美しいと、もはや芸術よね。うん、そういうところはあのバンド、凄く好きだわ。
「ゴスペルも良かったし、芳樹氏のブルースハープも良かったかしら」
「なるほど、なるほど。お姉ちゃんは玄人好みの渋いナンバーが好きなんですね」
 ワイズロマンサーは、本当にどんなジャンルの曲も無節操にこなすから、どれかに当たりは来る。正直、ガンガンと煩い曲は苦手な私だけど、十分楽しめたのはそのせいもあると思っている。
「夏夜子さんのジャズは、あれだけでも世界の超1級品としてメイン張れるわよ」
 あれは、もはや神の領域だろう。同じ女性として見て、彼女は痺れるほど素敵で格好良かった。

「相沢さん、相沢さん」
「うにゅ?」  そのライヴの主役の一人であった相沢君は、半分目を開けると、名雪との血の繋がりを窺わせる呻き声を上げた。
「なんら、ミッフィー。もう着いたのか? 早過ぎるお」
「人を口が×印のウサギみたく言わないで下さい。肩を貸しますから……さあ、部屋に戻りますよ」
「う〜。眠い……」
 天野さんにワゴンから引き摺り下ろされる相沢君は、半分眠ったままフラフラと屋敷に戻っていく。同じく眠っていた月宮あゆちゃんは護衛の屈強な男性に、名雪は秋子さんと女性の護衛の手によって別荘に割り当てられた其々の部屋に連れていかれた。
「全く、困った人たちね」
「私もちょっと疲れました」隣を歩く栞が、欠伸交じりに言った。
「そうね。私たちも今夜は休みましょう」
 もう深夜の4時ですものね。どちらかと言えば、夜というより朝に近しい時分だもの。私は勉強したり、研究したり、読書したり、工作したりで色々と徹夜する機会が多いから平気だけど、体力の無い栞には辛いかもしれない。
「あんまり騒がしくすると、鷹山さんを起こしちゃうわ。静かに行きましょう」
「ああ、主任(シェフ)ならいませんよ」
「えっ?」
 声に振り返ると、倉田先輩の雇っているボディガードの一人が軽く微笑んでいた。30代前半だろうか、良く鍛えられたスレンダーなボディが魅力の女性だ。
「鷹山さん、ライヴには来なかったから別荘にいるものだと思ってましたけど?」
「彼女は、古い友人に会うとかで今夜遅くから別行動だよ。少なくとも3日は戻らないって言ってたから、今、別荘の中は空さ」
 車を運転してくれていた男性のボディガードが捕捉するように言う。
「そうなんですか」
 まあ、ボディガードと言えど人間。しかも、今回の旅行は彼等にとってもバカンスなのだ。それは、単独行動をとって現地の古い友人に会いに行ったところで全然問題は無い。
「シェフがいなくても、私たちがいるわ。頼りないかもしれないけれど、安心してね」
「はい。頼りにしています」ウインクしてくる女性ボディガードに笑顔を返す。
「じゃあ、私たちはこれで。皆さん、お休みなさい」
「お休みなさい、お嬢さん。良い夢を」

 護衛の人たちと挨拶を交わすと、私は栞を伴って別荘の玄関を潜り、二階のA号客室に入った。ここが私と栞に割り当てられた部屋だ。
 内装はツインのスイートといったところ。バスとトイレもちゃんとついていて、寝室には大きくなベッドがふたつならんでいる。たとえひとつであったとしても、栞となら二人並んで眠れるほど余裕のあるベッドだ。
「はぅ〜、お姉ちゃん。おやすみなさーい」
「ダメよ。眠るなら、ちゃんと歯を磨かないと」
 部屋に入るなり、フラフラとベッドに向かおうとする栞を捕まえながら言う。
「えぅ、お姉ちゃんのいけず〜。意地悪ですー」
「意地悪でも宇宙の根源悪でも結構よ。歯はちゃんと磨きなさい」
 栞はブツブツと文句を言ながらではあったが、結局はちゃんと歯を磨いて床に就いた。今度は注意する間も与えず、服のままでベッドに飛びこんでしまう。仕方が無いので、熟睡中の彼女の服を脱がし、夜着に着替えさせてやることにした。
 まだこの子が幼い頃、熱を出して寝こんでいる彼女の世話を幾度となく焼いてきたおかげで、こういう作業には慣れている。さほど苦労することもなく、栞をパジャマ姿にすることができた。
「まったく、いつまで経っても世話のやける子ね」
 グッスリと眠ってしまった栞の鼻先をチョンと突ついてみる。甘えたい盛りの子供頃は、それを面倒だとか疎ましいとか思ったこともあるけれど、今はこの子が可愛くて仕方が無い。面倒を見るのが楽しい。まるで、自分の娘のように。
 栞の成長をずっと見守ってあげたい。この子が喜ぶ顔をもっと見たい。この子のためなら、どんなことでもしてあげたい。最近は、そう思える。特に、この子が病を克服した時からそれは顕著だ。私にも精神的な余裕が出来たのだろう。

