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岡ちゃんエッセイ

 ここでは,岡ちゃんが過去に書いたエッセイや秘密基地を運営するに当たって考えていることなどを,自分の考えを整理する意味で掲載します。岡ちゃんブログや学園の文集などで既出のものもありますが,とりあえずここに集めておきます。
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初夏









待てない人々
価値観の大転換
散りゆくサクラに
職人が好きだ!
野の花を愛でる
がらくた博士の言い分
カリスマティーチャー岡田の特別講義U
金では買えないもの
ドクター岡田の特別講義
なぜ,白衣を着ているの?
何にも仙人の独り言
手つかずの自然の中で
2012
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2011
2011
2011








初頭



教職人
師』のつく仕事
教育は強制か?
見ると観るは違います。
LEDという免罪符
頭がいい人
自利利他
教師という仕事
経験主義と系統主義
我利我利亡者
Q.O.E
教育の質って何でしょう?
一行にしかず
教職人
私は教師は職人であるべきだと思っています。
言うなれば『教職人』です。

まず子どもの性格や能力を見抜くという技が教職人は必要です。この技を得るために必要なのは教師としての天性の能力と経験から培った勘です。
 前者は生まれ持った教師のセンスと言っても良いと思います。ずいぶん多くの若い先生を指導した経験から言うと,このセンスの善し悪しはその人の指導力に大きく影響します。では,センスをあまり持ち合わせていない人は教師になれないかと言うとそうではないと思っています。後者の,経験を積むことで体得できる教師勘は誰でもある程度のレベルまでは伸ばすことが出来るからです。逆に言うと天性のセンスを持っていても教師勘を磨く努力をしなければよい教師にはなれないと思います。

ではどうやって教師勘を伸ばすか?
 職人は目利きの力を養います。料理人は食材の善し悪しを見抜き,癖を知り,その持ち味を引き出しておいしい料理を作ります。細工職人も材料の善し悪しを見抜き,癖を知り,材料の持ち味を生かして製品を完成させるのです。

 教師だって同じです。子どもの長所短所を見抜き,性格を知り,その持ち味を引き出してその子どもが最も活躍できる道を方向付けていくのです。だからこそ経験を積んで子どもを観察し,見抜く目を養わなくてはならないのです。

 何十年経験を積んでも,子どもを見抜こうとせず,ただ決められた内容を教え込むことだけをやってきた教師にはこうした能力は体得できません。

 子どもを徹底的に観察する。これって難しいです。私は教師生活のうちの10年間,発達障害児の指導に当たってきました。本当に大変な仕事でしたが,その中で子どもを徹底的に観察するという技術や目をある程度養うことが出来ました。毎日,子どもを観察し記録をつける,行動を分析しその原因を探る,対処法を考え実践するという仕事を繰り返すうちに,子どもを見る目が変わってきました。

教師は勉強を教える仕事が主ではありません。人を育てる仕事です。その辺を見失って目先のテストの点数を追いかける成績主義に陥ると,子どもの人間性を育てることがおろそかになります。これが一番怖いです。

 日本の社会を安心して豊かに暮らせる社会にするためには,こうした視点で人を育てることが一番大切だと思うのです。

教職人の技で磨き上げた素敵な人間が増えていくことを心から願っています。
2012年春
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『師』のつく仕事
親しくさせていただいている林業家のKさんから『空師』(そらし)という職業があるという話を聞きました。『空師』とは高い木に登り,枝を払ったり伐採をしたりして森を整えていく職人のことです。

 いい言葉だなぁと思います。なんて美しい言葉だろう。日本語って良いなぁとつくづく思います。

 実際にKさんの元で働く空師のUさんの仕事を見せていただきました。するすると木に登り,きびきびとした動きで枝を払い,木を切り整えていく仕事ぶりを見て空師という言葉に相応しい美しさと見事さに感動しました。

