顔アップ | ヘッドマーク TETE JUMEAU 3 | 全身31cm | ジュモウのボディです |
モヘアのウィッグ | あまり見る機会のない横から | ウィッグをとると・・・ | こんな感じです |
本人のやり方によってはですが
最近は自宅にいながらにして情報や品物が、たやすく手に入る時代になりました。
私がビスクドールに目覚めた1987年頃には、まだパソコンも普及しておりませんでしたし、
アンティックビスクドールの情報誌もありませんでした。
私よりもっと前の世代の方は随分と大変だったようです。
一般の国民が海外へ行けるようになるのは昭和40年代初頭
それも金銭の持ち出しに制限がありました。
なかには日本の古伊万里などを日本国内で調達していって
それを向こうで売りそのお金でビスクを買って来た方の話も聞きました。
ビスクドールは1体買ったらもう終わりにしよう!などと最初は本当に思っていました。
会社帰りに銀座の専門店に通っては実物を見せていただき、
お店の人と対等に会話したく色々なビスクの本を読んで知識を叩き込みました。
88年に結婚してからの5年間は子供がいないのをいい事に
毎年ヨーロッパへフラフラとフリープランで出かけていました。
義父の測量事務所のアルバイトをしながら
1年間倹約しては、また海外に行きビスクを買ってくるという生活でした。
そして1990年。3回目のパリ。
オープンマウスのジュモウが入手済みでしたが・・・
やっぱりクローズの青目が欲しい!
相変わらず進歩していないフランス語で買えたのがこのテート・ジュモウです。
サイズは3号。以前書きましたがビスクは8号あたりが「ある」サイズで
1・2・3号は珍しいと言われています。
ウィッグは現代のヘンテコな茶色の縦ロールのものがついていましたが、帽子、ドレス、靴はオリジナルです。
現在はモヘアのウィッグにボンネット風レースをかぶせています。
オリジナル帽子・下着他 | 革製です 5cm | ボディのマーク 腰にあります |
この−TETE JUMEAU−というのは直訳で−ジュモウの頭−です。
1895年頃から刻まれるヘッドマークです。
ドレスは当時のシルク製です。
靴も下着も上質なものを着用しています。
手のかけ方が今の人形全般と全然違う事から
ビスク全盛時においても、この手の人形が
一般市民にとっては手が届かないものであった事が伺い知れます。
数年前からアメリカで「Antique Doll World」というビスクド−ルを中心とした
(研究家の記事・ドールショー・、オークション情報・専門店の売買情報を掲載)
雑誌が年に数回発行される様になりました。
(一部の専門店ではクレジットカードで人形を購入する事もできます)
また国内でも「骨董ジャンボリー」をはじめとする各種イベントが
盛んに開催されアンティックビスクドールは私が海外をウロウロしていた時と比べ
非常に入手し易い状況になっていると思います(生活必需品と比べてはダメですよ (^_^;)
)
本当に便利な時代になりました!
私はジュモウを2体(8号と3号)持っています。
もしかしたらこのジュモウも、他の海外で購入してきたビスクも
今、国内で購入した方が安価だったのかもしれませんが、
ビスクは1点モノですし
この3号のジュモウを抱えながらパリから夜行列車に乗りドイツを南下し
スイスのシュタイン=アム=ライン人形博物館を回って
帰国した充実感は、何物にも代え難い
忘れられない想い出となっています。
ブリュジュン | ブリュジュン | アロポウ |
A・T | A・T | マルク |
1987年学研発行の「魅惑の西洋人形」で取り上げられた
シュタイン=アム=ライン人形博物館ですが
素晴らしい収蔵品がありながら日本ではあまり知られていません。
シュタイン=アム=ラインの所在地はライン河沿い。
ライン河を渡るとドイツという、スイスとドイツの国境の小さな街です。
ここの人形はもとはスイス人コレクターのもので
アンティークビスクだけで約400体、その他、創作人形などが約100体収蔵されています。
写真も撮ってきましたがあまり写りがよくありませんので
売店で買ってきたポストカードを数枚掲載させていただきました。
シュタイン=アム=ラインという街の名を日本語に訳すと
ラインの小石・ラインの宝石といった意味合いになりますが
その名の通り街中は外壁にフレスコ画が描かれた非常に美しい街でした。
1990年9月
パリ・クリニャンクールにて購入
2000年6月23日 作成