Dの微熱
Hiroki Maki
広木真紀




20




 異臭が漂っていた。
 激しく炎上するワゴンの塗装が溶け出したのか、濛々と上がる黒煙と共に刺激臭が辺り一帯に充満する。その燃え上がる火の手に煌煌と照らし出される夜の倉庫街は、間近に迫りつつあるパトカーのサイレンと、不可視の“魔”に襲われる男たちの悲鳴とで騒然としていた。
 逃げ惑う男たちを数えていくと、どうやら、ワゴンに乗り込んでいた中国人は全部で9人らしい。これだけの頭数を、取り合えずでも警察に渡すことができれば事件は一気に進展を見せるだろう。彼らが興行にやってきている『雑技団』のメンバーであることも、ちょっと調べれば簡単に分かるであろうし、そのルートで雑技団本体に捜査のメスが入れば、各地で頻発していた宝石盗難事件との関連性も浮上してくるに違いない。
ここまでくれば、検挙率は世界一を誇る日本の警察組織だ。『シリウスの瞳』に関する事件についても、割合簡単に解決されると思われた。

「これで、一件落着。事件も解決だぜ」
 壊滅的打撃を受けつつある賊たちを見て、パンパンと軽く手を打ちながら上機嫌に祐一は言った。
 だが、香里は彼ほど簡単に事を楽観する気にはなれないらしい。
「そうだと……いいわね」
 と、険しい表情をしたままで、気のない返事を返す。その視線は、北川がダイヤを取りに消えた炎の輪から刹那たりとも動じることはない。
「なんだよ、香里。なんか、気になることでもあるのか?」
「いえ、確証はないんだけど……。ちょっと北川君の言動が不審に思えて」
「はぁ? あいつの変人で挙動不審なのは、前々からのことだろう」
「いえ、それとはちょっと違うんだけど。まあ、いいわ。まさかとは思うしね」
 そう言うと、香里は話題を変えるように言った。
「そんなことより、北川君、遅いわね。イミテーション、まだ見つからないのかしら。あんまり手間取ると事だわ。手伝いに行きましょう」
「そうだな」祐一は頷くと、機敏に歩き出す香里の後に続いた。
「天野はここに残っていてくれ。舞、念の為にお前は天野の護衛を頼む」
「ハチミツくまさん」
 了解を示す舞と天野を残し、祐一と香里は再び騒動の輪の中に戻った。

「ワゴンが燃えてるから、わりと探しやすいと思うんだがな。北川の奴、なにモタついてるんだろう。長居すると危険だって言うのに」
 ブツブツと文句を言いながら、祐一は前方を駆ける香里に並ぶ。
 考えてみれば、全ては北川のバカが無様に拉致されたりするから、ややこしくなったのだ。あの男さえ自分の忠告をキチンと受けとめ、己の身を守ることさえできていれば、今頃全てを警察に打ち明けて、簡単に事に決着を付けることができていた筈である。
「なんか、だんだん腹が立ってきたなぁ」
 ――やはり、この件が無事に片付いたら、北川はオレが殺る。祐一がそんな物騒な決意を固めていると、香里が前を向いたまま低く言った。
「相沢君、何か変だと思わない?」
「あ? なにが」
 香里はその問いには応えず、代わりに足をピタリと止める。前を向いたまま振り返らないせいで、彼女の表情を窺い知ることはできないが、声音から察するにどうやら只事ではないらしい。
 揺らめく炎に照らし出された彼女の髪が、まるで生命を持っているかのように蠢いて見えた。

「あれだけ騒いでいた、男たちの悲鳴が止んだわ。もう、ワゴンが炎上する音しか聞こえない」
「ああ、そう言えば……」
 言われてみれば、奇妙だ。“魔”に襲われ、極度のパニック状態にあった彼らの悲鳴が、パッタリと止んでいる。たとえその混乱状態から回復したとしても、彼らがなんのアクションを起こしてこないのはおかしい。
 燃え上がる炎が発する熱風に目を細めながら、2人は周囲の様子を油断なく窺い始めた。
 だがそうは言っても、この放棄されて久しい倉庫街には街灯の類いもなく、主となる光源は月光とワゴンの炎くらいしかない。夜の暗闇の中、先進国に住まう人間の退化しきった夜目だけを頼りに、周囲の状況を認識するのは非常な困難を伴う作業だった。
 それでも諦めず、暫く辺りの様子を窺っていた2人は、やがてワゴンが爆ぜる音に紛れて、何か圧縮空気を抜くような破裂音が断続的に聞こえてくることに気付いた。
「……今の聞こえたか、香里?」
「ええ。何かしら」
 顔を見合わせて首を捻ると、祐一と香里はその奇妙な音の源を探す。
 異常に逸早く気付いたのは、香里だった。