もともと『師』と言う言葉にはものを教える師匠という意味以外に『専門家』と言うような意味もあります。いわばその道の職人。

職人を表す言葉だけでも,

挑文師(あやとりのし),筏師,鋳物師(いもじ,いものし),打ち物師,絵師,絵仏師(えぶっし),御物師,飾り師,画師,鬘師(かずらし),型師,甲冑師,釜師,瓦師,木地師,木屋師,経師,具足師,琴師,駒師,指物師,鞘師,下地師,銀師,陶物師,錫師,摺り師,染師,空師,丹師,茶師,茶筅師,茶染め師,研ぎ師,庭師,縫い師,塗師,土師,旗師,花火師,檜物師,表具師,仏師,筆師,包丁師,彫り師,焼き物師,山師,槍師,弓師,理髪師,漁師,猟師,轆轤師(ろくろし)

などなど,まだまだ出てきそう。

私はすでにあちらこちらで書いたり,喋ったりしてきましたが,教師も職人だと思います。『きょうし』といわず『おしえし』と言った方がかっこいいかな。
現代の教師はサラリーマン的になったと言われます。その原因の一つは決められた内容を決められたとおりに指導することを教師の資質として要求されるようになったからだと思います。

言ってみれば,教える内容を教師が咀嚼し,その教師の人間性を加味して指導することは罷り成らぬと言った風潮が大勢を占めるようになったからです。

教え子達からよく言われることがあります。

『勉強した内容はあまり印象に残っていないけど,先生が授業中に脱線して色々話してくれたことは今でも覚えているよ。』という言葉です。私は授業中によく授業の本題から離れて別の話を延々としていました。それは子どもたちの成長にとって大切だと思う話は機会を捉えて話しておく必要があると思ったからです。

昔はよくそういう先生がいました。そういう先生の話が楽しみだったものです。

いろいろな生き方をしてきたいろいろな先生達の話を聞くことで,いろいろな価値観に触れ,視野を広げ,考え方の幅を広げていくことはとても大切なことだと思います。自分の失敗談も含めた生きていくうえで参考になる先生の話は教科書のどんな学習より大切だと思うのです。

そして,そういう話が出来る話術を持った人が本当の『教師』だと思うのです。
2012年春
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教育は強制か?
今,注目の的となっている市長さんが『教育は2万%強制だ!』と言ったとか。

彼らしい刺激的な言葉で議論を巻き起こし,敵対関係を作ることで反対分子を攻撃するというやり方だなぁと私は思っています。

正直に言うと,私も教師に成り立ての頃,教育は強制なんじゃないかなと思っていました。
だって,教育目標というものを設定し,この目標に合うように子どもを指導していくからです。押しつけという点で言えば強制と言われても仕方がないのじゃないかと思っていたのです。優れた教師は強制しているにもかかわらず,子どもにそれと感じさせずに指導できる技術を持った教師だと考えていました。

しかし,30年以上の教師生活の中で,それは間違いだったと考えるようになりました。

障害児教育に長く携わったことが,私の考えを変えてくれたのだろうと思っています。

教育を強制と考える人の多くは,気が弱い子,意欲のない子,学校に来ない子,自分の考えが言えない子,先生の言うことをきかない子など強制に従わない子どもをダメな子,腰抜け,根性なし!と言って叱咤しますが,決してその子を伸ばすことは出来ません。要するに,教える側の価値観に合わない子はダメな子として切り捨てていくというやり方です。

私は,どんな方法を使っても伸ばすことの出来ない子を伸ばしてみせると言う思いで教育に取り組んでいました。だから私の視点は全然違うのです。

私は私の経験を元に断言します。

教育は強制ではありません。教育は人を輝かせる職人技です。
2012年春
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見ると観るは違います。
教員時代に子どもたちに必ず話してきたことに『見ると観るは違うよ!』という話があります。

子どもたちを連れて外を歩いていると,いろいろなものを見ます。しかし,どんなものを見てきたかを後で尋ねるとまったく思い出せないことがままあります。それは見てはいるけど観ていないのです。
すなわち,観るというのは観て理解すること。自分の思考や感覚の中に取り込むことなのです。

