著者あとがき

 こんなことを言うと「そんなことがあり得るのか」と怪訝な顔をされてしまいそうだが、私はこの企画を立ち上げようとした明確な切っ掛けを思い出すことが出来ない。計画の青写真はある日、突然のうちに頭の中に出来あがっていたし、気が付けば企画を現実のものとするため資料の収集や取材に奔走していた。そして、自身がドナーとして骨髄バンクに登録するため、身内をどのように説得するかに思いを巡らせていた。
 だが企画そのものは別として、私にこの物語を執筆する動機を与えた人々にはきちんとした心当たりがある。具体的な言及は避けるが、彼らはいずれも年端もいかない子供だった。ひとりは白血病と勇敢に戦った少女だった。ひとりは重い病を患いつつも軍人となることを夢見て、ついにそれを現実のものとした少年だった。子供だが、尊敬すべき人格の持ち主たちだった。
 大人でも根を上げる辛い闘病生活の中で彼らは時に落ち込むこともあったが、それでも最後まで戦い続けた。夢を抱き、それを諦めなかった。その姿勢と生き方は、私に少なからぬ――というより大いなる共感と感動をもたらしたのである。
 やがて彼らは私の中で融合を果たし、両者の欠点と長所を兼ね備えた神城ユウタという少年となって形作られた。それは同時に、本作「ぼくはチルドレン」の誕生をも意味する出来事だった。

 完結した作品としては著者の処女長編となるこの物語は、二十世紀末に社会現象ともなった <Evangelion> というアニメーションプログラム、その小説版ノヴェライゼーションである。
 一般読者には馴染みが薄いことかもしれないが、このノヴェライゼーションという作業には大きく二通りのアプローチが存在する。一つは原作の設定・ストーリィを忠実に小説化する方法で、もう一つは原作の設定を基調としつつ本編完結後の外伝的物語やアナザーストーリィなど、原作とはまた一味違った話を大胆にくみ上げていく方法である。言うまでもなく本作はその後者にあたり、しかもその業界にあっては扱うテーマや内容が珍しかったせいでもあって、少なからず面食らった読者もいたかもしれない。
 さて、この「ぼくはチルドレン」だが、実は発表の二年も前から企画としては存在していた。しかし当時、著者は未成年であり <日本骨髄バンク> が提示するドナー登録条件を満たすものではなかった。また執筆に際する取材や資料収集が充分でなかったこともあり、成年するまで公開を見合わせざるを得なかったのである。
 しかしそうした諸般の事情とはまた別に、結局この作品を世に送り出す決定打となったのは、読者に作品を楽しんでもらうのではなく白血病や <骨髄バンク> のことを良く知ってもらおう、そしてドナー登録を募ろうと考え至ったことだった。
 そういうわけだから、私は本作について意見・感想などのお便りを特に望んでいない。「感動した」「面白かった」という言葉より、まずドナー登録に協力してもらいたい。また、これについて一度真剣に考えて欲しい。もし望むことがあるとするならば、ただそれだけである。

