35
「澤田さんっ、澤田さん!」
屋上に少しだけ冷たい風が吹き抜ける。既に事切れた澤田武士の亡骸を佐祐理は懸命に揺すり、呼びかけた。だが無情にも、彼の体からは急速に体温が失われていくのが実感できる。もう、彼が呼びかけに応じて目を開く事は2度とないのだ。
「澤田さん……そんな、どうしてこんなことに」
遂に諦めた佐祐理は、力無く肩を落とし顔を伏せた。
「佐祐理……」
傍らにいた舞が、その背中にそっと手を添え彼女を慰める。不器用な彼女には、親友にかけてやるべき言葉など持ち合わせていなかった。ただ、それが精一杯だった。
「その人は、もう生きる意義をこの世に見出せなかったのです」
その背中に、美汐の乾いた声がかけられる。
「復讐には、想像を絶するエネルギーが必要なのだと思います。彼はその復讐を遂げ、そして最初から、恋人であり姉であった女性の所まで逝くつもりだったのでしょう」
「天野さん」
佐祐理は悲しげな瞳で美汐を見上げ、呟いた。
「そんな……」
フラつき、数歩後退りながら、あゆが悲痛な叫びを上げる。
「そんなの、間違ってるよ! おかしいよ!!」
「なにが、間違ってるんだ。あゆ?」
祐一は振り返らず、澤田武士の遺体を見下ろしながら低く訊いた。
「だって、復讐なんて、そんなのダメだよ! それに、たとえどんな理由があったって、人を殺しちゃ……人を殺しちゃ、駄目なんだよ! 復讐の為に人を殺して、自分も死んじゃうなんて、悲しすぎるよ!!」
あゆは涙を流しながら、そう訴えた。
「決めつけるなよ、あゆ」
祐一はゆっくりと少女に顔を向けると、言った。
「復讐が悲しくて、虚しいものなんて誰が決めた。たとえどんな理由があっても、殺人は許されない? そんなこと、誰が決めたよ」
「で、でも……だって、それは法律で決まってるよ! 人を殺すのは悪いことで、犯罪なんだよ!? 名探偵の人だって、ホームズさんも、コナン君も『人を殺すのは許されないことだ』って言ってるもん」
「あゆ……」
言い募るあゆに、祐一はゆっくりと歩み寄った。そして、その両肩を包み込むようにポンと手を乗せる。瞬間、あゆの体がビクッと大きく跳ねあがった。怯えた小動物のように身を縮ませて、祐一を遠慮がちに見上げる。
「なあ、あゆ。システムや法律は、酒と同じだ。――飲んでも、飲まれるな。利用しても、利用はされるな。オレたちはシステムや法律のために生きてるんじゃない。オレたちは、オレたちの為に生きてるんだ。LAWってのは、その社会の方向性と判断基準を知る一種の目安でしかないんだぜ。まして、神様なんかじゃないぞ。絶対的正義なんかでもないぞ。簡単に盲従していいもんじゃ、ないんだぞ」
オランダでは、ソフト・ドラッグに分類される『麻薬』の所持、使用が法律で認められている。無論、日本では麻薬取締法違反、シンガポールにいけば死刑判決を出される犯罪とされる麻薬が、だ。
また同じオランダでは、医師による安楽死が法的に認められている。日本でこれをやった医師が、殺人罪で告訴された例さえあるのに、オランダではこれが合法だということになる。
スリの技術は一種の芸術であるという観点から、それが認められていた国があることも祐一は知っている。先進国の中には、同意があれば12歳の子供とでも性的な関係を持つことが許される法律がある。それは無論、日本では青少年保護条例で犯罪とされることだ。
ある国では殺人になることが、ある国では正義。ある社会で犯罪とされることが、ある社会では国に認められている。それが現実であり、世界の真実だ。祐一は両親について様々な国を渡り歩くことで、そのことを肌で感じてきた。常識や正義、社会的な倫理、法律、犯罪の概念。それらは、国境を1つ超えれば180度変わってしまうことがある程度の、脆弱で曖昧なものでしかなかった。