だから,外を歩いてきて何も思い出せない子どもたちには,君は見てはいたけど観てなかったんだねと指導します。

観察という言葉も一緒に指導します。観察とは観て察すること,すなわち観てそのものが,どんなものであるかどんな特徴があるのかといった様々な情報を察するのです。

こういう話をした後,カメラを持たせて外を歩くと,子どもたちの目が変わります。観察しようとして歩くから以前の何倍もの情報を取り入れ,カメラで撮影することによってさらに観察を深めます。

こんな指導が私は大切だと思っています。

理科の指導の中で観察スケッチを描かせる指導がありますが,私はほとんどやっていませんでした。単なる記録ならカメラで撮ればたくさんだからです。
それより,子どもは絵のうまい下手にこだわり,観察がおろそかになりがちになるほうがマイナスと考えるからです。絵の下手な子にとっては観察スケッチは苦痛なのです。
2012年春
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LEDという免罪符
 急速に白熱球からLED照明に切り替わりつつある今日この頃。私にはちょっと気に入らないことがある。それは原発問題をきっかけに電気の節約が国民的な課題になってきたにもかかわらず必要以上にエスカレートするライトアップやイルミネーション。
何でそんなに明かりをつける必要があるの?防犯目的などで必要な最低限の明かりじゃダメなの?

夜桜見物はライトアップを楽しむものじゃないはず。わずかな明かりの中に桜の花がぼんやり浮かび上がってこその夜桜なのだと思う。煌々と明かりをつけて乱痴気騒ぎをするものじゃないはずなのだ!

このエスカレートに免罪符を与えているのがLED。いやLEDが悪い訳じゃない。LEDを使っていれば電気の節約に協力していますよ〜。エコですよ〜。と呼びかけてLED製品を売るメーカー。LEDでエコに協力している姿勢をアピールしながらもイルミネーションやライトアップを売りに人を集めたい商業施設や観光スポット。そして,何よりも過剰なまでのライトアップやイルミネーションが美しいと集まってくる人々。
LEDだって電気は食うんですよ〜。消費電力だってたかだか3分の1〜4分の1程度に減るだけなんですよ〜。その分LEDを増やしていれば同じなんですよ〜。
これをやってるから何基もの原発が必要なんですよ〜。

夜は闇を楽しむものだ!

闇の中では人は不安になる。だから体を寄せ合い,互いを守ろうとする。互いを見失わないために,手を携え互いの息づかいをきく。危険が及ぶのを察知するため耳を澄まし無言になる。闇は人と人との絆を深めるのだ。

そして,自らの住処にたどり着けば後は寝るだけ。夜は本来寝るときなのだ。

日本中の必要以上のライトアップやイルミネーションを減らせば,原発を無くしてもきっと大丈夫じゃないかと思う。
2012年春
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頭がいい人
教員時代,子どもたちと話していて一番困ったのは,勉強のよくできる人=テストの点がいつもいい人=頭のいい人という図式が子どもたちの価値の中にできあがっていることでした。
そして,テストで良い点が取れない自分を卑下したり,投げやりになってしまう子どもとも,たくさん接してきました。

私はそんな子どもたちに,いつも『それは違うよ!』と話していました。

本当に頭のいい人は,人の痛みの分かる人なのだということを言い続けてきました。

どんなにテストの点がよくても,人の痛み,人の心が分からない人はダメな人なのだと言うことを繰り返して話してきました。

この思いは今でも変わりません。

困っている人,悲しんでいる人,悩んでいる人…そんな人にそっと寄り添い,受け止めて支えてあげることの出来る人,他人のために知恵を絞ることの出来る人が本当に頭のいい人だと思うのです。

ニュースなどで報道される日本のリーダー達を見ていると,本当に頭のいい人が何人いるのだろうと思ってしまいます。やっぱり,勉強のよくできる人=テストの点がいつもいい人=頭のいい人という図式の中で育った人が多いのではないでしょうか
2012年春
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自利利他
私の好きな仏教の法話の中に極楽と地獄の食事のお話しがあります。

