風祭文庫・人魚の館






「翠色人魚」
(第1話:大潮前夜)



作・風祭玲


Vol.061





コポコポコポ…

空気の泡がゆっくりと翠色の髪をなでていく

頬の横を小さな魚がスーっと横切っていった。

海草が流れに合わせてゆらーりゆらーりと踊る上を僕はのんびりと泳ぐ、

くるりと上を見れば、波間にゆらゆらと太陽の明かりがゆれる。

「はぁ、この時が一番気が落ち着く・・・・」

僕はそっと目を閉じた。



ジリリリリリリ

突如、枕元に置いてある目覚し時計がけたたましく鳴り始めた。

「うっ、うぅぅぅぅん」

僕は手探りで時計のベルを止めると、再び布団の中に潜り込んだが、

「ほらっ、いつまで寝ているの」

と言う母さんの声とともに、ガバっと僕の布団が剥ぎ取られた。

「ふわぁぁぁ」

「おはよ〜」

大きく背伸びをして朝の挨拶をすると

母さんは呆れながら

「櫂っ、か・ら・だっ」

と僕の身体の様子を注意した。

「へ?」

言われるまま自分の体に視線を落とすと、

Tシャツの胸の部分が大きく膨らんだ華奢な上半身に、

朝日を受け虹色に輝く鱗がびっしりと生え揃った魚の尾鰭のような

下半身が目に飛び込んできた。

そう、一般には人魚と言われる姿だった。

「ありゃりゃ〜っ

 道理で息苦しいと思った…」

自分の姿に感心していると、

「”ありゃりゃ”じゃないでしょう…

 まったく…

 そろそろ身体のコントロールを出来るようになりなさい」

と母さんは言うが、

「んな事言ったって、なっちまうんだからしょうがないだろう」

と反論をしてみるが、

「ならないように、努力をする。

 ほらっ、早く身体を元に戻さないと、遅刻するわよ」

と言いながら散らかっている部屋の片づけを始めた。


片づけをしながら、

「そうだ」

「?」

「あんた、昨日またその身体で海で泳いでいたんだって」

「あっ、バレタ?」

「バレタじゃないわよ

 けさ方、乙姫様からの使いが来て、

 あんたが海で泳いでいるところ見た者がいるから、

 注意するように。って警告されたわよ。

 …そりゃぁ、泳ぎたい気持ちは分からなくはないけど…

 もしも陸の人に見つかったらどうするの?

