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ドリームシフト



 第一部 「加害者」


 1

 元来、寝覚めは悪いほうではない。大津晨一郎しんいちろうは、異変を察知するや瞬間的に覚醒した。室内はまだ暗い。上体を起こすと、身体から毛布がすべり落ちた。とたんに、真夜中であることが疑いなく判明する。ほかの時間帯とは冷気の質がちがう。ベッドサイドに浮かび上がる時計の蛍光塗料は午前三時をしめしていた。
 上衣をたぐりよせ、その場で羽織った。耳を澄ましてみたが、同居人の微かな寝息しか聞こえない。すこし迷ったあと、手探りで電気スタンドのスイッチを入れた。明りに眼が馴染むのを待つ。軋ませないように注意しながら、古い二段ベッドのはしごを下りた。
 下の寝台では、小太りの男が胎児のような格好で丸まっていた。大津に背を向け微動だにしない。予想していた通りである。半月前、震度三の地震があったときも彼は目覚めなかった。深夜のことだったが、寮内に住まう他の者はその多くが起きだした。責任者が無事の確認のため見回りにも来た。しかし、同居人はそれに気がつかなかったのだ。
 踵をかえすと、大津は安眠妨害の元凶へと足を向けた。今回の異変は地震ではない。ガラスの粉砕音である。ごく間近から聞こえてきたものであるが、大地の震動にくらべれば感知はしにくいものといえた。同居人は決して気づかないだろう。現に眠り続けている。大津にとってそれは、大変にありがたいことだった。
 ベッドを置くのが精々という、四畳半の共同寝室を出る。続く六畳の居間に足を踏み入れた瞬間、大津は異様な寒気を感知して足を止めた。どこからか外気が入り込んでいるとしか思えない。
 照明をつけると、並べられた二つの学習机がまず見えた。部屋の中心部には小さな卓袱台があり、南側の壁には室内唯一の窓がある。三月の寒風は、そこから流れ込んでいた。窓枠にはめ込まれているガラスに大きな穴があいているのだ。外側から圧力をかけられた証拠として、部屋の内部に割れたガラス片が散乱していた。それらのなかに混じって、握りこぶし大の白い球体が転がっている。
 似たような経験がないわけではない。何が起こったのかはすぐにわかった。近くの箱からティッシュペーパーを数枚ぬきとる。右手の上に重ね、それで包み込むようにして白球を拾いあげた。ソフトボールかと思っていたが、別物である。石をメモ用紙で覆い、セロファンテープで固定した簡単なものであった。細心の注意をはらってテープをはぎ、紙を広げる。マジックペンによるものと思わしき殴り書きがあった。ごく簡潔な内容である。「大津は人殺し」。
 意外に、ここの生活は長くもった。最初に思い浮かんだ感想だった。本 <聖パトバ学院> に転学したのが去年の一一月。現在は既に三月に入っているから、四ヶ月間も在籍していたことになる。高校生になってから一つの学校に身を寄せた期間として、これは最長の記録であった。
 解釈にもよるが、「大津は人殺し」という告発に嘘はない。そのことが周囲の人間に知られるようになると、今回のようにガラスを割って石が飛び込んでくるような事件が起こりだす。この部屋に回線が通じていたなら、既に中傷や悪戯、無言電話が一日中なりつづけていただろう。
 大津はガラス片をよけながら窓に近寄った。戸を開けて、深夜の通りに眼をこらす。ぼんやりとした街灯のあかりが、眼下を横切るアスファルトの舗装道路を照らしだしている。夜の冷風には刃物のような鋭さがあった。
 石を投げ込んだ者が誰であったにせよ、既にその姿はない。今夜のところはこれまで、ということだろう。
 もと通り窓をしめ、大型のスケッチブックをあてがって穴を塞いだ。ガムテープで目張りして、すきま風の流入をふせぐ。深夜に掃除機を使うわけにはいかない。フローリングであったのは幸いというべきだろう。下敷きで床に散らばったガラス片を寄せ集め、束ねたルーズリーフの紙で包んだ。
 応急処置を終えると、大津は自分用の学習机にむかった。冷静に状況を読む。夜が明けて登校してみれば、恐らく教室に似たような告発書が貼りつけてあるだろう。あるいは、ビラとしてばらまかれているかもしれない。いずれにしても、その日のうちにクラス全体に話がいきわたる。校内全域に蔓延するには、一週間あれば充分だと思われた。そのうち風紀担当か学年主任、生徒指導あたりの教諭に呼び出され事情と真相を確認される。――やはり、転校の準備を進めなければならない。
 今回のように、自宅を襲撃されはじめたら転居を考える。大津はそう決めていた。過去の経験から、それがもっとも効果的な解決手段であることを知ったのだ。
 無理にがんばったところで、傷つく者が増えるだけだった。ここは相部屋の学生寮である。いずれ寝食を共にしているだけで、同居人まで同罪のように扱われるようになるだろう。それでも最初は大津に同情をよせ、かばい立てしてくれるかもしれない。だが、嫌がらせが長期化すれば彼は眠れなくなる。疲労し、神経が過敏になる。大津晨一郎と友人ではなく、ルームメイトでなかったらと考えざるを得なくなる。そうなる前に、自分が消えるべきなのは分かっていた。友人とは友人のままで別れたかった。


 2

 大津が教室に入ったのは始業間際のことであった。同居人に窓ガラスの件を話し、寮長へ事情を説明するのに時間をとられたのだ。本来なら追加工作にそなえ、早めに登校すべきであったことはいうまでもない。そうすれば中傷的なビラや机の悪戯書きが存在したようなとき、人目に触れる前に回収、あるいは消去できただろう。上履きが隠されていた場合、ロッカーに汚物が放り込まれるようなケースについても対処の時間がとれたはずだった。
