福浦 和也(ふくうら かずや) 1975年12月14日生まれ・左投げ左打ち

 千葉・習志野高から93年ドラフト7位で千葉ロッテマリーンズに入団。高校時代は投手だったが、入団後は野手に転向。1年目はファームでも7試合の出場と体力作りに専念した格好。95年はファームの正一塁手となり、76試合で打率.263、5本塁打と長足の進歩を見せたが、翌年は.235、0本塁打と成績も後退し、3年目まで一軍出場はゼロ。

 4年目の97年もスタートはファーム。しかし、「5番・一塁」の座を確保して7月3日の横浜戦で8号ソロを含む3安打と活躍した事で初の一軍入りを果たす。初出場からスタメンで、その後もレギュラー格として起用され68試合で67安打、打率.289の好成績。
 翌98年もコンスタントな打撃で129試合で132安打。打率.284を残してレギュラーの地位を固めた。

 99年は一塁を初芝やボーリックに譲るケースが増え規定打席不足に終るが、00年は一塁と外野を兼任してレギュラーに復帰。自己最高の打率.296をマークした。01年は腰痛などで20試合を欠場しながらも自己最多の156安打を放ち、打率.346で見事に首位打者を獲得。18本塁打と長打力も成長を見せ、また通算打率も3割に乗せて、一躍パ・リーグを代表するバッターとなった。
 02年はリーグ記録にあと1つとなる17死球を喫するなど相手投手の厳しいマークに苦しんだが、終盤の追い込みで2年連続3割を達成した。また、中距離ヒッターの持ち味を発揮して球団史上二人目となる年間40二塁打を達成した。

 03年は史上初の2年連続40二塁打を達成し、さらに記録を伸ばして史上2人目の50二塁打を記録。初の全試合出場を達成すると共に、自己最多の172安打を放ち3年連続の3割打者となった。また、21本塁打・76打点も自己最多で打力アップを印象付けた1年だった。04年も両リーグ最多の42二塁打でミスターツーベースぶりを発揮。4年連続3割台で3割打者の常連を印象付けた。

 05年は腰痛に苦しみながらも5年連続3割を達成。打席数や長打を大きく減らしたにもかかわらず、3年連続で70打点をクリアし3番打者として勝負強さを見せ、チーム31年ぶりの日本一に貢献した。06年は史上11人目の6年連続3割をマークしたが、本塁打・打点は00年以降最少の数字で内容的には不満が残るシーズンだった。
 07年は4月に右脇腹を痛めるなど故障に泣き連続100安打記録は継続したが規定打席不足の上、プロ入り最低の打率.258と低迷。08年も打率.252と2年連続の打撃不振。連続100安打も8年でストップした。

 09年も7月末で打率.232とさらなる不振にあえいでいたが、7月・8月の2ヵ月は打率.363と打ちまくり復調を見せた。シーズントータルでも.273まで巻き返して2年ぶりの100安打と3年ぶりの規定打席到達を果たした。10年は新外国人選手の加入で指名打者主体の起用となったが、対右投手中心の出場で4年連続の規定打席不足となった。しかし内容的には3割にあと一歩の打率.295に6年ぶりの二桁本塁打と打撃復調をアピールした。指名打者としては90試合で80安打の打率.290をマークして初のベストナインに選ばれた。
 11年は低反発の統一球に対応できず、6月こそ月間打率.346をマークしたが7月以降は.195と低迷。結局一軍定着以後ワーストの打率.223に終わった。12年は15年ぶりに100試合未満と出場機会が減り、45安打止まり。それでも8月末では打率.286と健闘していたが、9月以降は26打数1安打の.038と失速した。

 13年はさらに出場機会が減り、78試合で32安打の打率.229と苦戦。途中6月6日から7月31日まで56日間ヒットなしの期間もあった。14年は腰痛で出遅れ、チーム69試合目の6月28日にようやく初出場。7月は16日のソフトバンク戦で3安打3打点するなど、打率.371と活躍。結局43試合で26安打ながら、打率.283と4年ぶりの好アベレージを残した。特に代打では19打数9安打の打率.474と好成績だった。
 15年は初スタメンとなった4月9日のオリックス戦では2本塁打を放ち健在ぶりをアピール。4月末から10日間抹消された以外は一軍でプレーし、12年以降では最多の47安打を放った。

