自動車用内燃機関は生き残れるか

〜環境問題と内燃機関の未来〜


あとがき

 私はエンジンの音が好きだ。一人でクルマを運転しているときには大抵、音楽やラジオをかけない。それはエンジンの音が聞こえなくなるからだ。
 エンジンの音は、喋ることのできない現在のクルマにとっては声と同じものだ。エンジンだけではない。クルマの出す音を注意深く聞いていれば、どの辺が調子悪いのかわかる。
 電気自動車は、無公害という面からは確かに最高だろう。でも、電気的なトラブルというのは、機械と違って異音らしい異音は出ないので、音で故障の前兆を知ることができない。 さらに、そのトラブルは専門家でなければほとんど手を出せない。
 確かに音が出ないことのメリットはある。生活環境から見れば、騒音公害のほとんどはクルマによるものだ。
 しかし、交通環境から見れば、音が無いとクルマが接近してきたことに気付かないことも考えられる。クラクションを鳴らせば良いとも考えられるが、クラクションを鳴らすと腹を立てる人も多い。
 そう考えれば、やはりクルマはエンジンの音を響かせていたほうが良いのではないだろうか。クルマはエンジンの音をあげながら走ってこそ、存在感があるのだ。
 私はどちらかというと電気自動車に期待を寄せている方ではないが、別に否定しているわけではない。世界を走るクルマ全体の環境汚染を低減させるためにも、電気自動車は非常に重要な役割を持っている。 しかし、電気に捕らわれすぎるあまり、他の道を見失って欲しくはないのだ。
 ハイブリッド自動車もトヨタ・プリウス以来、音沙汰無いが、現状では最も実用的で低公害のシステムだけに、もっと力を入れても良いのではないだろうか。
 さて最後に、環境問題の悪者にされている自動車に対する弁護をしておく。
 冒頭で、人間は自動車が環境に悪いことを知りながら、その便利さから使い続けてきたと述べた。とすれば、本当に環境破壊の悪玉にされるのは自動車ではなく、それを生み出し、使ってきた人間である。
 自動車を生み出しただけではない。生活圏の確保や生活の充実を計るために、人間は多くの自然を破壊してきた。環境破壊の元凶は全て「人間」にあるのだ。
 人類がいる限り、本当に自然を保全するのは不可能なのではないかと思える。
 だが、人間は失われていく自然に大切さに気付いた。環境保全に動き出した。だから、解決できる方法も必ずある、考え出せるはずである。
 そのためにも、私たち一人一人が努力しなければならないのだ。そして、人間とクルマの関係も、より良くになっていくことを願っている。

1998年10月  宰迦雛