「大津、きょうは遅かったな」
 自分の席につき、身の回りのものに異常がないことを確認しているときだった。背後から聞きなれた声がかかった。振り向いたさきに、こちらへ歩み寄ってくる大柄な男子生徒がいる。井ノ内大貴というのが彼の名前だった。大津が空手をやることを知り、地元の道場を紹介してくれた人物である。彼自身も経験者で、在籍する高校に部がないため外の組織を利用していた。それ以来の仲である。
「お前、人を殺したことあるのか」
 朝としてふさわしい挨拶を簡単に交わすと、井ノ内は何気ない調子でいった。返る答えがひとつであることに、何ら疑いを持っていない口調と表情である。
「――いや、ないな」
「まあ、そうだろうな」井ノ内は苦笑しながらいった。それから少し困惑したような表情で、ちょっと訊いてみただけなので気にしなくていい、とつけくわえる。
 気にしないわけにはいかなかった。
 寮をでて校門を潜り、昇降口を経て教室に入るまで、大津は周囲に気を配ってきた。結果として、異常なものはなかったように思える。校舎の壁にスプレーによる告発文が書かれているようなこともなく、下駄箱には上履きが昨日のままおさまっていた。級友たちの様子にも、今のところ変わった点は見当たらない。もしかすると石を投げ込んできた者たちは、しばらくの間おとなしくしているつもりなのかもしれない。そう思いかけていたところである。
「どうしてそんなことを訊くんだ。殺人容疑で、誰かが俺の首に賞金でもかけたとか?」
 軽い調子で訊き返すと、井ノ内はしばらく逡巡するような様子をみせた。が、やがて観念したように口を開く。
「誰かは知らないけど、お前が人殺しだって黒板に書いたやつがいたみたいでな」
 言葉につられて前方に眼をむけた。どの学校とも同じように、使い込まれた黒板がある。古い時代からのものらしく、元から綺麗な代物ではない。しかし、それにしても表面が薄汚れていた。チョークによる板書を非常に大雑把にかき消した痕跡である。
 石を投げ込んだのはやはり学校の人間であったのだと確信した。そして彼らは、ガラスを割るだけで満足したわけではない。
「消したのは、お前か」
 大津が訊くと、井ノ内はそうだと答えた。重ねて問う。
「お前以外、どれくらいの人間がそれを見たかな」
「どうかね。俺、わりと早めに来たからな。一〇人もいないと思うけど、まあ消す前に教室にいたやつは全員見ただろうね」
 一〇人以下となると、学級全体にしめる割合は小さい。彼らが身近な人間に見たことを話し、それが広まるまでに少しかかるだろう。
「感謝すべきだろうな。ありがとう」
「別にお前のためじゃないよ」照れを隠すように、井ノ内は再び苦笑してみせた。「あれじゃ、授業が受けられないからな」
 彼は大津の肩を軽くたたくと、どうせ信じるやつなどいない、と言い残して自分の席に戻っていった。
 事実を知ったとき、彼はまた同じように笑顔で肩をたたきあう気になるだろうか。考えかけたが、なにかそれは侮辱的な行為であるような気がした。思考をきりかえる意味で、先ほどから視線を感じていたほうへ顔をむける。女子生徒が座る隣席であった。井ノ内とのやり取りの間、彼女が一瞬だけ身体を強張らせたことには気づいていた。
「おはよう」
 声をかけると、彼女は平静を装って挨拶をかえした。が、すぐに眼をそらす。自然な仕草であるように見せたかったようだが、努力はむくわれていない。顔と視線の角度を変えても、大津に注意がむいていることは明らかであった。
 なにかを知っており、なにか言いたいことがあるのだろう。彼女がこの件に少なからず関係しているであろうことは、昨夜の時点から可能性として考えていた。というより、他に心当たりはない。
 ――山里あかり。この学級だけでなく、あるいは学年すら超越して広く存在を知られた娘である。特に異性からの評価が高い。ひとえに容姿と人柄のおかげだった。
 去年の一一月に転入したとき、大津は山里の隣席をあてがわれた。生来、人懐っこい性格をしているらしく、彼女は大変よくしてくれたものである。こうして眺める横顔も端整で、肌や頭髪の艶は一〇代の娘ならではといった魅力、優位性を完全に発揮していた。
 就学以来、大津の隣席を指定された女子生徒は、はっきりと二種類の反応を示すことがほとんどであった。すなわち、大津晨一郎の存在を歓迎し親密になるよう努めてくれるか、非情なまでの無視と無関心を貫こうとするかである。
 幸運なことに、山里は前者の稀有な実例のひとりであった。彼女が積極的に接触の機会をもってくれたことにより、ふたりの関係は随分と懇意なものになっていた。休日、偶然に外で遭遇したようなときは一緒に街を歩き回ったりもする。食事をし、大津が彼女を自宅まで送り届けるような場合もあった。山里からの提案でふたりが連絡先を交換しあったという噂もあるが、これも事実にもとづくものである。
 そうした両者の距離感を快く思わない連中がいるらしい。露骨にいえば、嫉妬心を駆りたてる者がある。それも、お前の想像を超えて大勢いる。以前、親切心から井ノ内にも注意されていたことだった。
