ちょっとしたコラム      
               
04.5.29付


斎藤(巨人)、ミスター完投の快進撃

 1989年に6年ぶりに巨人の監督に復帰した藤田元司は投手陣の再編成に着手。二桁勝利の実績を持ちながら流動的な立場にあった斎藤雅樹を先発1本に固定した。元々斎藤は藤田監督の第1次監督時代に入団した選手であり、オーバースローの本格派だった斎藤を横手投げに転向させたのも藤田だった。
 斎藤は開幕第2戦となる4月9日のヤクルト戦で先発、8回3失点とまずまずの投球を見せた。15日の広島戦も7回途中まで1失点の好投だっだが救援投手が打たれて逆転負け。20日の中日戦に1失点完投でようやく3試合目でシーズン初勝利。25日のヤクルト戦は8回4失点も打線の援護で敗戦投手を免れる。30日の中日戦では10点の援護もあって立ち直った投球を見せ、7安打無四球完封で2勝目。

 5月7日の広島戦では初回に3失点KOされシーズン初の敗戦投手となる。中2日で汚名返上のチャンスを与えられた斉藤は10日の大洋戦に先発。4失点と苦しみながらも完投で3勝目を挙げた。ここから斎藤の快進撃が始まる。17日の中日戦で2失点完投勝利、24日のヤクルト戦では10三振を奪い1失点完投勝利。
 そして30日の大洋戦から6月10日のヤクルト戦まで3試合連続完封勝利。6月16日の中日戦では3回に彦野にソロ本塁打を喫し31イニングぶりの失点を許すが、結局この1点に抑えて7連勝。延長10回を投げ抜く粘りの投球だった。

 24日の阪神戦にも4安打10奪三振で危なげなく完投した。6月は4勝0敗、防御率0.49の好成績で初の月間MVPに選ばれた。
 7月1日のヤクルト戦は打線が爆発。4回までに8点を奪い試合を決めた。8日の大洋戦は8試合ぶりの2失点。10安打を浴びる苦しい内容だったが、打線が終盤奮起して7回以降に6点を挙げ斎藤を援護した。これでついに10連勝そして10連続完投勝利。1978年に鈴木啓示(近鉄)が達成した日本記録についに並んだのである。

 新記録のかかった15日の試合はヤクルトが相手だった。10連勝中3度対戦して合計2点しか許していない。打線も初回にクロマティの先制打などで3点を先行し、13安打で6得点と斎藤を援護した。最後の打者・栗山の打球は一塁手・中畑へのハーフライナー。中畑が打球を拝むようにキャッチ、斎藤はヤクルト打線を散発3安打に抑え、このシーズン5度目の完封勝利を飾った。11試合連続完投勝利の日本新記録達成であった。 

 そしてついに記録の止まる日がやってきた。7月21日の阪神戦、オールスター前最後の登板である。斎藤は前年まで阪神戦のみ通算2勝3敗と負け越していた。しかしこの年は2戦2勝、防御率0.50と得意カードとしていた。しかも対戦成績は巨人が12勝4敗と圧倒、斎藤の記録継続は可能性が高いように思われた。
 しかしホーム甲子園での闘いに阪神は奮起した。7月4日からの東京ドームで巨人に3連敗していた悔しさもあったろう。斎藤に食らい付いて4回に2点を先制、7回には大野の3ランでダメ押し。投げては左腕・仲田が4安打完封勝利。5−0で阪神の完勝であった。斎藤は7回を投げ被安打4本、自責点0と内容的には互角だった。しかし4回の先取点は自らの二塁悪送球が絡み、7回は岡崎の失策の後を抑え切れず決定的な失点を喫したのだった。

<89年の11連続完投勝利>
  相手・スコア 勝敗 回数 安打 三振 四死 自責
5/10 大洋○5−4 3勝1敗 9 7 4 3 2
5/17 中日○5−2 4勝1敗 9 6 5 5 2
5/24 ヤクルト○6−1 5勝1敗 9 4 10 1 1
5/30 大洋○7−0  6勝1敗 9 7 5 4 0
6/4 阪神○10−0 7勝1敗 9 4 8 0 0
6/10 ヤクルト○6−0 8勝1敗 9 4 8 2 0
6/16 中日○2−1 9勝1敗 10 4 7 4 1
6/24 阪神○3−1 10勝1敗 9 4 10 2 1
7/1 ヤクルト○10−1 11勝1敗 9 8 6 2 1
7/8 大洋○7−2 12勝1敗 9 10 4 1 2
7/15 ヤクルト○6−0 13勝1敗 9 3 5 1 0

 11連勝中に広島戦の登板がなく、避けていた印象もあった斎藤だったが8月以降の広島戦3試合に先発。8月7日の17回戦では延長10回完投勝利。9月9日の20回戦は川口との投手戦も西田のサヨナラ弾で0−1の完投負け。29日の25回戦は川口との再戦で今度は延長10回、逆に1−0の完封を飾る。この3試合の防御率は0.93と苦手意識を払拭した。

 この年の斎藤は20勝7敗、防御率は驚異的な1.62をマークした。MVP投票では打率.378で首位打者に輝いたクロマティに次ぐ2位に終ったが、ベストナイン、沢村賞、最多勝、防御率1位と投手部門のタイトルを総なめにした。前年は38試合全て救援登板だった斎藤はこの年の初登板が3年ぶりの先発だった。藤田監督は第二次監督時代の89〜92年にかけて106試合に斎藤を起用したが、その全てが先発投手であった。後に“平成の大投手”と言われた斎藤も藤田監督の復帰なくしては誕生しなかったかもしれない。

 驚いたことに翌90年も斎藤は開幕早々から快進撃を再現する。初の開幕投手となった4月7日のヤクルト戦は8回3失点で勝敗関係なく降板した。しかし、2試合目からは完投又完投で8連続完投勝利を記録するのである。5月が終って無傷の8連勝、防御率は1.46をマークしていた。
 結局この年も20勝5敗の好成績を収めた。しかし、最後の3試合はうち2勝を挙げたものの19回投げて被安打24、自責点16とボロボロに打たれた。9月15日の阪神戦に4安打完封で18勝目を挙げた時に1.67だった防御率は2.17までダウンしていた。

 それでも2年連続の防御率1位と最多勝利を獲得し、前年逃したMVPにも輝いた。89年は30試合で21完投、90年も27試合で19完投とこの2年の完投率はほぼ7割に達した。以後01年まで現役を続け通算では5度の最多勝と3度の防御率1位、3度の沢村賞を獲得した。“平成の大投手”の名に恥じない投球ぶりを見せたが、200勝に届かなかったのが惜しまれる。

<90年の8連続完投勝利>
  相手・スコア 勝敗 回数 安打 三振 四死 自責
4/14 広島○5−1 1勝0敗 9 5 5 4 0
4/20 阪神○13−2 2勝0敗 9 5 10 3 2
4/26 中日○3−0 3勝0敗 9 8 3 3 0
5/3 中日○4−2 4勝0敗 9 7 5 0 2
5/9 大洋○3−2 5勝0敗 9 5 8 2 1
5/16 ヤクルト○5−3 6勝0敗 9 8 10 2 3
5/23 中日○3−2 7勝0敗 9 8 5 3 2
5/29 阪神○6−0 8勝0敗 9 2 8 0 0

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