『シルビアとの日々』

silvia in nikko.jpg (42456 バイト)

 僕が「NSXを買いたい」なんてとんでもない事を考え始めたのは1997年11月のことでした。(その頃、僕はシルビア(PS‐13、K's)に乗っていました。足回りチューンを施し、峠を2年間、日光サーキットの走行会を中心に5年間通いつめていましたが、このお気に入りのシルビアを手放すことにしたのです。) …その発端は、そこから2年ほど前に遡ります。

 

 サーキットを走るようになって3年目…、シルビアの足回りは自分なりにかなり仕上がってましたし、ライトチューン車のなかでは結構速いタイムを出せてました。しかし、走行会の模擬レースでどうしても勝てない車がいました。『ランエボT』です。

 僕はブレーキングで刺してターンインで抜くのが得意で、模擬レースではそこだけにかけてました。何しろ僕の車は、エンジン関係はマフラーもコンピューターもエアクリーナーさえもノーマルの「どノーマル!カタログ通りの205PS仕様」だったものですから直線では同クラスのチューニングカーにおいていかれてしまうので、その分はどうしても鬼のブレーキングとコーナリングスピードで稼ぐしかなかったんです。

  そうやって予選の2位や3位をとってグリッドにならんで前を見ると、必ずそのランエボTがいたんです。彼の走りはスムーズできれいでした。ブレーキングからまったく挙動を乱さずきれいな弧を描いてまわり、そのとにかく強烈なトラクションによる立ち上がりで他車を引き離していました。模擬レース中、何度となく彼とのバトルになりました。

 日光サーキットは内側(1〜6コーナーと10〜12(最終)コーナー)がタイトコーナーばかりのテクニカルセクション、外側(6・7コーナーからの直線、高速コーナーの8コーナーと9コーナー、その後の最高速の出るバックストレッチと続き、抜きどころの10コーナー進入まで)が高速セクションになっています。
  その高速セクションではランエボについて行くのも精一杯で毎回差をつけられてしまうので、内側のタイトコーナーで差を詰めてやっと6コーナーブレーキングでノーズを割り込ませます。
  サイドbyサイドやエックス攻撃で6コーナーをまわり、立ち上がりで並ぶのですが…そこからが<高速セクション>並ぶだけでは振り出しに戻っただけなんです。立ち上がりからストレートで前に出られ、高速8コーナー進入で抑えられ、続く高速9コーナー・バックストレッチで差をつけられてタイトコーナーへ…。結局これの繰り返しで抜くことができずに、彼が1位、僕が2位が指定席でした。

 一度、バックストレッチでスピードを乗せるために、その手前の9コーナーのアクセルを少しでも早く開けようと色々試してみました。しかし、最後には当然横を向いてしまい大カウンター!逆に大きく差を広げられてしまいました。

「悔しい…。あとちょっとなのに…。」

 悩みぬいた挙句に、日産車を得意とする某チューニングショップ「C(仮名)」でコンピュータチューンをすることにしました。コンピュータ、マフラー、エアクリーナー、プラグほかをセットで交換し、注文したコンピュータの設定は「ピークパワーは要らないからプーストアップは必要無い。立ち上がり加速が欲しいのでコンピュータの書き換えでトルク重視、2速での立ち上がり加速が速くなる様にしてほしい」というものでした。これまでは、「腕を磨きたい」と思っていたので「足回りはいじってもエンジン関係は絶対ノーマルで通す」と決めていました。自分としては大きな方向転換で、プライドを曲げてでも勝ちたいと思ったのでした。 

 次の走行会、予選であっさりポールをとってしまいました。2位のランエボに刺されないようフォーメーションラップで念入りにブレーキを温めます。グリッドについてスタート。最初のハードブレーキポイントの6コーナー入り口、

 「ここでランエボに刺されなければ、あとは互角の戦いができる…。」

並ばれずに単独で進入…ブレーキング…しかし…、フルロック!!フロントタイヤから白煙をあげながらコースアウト。ブレーキは温まってましたがタイヤのほうが不充分でした。なんとかコースに復帰すると6位までポジションを落としていました。

 「ちくしょー!これからだったのにぃー!」

 そこからはキレまくりの走りで、2周で3位まで復帰。ランエボまではあと1台です。独走トップのランエボは僕とのバトルを待ってくれているのか、わずかにペースを落としており差はあまりついてません。

 「いけるかもしれない」

  しかし、ここからが難題でした。2位の車はスターレットでしたがフルチューン車で内装すら無し、ブレーキングもコーナリングもたいしたことありませんがとにかく直線がバカっ速でした。こいつが露骨にブロックしてきたんです。ブレーキングでインに並んでもかぶせてくる。最初はミラーを見てないのかと思ったのですが、アウトからいけば寄せてきて片輪ダートに落とされる。で、直線だけは速い!つつきまわしながらも抜きあぐね、やっとの思いでインをこじあけて抜き去ったときにはファイナルラップでした…。

 結局、またしても2位。後味の悪いレースになってしまいました。もちろん悪質なブロックもありまりたが、それよりもパワーアップでランエボに勝とうとしたことに後悔していました。

「勝てなくって良かったんだ…」

 次の走行会では独走でトップになりましたが、ランエボは不参加。無力感がさらにつのります。さらに追い討ちをかけるように、この時から熱ダレとオーバーヒートの症状が出始めました。これ以後、オーバーヒートに悩まされつづけることになりますが対策を施す気力は無く、走行会に行く回数も急激に減り、ほぼ毎月行っていたのが年に2・3回にまで減ってしまうことになるのでした…。

次のページ

HOME