 彼らが自分の身の上を知った場合、それを有効に使えると考えることがあるかもしれない。昨夜、ガラスを割って石が飛び込んできたときから、大津はその可能性を検討しはじめた。山里あかりに秘密を伝えれば、彼女の感情を冷えきらせることができる。大津晨一郎との関係を破壊できる。誰かがそのような期待と共に動きだすこともあり得るだろう。
 結局のところ、大津の読みは的中していた。山里はすでに巻き込まれていたのである。始業ベルがなってから約四時間後、彼女から切り出された話によってそれは明らかになった。
「これね――朝来たとき、私のロッカーに入ってたんだけど」
 昼食時の休憩に入ると、生徒たちの一部は食堂の席を確保するため先を争って教室を出てゆく。その喧騒にまぎれ、山里あかりは遠慮がちに声をかけてきた。誰にでも公平に接し、また物怖じすることのない彼女としては珍しい態度である。
 おずおずと差し出されたのは、白い封筒だった。
「古風だな。いまどき、げた箱にラヴレターか?」
 受けとりながら、意図して冗談めいた言葉を返す。彼女は表情のない顔を何度か横に振ってかえした。中身を検めるよう無言で訴えてくる。
「なんだか知らんが、俺に見せていいのかな」
「読んでみて」
 はっきりと言われたため、従うことにした。封はすでに破られている。四つ折にされたノートサイズの紙片が出てきた。コピー機で新聞記事らしきものを複写したものである。
 もっとも著名な全国紙の切抜きだった。日付を確認するまでもない。それが一五年以上前の大変に古い記事であることは、一目でわかった。見慣れたものである。その気になれば大部分を暗唱できるかもしれない。余白に、昨夜の中傷文と同じ殴り書きが添えてある。――大津は人殺し。
「なんか、大津君の名前があったから」
 山里は申し開きをするように言った。この日、最大の不快感を覚えた瞬間である。彼女が卑屈な態度をとる必要はない。美徳である明るさをこのような形で翳らせるべきではない。自分に責任の一端があることを考えると、陰鬱な気分にさえなった。
「それ、大津君となにか関係あるの?」
「この記事には、もう眼を通したのかな」
 質問で返すと、彼女は戸惑いながら微かにうなずいた。それを見て決心が固まる。このような場合、いつまでも真実を明かさずにいることは決してよい結果を生まない。
「俺は高校受験で三重県の日成学院に合格した。二学期がはじまったとき、大阪の加納北高校にいた。それからここにきた」
 知っている、と彼女はか細く答えた。
「そうだな。これは前にも話した。そのとき、流れで転校が多い理由を訊かれただろう。俺は親の都合だと答えた。聞いてたやつらは、仕事関係のことを言ってるんだと誤解してくれた」
 いったん言葉を切って山里の反応をうかがった。表情だけでなく、全身を強張らせて話を聞いていた。怯えているようにも見える。
「ここに書かれてるのは俺の親のことなんだ。子供を殺して、逮捕された。記事は捏造じゃない。本当にあったことだ」
 溺れた人間が酸素を求めるように、彼女は口を何度か開閉した。ようやく、「うそ」とつぶやきだす。ほとんど無意識に吐いて出た、といった感じの言葉だった。
「種類にもよるんだろうが、負債ってのは世代を超えて受け継がれることがあるらしい。人を殺したのは俺じゃなくて親だ。しかも犯罪が行われたとき、俺はまだ母親の胎内にいた。それでも、親の罪は俺の罪で、一緒に責められるのは当然だと考える人間は多い」
 山里は想像以上に強い衝撃を受けたようだった。呆然として大津を凝視している。つぶらな瞳は、普段にまして大きく見開かれていた。
 彼女をなだめる方法を探していると、教室のスピーカーが耳障りな雑音を発しはじめた。それが全校放送の前触れであることは誰もが知っている。やがて男性教員の声が大音量で流れた。放送は、大津晨一郎を職員室に呼びつけるものであった。
 食堂ではなく、教室で弁当をつつくことを選択した生徒たちが大津に視線を集中させた。
「――山里さん」席を立ちながら彼女に呼びかける。
 まだ驚愕の薄れない表情のまま、彼女は面をあげた。
「今度みたいなことがあれば、いやでも俺の人間性を再検証してみたくなると思う。そのときは、いままでの俺の言動を基準にしてもらえるとありがたい。生いたちとか家庭環境じゃなくて」
 彼女は既に、何を言われているのか半分も理解できない状態にあるようだった。無理もない。全てを落ち着いて捉えることができるようになるまで、長い時間が必要になるだろう。
「山里さんのロッカーにこれを放り込んだのは、たぶんこの学校の生徒だと思う」
 言って、大津は受け取っていた手紙を彼女の机に置いた。
「そいつは俺と山里さんのことを知っていて、山里さんには好意をもってるが、俺にはそうじゃない。だから図書館で一五年以上も前の古新聞をコピーしてくる気になった。人殺しの血が流れてる人間は無条件に罰せられるべきだが、それを指摘するために関係のない人間を巻き込むのは正当な駆引きの一部だと思ってるらしい」
 山里が口を開くまえに大津は歩きだした。教室を出て、職員室へむかう。なにを言ったとしても、彼女にとってそれはプラスにならない。大津にとっても同様であった。
 彼女とそっくり同じ立場に置かれた人物を、ひとり知っている。中学校時代の知り合いだった。山里あかりほどの容姿はなく、彼女のように異性から熱烈な支持を受ける娘ではなかった。しかし大変に明るい性格の主で、一部の者はその点を高く評価していたようである。