 母さん達の苦労を考えて少しは慎みなさい。
 
 いいわね。」

そう言うと母さんは部屋から出ていった。


出て行く後ろ姿を見ながら、

「ほ〜ぃ」

と返事をすると、僕は枕元の仕舞っていた”竜玉”を取り出し、

それを両手で包み込むようにして持つと、

「さぁて…」

と気合いを入れながら…

「ふんっ」

と身体に力を入れた。

すると、

キ−ン

竜玉が光り出し、やがて、

グググググ

僕の身体が変形し始めた。

目の前の尾鰭は徐々に小さくなりはじめると、

腰鰭がヌーッと延び始めた。

くぅぅぅぅ

上半身から胸の膨らみが消え、

徐々にがっしりとした男の体型へと変化し、

そして腰鰭が両足に変化し終わる頃には、

魚の尾鰭は体の中へ潜り込んでいた。

ハラハラハラ

最後に翠色の髪の毛が抜け落ちて本来の黒髪が姿を現すと、

僕は人魚から人間へと変身した。

ふぅ…

人間の身体になったのを見届けると僕は大きく息を吐いて力を抜いた。

「でも、これって結構快感なんだよなぁ…」

と変身の際に体中を駆けめぐる感覚を思い出しながら、

脱げ落ちていたパンツを履いて、

「おっこらしょ」

立ち上がると窓越しにキラキラと光る海が見えた。

「うん、今日もいい天気だ」



「おはよう」

制服に着替えた僕がそう言いながらリビングに降りると、

セーラー服姿の妹の香奈が朝食のパンをかじっていた。

「なに、お兄ちゃん、また人魚になってたの」

「しょうがねぇだろう」

言い返しながら席につくと、

「はぁ〜ぁ

 なんで、あたしは人魚になれないんだろう

 あたしも、一度は人魚になってみたいわ……」

頬杖を突きながらため息交じりに言う、

「香奈はお父さんに似ちゃったからねぇ」

台所で母さんが支度をしながらそう言うが、

「だからと言って、お兄ちゃんが人魚になるなんて変よ」

と文句と言う。

「そうねぇ、

 本来なら香奈が人魚の能力を引き継ぐはずだったのにねぇ…

 まさか櫂が引き継いでいたなんて意外だったわ」

母さんは振り返ってまじまじと僕を見た。


そう、僕の母さんも実は人魚なんだ、

まっ、一口に人魚と言ってもいつも海にいるというものではなく

母さんのように陸に上がり人間の社会に混じって生活をしている人魚もいるそうで

殆どの場合は、人間の男性と結婚して子供を産む。

で、生まれた子供の中で最初の女の子だけが、

人魚としての能力を受け継ぐそうなんだけど、

うちの場合は本来受け継ぐはずの香奈ではなく、

なぜか男である僕がその能力を、

受け継いでしまったというワケだそうだ。

で、実は僕がこの話を知ったのは、

僕がこの能力に目覚めたほんのひと月前のことだった。
(香奈は以前から知っていたらしい)


あっ、そうそう僕の名は水城櫂、17歳高校2年生。

サッカー部に所属している。

性別は一応人男だけど、人魚になると女になってしまう。

両親は見てのとおりとりあえず健在、下に香奈と言う妹がいる。

以上。



「行ってきまぁす」

朝食もそこそこに僕は玄関のドアを開けた。

おっと出る前に髪のチェック。

ちゃんと人魚の翠色から黒くなっているのを

しっかりと確認して家を出た。


天気は快晴、朝の風が気持ちいい。

電車の車窓からチラチラ見える海岸線を見ていると

「今日一日あそこで日に当たりながらのんびりと泳げたら、

 さぞかし気分はいいだろうなぁ」

などとついつい思ってしまう。


学校に着くと、教室でちょっと騒ぎが起きていた。

「どうした?」

輪に入って訊ねると、

「おぉ、水城かぁ」

「ちょっとこいや」

と言う声にぐぃっと手を引かれた。

輪の中の中心には親友の坂上が数枚の写真を机の上に広げていた。

「なに?」

「へっへっへっ

 世紀の大スクープ」

と言って一枚の写真を僕に見せた。

写真を見ると、ピンぼけの上にブレててよく判別は出来ないが、

岩の上で一人たたずむ女性のような人影が写っていた。

「なんだ、これ?」

僕がいま一つ飲み込めないでいると、

「なんだ、分からないのか

 人魚だよ、人魚っ」

っと写真の説明をした。

「ぬわにぃ?」

よくよく写真を見直すと、

確かに女性の腰から下が魚の尾鰭のようになっていた。


「人魚って本当にいるんだ」

写真をみた女子が口々にうわさする。

「へっへぇ、すげーだろう」

得意そうにしている坂上に、

「どこで撮ったんだ?」

と訊ねると、

「あぁ、実は昨日新しいカメラが届いたんで

 ほら、そこの友石海岸で色々と試し撮りをしていたら、

 ふと見た沖合いの岩場で人影を見つけたんだ。

 いやぁ、俺も”なんであんな所に人がいるんだろう?”

 と不思議に思って、望遠レンズで見てみると、

 何とそこにこの人魚がいたというわけだ」

と説明をした。

「おいっ、昨日の友石海岸って言ったら……

 俺…人魚になって泳いでいたなぁ…
 
 あの岩場にも行っていたし…

 ってことは、これに写っているのは俺か?
 
