2005年9月8日。 店の定休日。その存在は知っていたが始めて行く市内の神社・金剛院。初詣などでよく利用する、隣町の和楽備神社。1,2回しか行ったことが無い、扉が閉まっていた家から一番近くにある氷川神社。この3つの神社に昼間、お参りをする。 この時、あまてさんが出る前に幽体離脱状態で右手で左腕をたたいたのと、あまてさんの左手だけが見える状態で出てきたのを真似して、秘密の合図のつもりで左手を前にだし、右手で思いっきり左腕を打ち切るように2回たたく。 2005年9月20日ごろから10月の初め頃まで:今までの体験を整理し、つるつるを生かしたまま、気で色々な神刀を作る練習をしました。当然の事ですが「aらSsss〜^^」(この頃は「あ、まて、らを吸う」の深呼吸だけ)も併用してやってました. 2005年10月1日ごろ。 神に私の神刀を見てもらいたいと思い、市内の金剛院に、お参りに行く。 その時、体全体につるつるの気で作った、かみそりの刃の刀を最後の1礼の時、刀を伸ばし、神を切る動作をする。 2005年10月5日。ラ発見。 消防団仲間の創価学会員のお通夜に参列しました。過去にも聞いたことがあるが、南無妙法蓮華経の大合唱を久しぶりに聞きました。帰宅後すぐに店番を交代しました。午後7時30分ごろ、店で疲れがどっと出てしまい、南を向いて椅子に座り、フロントに前のめりで腕に額を乗せ、寝る格好をして、目を閉じて、まぶたの中を見る。 すると真正面の中心よりちょっと右の13cmから18cmくらい先の5センチ四方くらいの空間に、揺らぎがまったく無い、はっきり見える、丸い白く光る光の集団を見る。 誕生日にすごいものが見えた。 と喜ぶ。 2005年10月6日。金剛院参拝。 定休日の朝。市内の神社:金剛院にお参りをする。 境内に入り、まず、あの白い光が建物全体にあるイメージをしました。鐘は鳴らさずお金を賽銭箱に入れる。お金はあの白い光をイメージするように、と1円玉をもてるだけ持ち、上に放り投げ、ばらばらばらと賽銭箱に投げ入れる。ビニール袋一杯分の一円玉を持って行ったので全部投げ入れるのに4,5回かかる。入らないで散らばってしまった一円玉も拾って賽銭箱に入れる。 2礼をする。 手を2回叩く。 この時、もし、怪我をしたとしてもせいぜい全治一ヶ月。足の骨折とは違い入院することは無い、と、思い、あの白い光が手からでるように、と、全身全霊の力を込めて、思いっきり2回、手を叩く。 1礼して帰る。 2005年10月7日。ラ 集来。 午後7時ごろ、10月5日と同じ場所で前のように、腕に額を乗せ、目を閉じ、まぶたの中を見る。 今度は真正面に12cmから20cmくらい先の7、8センチ四方ぐらいの空間にはっきり見える、揺らぎがまったく無い、丸い白い光が沢山集まった一つの小宇宙、銀河のような集団のかたまりを見る。 2005年10月13日。 定休日。隣町の和楽備神社に昼間、一袋分の一円玉を持ってお参りに行く。 10月6日と同じ事をする。 2拍はそこそこの力で手を叩きました。 2005年11月3日。ラー発見。 この日は木曜日で店の定休日と祭日が重なったので子供たちと近所の焼肉屋で夕食をとり、家に帰ってから下風呂の上で頭が西で南を向いて横になっていたら寝てしまった。その時に光る針と明るい世界、ラーを見る。 神の世界と言えば神の世界とも言える。浄土といえば浄土ともいえる。明るい観音様の世界と言えばそうとも言える。 10月7日のがラで久遠の自灯明の光の集団。11月3日のがラーで那由多の法灯明と言う所でしょうか。(私は釈迦の悟りは一度もけなした事がない。) この光は昔から世界中で目撃されたりで、見ている人は見ていると思います。 神話や神の話の中では光が出てくることが多い。 私はこの15mmの白い光の針を縦にしてBIG I と命名しました。 2006年6月18日。和楽備神社参拝。 2006年6月16日の消防団団本部の会食でお稲荷さんの話になり、話が色々と発展して鬼門の事を知る。和楽備神社は我が家から見て鬼門の位置に在ることを知り、お礼参りのつもりで6月18日(日)に和楽備神社に車で行って、お参りをしました。