自動車用内燃機関は生き残れるか

〜環境問題と内燃機関の未来〜


はじめに

 近年、環境問題が盛んに叫ばれるようになった。
 環境破壊に対する危機感はかなり以前からあったものの、保護の実践については決して積極的と言えるものではなかった。 それが、最近になって急に環境保護を積極的に実践するようになってきた。
 本当に「やっと」といった感じだが、この背景には1999年に地球が滅亡するなどという世紀末思想が、危機感を煽ったということもあるのだろう。 だがそれが無かったとしても、今後数十年の間に「このままでは本当に地球は滅亡してしまう」と思わせるのに十分なほどの環境変化が、実際に現れ始めてしまったのだ。
それは、砂漠の拡大、オゾン層の破壊、地球温暖化、酸性雨、異常気象など多岐に渡り、普通に生活している我々にも、はっきりと眼に見えて肌に感じることができる変化も多くあった。
 そうして危機感が身近になったことで、ようやく環境保護を真剣に考えるに至った。もう、手遅れかもしれないが…。
 それはともかく、環境問題を考えるに当たって、どうしてもその槍玉にあげられてしまうのが「自動車」である。
 自動車は走るためにガソリンや軽油などの燃料を燃焼させるが、それで発生した排出ガスは、その成分の多くが環境を破壊し、人間にも有害な物質である。
 世界経済の発達に大きく寄与した自動車であったが、それに気を取られるあまり、自動車のもたらす弊害に気付かなかった。否、もしかしたら気付いていない振りをしていただけかもしれない。
 だが、自動車とは一度使ってしまうと、まず手放すことはできない。それだけ便利なものであることもまた事実だ。
 一人で出かける場合は、電車のほうが絶対的に安上がりだし、故障や事故などが無ければバスの様に渋滞に巻き込まれることも無いので、非常に時間に正確だ。 それでも、目的地のすぐ近くにまで歩かずに着くことのできる便利さ、電車を複数乗り換えることの面倒さを考えると、どうしても自動車で出かけてしまう。
 また、自動車の中は個人的な空間を構築することができる。自分のあるいは自分たちだけの領域であって、他人に侵される可能性が低い閉鎖された領域である。特に日本人は個人の領域を主張する。
 電車も走行中は閉鎖されているという意味では同じだが、規模が違う。複数の他人と逃げ場の無い空間に一緒にいるということは、特に今の世の中においては、多少大げさかもしれないが危険でさえある。
 自動車の弊害が問題視されながらも、ここまで普及してしまったのは、そういった事情が裏で複雑に絡み合っている。環境を保護するために自動車そのものを無くすことはもちろん、減らすことも今となっては不可能であろう。
 とすれば、残された道は環境に優しい自動車を作ることのみである。
 だがそれは、これまで自動車の動力機関として、常に主導権を握ってきた内燃機関の地位を危うくするものだった。
 このレポートでは、そんな状況下にある自動車用内燃機関の未来を、自動車の様々な環境対策を通して考えていこうと思う。