 私はしばらく栞の寝顔を見詰めた後、シャワーを浴びることにした。バスルームは結構広くて、バスタブにシャワーが完備されている。水もたっぷり使えるという話だ。イングランドでのお風呂事情は、日本と違ってちょっと頼りないと聞くから、この充実ぶりはありがたい。
 脱ぎ捨てたシャツを見ると、自分が背中にビッショリと汗をかいていたことに気付いた。本当に色々な意味で熱いライヴだったから、自分でも気付かない内に興奮していたのだろう。
 コックを捻ってシャワーを出すと、その汗を熱い湯で洗い流す。まだ若い肌を滑り落ちていく水滴が、何だか心地よかった。
 さて、明日はどんな1日になるでしょうね。
 シャワーを浴びながら、明日の予定について思案しようとしたけれど、上手くいかなかった。ライヴの熱がまだ残っているのか、思考が働かない。どうせ、今から寝たのでは名雪は明日の夕方まで目覚めまい。相沢君も疲れているだろうし、明日は休養日になりそうな予感がするわ。でもそうなると、もうイングランドに来てから3日目になるのに、まだ一度も観光をしていないことになるのよね。何だか可笑しな話。――まあ、私たちAMSらしいと言えばらしいのだけれど。

 タオルと一緒に置いてあった白いバスローブを羽織ると、リビングに戻る。お風呂上りだからか、それともライヴの影響か、喉が乾いていたので備え付けの冷蔵庫を開けてみた。フリーザが別になっている上、パーシャルまである3ドアの冷蔵庫で、サイズはそんなに大きくないけれど性能は良さそうだ。
 中にはアルコールを含めて、あらゆる種のドリンクが並べられていた。その中から、一度飲んでみたかった『ラムザイアー』の瓶をチョイスする。
 栓を抜き、グラスを用意すると、部屋の隅にある木製のデスクに置いた。ビジネス用か、それとも読書用か、日本でいうと学習机みたいな感じのオシャレなデスクだ。
 椅子を引いて腰を落とすと、日本から持ってきたノート型PCの電源を入れる。ちゃんと、240ヴォルトの電圧にも耐えられる機種を選んできた。100ヴォルトでしか使えないものを変圧器につなげて使うのは、UKでは無茶なのよね。
 OSが立ち上がると、携帯電話を介してネットに接続。生徒会のシステムにログインする。目的はメールと、役員に公開される生徒会速報のチェックだ。
 先の連続猟奇殺人の犯人が逮捕されていない以上、ウチの高校は様々な対応に追われることになり、その状況は刻一刻と変化している。今も、理事会では9月から学校を再開するか、するならば本校の校舎でやるのか、それとも姉妹校の校庭を借りてプレハプ校舎を建てそこで臨時の学級を開くのか、様々な議題について論議が交わされているはず。それらの情報に目を光らせておくのは、決して無駄なことではない。これからの時代、情報量が全ての勝負のカギを握ってくる。インフォ・リッチが勝利者となるのだ。
「ふぅ……」
 思わず溜息をこぼしてしまう。予想していた通り、大した情報は無かった。結局、理事会は事の真相を知っているわけだから、今やっているのは表社会に対するアピールでしかない。所詮は茶番。
 実際のところ、連続殺人犯であった少年はこの世を去ったし、別の殺人犯である連中は他ならぬ理事会が雇っていた職人なのだ。だから、理事会がどう動くかは大体予想がつく。
「生徒会、学園理事会……いずれ、相沢君が潰そうと言い出すでしょうね」
 彼の性格を考えると、まず間違い無いだろう。その時のためにも、今から情報を収集しておかなくてはならない。あの人の無茶を実現することが可能なプランを捻り出す。それが、私と天野さんのブレインとしての役目なのだから。まったく、破天荒なリーダーを持つと大変よね。
「でも、今がとても楽しくて充実して思えるのが不思議」
 壁掛け時計に目をやると、既に午前4時34分。流石に眠い。夜更かしは健康にも良くないし。今日はこれで休むことにしましょう。
 バスローブを脱いで夜着に着替えると、ツインのベッド・ルームに向かい栞の寝姿を確認してから空いている方のベッドに滑り込む。これが24時前後なら、しばらく読書を楽しんだりもするんだけどね。今日は流石にその気は無い。大人しくスタンドライトの電源を切ろうとした、――その瞬間だった。
 こんな時間だと言うのに、何故か外から大型車両のエンジン音が聞こえてきた。
 ここはハムステッド。閑静な高級住宅街だ。それを考えると、あまりにも不自然な駆動音であるような気がするんだけど。
 更に奇妙なのは、その車がこの別荘の直ぐ近くで止まったこと。明らかなブレーキ音と共に、車が停止しエンジンがピタリと止む。そして、ドアを些か乱暴に開け閉めする音が幾つも響き渡ってきた。
「もう夜が明けようっていう時間に……」
 怪訝に思って、ベッドから起き上がる。通りが見渡せる窓は、部屋を出て廊下に行かないと無かったはず。私は栞を起こさないように細心の注意を払いながら、ベッドルームを出た。と、
 キュ、ィィ……ン
 外から今度は更に奇妙な怪音が聞こえてきた。
 歩を止めて、その音に聞き入る。耳に慣れた音。モーターが高速回転する駆動音に似ている。
 不思議なのは、日常生活を普通に送っている限りはそんな音が外から聞こえてくることなど、まずあり得ないという事実だ。しかもこんな夜中に、こんな高級住宅街で――
 何かしら、この嫌な感じ。胸騒ぎがする。
 奇妙だわ。おかしい。女の第6感とでも言うべきか、頭の中のロジカルでない部分が警鐘を鳴らしはじめた。心臓が早鐘のように鳴り、息苦しく感じるほどに呼吸が早くなる。
 無性に気になった。取り敢えず、窓から覗いてみて何か不審なものがあれば、護衛の人たちに相談しよう。そう考えを纏めると、私は廊下へと繋がる部屋の出口へと急いだ。
 だが、既に全ては遅過ぎた。