ご存じの方も多いと思いますが,一応あらすじを書いておきます。

ある人が、地獄と極楽の見物に出かけました。

地獄はちょうど、昼食時で、骨と皮にのようにやせた地獄の住人たちが集まってきました。
地獄なのだから食べ物もろくにないのかと思っていましたが,食卓には山海の珍味がたくさん並んでいます。

ところが地獄の住人達はそれを食べることが出来ないのです。それは、地獄の箸が異常に長かったから。
箸が長すぎて食べたくても食べられず苦しむところが地獄なのです。

 次に極楽をのぞいてみたところ、やはり,ちょうど食事時でした。

極楽の住人たちは決してやせ細ってはいません。みな食べたいだけ食べることが出来るのです。
地獄と同じように山海の珍味が食卓には並んでいます。きっと極楽の箸は短いのだろうと思ったら、箸は地獄と同じように長かったのです。

では,どうして食べ物を食べることが出来たのでしょうか?

極楽の住人は,地獄と違って,自分では食べないのです。箸でつまんだ食事を向かいの人に食べさせてあげているのです。

この話は仏教の自利利他の教えに基づくお話しです。

私はこの話が大好きです。私の今やっていること,これからやろうとしていることの原点になっていると言っても過言ではありません。
2012年春
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教師という仕事
病を得て私は教師という仕事について改めて考えています。

正直に言って教師として働いていた32年間,私は大きなストレスと闘っていたと思います。

最も大きなストレスは,自分の教育的価値観と公教育の価値観が必ずしも一致していなかったこと。これには悩みました。学校という組織で働いている以上,その組織で決められたやり方には従わなくてはなりません。しかし,私の教育に対する考え方はどちらかというと異端の部類に属していましたので,この矛盾に悩まされたのです。

定年前に教師を辞めようと思ったのも,これが最大の原因です。

そして,大変だったのは子どもたちにいつも笑顔で接すること。叱るとき以外,私は努めて笑顔で子どもに接してきました。かわいい子どもたちを見ていると自然に顔がほころぶので,笑顔になること自体は簡単なのです。何が大変かというと自分の感情をコントロールすること。

私だって人間ですから,辛いとき,悲しいとき,苛立っているときなど感情は常に変化しいます。しかし,それをダイレクトに子どもに伝えてしまってはプロとしては失格です。

よくお笑い芸人は悲しいときでも,人を笑わせなくてはならないから辛いと言いますが,私は教師も同じだと思います。子どもを不安にさせない,子どもにいつも安心感を与える。これは大切なことです。教師として子どもに接している以上これが出来なくてはならないと思うのです。

出張などで子どもたちとしばらく離れていて帰ってきたとき『やっぱり,岡ちゃんの顔を見るとなんか安心するなぁ。』と子どもたちが言ってくれたときは,それはそれはうれしかったです。私はそうありたいと努力してきたからです。

昨年の大震災など,大きな困難に直面したとき自分の担任の先生の顔を見たら,いつもと同じ穏やかな顔でいてくれたら子どもたちはどんなにか心強いでしょう。教師の顔は子どもの心の支えになるのです。
だから私は顔も教師の商売道具だと思うのです。ヒゲを生やし続けていたのもそんな理由からでした。

こうして,様々なストレスと闘ってきたことに悔いはありません。ただ,今回,病を得た原因の一つには,これがあると思っているのです。
2012年春
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経験主義と系統主義
最近,デューイの本を読んでいます。

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デューイの考えにふれるのは学生時代以来ですから,すっかり忘れていました。
デューイはアメリカの哲学者です。100年以上も前の人ですがその主張はちっとも古くさくなっていません。


私の考えている『体験こそ真の学び』という考えは,デューイの考え方につながるものだと言うことを,本を読みながら改めて感じました。

デューイに学んだと言うよりは,永年,教育に携わってきて気がついたらデューイの考え方にたどり着いたという感じです。

デューイの経験主義教育の中身もしっかり理解できないまま教育に邁進してきて,試行錯誤を重ね,初めてデューイの言っていることが分かったというのが正しいかもしれません。

