対話形式になっていますので
できればセリフっぽく答えてもらえればおもしろいと思う
のですがどうでもいいです。

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観念を解き放つ100の質問



「はじめまして。名前はなんと言うんですか?」
  『はじめまして、セイヤです。よろしくお願いいたします』
「自分では何歳だと思ってますか?」
  『25歳ですけど、いくつに見えます?まぁ、精神的には幼稚ですけど』
「男と女どっち好きですか?」
  『そりゃ、男なんで女性。でも苦手だったりもします』
「最近面白い事あった?」
  『特になかったと思いますねー』
「かくれんぼする夢見たらドキドキしすぎて 精神的に疲れちゃったんですよ。起きたら」
  『変な夢見てますねぇ。まぁ、人の事は言えないけれど。でも、寝てるのに疲れてたら
  本末転倒ですね』
「夢って訳わかんないすよね」
  『そうですね。でも、潜在意識が関係してるとかも聞きますよねぇ』
「じゃあ将来の夢とかあります?」
  『夢つながりですか。。。残念ながら今の所は具体的には見つかってません』
「普通無いですよねぇ、そんなの」
  『でも、その夢を貫いて実現させた友人がいます。友人でいられたことは誇らしいし、尊敬してます』
「働いてるんですか?学生?」
  『どちらでもありません』
「腹減りません?何食べます?」
  『あまり食欲はなくって、一日一食で充分な最近です。でも、夕食が多いのでしっかり食べてはいますよ』
「何か間違ってるって感じる事あるでしょ?」
  『何もかもが正しい道を選べてたら、こんな世界ではないでしょう?』
「僕は教育が間違ってると思うんす」
  『正解なんてないですから。ゆとり教育にしてみたり、また教育改革を行ったり、その世代の子供はいい迷惑ですね。
  マニュアル通りではうまくいかないことだって、対処しきれないことだってあるだろうに・・・
  教育というより、教育者の教育からして単位や学力ばかり重視していたりで、それ以外の判断基準が
  難しいのもわかりますが・・・悪循環にしかならない危惧は在ります』
「あと戦争ね」
  『どうして武器を取り合うんでしょうね。不和に武器を持ち込んでも、報復に報復を重ねるだけ
  武力所持は他国への抑止力にはなりますが、それって本当に必要ですか?そのために他国も武力をもち
  より効果的なものへと、危険なものへと改良されてゆく悪循環。全世界で人間不信してるだけじゃないですか
  武器を手にするのに勇気は要りません。武器を捨てる勇気を持っていただきたいです』
「嘘だけど」
  『何が嘘なんですか?それだけでは理解できませんよ。間違っていることについてあげた例ですか?
  だとしたらそれはそれで別にいいですけど、聞いていてさえくれれば貴方がそのことを考えるきっかけになるかもしれない』
「ニュース見てて怒った事あります?」
  『ないです。なんか、呆れます。メディア通しちゃうせいか、僕にとっては現実感にかけてくるんですよね』
「僕はいっつもですよ」
  『そうなんですか』
「馬鹿とか思ったでしょ今」
  『いいえ、少し羨ましい。そこまで感情を知覚出来ませんし・・・』
「まぁいいけど」
  『別に否定的な印象は持ってませんけど・・・』
「どんな奴が馬鹿だと思う?」
  『知識を使いこなせていない人、かな』
「じゃあ頭良いと思う人はどんな?」
  『知識と知恵を併せ持ち、有効に活用できる人』
「じゃああなたも馬鹿の方でしょ」
  『どちらかといえばそうですね』
「頭良い人の例言ったから」
  『あの、答えを予測しすぎて質問考えてません?話かみ合ってない気がしますが』
「もしかしてこの程度でも失礼だとか思う方ですか?」
  『いいえ』
「おもしろい人ですね」
  『いいえ』
「馬鹿って言葉に反応する人は大抵馬鹿なんだって」
  『うーん、固定観念過ぎる気もしますけど・・・そう取れることも在るのでしょうか』
「つーかこの言葉使う時点で終わってるよねぇ」
  『滅多に聞かない言葉ではありますね』
「でも馬鹿って羨ましくなりませんか?」
  『さぁ・・・僕が定義したものとしてだと別に』
「なんかねぇ」
  『なんでしょう?というか・・・無理矢理質問増やしてません?』
「生きてる!って感じだよ。なんか」
  『あぁ、話が続いてるんですか?それは多分一面的な見方ですよ』
「僕はなりたくないけどね」
  『ならなければいいのでは?』
「結構固定観念に縛られてる方でしょ。なんか」
  『恐らく、そうだと思います』
「これは駄目とかこれはするべきとか言うでしょ」
  『昔はそれで自分を縛り付けていましたね・・・。今は少しましになりました』
「それって全部状況によって変わるもんですよ?」
  『そうでしたね・・・』
「ダセェと思わないの?その考え方」
  『別に。これが自分ですから。考え方にまで流行なんてあって欲しくないし、
  なくしたら僕か僕じゃなくなっちゃいます』
「じゃあカッコイイってどういう人よ」
  『考え方がですか?その、考え方にかっこいいとかかっこ悪いとか、それだって固定観念じゃないです?