「……ッ! 相沢くん、これ!!」
 言われて視線を香里に向けると、彼女は地面に転がっている賊の1人を凝視していた。
 祐一は最初、舞の“魔”に殴り倒されて気絶している敵の1人なのだろうと思ったが、どうやら違うらしい。それにしては、香里の反応が劇的過ぎるのだ。
 燃え上がるワゴンの炎を頼りに、暗闇の中、目を凝らして倒れている男を観察してみると、その周囲に血溜まりが出来ているのが分かった。
 夜であり、地面が黒いアスファルトであることもあって気付くのに時間が掛かったが、よくよく見てみれば、辺りは目を覆うばかりの鮮血の海と化していた。これだけの出血が間近にありながら、その匂いに気付かなかったのは、炎に包まれたワゴンが放つ異臭が強烈過ぎたからだろう。
「こりゃ……もしかして、死んでないか?」
「死んでるわよ! しかも……」
 祐一は香里の言わんとしていることに気付き、目を見開いた。血溜まりの中に漬かっている男たちの額に、一様にして小さな穴が開いているのだ。丁度、指2本分くらいの大きさだろうか。そこから、ドクドクと未だに乾ききらぬ鮮血が溢れ出してきている。余程大きな衝撃を受けたらしく、辺りには細かい肉片も散らばっていた。
 それは、間違いなく弾痕。ピストルで撃ち抜かれた痕だった。

「お、おい! これって……」
 身動きするのも忘れて呆然と死体を見詰める2人の耳に、再び例の破裂音のようなものが聞こえてきた。
 ここにきて、漸く彼らはその音の正体に気付いた。
 気付かぬ内に射殺されていた男、そして掠れたような微かな破裂音。2つを結びつけて考えれば、消音装置(サイレンサー)を装着した拳銃の発射音くらいしかあり得ない。
祐一たちは、何かに急かされるように音源に目をやった。
「――ッ!!」
 肩が触れ合うほど近くにいた香里が、ハッと息を呑むのが分かった。
 それは到底信じ難い、戦慄の光景だった。
 ワゴンの炎が逆光となり、シルエットしか見えないが――拳銃を持った1人の男が“魔”によって倒された賊たちの頭を次々と撃ち抜き、射殺しているのである。
 彼は、工場で電子機器組み立ての流れ作業でも行うように、淡々と機械的にその作業をこなしていく。 やがて祐一と香里の気配に気付いた男は、ゆっくりと2人に顔を向けた。
 ――それは間違いなく、北川潤の相貌だった。




21





「きた、がわ……?」
「そんな――」
 まだ、事実を脳が認識しきれていない。
 サプレッサ越しの銃口、感情が欠落したような北川の表情、眉間を撃ち抜かれ目を見開かれたまま死んでいる9人の男達。全てが、どうしても現実とは思えない、決定的にリアリティを欠いたオブジェだった。
「どう……したんだよ、北川」
 祐一は、その自分の声が酷く掠れていることに気付いた。
「これ、どういうことだ? その銃、ヤツらから奪ったのか? 正当防衛ってやつだよな?」
 だが、北川は一言も応えなかった。炎が逆光となり、その姿と表情はシルエットとしてしか認識できない。
 彼は無言で空になったマガジンを捨てると、懐から新しいそれを取り出し交換作業を始める。そしてスライドを引き、チャンバー(薬室)に初弾を送り込むと、ゆっくりと銃口を2人――祐一と香里に向けた。
 それを見た香里の体が、ビクンと大きく震えあがるのを祐一は感じた。それが切っ掛けとなって、フリーズしていた思考が急速に復旧し始める。彼は無意識のうちに、香里を庇うようにして銃口の前に立ち塞がっていた。

 ――だが結局、北川がトリガーを引くことはなかった。いや、正確には引けなかった。
 その動作を行おうとした瞬間、まるで小さな爆発でも起こったように、銃を持った北川の腕が弾かれたのだ。香里は一瞬、それを暴発かとも思ったが、祐一はその真相を知っていた。佐祐理が助っ人として貸してくれた人物が、どこからか北川を狙撃したのだ。
 祐一が彼女のマンションに『シリウスの瞳』のイミテーションを借りに行った時、佐祐理が念の為にと用意してくれた人員だろう。
 佐祐理は特殊部隊の経験を持つ元兵士を、専属のボディガードとして雇っているという。祐一が言っていた「布石」とは、その人物のことだ。
 取り落とした銃を慌てて拾い上げる北川であったが、彼が再び銃を構えるより先に、悲鳴のようなブレーキ音を響かせて、何台ものパトカー群が慌ただしく倉庫街に滑り込んできた。
 それを見た北川は、何の躊躇もしなかった。即座に踵を返し、闇に解け込むようにその場から消えて行く。
 祐一と香里は、ただそれを呆然と見送るしかなかった。