日本の教育は明治の教育制度の確立以来,はじめは経験主義から始まりました。しかし教科ごとに系統的に教えることが教育効果が上がるという系統主義が台頭し,長い間二つの主張の間を埋めることが出来ず振り子のように揺り戻しを繰り返してきました。

つい最近も総合的な学習の時間が導入され経験主義的教育に振れたとたん,学力の低下を招くという風潮が広がり,また系統主義に揺り戻しがありました。

私は経験主義がすべてだとは思っていません。ただ系統主義的教育では,その内容に合った子どもたちにはよいのですが,その教育内容とは違った特性を持った子ども,まったく異質な考え方を持った子どもは行き場をなくしてしまうと言うことが考えられます。また,教育内容と実生活とがかけ離れる傾向も軽視できません。

体験を通して学ぶというやり方は子どもを選びません。その子の考えやものの見方を拾い上げながら教育していくことが出来るからです。また,実生活に直結する生きていく力をつけるという意味でも,経験主義に基づいた問題解決学習や生活単元学習の価値をもっと見直す必要があると思うのです。

現代は社会構造や産業構造からしても,系統的に学び同じ知識や考え方の出来る子どもが多い方が都合がよくなっています。組織を動かし,効率的に生産力を向上させるのに好都合だからです。

私は他人とは違う変わった子が大好きです。
そういう子の力を伸ばしてあげたいと心から思います。

経験主義の良いところをもっと今の教育に生かしたい!
だから私は教育界のスキマ産業として岡ちゃん秘密基地とオルタナティブスクール『SECRET BASE』をやっているのです。

デューイの考え方に触れその意を強くしている岡ちゃんであります。
2012年初頭
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我利我利亡者
昨日,震災の特番を見ました。(長かったので途中でちょっと居眠りしちゃったけど)
初めて見る映像も多く,改めて津波のすごさを実感しました。

そのなかで愛する人たちを救うため命を投げ出す人々の記録,いや愛する人だけではなく見ず知らずの人を助けるために自分の命をかけた人々が多く,胸が熱くなりました。

こうした利他を優先した人がいる一方,安全なところにいてコンピュータの画面の前で指示だけ出している偉い人もいる。我利我利亡者という言葉が頭にひらめきました。

実際,この国を動かしているのはそんな人たちではないか。

こうした人たちのの傲慢さや我利我利亡者ぶりを批判する人はたくさんいます。だけどそうした人たちを作り出している日本の教育システムに言及する人が少ないんじゃないかな?

『受験』というシステムが続く限り,国の中枢を担うこうした人たちの基本的な価値観は変わらないと思います。

人より良い成績をあげることが受験を勝ち抜く唯一の方法だからです。他人のために頑張るという教育をしていないのです。他人のために頑張ることが,巡り巡って,結局自分のためになるという考えが出来ないのです。

そして受験というシステムに群がり金儲けをする別の我利我利亡者達が,このシステムを変えさせまいと必死で圧力をかけ,マスコミを動かし世論を誘導していくのです。

日本が生き残る道は受験というシステムを変えなくてはならない!
私はそう思うのです。
2011年冬
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Q.O.E
Q.O.Lという言葉が一時期クローズアップされましたよね。福祉や医療の現場で注目された考え方です。
ご存じかとは思いますが,Quality Of Life(生活の質)という意味です。

それまで医療や福祉の世界では生活の質と言うところまで考えが及ばず,医療はただ病気を治すだけ,福祉は不自由な人の不自由な部分を緩和すればいいと言う考え方だったのです。
だから,病気さえ治れば寝たきりでも可としていました。福祉の世界でも必要なら薬物を使って問題行動を排除しようとしていました。

実際,私も養護学校に勤務していましたが問題行動のある子には医師の指示で鎮静剤などの投与も行われていました。鎮静剤を使うとおとなしくはなりますが,ほとんど昼間でも眠くなる状態だったので,とても生活しているという状態ではありませんでした。