 その少女も知り合って間もなく、むかしの事件のことを知った。問題は、当時の大津がまだ対処の仕方を学んでいなかったことである。必死に弁明し、誤解を避けようとしてしまったのだ。それは期待とまったく逆の効果をもたらした。彼女は非常に大きなショックを受け、別人のように変わった。大津を見知らぬ他人と同様に扱い、ときが経つに連れ存在しないものと振舞うようになったのである。
 そうした前例があるからといって、山里が同じ反応を示すとは限らない。安易な決めつけで、彼女の人格を無視することや見損なうことは許されないことだ。だが、これから大津の顔を見るたびに、彼女は必要のない葛藤に苦しめられるだろう。そのことに例外はない。山里はもう充分に巻き込まれ、充分すぎるほど衝撃をうけている。

 職員室をたずねると、すぐに若い教員が対応に現れた。なぜか非常に緊張しているようであった。あるいは眼の前の生徒を恐れているのかもしれなかった。殺人犯の凶暴性が遺伝すると考える者は、意外なほど多い。
 忍ぶように周囲を見回しながら、彼は校長室に案内すると告げた。それには及ばなかったが、おとなしく後に続く。校長室は職員室の二つ隣りにある。案内の者がノックし、入室の許可をとりつけると慎重な手つきでノブを捻った。
 大津に言わせれば、校長室というのはどの学校でも代わり映えしない。本学のそれも例外ではなさそうだった。普段はほとんど使われることのない部屋だが、内部は大津がルームメイトと住む寮部屋より広々としていた。入口向かいの壁際に大きな木製のデスクがあり、更にその奥には採光性に富んだ大きな窓がある。左側の壁沿いにはキャビネットが並んでいた。右側には来客を迎えいれるためのスペースが設けられている。残念ながら歴代校長の写真が飾られているというようなことはなかった。
 部屋のなかには既に四人の男性が揃っていた。そろってスーツを着用しており、表情は一様に険しい。大津の担任、学年主任、教頭、そして写真でしか見たことのない校長である。
「校長先生、彼が大津晨一郎です」
 案内の教員が去っていくのを待ってから、担任がいった。かつて教師が聖職者と称えられていた時代があり、彼はその時代を知る人間である。現在も当時の精神を変えておらず、生徒は無条件に自分を敬愛すべきだと考えている節があった。
 担任に挨拶を強要されたため、大津は名乗り、学年と所属クラスを述べた。会釈をそえる。スーツの四人から自己紹介は返らなかった。知っていて当然だと認識しているのだろう。彼らは革張りの応接セットに腰を落としているが、迎えいれた生徒に椅子を勧めるつもりすらないらしい。
 上座に座る校長は、六〇歳以上であるならどの年齢だと言われても納得できそうな男であった。恰幅がよいものの、腹だけが出ている肉のつき方ではない。全身にバランスよく厚みをもたせている。身だしなみに相応の気を使っているようでもあった。ほぼ完全に白く染まった頭髪は、整髪料できれいに整えられている。
「きみのことは聞いていた」
 手にした湯飲みをテーブルに戻しながら、校長がいった。動作は大儀そうであったが、声には意外なほどの深みと張りがある。
「まだ一年だったかね」
 大津が直答するまえに、担任が素早くそのとおりだと告げた。
「きみは転校が多いらしいね。事情が事情だからしかたがないが、それだけに受け入れてくれるところを探すのも大変だろう」
 校長は、湯飲みと交換にテーブルから何かの書類をつまみあげた。それに眼を落としながらつづける。
「自分で言うことではないが、私はそのあたり、狭量な人間ではないつもりだ。君の転入を認めたことでも、そうした事実は証明されていると思っている」
 高校に入ると、義務教育期間中ほどの気軽な転校はできなくなる。公立学校は定員を設けているし、私立もブランドを守る必要があるのだ。したがって転入希望者の受け入れには相応の理由が求められる。彼らはもちろん、大津のそれを事前に把握していた。
「受け入れていただいたことには感謝しています」
「だったら、なんで大人しくできないんだ。お前は」
 なにか理解しがたい理由で顔を紅潮させると、担任が鋭い叱責の声をあげた。それ自体が、上役たちへのアピールのようにも見える。本校の校長は理事長を兼任しており、すなわち一般職員たちの生殺与奪の権を握っているに等しい。
「失礼ですが、私がなにか問題を起こしたでしょうか」
「寮の窓ガラスを割ったという報告がきてる」校長がいった。
「私が割ったという意味合いで仰っているなら、誤解があります。正確には外部の者に割られたものです」
「どっちであれ、なんで今まで黙ってた」
 担任の口調は、まるで己が被害を受けたかのようだった。自分の教え子の守りに入ろうという考えはありそうにない。
「寮の管理者には朝一番に報告しましたが?」
「じゃあ、これについてはどう説明するね」
 穏やかな口調でいうと、校長は手にしていた書類をテーブルに開き置いた。新聞記事のコピーだった。山里あかりが受け取ったものと全く同じ内容である。これを作成した誰かは、山里だけでなく学校にも同様のものを送りつけていたらしい。呼び出しを受けた時点で想定していたことではある。が、現物を見ると改めて衝撃をうけた。いつの場合も、人間の悪意というものに底は見えない。
「もう一七年になりますか。私も、この事件については今も良く覚えております」学年主任は何度も首を左右しながら、酷い話であったと嘆いた。見た瞬間、体育会系であることがわかる男である。四〇がらみではあるが、スーツの下からでも分厚い胸板が自己を主張していた。「赤ん坊を誘拐して殺すなど、人間のすることではありません」
「まったくだ。けものがすることだよ」