  考え方って各々の価値観から出てくるものなんですから』
「だからそれも状況次第だってば」
  『話・・・かみ合ってませんってば』
「あなたの半径30センチの範囲だけで有効なの」
  『何が有効なんですか?さっきから言葉足らず過ぎますよ』
「それは本当にあなたの考えなの?」
  『どの点の考えを指してるのでしょう?まぁ、とにかく半々って感じでしょうか』
「どうせ誰かのをアレンジしただけでしょ」
  『そうですね。今まで色々影響を受けてきましたから、たくさんの方の価値観から学ばせていただき
  気づけたことなんだと思います』
「まぁそれしか無いんだけどさ」
  『そうでしょうね』
「でもあなたは良い奴だよ」
  『何処を判断してそう思うんですか?』
「この対話を続けてるんだから」
  『なるほど・・・。僕は予測どおりの答えを返す事が出来たんですね』
「普通嫌だったら止めるもん」
  『別に嫌ではないし・・・暇潰しにもなるし』
「まぁこれ読んでやらないって選択がすでに痛いけど」
  『何かを決め付けるのも固定観念になっちゃいません?』
「だって突かれたくない箇所があるって事でしょ」
  『そう言いきれます?単純に難解な質問が多かったりで疲れたり、面倒なだけかもしれません』
「ある意味サディストはやらないかも」
  『ある意味って便利な言葉ですねー。固定観念・・・とは指摘しきれなくしちゃえますもの』
「やってもすげぇ攻撃的とか」
  『かもしれませんが、そうしたらサディストは論理的思考が出来ないと決め付けてません?』
「誰に言ってんだっつーか」
  『ここで返す言葉って特に思いつきません』
「自分自身に言ってるって事すらわかってない」
  『僕も少し混乱してる気がしてきましたが・・・』
「結局ゆるい主観しかありえないでしょ。客観は無理で」
  『主観的にはなれてないつもりで生きてきたのですよね・・・でも』
「客観だって自分ならこう見るだろうって時点で主観ね」
  『この言葉で、これは主観と受け取ってもいいのかなと・・・少し。でも、これが正しいのかどうかの判断を
  ここだけではつけられないので、言われるままにコントロールされる気はないですし』
「その上他人からの負の評価は排除するしね」
  『それはあります。批判や拒絶、否定はもっとも怖いです。でも、それでも自分が間違ってる事に妄信的になるよりは
  例え負でも、評価してもらった方が自分のためなのかもしれません。問題はそれを受け入れられるかどうか』
「特に芸術家系の人だと」
  『いいえ』
「理論的?直感的?」
  『判断つきづらいですけど・・・こういう場合は理論的思考が動いてると思います』
「超俺主義じゃないと創作なんてできないよねぇ」
  『それも決め付けてません?』
「でもそれだと受手の求める物を提供できないよ」
  『自分でわかってらっしゃる。一部、提供できていない面はありましたね』
「自分の好きな物押し付けて受け入れられる訳ないよ」
  『押し付けはしませんし・・・自分のためにっていうものもありますから』
「そうそう。でもそれでいいとは思う」
  『この質問もそういうものなのでしょうかね』
「それで届くと信じちゃってる奴って痛いと思うけど」
  『その言葉・・・卑下するようで嫌いです』
「でも羨ましいけどね」
  『何が羨ましいんですか?・・・というか、答えてない、質問する側になってるのは何故・・・』
「羨ましいと思う奴ってどんなの?」
  『劣等感は強いですから・・・自分が出来ない事が出来る人にはほとんど常に』
「そうじゃなくて本当に羨ましいって思う奴は?」
  『質問の意図がわかんなくなってますが、また予測外の答えしちゃってます?』
「じゃあもしその部分を獲得しても自分だと言える?」
  『はい、言えます』
「じゃあそれが欠けてるとまだ自分とは言えないの?」
  『いいえ、欠けていても自分は自分です』
「人生は自分探しだとか思ってる?」
  『ちょっと違います。自己啓発と、生きる意味とその意味に宿る価値を問い続ける事』
「幸せそうだね」
  『恵まれているとは思います』
「見つからない物を探し続けるのは素敵だよ」
  『見つからないと言い切れるものなど何もないとは信じたいのですが・・・
  いや、信じるから探し続けられるのでしょうかね』