日本では当たり前で常識的なことでも、世界では違う。そんな例は五万とあって、むしろそんな相違の方がこの世には多く存在している。考え方が違うから、語彙も定義も、それが指す範囲も違ってくる。それが世界の常識なのだ。
「……うぐぅ」
あゆは涙で塗れた目で、上目遣いに祐一を見詰める。瞳を逸らせない。
「お前は人形か? 違うだろ。お前は、自分で感じることができて、考えることができて、決めることができるはずだ。だったら、甘ったれたこと言うな。何が正しいか、間違ってるか、自分の目で確かめて、理性で判断し、感情で決めろ。テメェの決断に誇りを持て。命を語るなら、自分の考えで語れ。――法がどうした。社会倫理がなんだ。名探偵の戯言なんざ、関係ないだろ?」
そんなもの、いつだってアテにならない。祐一は実体験から得られた真理として、それを知っていた。
「で、でも」
「でも、じゃない」祐一はあゆの反論を許さなかった。
「オレはな、知りもしないくせに分かったような面してる奴が大嫌いなんだ。面倒だからって他人の決めたことをホイホイ受け入れて、そこで考えるのを止めちまう奴が許せない。こいつはな、――澤田武士は世界中を敵に回しても、殺人犯と指差されることになると知っていても、自分が決めたことを自分の意志で貫き通した」
そう言ってあゆの肩を抱き、彼女を無理矢理、息絶えた澤田武士と向き合わせる。
「うぐ……」また、あゆの体が震えるのが分かった。
「こいつが、何故、殺した奴の下半身を燃やしたか分かるか? ハッキリとは言わなかったが、こいつは自分の大切な人がどんな酷い事をされた証拠を握ったと思う? 焼かれたのは、男の下半身だ。――あいつの姉貴は、乱暴されたんだよ。性的にな。そして、あいつはその証拠を発見したと言った。つまり、姉が乱暴されているシーンが写真かヴィデオみたいな映像として残されていたことになる」
佐祐理と舞、香里、栞、そして美汐。全員が、祐一とあゆの会話を沈黙を守って聞いていた。聞いておかねばならないと、そう思ったからだ。
「こいつはな。自分の好きな女の子が、何人もの男に乱暴されたことを知ったんだ。そして、それをネタに姉貴が脅されて、自殺に追いこまれたって証拠を握ったんだ。その映像を見た時の、あいつの気持ちが分かるか? カケラでも想像できるか? どうだ、あゆ。お前に分かるか。こいつがその時受けた絶望と心の傷を汲み取ってやれるか。癒せるか?」
「うっ……ぅ」
あゆは、ただ嗚咽を洩らすだけで何も応えない。祐一は、それに構わず続けた。
「オレには分からない。到底分からない。だが、1つだけ分かることがある」
そう言うと、あゆの肩を掴んで彼女の体を反転させ、再び自分と向き合わせる。祐一は真っ直ぐにあゆの目を覗き込んで続けた。
「1つだけ分かること。それは、オレがもしこいつと同じ状況に置かれたら、恐らく――いや、間違いなく、同じように復讐を考えるということだ。ここにいる女の子たちは、みんなオレの掛け替えのない宝物だ。あゆ、お前だってだ。だからこそ、お前が乱暴されたら……無理矢理に奪われたら。オレはそいつらを、殺しに行く。頼むから殺してくれと言わせるまで痛めつけて、苦しめて、生まれてきたことを後悔させてから、虫ケラのように惨殺してやる」
「……っ!」祐一の鋭い眼差しに、あゆは身を竦ませた。
「復讐は許されないだ? どんな理由があっても、殺人は許されないだ? そいつらは、澤田の気持ちが理解できるからそんなこと言うのか? その名探偵コナン君とやらは、恋人が乱暴されて、それをヴィデオに撮られて、その件が原因で恋人が自殺したのを知っても、聖人君子みたいに『復讐はいけない』『どんなことがあっても、殺人はいけないんだ』なんて台詞が爽やかな笑顔で出てくる人間なのか?」