ガッ……ドガガガガガッ!

 突如、静かな夜の静寂を切り裂くような爆音。
 一階で、ガラスが連続して粉砕される音がした。それも1枚や2枚というレヴェルではない。周囲から何百、何千という石を一斉に投げつけられでもしたかのような、怒涛の如き破壊音の連打だ。
「キャアアァァァッ!」
 それと同時に、女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。今夜、鷹山さんが留守にしていることを考えると、悲鳴の主として可能性があるのは、あゆちゃんか――
「倉田先輩!?」
 一階に降りようと階段に向かうが、その瞬間、直ぐ近くにある廊下の窓ガラスが外側から破壊された。
「キャッ!」
 破片を被りそうになって、思わず頭を抱えて飛び退る。一体、何が起こって……
 周囲に視線を巡らせて状況を確認しようとすると、視界に濛々と立ち込める白い気体が飛び込んできた。途端に、目に激痛が走り喉が苦しくなる。
「ゴ、ゴホ……ゴホ、ッ」
 なによ。一体何が起こってるの? これってまさか、催涙ガスなんじゃ――
「何事!?」
「銃声がしたが……なっ、ガスか?」
 二階の各部屋の扉が開く音が連続して起こり、ボディガードの人たちが廊下に飛び出してくる。流石に、反応が早い。でも、どうでもいいからこのガスを何とかして。セキが止まらないわ。
 ――いえ、それよりも栞を起こさないと!
 しかし、その思考は響き渡る怒涛の如き銃撃音によって乱暴に遮られた。私から4、5メートル離れた廊下の床が下の階から爆発するように隆起し、たちまち弾痕によって蜂の巣にされていく。
 マシンガン? アサルト・ライフル? いや、もしかすると、あのガトリング砲とかいうバケモノの仕業かもしれない。秒間数発の弾丸を発射できなければ、一瞬にして板張りの床を破壊するのは不可能だろう。
 あまりに突然の出来事が連続したため、パニックに陥りそうになる。何が何だか全く分からない。状況を何も把握できない。自分の置かれた立場が分からない。これは、喩え様も無い恐怖だ。

「とにかく、全員を起こすんだ!」
 ボディガードの人たちが手持ちのハンドガンを構えつつ、各部屋に分散していく。私も、女性のスタッフの一人に助け起こされた。そう言えば、催涙ガスの煽りを受けて床に座り込んだままだったんだ。
私はへたり込んだまま、呆然としていたらしい。こんな失態、生まれて初めてだ。
「栞を起こさないと! それから、一階。下には、倉田先輩と川澄先輩、それにあゆちゃんがいるんです」
「分かってるわ。みんな助けるから、今は我々の指示に従って!」
 見るからにベテランといった風貌をしたブロンドのボディガードは、私を背後に伴ったままキビキビとした動作で廊下を進んでいく。
 と、私の頭上でガラスが割れる大きな破壊音がした。
 同時に、天上から何か質量の大きな物体が床に降り立つ大きな着地音。
「……ッ!?」
 驚愕と共に振り返った私は、目に写ったその存在に戦慄した。一瞬で身体中の産毛が寒気立つ。
 全身を金属製と思われる銀色のボディ・アーマーで固めた、体長2000mmのヒト型。その巨体から、粉砕されたガラスの破片と木片がパラパラと零れ落ちていく。
 身体の大部分は無機質で構成されているように見えるが、頭部は人間のそれ。……人間なのだ。
 信じられない――。恐怖のあまり身体が凍り付く。呼吸すら侭ならず、息苦しい。
 呆然としている私と対峙するその化物は、右腕に『埋め込まれている』小型のガトリング・ガンをゆっくりと持ち上げ、そして躊躇いもなくその銃口をこちらに向ける。
 男はゾッとする笑みを浮かべた。




■初出(神鳴の章)

18話「The Forum Hightgate」2002年05月07日

本作は上記の初出作品を加筆修正の上、著者が編集したものです。