 校長がソファに身体全体を埋め込みながら同調した。思いがけない負荷に、クッション下のスプリングが悲鳴のような軋みをあげる。
「学校を運営していると色々な問題が出てくるものだ」
 それがなんだか分かるかと問われたため、大津は否と答えた。
「生徒間で起こるいじめもそのひとつだよ。こういうものがばら撒かれるのも――」と、彼は眼で新聞のコピーを示す。「また、いじめの一環といえるかもしれない。しかしね、大津君。犯人探しをして、見つかった連中を罰すればそれで問題解決というわけでもないんだよ。教育者の端くれとして言わせてもらえればね。いじめというのは、いじめられる側にも原因があって発生している」
 彼は極めて斬新な見解を表明したつもりらしかった。自信に満ちた顔で聴衆の反応を窺っている。明らかに賞賛の声が浴びせられるのを期待していた。
「学校にそのコピーが届いた責任は私にある、ということなんでしょうか」
「そのような考え方もあるだろうね」校長は片眉をつりあげた。「第一、そうでなかったら、どうして今さらそんなものが出てくるんだ。きみたちが生まれる前の話だよ。それともまさか、きみの家族はまた似たようなことを繰り返したのか」
「いえ、校長先生。大津に家族はおりません」担任がすばやく口を挟んだ。「両親はいずれも病死しております。親戚は何人かいるようですが、当然ながら引取ろうと考えた者はいなかったようです」
「無理もない」沈黙していた教頭がはじめて口を開いた。
 担任はそれで勢いづいたらしい。大津のまえで視線をチラつかせながら、意気揚々とつづけた。
「しばらく税金の援助を受けて生活していましたが、就学してからは奨学金を得て寮制の学校をわたり歩いておったようです。その度に問題を起こし、追いだされています。本校理事会の慈悲がなければ今ごろは高校中退の経歴が決定していたかもしれません」
 校長は理解した証として小さくうなずいた。それから憐憫の眼を大津に向けてくる。精神的な優位に立つ者の態度であった。理事会の慈悲、という担任の言葉に気をよくしたことがありありと窺える。
「矢野先生のいったことは事実なのか?」
「――見方によっては」
 大津は感情を抑制しながら答えた。親類の誰もが、両親を失った七歳の子供を引取ろうとしなかったのは事実である。殺人罪が間接的についてまわる人間とはかかわりたくなかったのだろう。
 直接的また間接的に犯罪に関わった子供が、家庭を失ってしまうというケースは少なくない。教師たちのいう「税金の援助を受けた」生活のなかで知ったことだ。
 たとえば罪をおかして少年院に入った子供である。出所した彼らのうち、年間五〇〇人は実の両親から引取りを拒否されたり、何らかの事情で帰宅が許されなかったりする。これは全出所者の実に一割に及ぶ数字なのだった。大津は、そうした子供の何人かと実際に話をした経験がある。
 結局、彼らは雇用者などの第三者の手にゆだねられるか、税金の援助を受けた――すなわち施設暮らしをするしかない。しかし、なかには入所歴の多さを理由に施設からさえ弾かれる者がある。世間には全く認知されていない社会問題のひとつであった。
 同様の話は、角度を違えればいくらでもある。就学年齢に達したとき、大津のもとには市からの入学案内通知が届かなかった。親が手を染めた犯罪を理由に、私立学校から入学を拒否されることも決して珍しいことではなかった。同じような境遇の人間が、それを差別だと考え法廷に事を持ち込んだ事例もある。だが、こうした事実もまた社会問題としてさえ捉えられてはいない。
「我々はね、大津君。きみが本校で勉強に励んでくれることは結構だと思っているんだよ。きみの資料を見せてもらったが、非常に優秀な成績をおさめている。それは素晴らしいことだ」
 言うと、校長はゆっくりとした動作で湯飲みを傾けた。
「しかし、きみひとりの権利を守るために大勢の生徒に負担をかけるようなことがあってはならない。たとえば、このコピーだよ。これが職員あてでなく君の友達に送られるようなことがあれば、大きな騒ぎになる。寮のガラスが割れたことも、こうなると無関係ではないように見えてきてしかたがない」
「私の存在が学校やクラスメイトたちに迷惑をかけていることは、今日のことで理解したつもりです。もちろん、自分なりに責任をとらせてもらうつもりでもおります」
「どうするんだね」教頭が冷ややかにいった。高校一年の子供にどれほどのことができるか、大いに懐疑的であるらしい。
「これまで自分が一貫してとってきた対処法です。お許しをいただけるなら、すぐにでも受け入れ先を探して転校の手続きを取ろうと考えています」
 満足のいく方案であったのだろう。校長が首肯する。彼はソファに身体をあずけたまま、両手を組み合わせて深く嘆息した。
「遺憾ながら、我々としても同様の解決策を提示するつもりでいた。きみがいると周囲の人間のためにならない。もちろん、きみ自身にとっても傷は広がるばかりだろう」
 それから彼は、行く先にあてがあるのかを訊いてきた。
「大阪にいたころ、非常に親身になって相談にのってくれた教育委員会の関係者がいました」
 その場かぎりのでたらめではなく、実在する人物の話である。実際、この学校に転入できるよう働きかけてくれたのも彼であった。
「顔の広い方で、お力添えいただけるか話してみるつもりです。運がよければ、また寮のある学校が見つかるでしょう」
 この一言で問題は決着したといえる。そのとき担任の見せた表情が、大津にとっては特に印象的であった。彼の相貌には明確な安堵がうかんでいた。