「うぐ、それは――」
「お前の知ってる物語の中の探偵ってのは、頼まれもしないのに事件に首突っ込んで、犯罪が悪だと決めつけ、犯人の心情などお構いなしに犯罪を暴き、それでお役御免とそこから先は警察に任せちまう。犯人がどんな気持ちで犯罪を犯したか。何が犯人を犯罪に駆り立ててしまったのか。そんなことを微塵も考えようとしない。
確かに犯罪者は加害者さ。時に、一方的に罪のない人間を傷付けて悲しませるクズもいる。だけど数多の犯罪者の中には、この澤田のように1番の被害者でもあるヤツだっているんだよ。そんなこと、あいつらは一瞬でも考えるか!?あいつらは、謎さえ解けりゃそれでいいんだ。1番非道な連中だぜ。犯罪を謎解きゲームとしか思ってないんじゃないのか? 犯罪=悪。その一般受けする大義を掲げて、テメェの好奇心を満たしてるに過ぎないんじゃないのか?」
ある意味で、相沢祐一はあまりに若過ぎた。あゆに教え諭すつもりでも、言葉を重ねるうちに徐々に熱くなり過ぎていく。今や、彼女の両肩を掴む腕は、肌を切り裂くほどの力が込められていた。
「分からなかったから、オレは訊いた。復讐はどうだったかってな。こいつは、笑った。最高だと言った。だから、それで良いと思ったんだ。世間の連中は、復讐は虚しい。哀しい。そう知ったように言うけどな。そいつらは復讐を経験したことでもあるのか? それで満たされる復讐だって、あるかもしれないだろう」
祐一は口付けを交わそうとする程、あゆに顔を近づけてその瞳を真っ直ぐに見据える。
「殺された奴らは、オレの尺度からすれば殺されて当然のことをやっちまった。致命的なミスを犯した。
赤信号を無視して突っ走って、跳ねられちまったんだよ。だから、オレは澤田を望み通り死なせてやった。こいつを責めるつもりなんて毛頭ない。」
祐一は軽く目を閉じると、一言一言を噛み締めるように続けた。
「法の裁きなんて、こいつには必要ねえ。法でなんか、こいつは裁けねえ。こいつは、自分が何をしているのか知っていたんだ。自分の行為が何であるかを知りながら、覚悟を以ってそれを行なったんだ。
1人の人間が腹括って、覚悟決めて、命懸けで動いた。それを白々しい綺麗事ならべて非難しようなんざ、誰が許そうがオレが許さねェ。こいつは、譲れねェ感情があったから、それを貫いた。何が悪いんだ? 確かに社会は個人による罪の裁きや処刑を認めていないよ。復讐を良しとしていない。でも、こいつは社会に自分のやってることを認めてもらおうなんざ、これっちぽっちも考えちゃいなかっただろうよ」
「うぐぅ……祐一君、痛いよ」
ギリギリと肩を締め付ける祐一の手に、あゆは遂に悲鳴を上げる。
「相沢君、もうそれくらいにしてあげて」
見かねた香里が、祐一にそっと近付き、その手をあゆから離してやる。
「あ、ああ。すまない」
他人の介入を受けて、祐一は漸く自分が熱くなり過ぎていたことに気が付いた。
「ごめんな、あゆ。痛かったろう」
そう言って、強く握り締めていた彼女の両肩を撫でてやる。
「うぐぅ……大丈夫だよ」あゆは弱々しく笑って見せた。
「でもな、あゆ」
祐一は、そんなあゆのライトブラウンの髪にポンと手を置く。
「オレはお前が好きだから、こんなことを言ったんだぜ。お前には、きちんと考えて自分の責任とプライドでものを言うようになって欲しいんだ。命を語るってのは、そういうことだ。他人の価値観や判断を鵜呑みにする人間が口にして良いことじゃない」
「うん。ごめんなさい」
あゆは言葉と共に俯いたが、すぐに顔を上げて祐一に笑いかけた。