次の日の6月19日(月)午前11時半ごろに今までに体験したことがない胸の苦しみに襲われ、心筋梗塞の発作を起こし、自宅から50mほどの距離の消防署の救急車で自宅から200mほどの総合病院に運ばれました。その病院は月曜日がカテーテル検査、カテーテル手術の日で、部長先生を筆頭に3人ぐらいの先生に見守られて、すぐにカテーテル手術をしました。(先生が手術の準備をして私が来るのを待っていた感じ。飛んで火に入る夏の虫になってしまった。)あわせて入院中に糖尿病が発覚、インシュリンを打つようになってしまった。6月29日に退院。リハビリを兼ねて自宅から普通に歩くと往復で約1時間の距離の和楽備神社に7月1日から10月20日まで徒歩で参拝。 一日60本以上吸っていたタバコはやめました。 2006年10月21日 AM 9:00 靖国神社 参拝。 消防団の研修で2006年10月21日に四谷の消防博物館を見学して来ました。この研修では研修開始の時間よりも、かなり早く消防博物館についてしまうとの事で、メンバーの中から色々と意見が出て、団長のご要望で、時間調整で靖国神社に参拝しようということになりました。当然の事ですが私もバスから降りて二礼、二拍、一礼で靖国神社に参拝してきました。当然の事ですが二拍の時はラの光、光のベビーパウダーが手から出るようにと手をたたきました。7月1日から雨の日以外は毎日、和良備神社に通い、手をたたいてきましたが靖国神社では一発目がなぜか鈍い感じ、で、2発目も同じように鈍い感じになってしまいました。お見事と言う様な出来ではなかった。どちらかというと失敗作でした。しかし、やり直しはしなかった。いずれにしても、本物の大仏覚醒者が覚醒が始まってから11年後にラ・ラーを見、更にそれから約一年間「aらSsss〜^^で生きる」をやり、プラス7月1日からは地元の神社に毎日のように参拝する事もやり、偶然にも母(母の父方の祖父は神主、母の母方の祖父は寺小屋の教師。)の誕生日に靖国神社に参拝し、慰霊し、そして供養して来たということです。 「なむ a 仏。You are BIG I .」 ※「気」のところに書いてある手の叩き方はこの後に研究開発されたものです。 2007年2月3日。和良備神社参拝。 寒くなってから遠ざかってしまいましたが久しぶりに歩いて和良備神社に参拝してきました。私の中には鬼も居るので「この手が悪さをしませんように、願わくばこの手が・・・・」と思いっきり、2回、手を叩いてきました。 2008年2月25日。復讐祈願。和楽備神社参拝。 仏の顔も三度まで。 原爆症や水俣病で死んだ人など自分には何の落ち度も無いのに、自欲を追求する人に理不尽にひどい目に合わされた人が居ます。こういう被害者は二度とこのような事がおきないように、他の人の事も考え、しっかりと復讐はしたほうが良いとの結論に達しました。 それで私も復讐をする決心をしました。 本来の仏教を捻じ曲げ、私から見れば史上最低の汚い奴、人間のクズ・ペテン師釈迦に対し、二度と釈迦のような偽者が出ないように、釈迦に対して復讐する決心をしました。 こそこそやるのも卑怯なので正々堂々とやります。 今日、和良備神社で神様に「わが復讐に力を貸したまえー。」と申して、神社で復讐の決意宣言をして来ました。 釈迦族が今にもまして私に対して汚い手を乱発する事も予想されますが私は勇気を持って釈迦に復讐する事を誓います。 これは大仏覚醒者である私の個人的な復讐ではありますが仏教徒の皆さんが真実に目覚め、私の復讐に賛同できる事を心よりご祈念申し上げる次第で御座います。 m(__)m 2008年3月3日。和楽備神社参拝。 今日も「釈迦に対する私の復讐が完結できますようお願い申しあげます。」と祈願してきました。 2008年3月8日。AM8:30 和楽備神社参拝。 道中。釈迦、星野仙一、池田大作、親鸞、日蓮、福田総理などを思い浮かべ、更に公明党のポスターなども見ながら、「こいつらは人間のクズだ。こんな奴らに負けてたまるか。」と気合を入れて参拝してきました。 2008年3月22日 陽神の初顔見世 和楽備神社、氷川神社、金剛院の3神社に開眼・出胎の報告をしてきました。 |
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