「癒しと一緒」
  『そうですか?』
「永久に解決しないまま温存されるんだから」
  『ごめんなさい、理解力足りないみたいです』
「でもいずれ無益だって気付いたらどうすんの?」
  『何も変わりません。こういう生き方じゃないと僕じゃないから』
「人生は物語が無いと生きていけない方?」
  『意図がよくわかりませんが、ある解釈においてはそうかもしれないです』
「それがウソ物語でも?」
  『まぁ、自分で定義づけただけなので、大きな視点で見ればうそかもしれませんね』
「空虚でしょ?」
  『いいえ。これがなくなったほうが本当の空虚になります』
「いつかしわ寄せが来るよ」
  『何に関してそうなるのですか?』
「現実と空虚のギャップから生じるつけが」
  『そういうものですか?まぁ、そうなったらなったでいいです』
「その時は自分なんてクズだと痛感する瞬間だよ」
  『そうですか。でも、それで潰れて終わるもよし。それを糧にして心を強く出来てもよし、です』
「生きる価値なんてあると思う?」
  『わかりません。でも、価値なんてないと思い込むことしか出来なかった昔よりはましです』
「あなたの命の質なんてかなり底辺だよ」
  『現状はそうですね』
「端的に無意味」
  『現状を言いえてると思いますよ』
「自殺した方が楽だと思う?」
  『楽かもしれませんね。でも死という恐怖に打ち勝てずにいますし、約束と、誓いがありますから
  それに、大切な人たちがいるから・・・安易に選びはしません』
「なんで自殺しないの」
  『あ〜。。。上に理由書いちゃいました』
「自殺した奴らは負け犬って事?」
  『いいえ』
「自殺と殺人選ぶとしたらどっち」
  『自殺』
「なんで人殺しちゃいけないんだろうね」
  『戦時中なんて罪悪感すらなかったでしょうにね。法律や道徳という洗脳?』
「それは違うだろ」
  『それでは、自分が殺されそうになった時、どう思うかを考えればいいかもしれませんね』
「あなたはどう思うかだよ」
  『あの・・・かみあってません』
「他人の言葉使って届くと思う?」
  『これは、他人の言葉になってしまっていますか?誰かが最初に使った言葉でも、
  自分で苦悩して出した言葉なら届きませんか?同一となってしまったらそれだけで無意味ですか?』
「楽するのが悪い訳じゃないけど今くらい本気で」
  『楽になんて答えていませんが・・・』
「他人って何だと思う?」
  『影響しあう、成長しあう存在であり、他人を通して自己を確認するような、時に鏡ともなる』
「僕もそう思うよ」
  『テーマが重めのはずなのに安直に100のうちの質問のひとつに組み込むのですね。
  上でどんな事を書いていても次にこんな言葉で同調する。それなら質問減らしてもよかったのでは?
  いや・・・こう書かせるのが狙いですか?』
「何か言い残した事もあるでしょ」
  『かみ合ってないところもあったし疲れました』
「僕に言いたい事は」
  『特にないです』
「僕を怒らすくらいの勢いでほら」
  『申し訳ないけれどあなた自身には興味ないので、言葉もないです』
「それがあなたの一番辛い言葉ですよ」
  『言いえているかもしれません。拒絶、拒否、否定と無関心・・・か、
  どちらが辛いかというと僕にはよく判断つかないですね』
「やっと正直になれたんじゃないですか?」
  『そうですか?』
「たまには本気になるのもいいと思いませんか?」
  『前の質問も重かったのでいい加減に取り組んではいませんでしたけど・・・』
「今まで答えた事が経験として蓄積されると思いますか?」
  『いいえ。今迄で気づく事はわずかで、ほとんどは既に僕の中にあったものですから
  唯・・・再確認するきっかけにはなりました。』
「そう思ってる内は駄目だけどね」
  『理由を説明していただけませんか?』
「いやぁとにかく楽しかったですよ」
  『りーゆーうーはー?(涙)はぐらかすなー!はぁ・・・、僕は疲れました』
「人は誰でも弱さ持ってるなぁってわかって」
  『何で質問者の方が納得して終わるですか・・・。まぁ、それはともかく僕も弱者ですよ』

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