高橋青年のステファン・グラッペリ物語

7「モントルー・ジャズ・フェスティバル」

 パリでの生活を始めた高橋青年でしたが、どうやってステファン・グラッペリと連絡を取っていいか分からず、悶々とした日々を過ごしていました。
 名刺をもらったからといって、世界的バイオリニストに、気軽に電話する訳にもいきません。
 「電話ではうまく話せないかも」という不安もありました。

 高橋青年は、名刺の住所を頼りに、何度もグラッペリの家の前まで行ってみました。
 グラッペリは、モンマルトルの丘のふもとにあるアパルトマンの最上階に住んでいました。
 突然訪問してみようかとも思いましたが、やはりそれもできませんでした。
 なんとか自然な形でもう一度会えればと思い、高橋青年はチャンスを待ちました。

 そうこうしている間に、2ヶ月が経ちました。
 語学学校が夏休みに入ったので、二人は旅行に行く事にしました。
 今回は、スイスとオーストリアをまわる予定でした。

 パリを出発した二人は、スイスのレマン湖のほとりにある、モントルーという街にやって来ました。
 ちょうどその時、モントルーでは、世界的な音楽祭「モントルー・ジャズ・フェスティバル」が開催中で、たいへんな賑わいでした。
 フェスティバルの予定表を見ていた高橋青年は、2週間後にステファン・グラッペリが出演する事を発見し、大喜びしました。
 「また楽屋にお邪魔して、パリに住み始めた事を伝えよう!」と思った高橋青年は、すぐにチケットを取りました。

 二人は旅行を続け、オーストリアのウィーンまで行き、2週間後にモントルーに戻って来ました。
 そして、グラッペリのコンサートを聴き、コンサート終了後、楽屋に向かいました。
 ところが、モントルー・ジャズ・フェスティバルは警備がとても厳しく、ステージ裏に入る事すらできませんでした。

 どうしようもなく、あきらめてパリに帰ろうとした高橋青年でしたが、どこかでクレジットカードを紛失している事に気付きました。
 グラッペリにも会えず、クレジットカードも無くした高橋青年は、かなり落胆してパリに辿り着きました。

つづく

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