青菅の称念寺から西へ向い、小竹川にかかる子の橋を渡り、先崎の台地に突き当たった 崖下に小さなお堂があります。 この中に石造の地蔵菩薩が奉られています。 像の高さは90cmの丸彫りで、一心に合掌する坐像の石仏で、 銘文は次のように刻まれています。 慶安三天(1650) 庚寅二月二四日 本願友野河内 奉造立庚申人数二五人 先崎村 石仏のなかでも、石地蔵・庚申塔は共に江戸時代によく造立され、 当地方でも多く見られます。堂の東側にも数基の庚申塔が建っています。 銘文をはじめ、これらのことから江戸時代前期において、この土地で地蔵信仰と 庚申信仰が習合されていたことを示す資料として、珍しい存在とされています。 また、現在でも地元の数人により講が持たれ、毎月24日には地蔵菩薩の真言を 謳え拝んでいます。 |
鷲神社は、古くから先崎村やその他近隣村々の鎮守として崇敬されてきたと考えられる 神社です。祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)です。創立の年代は不詳ですが、磯部昌言 (いそべまさこと)の「佐倉風土記」によると、承平7年(937)に朱雀(すざく)天皇の勅命に より慈恵僧正が創建したものといいます。 この鷲神社の本殿は、天保15年(1844)に建立されたものであり、この時の大工棟梁は 下高野村(現八千代市下高野)の立石菊右衛門藤原元隆です。 また、向拝柱の上り龍・下り龍や大江山退治の伝説を題材とした壁面の彫刻は、 上州勢田郡花輪(現群馬県勢多郡東村)の彫工星野理三郎政一の作であり、そのすぐれた 技巧には目を見はるもがあります。 この本殿の台座には、建立に際して奉納金を出した人の名前と村名が刻まれており、地元の 先崎村以外の近隣村々の人名も多い。 この事からも、鷲神社はかなり広い地域の人々の信仰を集めていたことがうかがえます。 |