自動車用内燃機関は生き残れるか

〜環境問題と内燃機関の未来〜


第9章(付録) 超独断的空想科学自動車論

(2) 人格を持つ自動車

喋るクルマ

 さて、前項ではある程度、現実味のある話を進めてきたが、この項からは完全に空想科学世界に入って行く。
 何でもありのSF世界に登場するクルマ達は、空を飛んだり、地中を走ったり、ミサイルをぶっ放したり、喋ったりと、色々なことができる。 その位ならまだ可愛いものだが、変形合体したり、挙句の果てには時空を超えるタイムマシンと化す…クルマと呼んでいいのか?と思えてしまう。
 まぁ、想像することは自由だし、一概に否定するのもどうかと思うが、空を飛べるんだったら走行用のタイヤなんか付けるな!と言いたい…。
 それはさて置き、そんなSF世界にあっても“クルマが喋る”というのは、「人間とクルマの関係」を良いものにする上で、実はとても重要なのだ。
 単に“クルマが喋る”というところのみに限定して見れば、既に喋っている。と言っても、カーナビゲーションシステムの音声道路案内の話だが。
 カーナビの音声案内は、当然、人間が録音した声を条件によって選び出しているだけなわけだが、喋るクルマというのは、実はカーナビの進化の果てにあるのではないかと思う。 実際、カーナビはクルマの頭脳的な感じで捉えられている。
 今は音声で道案内をするだけだが、いずれは周辺の安全確認、故障診断、オーディオやエアコンなどの車載機器の制御までをこなせるようになるかもしれない。
 さらに、ドライバーが声で指示することに、声で応対するようになれば、立派に喋るクルマとなるわけだ。


人格と意思の必要性

 機能的にはドライバーの声に声で応対するくらいでも十分かと思うが、この状況ではまだ「人間とクルマの関係」を変えるには至らない。
 今の「人間とクルマの関係」は、どう見ても健全なものとは言えない。このレポートの主題でもある環境問題は元より、交通事故なども含めて、社会的に見れば“敵”以外の何物でもないと言える。 それでも排除されないのは、世界を動かす(政治、経済など)のに欠くことができなくなってしまったからである。
 その不健全な関係を打破するためには、ドライバーとコミュニケーションをとることができる能力、ドライバーのことを考えられる能力が、クルマに必要なのではないかと思う。
 人格や心というものがクルマにあったとしたら…そう、あのナイト2000*注の様に。
 クルマに人格や心を持たせる、すなわち「人工知能」が備われば、もはや単なる“道具”ではなくなる。これこそ「人間とクルマの新たなるあり方」である。
 例えば、クルマとドライバーの情報交換。現在のクルマはドライバーに対して、非常に希薄な情報を一方通行でしか伝達できない。どこか異常があれば警告ランプが点くだけだ。 しかも、ドライバーが自分で直せるほどの軽症から、プロでなければ無理という重症まで、同じ警告ランプが点灯する。
 人工知能があれば、その状況は一変する。
 どこが悪いのか、どうすれば良いのか、ドライバーの知識・技術レベルで修理できるものなのかなどを考え、検討し、適切なアドバイスを行えるのだ。 そこに機械的な冷たさは無い。
 運転に関しても、ドライバーの性格や癖、運転技術を学習、蓄積し、ドライバーに合わせた車両制御をしたり、安全に走行できるよう周囲を警戒したり、 緊急時には乗員の被害を最小限に抑えられるように制御したりできる。
 ただし、人工知能は自動走行を実現するものではない。あくまでも運転するのは人間であり、クルマというものは人間が主体的に制御するものでなくてはならない。 前述の通り、自立して行動できる機械はロボットであるのだから。
 クルマが人格を得るには、人工知能の技術次第だが、実現は時間の問題だろう。人間に匹敵するほどの人格を持った人工知能となると話は別だが、 人間と支障無く会話をするくらいのレベルであれば、今後十年、二十年の間に生まれているかもしれない。昨今のパソコンの異常と言えるほどの技術的発展を見れば、その年数は大げさではないと思う。  私がこのレポートを書くのに使用した三年前のパソコンが、既に旧式と言われる時代である (それどころか、新発売からたったの三ヶ月ほどでカタログから外されたパソコンなのだ)。 推論ができたり、学習することで成長するコンピュータとか、有機体を使った生体コンピュータとか色々研究されているようだし、そういったコンピュータの急進的な発展もふまえて考えれば、 コンピュータが人間と話ができるようになるのも、夢物語ではない。
 しかし、冷静に「クルマが喋る世の中」を想像すると、結構恐いかもしれない(笑)…そこら中のドライバーがクルマと会話しているなんて… クルマとしか話さない人なんかも出てきそうだ。(汗)
 しかしながら、街のあちこちで携帯電話で話している光景に慣れてしまったことを思えば、普及によってクルマと話をする光景にも、 いつか慣れてしまうとも思えないか…?

*注 TV「ナイトライダー」('82年アメリカ)に登場するドリームカー(笑)
 ターボブースト、レーザーガン、水上走行、他多数の特殊機能を持ち、 水素を燃料として最高時速520km/hを発揮。人工頭脳「K.I.T.T(キット)」を搭載し、会話、無人走行も可能。
 ちなみに、“K.I.T.T”は「Kight Industry Two Thousand」の略。
 「K.A.R.R(カール)」というプロトタイプがあったが、悪の心を持ってしまったため、廃棄された。
 カールの台詞に「クルマではなくロボットだ」という言葉がある。「命を持ったマシン」とも。
 そもそも、“K.A.R.R”とは「Knight Automated Roaving Robot」の略だそうで、まさにロボットと明言している。 直訳すると「ナイト財団製の自動でさまようロボット」となる。これは非常に興味深い。 前項で述べた「全自動化されたクルマ」がロボットであるということと、同じことを約20年前に言っているのだ。
 やはり、クルマがクルマであるためには、自動運転システムは無用のモノなのかもしれない。
KITT KARR
K.I.T.T K.A.R.R