22





 その夜から翌日にかけて、祐一たちは警察の取り調べに協力することになった。
 よって、彼らが開放され、倉田佐祐理と川澄舞の住みかである高級マンションの一室に集うことが出来たのは、事件があった夜から2日後の午後のことであった。
 集まったのは、祐一、香里、美汐、そして家主である舞と佐祐理、それから『シリウスの瞳』を与っていた店のバイヤーである富田悦子の5人。事件に深く関わった、被害者側サイドの全員である。
 ただし、北川潤を除いて。
「で――」
 応接用のソファに深く腰を落とした祐一は、誰の目にも不機嫌であることが分かった。
「一体こりゃ、どういうことなんだ? 誰か、説明してくれ」
 本来3LDK=1部屋のスペースを、丸ごと来客用の広間として仕立て上げたその部屋は、5人が一堂に会してなお空間的な余裕を充分に維持していられるほどに広かった。だが、今その空間を支配しているのは、家主が望んでいたような和やかな雰囲気とは程遠い、剣呑な空気だった。
「佐祐理も色々と調べてみたんですが……」
 俯き加減で、佐祐理が口を開く。いつも口元に微笑を絶やさない彼女も、今日ばかりは雰囲気に呑まれ、沈んだ表情をしていた。
「北川潤という方は確かに存在しているようなのですが、祐一さんたちがご存知の『北川潤』とはどうも別人のようなんです。法的には――戸籍や住民票などは、存在しています。だけど、彼の経歴は全く分かりませんでした。高校入学の時に提出している資料は、全て作られたものであったことが分かっています。平たく言えば、偽物ですね」

「まるで、陳腐なスパイ映画の設定のようですね」
 香里は皮肉な笑みを浮かべて言った。
 その後に、美汐が続く。
「それか、軍関連かアメリカで言えばカンパニーの人間ですか」
 皮肉の類いを言わせれば、メンバー中彼女の右に出るものはいないのだ。
「でも、軍や情報局の連中が、日本の――しかも高校に出張るかしら?」
「まさか」苦笑しながら、美汐が即答する。「賭けても良いですが、そんなことはあり得ませんよ」
 諜報員や軍の特殊部隊が日本に入り込んで、高校生をやる。今時、三文小説でもやらないネタだ。
「ですが、どちらにしても、彼が北川潤の名を語る偽者であり、そのバックには何かがあることは確かでしょう。個人レベルで、ここまでの仕事が出来るとは思えませんから。相当のバックボーンですね。国際レベルです」
 戸籍なら、確かに裏社会では売買されている。需要があれば、必ず供給はあるものだ。
 美汐自身、金さえあれば戸籍の入手が不可能ではないルートに幾つか心当たりはある。だが、この北川潤がやっていた身分と経歴の偽証は、ちょっと普通のレベルではない。

「それに――」と続けて、美汐はポケットから親指ほどの大きさの金属の筒を取り出した。
「警察が現場検証を始めるまでのドサクサに紛れて、彼が落としていった拳銃の薬莢を拾っておきました。……随分と太いでしょう? 日本では滅多にお目に掛かれない45口径。俗に『.45ACP』と呼ばれるもので、主に特殊部隊などが使う弾丸です。威力で言うと、日本の警察が使う38口径のピストルの約2倍。 誰がどう考えても、シロウトの扱う銃弾ではありません」
「この際、あいつが使ってた弾の種類なんてどうでもいいさ。問題は、北川の――オレたちが、北川潤だって呼んでた奴は誰で、何が目的だったかだ」
 祐一が憮然とした顔で言った。
「雑技団の連中皆殺しにして、ダイヤのイミテーション持って消える。それに何の意味がある? 何者だったんだよ、あいつは」
 彼自身、恐らく何に腹を立てているのか理解できていないだろう。だが、何かが釈然としない。何かが納得できないのだ。
「恐らく、今回の件に限定すれば、北川君の目的はイミテーションの方だったんだと思うわ。彼は『シリウスの瞳』が欲しかったんじゃない。そのイミテーションが欲しかったのよ」
「何でそんなことが分かる」
 訝しむというよりは、睨みつけるといった表情で祐一は香里を見詰める。
「あの夜の彼自身の言葉が、それを証明しているわ」
 香里は居住まいを正すと、改めて全員の顔を見まわしながら言った。