 大津の担任も、最初から冷淡であったわけではない。転入当初は、むしろ同情的であったとさえいえる。しかし、大津晨一郎の存在は介護の必要な寝たきり老人に近しかった。常に気を配り、ときには自分の生活を犠牲にしてまで尽くさねばならない。担任は帰宅したあとも大津のことを考え、大津のもたらした問題に日常の大半を費やして取り組むようになった。しかもそれには終わりが見えなかったのである。
 そうした生活が日常となり延々と続くうち、彼もやはり疲労していったに違いない。大津晨一郎に人生を制限され、精神を束縛されているように感じることもあっただろう。
 寝たきりの老人に虐待を加える者は、雇われたホームヘルパーだけではない。介護に釘付けにされた身内の者にも多いのである。彼らは尽くすだけの毎日に疲れ果て、孤独を感じ、奴隷として扱われているような絶望感を抱く。そこから生じた苛立ちが、つい守るべき者にむけられることもあるのだった。
 立派な人格の持ち主でも、面倒を見てきた人間の死に解放感を得てしまうことがよくある。先に悲しみがあるべきだと思いつつ、どこかで自由を感じてしまう己を忍びきれない。担任が見せた表情は、恐らくそうした介護者たちのそれと全く同種のものであったのだろう。
 校長室を辞去しながら、大津は別れ際に安堵の吐息を漏らした人々のことを思い返した。事情が違えば別のつきあいかたを期待できた人物ばかりである。尊敬すべき人も多かった。
 自分の存在がそうした人々を追い詰め、変えてしまう。大津晨一郎を最後まで擁護しきれなかったという罪悪感で苦しめてしまう。その痛みには、決して慣れることなどない。


 3

 大津は、翌日からの休学を決めた。学校側との交渉で公欠――記録として欠席日数に換算されない休暇を得たのである。学校は凶悪犯の親類の厄介払いを考えはじめた。大津は自分が登校することで知人に累が及ぶことを恐れた。両者の利害が一致した結果であった。
 既に学年末考査は終えており、学校は約二週間後に終業式をむかえる。大津はこのときに最後の登校を経験し、成績証明を得ることになっていた。年度がかわり四月になったときには、既に別の学校の制服を着ているはずである。クラスメイトをはじめとする級友に会う機会は、今後ほとんど無い。
 学生がうろついて自然な週末まで待ち、大津は静岡県へむかった。母親の故郷である。これまでも転学が決まるたび、彼女の墓前でそれを報告してきた。いつからか大津が、自らに課すようになった務めだった。いまでも学校に通い続けているのは、教育の重要性を説いた彼女の存在があったからでもあるのだ。
 道中は旅費の節約のため、折りたたみ自転車とフェリーを利用した。二日かけ、かつて清水市と呼ばれていた土地にたどりつく。この街の南東部には三保と呼ばれる小さな半島があり、そこが大津の母親の生地であった。天女伝説の <羽衣の松> でも知られたところで、大変な景勝地である。浜辺から仰ぎ見ることのできる富士山の眺めにも定評があった。
 母親が健在であったころから、清水には幾度も足を運ぶことがあった。もし件の事件さえ起こらなかったら、大津の一家はこの土地に居を構える予定だったのである。
 現実には、家どころか墓さえたてることができなかった。ひとり世間に放り出された小学生には無理な注文である。金も、力添えしてくれる他人もない。後年、なんとか許可を得て海に散骨するのが精々だった。
 そのため、母親には墓標も形ある廟所もなかった。ただ、大津が勝手に墓石代わりと見立てた松の大樹が存在するだけである。
 半島のほぼ中心部、自転車では入り込むことも難しい松林のなかにそれはあった。もとより人気の多い場所ではないが、展望がよく海と富士を同時に見渡せる。――とはいえ、大津は感覚的に三保の衰えを感じていた。年々その思いは強くなる。遠目には海も青く美しいが、一度スクーバで潜った者のうち二度目を経験しに戻ってくるのは少数派だろう。それだけ汚れているのだ。
 砂浜は痩せ、松原は害虫に食い荒らされて瀕死の惨状を晒している。海沿いの遊歩道を散策していると、奇妙にテトラポットが目立つようにもなった。砂が減り、半島が波に削られつつあるのだ。
 失われたのは自然だけでなく、昔ながらの地名もそうだった。かつて三保は清水市の一部であったが、その市自体が市町村合併のあおりを受けて存在しなくなったのである。
 その足で踏みしめているにも関わらず、何故か肉親の故郷が徐々に遠ざかっていくような感覚があった。社会から居場所を奪われ、死してからも安息の地を失おうとしている。唯一かわらない富士の偉容が救いに思えた。
「――失礼ですが、大津晨一郎さんですか」
 まったく想定していなかったことだけに、背後からのその声には驚かされた。地元の人間でもあまり立ち寄ることない一帯である。付近で人の声を聞いたのさえ初めてだった。しかも自分の名を呼んでいる。
 振り向いて、さらに衝撃をうけた。極めて場に似つかわしくない妙齢の女性である。大津より少し上、おそらくは二〇歳前後だろう。高級感のある白いロングコートを上品に着こなしている。顔立ちがよく目鼻の位置関係からは理知的な印象をうけるものの、えくぼの浮かんだ微笑には少女のような愛嬌があった。寒さのためか、鼻の頭がかすかに赤みがかっている。色白の肌に、それが印象的に見えた。
「ごめんなさい、いきなり。なんだって思いますよね。こういうところで初対面の人に声かけられたりしたら」
