−最終章−


夢はありますか
あなたに掴みたい夢は、ありますか?
願いはありますか
あなたに譲れない願いは、ありますか?
少年は言いました。
ぼくは……



 神城ユウタについて語られる物語は、いつもこの2019年5月5日で終わっている。
 新たなる伝説を作った少年。彼は難病と戦い、全ての人に否定されながらも己の意思を貫き、そしてその夢を叶えた。確かに、それは作られた伝説かもしれない。多くの人の同情がなければ、この奇跡的な出来事は起こり得なかったと言える。だが1つだけ確実なのは、少年が1度でも自分の意思を曲げ生きる事を諦めていたら、これらは全て幻に終わっていたであろうという事実だ。
  <ラストチルドレン> 神城ユウタは、急性骨髄性白血病(AML)と急性リンパ性白血病(ALL)の再々発により、2020年7月に亡くなった。父と母に看取らた、自宅での静かな最期であったという。享年11歳。激動の、だが儚い生涯だった。
 その1週間後、小雨が降りしきる中、NERV本部で彼の葬儀は執り行われた。一般参列者62万。世界から少年の死を悼む人々が詰め掛けた。第2芦ノ湖の名で知られる地底湖の辺に設けられた特設会場には、 <チルドレン> の装備を身につけ満面の笑みを浮かべる少年の遺影が掲げられた。その笑顔に、参列者たちは <ラストチルドレン> が最期に幸せな日々を送り、そして逝ったことを知った。
 遺影の下に設置された壇上、葛城ミサト将捕はNERVの正装を着込んで参列者を見下ろしていた。最前列には、彼女と同じく正装に身を固めた3人の <チルドレン> と約7000のNERV関係者が、その後ろには一般の参列者が視界の届く果てまで詰めかけていた。全ての人々が、直列不動の構えで次に訪れるその声を待っていた。
 やがて、神々しいまでの静寂の中で、口を真一文字に結んだ葛城将捕の声がどこまでも響き渡った。
「全員、 <ラストチルドレン> 神城ユウタの英霊に敬礼!」
 数十万の衣擦れの音と共に、人々の手が一斉に額に鋭くかざされた。


 ハッピー・エンドという言葉がある。だがそれが何を意味するのか、特に命に関わる重い病を患った者は自分でその答えを見出すしかない。
 神城ユウタの主治医を最後まで務めた、森緒アヤコ博士は言う。
「何が幸せか、それは患者と家族がそれぞれ自分なりの結論を出すしかありません。私は以前、病が完治すればある意味で患者たちの戦いは終わると言いました。ですが見方を変えれば、彼らの戦いは生涯終わらないとも言えます。何故なら、彼らは社会復帰後も様々な問題を抱えます。既に指摘した通り、色々な場所で色々な偏見や差別を程度の差はあれ受けることになるでしょう。辛い闘病生活の記憶は、精神的な傷――トラウマとなって残ることもあります。それに骨髄移植を受けた患者は、生殖能力を失います。子供が作れなくなるのです。致死量に及ぶ抗癌剤と強力な放射線照射により、これに必要な機能が破壊されるからです」
 これらは、重い問題として患者たちに圧し掛かる。誰も知り得ないところで、彼らは誰にも言えない悩みを抱えている。そして知ろうとしなければ、永遠に彼らと理解を深めていくことはできない。
「ユウタ君も例外ではなかった。彼がもし完治し成人して結婚することができたとしても、子供は作れなかったのです。白血病が元で様々な抑圧や不当な扱いを受けることもあったでしょう。そんな状態が果たして幸せと言えるでしょうか? 病が治り命さえ助かれば幸せなのでしょうか? それは、彼ら自身が決めるしかありません。
 周囲の人間は、結局のところ医師と同じ役割しか演じることができません。つまり、その人が持つ本来の力を引き出す手伝いができるだけです。何故なら、幸せを作るのも、何が幸せかを決めるのも、世界でたったひとり、その本人だけにできることなのですから」
 ――少年は11歳と、あまりに幼くしてこの世を去ってしまった。その人生の半分以上を、ただ闘病生活に奪われた生涯だった。
 では、彼は不幸だったのか。アン・ハッピーエンドを迎えてしまったのか。
 それは、神城ユウタただ1人しか知らない。


 地上に戻ると雨は既に上がっていた。黒雲は跡形もなく消え去り、代わって慣れ親しんだ真夏の太陽が蒼穹を支配していた。大気中に残る細かな雨粒が、その陽光を乱反射しキラキラと世界を煌かせる。 その様は、世界が泣き尽くした後、爽快な笑顔を見せているようにも思えた。
「虹が出るかもしれないわね」
 セカンドチルドレンは、夏の青空を目を細めて眩しそうに見上げながら言った。
「……虹?」
 蒼銀の髪のファーストチルドレンは不思議そうに呟いた。
「なに、ファースト。あんたもしかして、虹も見たことないの?」
 コクンと頷く少女に、サードチルドレンは言った。
「空と大地を繋ぐ、綺麗で大きな掛け橋だよ」
 そして自らも蒼穹を仰ぎ、久しく見かけぬ七色のアーチの姿をそこに想い重ねる。
「そう言えば、僕も最近見てないな。子供の頃は良く見たような気がするけど」
「きっと、空を見上げる回数がそれだけ減ったってことでしょ。大人になるってのは半分そういう意味を含めてるんでしょうしね」
「そうだね」
 サードチルドレンは、小さく笑った。そして、コバルトに広がる世界を遠く高く見詰めながら、静かに言った。
「 <チルドレン> なんて、本当はそんなに大層なものじゃないんだ。その証拠に、僕は卑怯で、弱虫で。逃げることしか考えない臆病者だった。でもユウタ君はそんな僕のようになりたいって。 <チルドレン> になりたいって言ってた。だから僕は、彼の思うような人間じゃないけれど、それでもその夢だけは汚せないと思ったんだ」
「碇君は、最後まで <チルドレン> だったわ」
 そう言ってくれた深紅の瞳の少女の表情は、どこか微笑んでいるようにも見えた。
「彼は、その時までずっと笑っていたもの」
「ありがとう。綾波」
 だがそれでも、少年にひとつだけ聞かせて欲しいと願う。
 果たして自分は――
 少年の憧れた <チルドレン> は、何も汚すことなく、彼と夢とを繋ぐ掛け橋のようになれただろうか。
 見上げる虹のように。



夢はありますか
あなたに掴みたい夢は、ありますか?
願いはありますか
あなたに譲れない願いは、ありますか?
少年は言いました。
「ぼくはチルドレンになりたい」




Fin...



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