「まず、彼があのイミテーションに拘ったという点。警察が駆け付けたことを知って、私たちは早々にあの場から逃げ出そうとしたわ。それを制止し、イミテーションの回収を提案したのは北川君だった。 しかも、彼はこう言ったのよ。『待て。ダイヤのイミテーションはどうするんだ?あれって借り物なんだろう』……ってね」
「その点は、私も非常に気になっていました」
 彼女たちの脳を電子回路として解体した時、きっと同じような多次元マトリクスを発見できるに違いない。美汐の着眼点は、香里のそれと見事に一致していた。
「何故、彼は私たちが取引の道具として持ってきたものが、本物ではなくイミテーションであることを知っていたのでしょうか? あの時点で、彼がそれを知っている筈はないのです。誰も、それを教えていないのですから」
「ああ! あの時、香里が難しい顔して北川を見詰めてたのは――」
 祐一がソファの背凭れに預けていた上体を勢い良く起こし、小さく叫んだ。
「そうよ。あの時、北川君がイミテーションという言葉を発するのは、明らかに奇妙だった。私はそれがずっと気になっていたのよ」
「ここで、私たちは大きく2つの可能性を考えることが出来ます」
 香里の後を継ぐように、美汐は右手でVサインを作りながら言った。

「1つは、彼が何らかの方法で、あれがイミテーションであることを予め知っていた可能性。そしてもう1つは、私たちが本物と合わせて、イミテーションを用意してくるであろう事を『期待』していたか、或いは『予測』していた可能性です。彼がそれをイミテーションであると知りながら、固執した点。そして、実際に現場からイミテーションが持ち去られていた点を考えると――」
「はえ〜、北川さんはあれがイミテーションであることに確信を持っていて、しかも、本物ではなくイミテーションを必要としていたという解釈が成り立ちますね」
 小さく驚きながら、佐祐理が言った。美汐はそれを頷いて肯定する。
「倉田先輩の仰る通りです。ここで、美坂先輩の発言の妥当性が証明されるわけですね。つまり、彼の目的は『シリウスの瞳』そのものではなく、そのイミテーションの方だったと。そして恐らく、彼はこう計算していた筈です。たとえば仲間のうち誰かが人質に捕らわれて、ダイヤと交換だという取引を持ちかけられたとき、相沢祐一ならイミテーションを持ってこれに臨むに違いない――と」
「じゃ、何か? 北川は雑技団の連中とグルで、最初からこの件に噛んでたってことか?」
 自分の行動を予測されて、しかもそれを利用されたとなれば、人間憤るというものである。
 祐一も例外ではなかった。
 正確に言えば、イミテーションを取引に使うというアイディアは、美汐が提供してくれたものだ。だが、たとえ彼女の存在がなくても、自分も同じことに思い至ったであろうことは、想像に難くない。だから、余計に腹が立つ。

「いえ、雑技団と目的を同じくしていたとは考え難いわね。そうならば、最初から彼らはイミテーションも一緒に盗んでいくはずだから」
 そう指摘すると、香里は、宝石店「Aries」のバイヤとして紹介された富田女史に視線を向けて問うた。
「店が襲われた日、イミテーションも店内にあったわけでしょう?」
「はい。本物とは別の金庫に」
「……まあ、そういうわけね。この情報から判断するに、雑技団の連中は単なる宝石泥棒以外の何者でもないと言えるわ。ただし、北川君とどこかで繋がりがあった可能性が高いというのも事実よね」
「それだと、クライアントが同じで、与えられた役割が違う――という考え方が妥当かもしれませんね。ね、舞?」
 佐祐理は、顎に人差し指を当てるという実に可愛らしいポーズで言った。
 これが、本人は何の意識もしていない素の恰好であるというから凄い。
「みまみま」
 因みに、先ほどから一言も喋っていない川澄舞は、佐祐理に特注して作らせた、皿に山盛の『タコさんウインナー』を一心不乱に食していらっしゃる。事件の夜、1番大活躍したご褒美だ。