 16年はチーム85試合目の7月13日に初出場と14年以上に出遅れた。2度の猛打賞もあったが、36試合で20安打と一軍デビュー以後最少の安打数で打率.244。17年は30安打と安打は増えたが打率はさらに下がって.224に終わった。それでも4月29日の西武戦と7月18日のオリックス戦で、2度にわたり満塁一掃ツーベースを放つ。また、9月12日のオリックス戦では4打点を挙げ、勝利に貢献と要所で勝負強さを発揮した。
 そして2000本まで残り38本で迎えた18年シーズン。4月末までに13安打を積み重ねたが、5月1安打、6月1安打と急激にペースダウン。しかし7月に10安打と持ち直し、9月22日に待望の通算2000本安打を達成した。42歳9ヵ月での達成は歴代2位の年長記録だった。実働8年目の2004年に達成した1000本安打から、次の1000本に丸14年を要する苦難の道のりをついに乗り越えた大記録だった。

 2019年は一軍での出場機会なくシーズン終盤を迎えた。引退試合となる9月23日の日本ハム戦に指名打者で先発しシーズン初出場。4打数ノーヒットに終わったが、最後は一塁守備にも付いて26年間の現役生活に別れを告げた。

 02年から04年まで史上初の3年連続40二塁打。03年に歴代2位の年間50二塁打。10年5月13日の横浜戦で代打満塁本塁打。18年9月22日の対西武戦で小川投手からライト線二塁打を放ち、史上52人目の通算2000本安打達成。

 首位打者1回(01)。ベストナイン1度(10)、ゴールデングラブ3度(03、05、07)受賞。オールスター出場3度(00、04、05)。

年度別打撃成績(赤字はその年のリーグ最多記録)
    試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死球 三振 打率(順位)
94 ロッテ 一軍出場なし                        
95 ロッテ 一軍出場なし                        
96 ロッテ 一軍出場なし                        
97 ロッテ 67 218 27 63 8 1 6 91 23 0 1 1 22 36 .289
98 ロッテ 129 465 61 132 32 3 3 179 57 1 0 6 55 78 .284(12位)
99 ロッテ 114 256 21 71 15 1 3 97 35 0 0 3 25 38 .277
00 ロッテ 131 446 58 132 21 4 7 182 56 1 6 4 38 59 .296(11位)
01 ロッテ 120 451 82 156 30 4 18 248 67 0 2 3 63 74 .346(1位)
02 ロッテ 135 493 48 148 40 0 9 215 66 2 0 3 69 73 .300(8位)
03 ロッテ 140 567 75 172 50 1 21 287 76 2 1 5 50 89 .303(15位)
04 ロッテ 128 506 67 159 42 1 11 236 73 2 2 4 57 82 .314(9位)
05 ロッテ 114 434 54 130 25 1 6 175 72 0 0 9 48 55 .300(11位)
06 ロッテ 114 436 43 136 20 1 4 170 52 0 3 7 38 52 .312(5位)
07 ロッテ 110 395 41 102 20 1 4 136 57 0 2 6 42 44 .258
08 ロッテ 105 310 39 78 9 0 1 90 44 0 1 7 52 49 .252
09 ロッテ 129 396 47 108 18 0 6 144 39 1 11 3 50 65 .273(20位)
10 ロッテ 116 322 42 95 19 0 13 153 61 0 3 3 31 47 .295
11 ロッテ 116 358 22 80 13 0 3 102 43 0 1 6 40 72 .223
12 ロッテ 84 180 5 45 3 0 0 48 25 0 1 2 16 27 .250
13 ロッテ 78 140 5 32 5 1 0 39 17 0 0 2 27 30 .229
14 ロッテ 43 92 4 26 2 0 0 28 15 0 0 0 14 14 .283
15 ロッテ 73 173 17 47 3 0 2 56 21 1 0 0 26 34 .272
16 ロッテ 36 82 4 20 2 0 0 22 7 0 0 0 8 12 .244
17 ロッテ 70 134 6 30 7 0 0 37 18 0 0 2 19 25 .224
18 ロッテ 82 181 6 38 4 0 1 45 11 0 0 2 12 34 .210
19 ロッテ 1 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
                                 
26年 2235 7039 774 2000 388 19 118 2780 935 10 34 78 802 1089 .284