 もしかして…」

今朝の母さんの忠告が頭の中に響く

「やっべぇ……」

タラリと冷や汗が流れた。


「へぇぇぇ」

他の連中が関心をしている中で坂上は、

「それで俺は急いでシャッターを切った。というわけなんだ」

と一部始終を説明していた。


そのとき、

「どうしたの?」

と言う声に僕が振り返ると、

僕の後ろに美作真奈美がきょとんとした顔で立っていた。


美作真奈美…そう現在僕が片思いをしている女の子。

しかし、

なかなか切っ掛けがつかめないので未だ胸の内を明かしていない。


「みっ美作さん、いっいつ来たんですか?」

ちょっと緊張気味に訊ねると、

「いまさっきよ、

 ねぇ、なんの騒ぎよ」

っと彼女はほかの女子に騒ぎの経緯を聞き始めた。


「そう言えば美作さん、

 最近妙にふさぎ込んでいたようだったけど、

 もぅいいのかな?」

女の子達と会話をしている彼女の横顔を見ながら、

最近、彼女の様子が変だったことを思い出していた。


「えっ、人魚?」

突然、美作さんの大きな声が教室に響いた。

「ん?」

彼女の様子を見るとなぜかビックリした表情になっていた。

「どうしたんだろう」

と思っていると、

彼女は女の子が差し出した写真をまるでひったくるようにして取り、

食い入るように眺め始めた。

「なんだ?」


「あれ?、美作さん、人魚に興味があるの?」

坂上が彼女に気安く声をかける。

『くぉら、坂上っ、彼女に気安く声をかけるなっ』

俺が心の中で叫んでいると、


「ねぇ、坂上君、この写真何処で取ったの?」

写真を片手に坂上に尋ねた。

「あぁ、昨日、友石海岸で撮ったんだけど」

「何時頃?」

「んーと、日の入りのちょっと前かな」

「そのとき、ほかに誰も居なかったの?」

「僕のほか?」

「違うっ、人魚の方よ」

「さぁ、僕が見たのは一人だけだったけど」

「そう…」

一体どうしたんだろう、美作さん…

「ねぇ坂上君、その時の話しもっと詳しく聞かせてよ」

と言いながら、彼女は興味深げに写真をじっと眺めていた。


幸いこの朝の騒ぎはそのときだけで収まり、

写真の人魚の正体を暴くなんていう方向に行かなかったのが、

せめてもの救いだった。

それにしても、人魚の話であんなに反応した美作さんを見たのは初めてだな…



「ただいまぁ」

「あぁ、丁度良かったわ、櫂」

部活を終えて帰ってきた僕を母さんが呼び止めた。

「え?」

「明日大潮だから、

 あんた、あたしと一緒に竜宮の乙姫様のところへ行くのよ」

「え?なんで?」

「何でって、この1年の間に人魚としての能力に目覚めた者は、

 必ず乙姫様の所に出向かなくてはならないのが、

 私たち人魚のしきたりなんだから、
 
 櫂っ、あんたも当然それに従うのよ」

と言ってきた。

「ほ〜ぃ」

そう返事をすると、

「だから、いろいろ支度があるから明日は部活は休んで

 真っ直ぐうちに帰ってくるのよ、いいわね」

と言うと、台所に戻っていった。

「竜宮ねぇ…

 どんなところだ」

僕の頭には、むかし読んでもらった浦島太郎に出てくる

竜宮城のイメージが映し出されていた。



「くす」

海の奥深くにある竜宮のある部屋で

一人の少女が大きな鏡を見ながら小さく笑った。

「乙姫様、どうなさいました?」

仕えの者が尋ねた。

「いえ、何でもありません

 ちょっと水鏡を覗いていたのですが

 明日やってくる娘のなかのこの”カイ”と言う娘は

 ちょっと変わった素性の娘ですね」

「え?」

「カイですか?」

「ひょっとしたら

 主の海彦様が不在であるこの竜宮では
 
 大切な存在になるかも知れませんね。

 会うのが楽しみですわ」

少女はそう言うと天井を眺めた。

「海彦様…何処におられるのですか?」



おわり


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