「私も、倉田先輩の考え方に賛成ね」
 香里が優等生らしく、軽く挙手のポーズを取りながら言った。
「色々な情報を整理してみると、やはり北川君と雑技団が最初から組んでいたとは考え難いもの。それなら、『利害関係が一致したから途中から組んだ』……っていう風に考えた方が自然よ」
「そうでしょうね」美汐も頷く。
「雑技団は、シリウスの瞳が欲しかった。北川さんは、そのイミテーションが欲しかった。そして相沢さんは、その両者に1番近しいポジションにいた。両方を効率的に手に入れるには、人質を用意して取引を持ちかけるのが1番手っ取り早い。そう結論付けた時点で、彼らは連携して相沢さんを利用することを考えたのではないでしょうか」
「そこで、北川君自らがその人質役を買って出たわけね。補習の時、私から『相沢君が鑑定士の所に行っている』という情報を得ていたから、多分、相沢君がイミテーションの存在を知るであろうことを予測できていた筈。同時に、川澄先輩を動かすことを計算することも出来たんじゃないかしら。きっと、拉致される演技もしたんでしょうね。川澄先輩が目撃していてもいいように。私を同時に誘拐しようとしたのは、北川君とは別の保険としてかしらね。或いは、雑技団サイドの独断かもしれないわ」

「まあ、それはいいとして――だな」
 祐一は混乱する頭を軽く振りながら、唸るように言った。
「結局さ、北川ってのは何者なの? 何の為に、その名前を語ってさ、ウチの学校にいたわけ?」
「それを推測するにしても、材料が少なすぎますね。現状では、なんとも言えませんよ」
 この問題に関しては、美汐は最初から考えるつもりはないようだった。考えても詮無きことは、考えない。実に合理的だ。
「まあ、我々の学校には――特に生徒会と理事会あたりですね。兎に角、上層部には色々と黒い噂が付き纏っているようですし。その辺の関係なんじゃないですか」
「じゃあ、あいつが『シリウスの瞳』じゃなくて、そのイミテーションを欲しがってたっていう理由は? あんなもの、本物に比べれば二束三文の石ころだろう」
「それに関しても、現在のところ不明ね。判断材料が少なすぎるわ」
 お手上げ、といった表情で香里は肩を竦める。
「ただ、今相沢君が指摘したように、71カラットのキュービック・ジルコニアそのものを目的としていたとは思えないわ。幾らでもコピーできるもの。ということは、あのイミテーションに何らかの付加価値が付いていたと考えるのが自然よね。例えば、あれに何かが埋め込まれていたとか」

「それで、警察の方はこの件に関しては何と?」
 バイヤーであり、優秀な鑑定士でもある富田女史が控えめに発言した。
 特定の誰かに訊いたというよりは、漠然と疑問を口にしたといった感じである。
「警察も結構、苦労しているみたいですよ。結局、なにも分からなかったって言ってましたしね」
 祐一は珈琲を啜ると、仏頂面でそう答えた。

「オレたちが相手にした9人は全員射殺されてたし、他の雑技団のスタッフも、テントごと吹っ飛んだわけですからね。生き残りはゼロ。事情聴取も出来ないわけですから。ま、例の倉庫街や銀行の貸し金庫から盗品が発見されて、その点だけは喜んでいたみたいですけど」
 祐一の言葉通り、例の夜、もう1つの大きな事件が起こった。23時頃、雑技団のテントが爆発炎上するという大事故が発生したのである。付近に止められていた団員たちが寝泊りしているトレーラーなどもこれに巻き込まれ、合計12人が死亡した大惨事となった。これによって、祐一たちを襲った9人を含め、雑技団のスタッフ全21人は全員死亡したことになる。

「あの爆発騒ぎも、新聞やTVじゃプロパンガスだかの爆発による事故ってことで報道されてるが、ありゃどう見ても北川かその仲間の仕業だろう? 邪魔になったら皆殺し。自分が生きてることが奇跡みたいに思えてくるぜ」
「あのタイミングで警察が乱入してこなかったら、間違いなく殺されてたわよ。それに、これから始末される可能性だってまだ残ってるのよ?殺しの現場を目撃したんだから」
「上等だよ。そうしたら、逆にとっ掴まえて、事情を洗い浚い白状させてやる」
 鼻息荒い祐一だったが、香里は対照的にひどく落ち着いていた。
「でも多分、それはないわね。一応未成年だから、表だって指名手配されることもないだろうし。今頃、国外にでも脱出してるんじゃないかしら。現状で、何の影響力も持たない私たちをわざわざ殺しに戻ってくるのは、あまりにリスキィな行動だと言えるから。……恐らく、彼は私たちの前に姿を現すことはないでしょう」
 香里は目を閉じると、コーヒーカップを傾けた。
 そして、それを静かに受け皿に戻す。

「もう2度とね」





to be continued...
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