「でも、もしボクに何かあっても、祐一君には復讐になんか生きてほしくないよ。ボクのことは大丈夫だから、人を殺めたり、自殺したり……しないで欲しいんだ。少なくとも、ボクはそう思ってるよ」
「ああ、分かった」
頭に置いた手で、そのままクシャクシャとあゆの髪を撫でると、祐一は笑った。
「あゆは優しいからな。覚えておくよ」
そして今度は近付いてきた香里に顔を向けて、問いかける。
「参考までに、香里はどうして欲しい?」
「――えっ?」
「いや、だからさ。お前に何かあった時、復讐して欲しいと願うか。それとも、しないで欲しいか?」
「それは……、難しい問題ね」
香里はそう言うと、顎に手を当て暫し思考する素振りを見せる。
「あたしは、そうね」
やがて顔を上げて祐一と視線を合わせると、彼女は言った。
「こんなこと願ったら、本当はいけないのかもしれないけど、復讐して欲しいかしら。私の為に自暴自棄になって、破滅が見えているのに、それでも狂ってくれる。そこまで想われていることを、その人の復讐劇を通して確認したい――っていうような願望はあるかもしれないわ」
「ふうん。こりゃまた、ヘヴィな回答だな」
祐一は悪戯っぽく笑って見せた。だが、目は真剣なまま変わらない。
「でも、そっちの方がオレは好きだな。人間としてリアルな感じがするぜ。それに、なんだか香里らしくていいや」
「それって、誉められてるのかしら?」
香里は、目を鋭く細めて祐一を捕らえる。
「ま、いいじゃないか」
祐一は笑いながら、香里の背中をポンと叩いた。
「――さて、それじゃ澤田武士関連の話が一段落したところで」
祐一は腕を組み、軽く屈伸運動をしながら前方に佇む2つの人影に歩み寄っていく。
「いよいよアンタらにお話を伺いましょうかね、先生。アンタらは、澤田武士とはちょっと違う。覚悟もないのに、ビジネスライクに人を殺して笑ってる奴らだ。オレは個人的に、そういうのは気に入らないからな。澤田のように優しく質問、という風にはいかないかもしれませんよ」
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見れば見るほど、その2人は不釣合いだった。片や、190cm近い長身を誇る厳ついブロンドの大男。 片や、華奢で小柄な黒髪のアジア人女性。容姿の面からいえば、まさしく美女と野獣といった構図である。
だが、女の方とて油断は出来ない。もし、『北川潤』を名乗っていた例の男の仲間であるならば、彼女もまたプロの工作員である可能性が高くなる。潜入工作員というのは、見つからずに仕事を完遂してナンボの商売だ。だが、彼らとて最低限の戦闘訓練は受けているものである。現に、北川の偽者は短棒術の達人だった。
いや、そもそも公的な潜入工作員の場合、特殊部隊の経験者から選抜されることも多い。つまり、戦闘技術にせよ知識にせよ一級品の人材である可能性だって捨てきれないのだ。
――そんなことを念頭に置きながら、祐一はジョージ・クーパー、江口素子の2人と対峙していた。
「まず、話を始める前に幾つか確認しておきたいことがある」
油断なく2人の男女を見つめたまま、祐一は言った。相手が正規の訓練を受けた兵士である可能性がある以上、格闘戦になれば自分に勝ち目はない。そのことを祐一はキチンと認識していた。
「1つ目。澤田武士から吉田卓郎の抹殺を依頼され、それを受けたというのは真実か?」
クーパーも江口も、黙して応えない。それもそうだろう。相手がプロなら、そう簡単に情報を提供してくれるはずもない。
「おいおい、ダンマリか? それは賢い選択じゃないと思うけどな」
祐一は肩を竦める。