 創作者というものは、実在する難病をテーマに何かを作ろうとするとき、少なからず頭を悩ませずにはいられない。それと現実に戦う患者もまた実在する――という大前提について想像が働くからである。また資料収集や取材の過程で彼らに実際に出会ったり、話を聞いたり、闘病記や手記、様々な資料などを通して間接的にでもその苦悩を知ることになるからである。
 これは言うまでもなく極めてデリケートな問題だ。特に今回のテーマになった白血病をはじめ、再生不良性貧血、骨髄異形性症候群、その他の血液難病は時として命に関わる問題を我々に投げかける。生死を直接的に扱うことになるのだ。
 たとえノンフィクションであれ物語であれ、またTVドラマだろうと小説だろうと劇場用映画だろうと、第三者が作品として制作したならそれはエンタテイメントになる。そしてエンタテイメントとして実在の病気を取り扱うというのは、見方によれは既に立派な冒涜的行為に他ならない。何故なら、――繰り返しになるが――それと命がけで戦っている人間が実際に存在するからである。
 この創作物が世に公開されることで、闘病患者たちが傷ついてしまうかもしれない。物語の中で同じ病気と戦うキャラクターが亡くなった時、彼らは衝撃を受けないだろうか。根治を勝ち取ったとき、現実からかけ離れたご都合主義の産物だと思わないだろうか。そもそも、その病気をテーマとして扱われたことをある種の侮辱と受け取ったりはしないだろうか。こうした悩みや不安の種は、終始尽きることがなかった。
 普通、創作者は予算やスケジュール的な問題、スタッフとの人間関係、或いは己の技量や才能と向き合って苦悩するものだが、今回ばかりはそれらは二の次だったわけである。
 だが結局、私はこの企画を現実のものとし、完成した作品を公開することにした。その理由については、既に上記した通りである。

 1991年に設立された <日本骨髄バンク:JMDP> のドナー登録者数は、2001年5月現在13万7千人。骨髄バンクが当面の目標としている30万には程遠い状態であったからだ。そしてこの悲観的な数字を改善させることが、問題を知ったものの急務であり、私が一番効果的に働くためにはこの企画を成功させることが最適の道であると考えたからだ。
 骨髄移植にかけては、経済先進国の中で最後尾に位置する日本。この企画が、登録者増加の一助となればというのが私の願いである。


2001年06月
著者敬白



謝辞

 最後になりましたが、この企画に賛同いただいた協賛サイトのマスター、TAO氏、新條氏、あしゅ氏、桃虎氏、はにわ氏、樹崎氏、小関氏、雷堂氏、祐樹氏、森友氏に感謝します。それから「骨髄ドナー体験談」の転載願いに快く了承を下さった平尾直政氏と、本作を投稿作品として受け入れてくださった水晶氏にも感謝しています。また、いつもお世話になっているKeis氏ともう一方(名乗られなかった)には <UD Agent> に関する情報をいただきました。彼らにも深く感謝します。
 情報と言えば、おおかわひろゆき氏には <MAKE A WISH> という難病の子供達の夢をかなえるボランティアの存在を教えていただきました。とても素敵な企画です。有難う御座いました。
"MAKE A WISH" of Japanhttp://www.mawj.org/
 この企画を切っ掛けに「ドナー登録をした」と報告を下さった一般の方々にも、この場を借りて心から御礼申し上げます。それから佐藤洋氏、山口友朗氏のご協力にも格別の感謝を。彼らの活躍はこの企画の成功以上に、骨髄移植を必要としている多くの患者たちの希望として大きな意味を持つことでしょう。また山口氏には、ドナー登録をまた違う角度から考える切っ掛けをいただきました。これにも感謝しています。勿論、「未成年だから今は登録できないけれど……」と言ってくださった小口俊氏にも、御礼を言いたいです。彼のような若い読者からの反響は、本当に嬉しいものでした。
 そして、私の作品に毎回丁寧な感想を送ってくださるH.M.氏には、特別の謝意を表したいと思います。彼との意見のやり取りは非常に有益なものであり、またその励ましの言葉はこの作品を書き上げるうえでの原動力の1つとなりました。
 それから、計画に賛同の意思を表明して下さった某氏。残念ながらドナー登録の問題で掲載して戴くことはできなかったのですが、彼の御厚意にも感謝します。
 最後の最後になりましたが、誰より、中学生までの幼馴染みであったSeiko.M.に感謝を。突然いなくなってしまった彼女の存在は、私に命や死に関して、多くの考える切っ掛けを与えてくれました。もし許されるなら、この作品と最高の感謝を天の彼女に奉げたいと思います。

2001年 06月
2001年 07月25日 一部追記
08月20日 一部追記
2004年 03月18日 一部改訂

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