 返答に窮していると、面白い冗談でもきいたように彼女が笑いだした。つられて微笑んでしまいそうな朗らかさがある。人生を楽しんでいる者の仕草だった。
「この場所を大切にしているのは、きっとその大津という方くらいだろうって、父に聞かされてたものですから。本当に人がいたので、びっくりして。嬉しくなって、つい――」
「なんで私のことをご存知なんです」
 眼の前でのやりとりに現実感を欠きながら、大津はなんとかそれだけいった。
 途端に女性が大きな眼を見開く。次の瞬間、彼女は咲くように破顔した。年頃の娘らしい、弾けるように真っ直ぐな感情表現である。思ったほど年齢的な差はないのかもしれない。
「じゃあ、やっぱり貴方が大津さんなんですか」
 この段階での隠しだてに意味はない。そうだと答えた。
 その言葉で、彼女は話し相手への興味を改めたようであった。加減と礼儀を心得た視線で、さりげなく大津の外見を確認する。
「父が喜びます。ずっと大津さんを探してたから。最近になってようやく満足な報告がきて、ここに」 
「自分を探していた?」
「想像って現実に裏切られやすいけど、大津さんは例外かもしれないですね。こんなに背の高い方だとは思ってませんでした。どれくらいあるんですか? 失礼でなかったら、ですけど」
 口を開こうとしたが、近付いてくる足音に機を制された。女性とそろって音のほうへ眼をやる。木々の合間をぬうようにして、中背の男性が歩み寄って来ていた。仕立てのよいスコッチ・ツイードのスーツに身を包み、その上からこげ茶色の外套を羽織っている。両手には革製の手套。その右手で黒いアタッシュケースを握っていた。やはり、場にそぐわない風貌の持ち主である。恐らく四〇代半ば、大津の父親が存命であれば同じくらいの年齢であっただろう。艶やかな黒髪を後ろに撫でつけている。眉間には縦の溝が見られたが、いかめしい雰囲気はない。双眸に湛えられる、豊富な人生経験に由来すると思わしき余裕のせいだと思われた。
「舞子、墓前だぞ。控えなさい」彼が女性にいった。それから大津に軽く頭をさげる。「娘が失礼をしました」
「――いえ」
 もはや関心は女性になく、彼の方にこそあった。大津以外の人間にとって、周辺一帯は単なる雑木林に過ぎない。なかには見事な松も見られるが、それもわざわざ奥地に分け入ってまで求めるものではなかった。
 母の遺灰を撒いた海を望める林地。そこに立つ大樹のひとつを彼女の墓標代わりにしていることは、長年、自分の胸だけに秘めてきた。にも関わらず、彼は墓前という言葉を持ち出したのだ。
「いま、墓前とおっしゃったようですが」
「違ったら申し訳ない」男は静かに応じた。「恐らくそのような役割をもった場所だと推察していたのです」
「なにかご存知なので?」
「存じております。ご両親のことは、よく」
 言うと、彼は感慨に浸るかのように眼を細めた。しばし大津を見つめる。やがて嘆息するようにつぶやいた。
「きみは、お父さんに似ておられる。面影が色濃く残っている」
 そう指摘されることはないか、と問われた。呆然としながら首を左右して返す。そうですか、とつぶやき、男はつづけた。
「外面だけでなく、たたずまいによく表れている。私にはそのように見えます。あれだけのことがありながら、よく……」
 気のせいか、言葉の語尾が震えたように聞こえた。
 彼らがこの場に現れたのは偶然ではない。もはや、そう確信するに足る充分な因子が揃っていた。となれば、誰何する権利くらいは生じてくるだろう。が、大津は無言で相手を見つめ返すことを選んだ。
「私は城戸といいます」視線の意味に気づいたのだろう。男は名乗り、つづいて後ろに首をひねった。場所を譲るつもりで背後にまわった女性がいる。「娘の舞子です。息子の祥平のことはご存知だと思うが、これは彼の姉にあたる子です」
「城戸舞子です。先程は先走った真似をしてしまって」
 侘びながら頭を下げる彼女を、大津は呆然と眺めていた。近年、これほどまでの驚愕を味わったことはない。
 もちろん、彼らの名前は聞き知っていた。大津にとって絶対に忘れることのできない人々である。しかし、向こうから会見を求めてくるとは夢想だにしていなかった。
「きみが大津晨一郎君であることは一目みてわかった」
 城戸を名乗った男性は厳かに言い、自分たちのことを両親から聞くことがあったか、と問うた。
「聞いております」緊張が瞬時に口を開かせた。
「そうだろうね。では、過去のことも?」
 大津は頷いて返した。一七年前のできごとについては、望まざると知らずにはいられなかったのが現実である。母親からも伝えられたが、周囲の人々はそれ以上に情報の提供を惜しまなかった。TV、新聞、週刊誌が事件の詳細を連日報道した。付近住人やストレスのはけ口を探している人々は、電話や手紙で大津の親が殺人犯であることを教えてくれた。彼らの多くは、一家で罪を償わねばならないと主張した。その一環として、徹底的な社会からの制裁、排斥を受け入れるべきだと考えたらしい。死んで侘びろと迫る者も少なくはなかったように記憶している。
 子供たちは、「大津家の者には近づくな、かかわるな」と親に命じられた。いかにもありそうな話が、現実に起こったのだった。人々は友人知人を奪い去ることで、小学生であった大津にも自分の立場をよく理解させることに成功したのである。
 彼らは努力を惜しまなかった。その熱意と根気については、いま思い起こしても感心すらしてしまう。大津の一家を責め続けることが己に課せられた使命とでも考えているようでさえあった。