「アンタらは腹が立つが、だからといって警察に引っ張っていけば、どうやったって澤田武士の犯行が明るみに出る。オレとしては、それは避けたいんだよな。こいつは、そっと死なせてやりたい。事件は闇に葬りたい。そう思ってる。だから、条件さえ揃えばアンタたちを見逃すことも吝かではない」
そこで言葉を切ると、祐一は改めて江口のクーパーを見詰めた。
「その条件が成立するかを確認するためにも、アンタたちには質問に応えてもらわなくちゃならない。……どうだ。それでも応える気にならないか? ならないなら、選択肢は1つ。携帯で警察を呼び、アンタらを引き渡すだけだ」
「――真実だ」
暫くの沈黙の後、クーパーが突然言った。
「それは、さっきの質問、つまり澤田と契約を交わしたかという問いへの回答か?」
「そうだ」クーパーはニコリともせずにいった。
「クーパー!?」
驚いたのは、江口だ。まさか、こんな子供の誘いに乗るとは思ってもみなかったのだろう。彼女は小さな叫びと共に、傍らの大男を見上げる。
「大丈夫だ。この小僧は、約束に関してはウソは付けないタイプの人間だ。喋らんと言うなら、喋るまい。問題があるようなら、それから消しても間に合う」
顔の向き、表情、視線。その一切を動かさず、クーパーは江口にだけ聞こえる小声で囁いた。唇を振動させるだけ、といった極めて喋っていると分かり難い動作だ。殆ど腹話術に近い。
「それに、澤田が想像以上に喋り過ぎた。ここは下手に隠すよりもダミーの情報に適度に真実を混ぜて納得させたほうが、心理的に上手く働く。現状を考えろ。この状況下では我々が圧倒的に不利だ。……忘れたか? 砕破の報告書の記述を。やつらのバックには、『荒鷹』が控えている」
その言葉に、江口はキッと祐一を睨みつけ、唇を噛む。だが、そうしたところで状況は好転しないし、クーパーの言う事実が覆るわけでもない。
財団のブラックリストがA級指定する不穏分子、『荒鷹』。その戦闘能力は、完全武装の1個小隊にも相当すると言われている、伝説的傭兵である。陸上部隊の1個小隊といえば、兵員にして約30〜50名に相当する。つまり、荒鷹と戦うにはそれだけの兵士を投入しなければ勝負にならないということだ。
勿論、チョコレイト・ハウスの能力者である自分なら、クーパーと2人で組めば、相手が『荒鷹』でも、互角以上に戦える可能性も高かろう。だが、それにしてもリスクが大きすぎる。――それは、プロのやる計算ではない。
「やむをえないわね」
不承不承ではあったが、江口はそう吐き捨てるように言った。
「お、交渉は成立みたいだな」
祐一は片眉を吊り上げて笑う。3ヶ月前のダイヤ泥棒との取引以来、妙にこういう駆け引きに慣れてきている彼だった。
「じゃあ、早速次の質問だ。アンタらは、その澤田との契約を果たすつもりか?」
「オレたちはプロだ。契約は果たす。そのボウズの死という報酬も既に受け取っているしな」
「何故、そんな契約をした?」
「利害が一致したからよ」
応えたのは、江口素子だった。どうやら、彼女も観念したらしい。
現在この場にいるのは、相沢祐一を含め6人の男女だ。全員が事情を熟知しているとなると、口を封じるには6個の死体を作らなければならなくなる。冷静に計算してみれば、それはちょっと厳しいものがある。これでも、彼らは隠密行動を行なっているのだ。6人もの学生を殺せば、
砕破の二の舞。少なくとも国内にはいられなくなることは目に見えていた。
「私たちは状況的に、その少年――澤田武士を抹殺しなければならなくなった。彼にこれ以上、殺人を繰り返されると生徒会が壊滅しかねないから。それに、生徒会が世間に無用の注目を向けられることにもなってしまう。だから、彼をここに呼び出して殺すつもりだっんだけど……。その子、『吉田を代わりに殺してくれると約束するなら、死んでもいい』なんて言い出したのよ」