 彼らは、誰かが通りすがりに暴力を受けたとき、大津の拳に視線を集めた。殺人犯の子なら暴力事件などお手のもの。真剣にそう考える人々があった。教室から生徒の持ち物や財布が消えたときは、最優先して大津に嫌疑をかけた。そうすることで、自分たちから事件の記憶が永遠に消え去らないことを証明し続けたのだった。
 ときに人々は、親子を転居先まで追いつづけた。そのためには住民票の移動記録を調べることすら厭わない。新居周辺の住人宅、新たな職場、転入先の学校。いたるところに新聞や雑誌の切り抜きが送られた。告発書を届けた。大津家に関する情報は社会で共有すべき、と考えたのだろう。彼らは追撃の手をゆるめず、糾弾の声は執拗につづいた。
「――舞子、すまんが外してくれないか」娘に眼をやり、城戸がいった。「すこし、彼とふたりで話をしたい」
 娘は無言で父親を見つめかえした。表情に特別な変化はない。両者の間に一種、独特の場が形成された。視線を合わせるだけで、ときに言葉を超越したやりとりが可能となる雰囲気である。年頃の娘と父親。不理解とすれ違いが生じやすい関係にありながら、彼らは互いに深い信頼感でつながれているように見えた。
「だったら、散歩でもしてこようかな」
 ここは景色もいいから、と城戸舞子は微笑む。それから大津のほうへ身体ごとむきなおった。笑みを湛えたまま再度口を開く。
「大津さん、ここには詳しいんでしょう。お勧めの散策コースなんてあります?」
 それなら海岸線にそって島の外周を巡るルートがある、と教えた。太平洋側を伸びる自転車道で、海と富士、松原を眺めながら走ることができる。自動車が立ち入れないため安全性もたかい。女性でも気軽にまわれるはずだった。速度によって所要時間は変わってくるが、何時間もかかる距離ではない。三保半島自体が大変に小さな島なのだった。
「よければ私の自転車をお貸しします」
 もともと汎用の折りたたみ自転車である。他人の身体にあわせることは容易い。サドルの高さを調整し、ハンドルをわたした。娘が礼をいって受けとる。瞬間、彼女の左手に光るものが見えた。さり気なく確認すると、薬指に銀色のリングが収まっている。
「二時間くらいでいい?」
 父親に顔をむけると、城戸舞子は首を傾げるようにしてたずねた。
「充分だ。ありがとう」
「じゃあ、行ってくる」そういうと、彼女は再び大津へ瞳をむける。「私も、貴方と是非お話ししたいことがあるんです。もどったら、私のためにもすこし時間をいただけますか?」
 城戸家の望むことには、よほどのことがない限り応じるつもりであった。そうさせてもらう、と約束した。満足したように彼女がひとつうなずいて返す。やがて自転車を押し、木々の向こう側へ消えていった。すこし待ってから問う。
「お嬢さんはご結婚を?」
「流石に観察眼がするどいですな」
 城戸は、困惑の混じったような苦笑いをうかべた。
「若い娘というのは、ときおり思い切ったことをする。母方の祖国で長く生活したせいか、どうも奔放に育ちすぎたのかもしれませんな。結婚を考えているのだが、と突然きり出されたときには驚いたものだ」
「だが、反対はされなかったようだ」
 口ぶりと表情から、それは確実にいえた。
「感じの良い青年と出会えたのでね。どこかきみと似たところのある、いまの世の中では珍しい種の青年だった」
 うっすらと浮かべていた微笑が消え、彼は遠くをみつめるようにおし黙った。娘の消えていったほうを見やり、ぽつりぼつりとつぶやくようにつづける。
「――舞子には、一七年前のことを話していないのです」
 反応を期待していなかったのだろう。彼はすぐにつづけた。
「幸い、二歳だった彼女は当時のことをまったく覚えていない。だったら、わざわざ凄惨な事件のことを話すまでもない。絶対に話すべきではない。妻がもともとアメリカの人間なので、事件後は家族でそちらに移りもした。彼女には、単に不運な病死であったというように伝えることにしたのです」
 大津は無言でかえした。自分に向けられる屈託のない表情をみたときから、そうではないかと考えていたことである。加害者家族に笑顔でむきあえる者など、そうそういるものではない。
「よかったら、きみがあの出来事をどのように認識しているか聞かせてもらえないだろうか」しばらくして、城戸がいった。「私は様々な意味合いにおいて、それに大変な関心をよせている」
「私を探しておられた、と娘さんにうかがいました。それを知るのが目的だったのでしょうか」
 彼がゆっくりと首を縦にふる。
「きみを訪ねた大きな目的のひとつだ」
 そうまで言われては話さざるを得なかった。彼らには権利があり、恐らく自分には義務がある。それが大津の認識だった。苦行に他ならなかったが、果たさねばならないことだ。
 一瞬、眼を閉じ、そして開いた。母から聞き、環境に突きつけられた情報を静かに思い起こす。かつて大きな事件が起きた。日本全国を震撼させ、大津晨一郎の生涯を決定づけた出来事だった。
 ある一家の子供部屋から生後五ヶ月の男児が姿を消した。それが端緒であった。ことに気づいた家族は一一〇番通報し、捜査当局は誘拐事件として捜査を開始した。姿を消したのが乳幼児であったこともあり、人々は事件に大きな関心を、被害者家族には深い同情をよせた。だが、多くの願いもむなしく、生あるうちに子供が帰宅を果たすことはなかった。
 うしなわれたその乳児の名を、城戸祥平という。
 ――一七年前のことであった。


つづく