そう言って、クスリと江口は笑う。そう、彼女が微笑んだ時に出来る可愛らしいエクボが、男子生徒には人気だった。だが彼女の素性を知った以上、祐一はそんな感情を抱く気にもなれなかった。
「今回の連続殺人の真相に気付いてから、吉田は怯えているわ。澤田がいつ自分を殺しに来るかってね。警察に駆け込んで、全てを話そうとも考えている節がある。そうなると、生徒会の機密が警察に漏れることになりかねない。私たち側としても、吉田は殺しておいた方がいいという結論に至ったわ。そこの澤田少年と利害が一致したってわけ」
「だけど、澤田を殺してしまえば、吉田も安心して警察に駆け込もうなんて気を収めるんじゃないのか?」
祐一は怪訝そうな顔で指摘した。
「犯人が死んだとなれば、吉田だって怯える理由もない。だろう? 吉田を殺す必然は消える」
「そう考えるから、シロウトの坊やなのよ」
江口は妖艶に微笑んで見せた。ゾクリと背筋に寒気が走るような、戦慄の微笑だ。
「本物のプロはね、吉田みたいな人間は、決して信用しないの。1度裏切りを考えてしまうと、次に何かあった時、その人物は真っ先にまた裏切ることを考えるようになる。裏業界では当然の理よ。『裏切りは、癖になる』ってね」
「そして、あなたがたの業界では『裏切りそうな奴は、裏切る前に消しておけ』といった理もあるんでしょう?」
美汐が、相手が誰であっても変わることのない毒舌を奮う。女学生にしておくには、まったくもって勿体無い胆力である。
「フフ、あなたたち面白いわ。今回の事件を見切ったキレといい、度胸といい。シロウトにしては、なかなかのものね。気に入ったわ」
江口は目を細めて笑う。
「――ところで、今度は私が質問してもいいかしら?」
「別にいいけど? こっちには、あなたと違って疚しいこともないですしね。江口先生」
皮肉を込めて、『先生』の部分を強調しつつ祐一は応える。江口はそれを余裕の笑みで受け流すと、何事も無かったように口を開いた。
「私たちは、近い内に吉田卓郎を殺すわ。そのことは、今、あなたたちにも話した。聞きたいのは、それからよ。相沢君たちは、どうするつもりなの? 私たちを止めるつもりかしら。或いは、警察に話すのかしら」
「ここにいる女の子たちはどうするつもりか知らないが、オレは少なくともそんなつもりはない。止めるつもりもないし、警察にも言わない。不干渉ですよ。アンタたちが本当に吉田卓郎を殺すなら、それを黙って見過ごす。いや……個人的な願いとしては、死んでいった澤田の願いを叶えるためにも、吉田は殺ってほしいとさえ思ってる」
「――私も大体相沢君と同じね」
香里は、クーパーと江口に歩み寄りながら言った。そして真っ直ぐに彼らを見据えて告げる。
「今回の事件の関係者のうちで、私が1番感情移入できていたのは『武田玲子』さんだったわ。彼女の母親の哀しげな表情を見て、彼女たちのためにもこの殺人を立件したいと思っていた。でも、気が変わったわ」
香里は肩を竦めて、少しおどけて見せた。
「澤田君の話を聞いた今じゃね。誰に1番同情するかと言われれば、やっぱり彼よ。優先順位が入れ替わったってわけ。武田さん親娘のことは本当に気の毒だけど……たとえ貴方たちを犯人として警察に突き出したところで、玲子さんが甦るわけでも、彼女の母親が救われるわけでもない」
「ですが、あなたたちが吉田卓郎を殺せば、死んでいった澤田武士は少なくとも報われます」
香里の後を継ぐように、美汐は言った。打ち合わせもしていないのに、相変わらずいいコンビネーションである。きっと、論理の組み立て方で2人には共通点が多いのだろう。
「前年度の生徒会長である吉田卓郎は、澤田武士という名のリベンジャーを生むだけの暴挙を行なったわけです。それは、殺されても仕方がないでしょう。私も、相沢さんや美坂先輩と、――理由は違いますが――結論としては同じ回答を持っています。つまり、あなたがたをどうこうするよりは、吉田卓郎を殺してもらった方がスッキリするということです」
「佐祐理は……」
まだ、死んだ澤田武士の傍らに膝をついたままの佐祐理が掠れた声で言う。
「佐祐理は、もう、誰にも死んで欲しくありません。誰かが誰かを殺すだなんて話、聞きたくもありません。でも、佐祐理はどうしていいのか分かりません。澤田さんの願いが成就し、彼が復讐から開放されるのを望んでもいますし、吉田さんが殺されるのも忍びないです」
「佐祐理」
哀しげに俯く親友の肩を、舞は優しく抱いてやった。それと同時に、舞は思う。何故、この世には悲しいことばかりあるのだろう、と。人が人を憎み、殺し、復讐する。何故そんなことばかりが、この世には溢れかえっているのだろう、と。
「でも、佐祐理は信じています。きっと、『幸福のパレート最適』はあるって。辛いことは支え合って、小さな幸福を皆で分かち合う。佐祐理は、そんな世界もありえるって信じたいです。だって、ここにいる大切なお友達とは、そんな絆があると思うから――」
佐祐理は力尽きたように、項垂れた。幾らお金や権力があっても、変えられない事、操れないものがある。それはある意味での幸福であるのかもしれないが、同時に痛みを伴う現実でもあった。
「うぐ、ボクは……」
自分も何らかの意思表示を求められていると思ったのだろう。あゆが恐々と口を開く。
「ボクも、倉田さんと同じだよ。悲しい話は嫌いだもん。でも、たとえどんな結果で終わっても、誰も悲しまずに済むなんてこと、あり得ないんだね」
また、彼女の大きな瞳から透明な涙の粒がポロポロと零れ出した。
7年間の眠りについていた彼女は、舞と同じように幼い少女の純粋過ぎる心を、今尚その胸の中に守り続けている。そんな物知らずな少女たちが、現実世界を旅し、その真実の姿を知りゆく過程には辛い痛みが伴う。だが、それは誰もが辿らなくてはならない道なのだろう。
あゆ自身、それを理解していた。だからこそ、涙は流しても瞳は逸らさない。舞と同じように、キュッと唇を真一文字に結び、一生懸命に考える。今の自分に何が出来るか、何か出来ないかと思考する。
そして、何の術もないと悟り、何も出来ないまま、また涙を流す。
「ボクはちっちゃくて、まだ何もしらないから……」
うぐうぐと嗚咽を堪え、まんまるい拳をギュッと握り締めてあゆは呟く。
「だから、今のボクは、なにをどうすることもできないよ。ボクは弱いから、なにも変えられないよ。ただ、悲しんでる人たちを想って、一緒に泣くしかできないよ」
「あゆ……」
そんな時、そんなやつの力になりたい。そう、祐一は思ってきた。それが自分の役割であり、7年間の忘却の犠牲としてきた多くの少女たちへの償いだと考えていた。
だから、1人ではどうにもならないと。自分だけでは、何も変えられないと嘆くとき、その名を呼んで欲しい。いつだって、何処にいたって駆けつけて、力を貸そう。相沢祐一の名は、そんな名でありたいのだ。
「うぐぅ。とっても、かなしいよ」
だが、今、ポツリと悲しげに呟くあゆの力になることは出来ない。祐一は不条理と知りながら、それが悔しかった。
to be continued...
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脱稿:2001/09/06
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