しかし,考え方は大きく変わりました。いかに人間らしく生活させるかという目標設定で患者さんや対象の方に接することが一般的になってきたのです。

教育の世界でもやはり同じだと思います。

言うなればQ.O.E Quality Of Educationが大切だと思うのです。

たとえば算数で計算を教えるとします。計算のやり方を教え答えを求める。そこまでを教えるのであればそれほど高いQualityはないと思います。

その計算のやり方を生活の中で使えるようにするのであれば少しQualityがあがります。

もっと高いQualityを目指すのであれば,その計算を利用してさらに広い範囲の学びへとつなげていきます。そして,総合的に子どもを成長させていくのです。そのためには指導の中に様々な指導を巧妙に組み込み,多くの学びを上手に紡いでいかなければなりません。

それが出来る人こそがプロの教師です。

今の教育界にそれが出来る人がどれくらいいるのでしょうか?
2011年冬
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教育の質って何でしょう?
私はここのところずっと考え続けています。それは教育の質って何かと言うこと。

教育の目的が子どもを教えはぐくみ,人間として成長させ多くの人の幸せのために働くことの出来る人間になれるようにすることだとすれば,今の教育のあり方は果たしてこれで良いのかと思うのです。

目先のテストの点数や偏差値を高くすることが,あたかも教育の目的であるかのような大きな流れが…?

OECDという経済協力開発機構が行う学習到達度調査PISAというものがあります。この調査で得点が下がったということで大騒ぎになりました。だからゆとり教育は失敗だったということになりました。

ホントにそうなのかな?

たしかにゆとり教育はうまくいっていなかったと思います。それはゆとりをどう扱うかが分かっていなかったからだと思います。浮いた時間を有効に使う社会教育や地域社会などが未成熟だったからだと思うのです。教育はすべて学校にお任せという社会の構造に問題があるのじゃないかと思うのです。



もしロボットティーチャーが出現したらどうでしょう?
たぶんテストの問題を答えるだけの指導なら,きっとロボットティーチャーでも出来ると思います。間違いを指摘し説明し,もう一度やらせることも出来るでしょう。精巧なロボットティーチャーなら正解したら子どもを褒めることも出来ると思います。もしかしたらPISAの得点をあげるのならロボットティーチャーでも出来るかもしれないのです。

じゃ人間の先生はどこが違うの?
人間じゃなきゃ出来ないこと。それが教育の質の問題なんじゃないかな?

そんなことをずっと考え続けているのです。

2011年冬
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一行にしかず
最近TVなどで良く紹介されるようになった客家(はっか)という中国の民族に伝わる教えの中に『百聞は一見にしかず,されど百見は一行にしかず』という言葉があります。私はこの教えに初めてであったときに『我が意を得たり!』と膝を打ちました。
 かんたんな言葉に言い換えれば『百回聞いたことより一回見た方が物事はよく分かる。だけど百回見ることより一回やってみることの方が物事はよく分かる。』という意味になります。これって私がずっと訴えてきたことなんです。この言葉は今日の日本の教育界が抱えている課題なのだろうと思います。

今回の震災以来,何度となく『想定外』という言葉を聞きました。この言葉も私流に言い換えてみると『教科書(マニュアル)に書いてない。』という意味になります。
 今日の日本のリーダー達の多くは受験戦争という戦いを乗り越えて地位を築いてきました。言い方が悪いかもしれませんが他の人と張り合って,なんとか自分が上に行くことを考えてきたのです。そこにある価値観はいい学校に入って,有利な就職をし,安定した生活を築いて不安のない老後を迎えるという価値が基本です。だから極端に言えばこうした考えの人々に他の人の幸福を考える余地などないと思うのです。そんな育ち方をした人たちたからこそ人の痛みが分からず,平気で逆なでするようなことを言ったりやったりするのです。
こうしたリーダー達を育ててきた教育は紛れもなく教科書にある問題を正確に答えることだけを要求し,そこで高得点をあげた者を評価するというシステムでした。そして,今も基本的にこのシステムに変更はありません。むしろ体験を重視した前回の指導要領改訂に失敗というレッテルを貼り,再度競争を創り出そうという動きさえ感じられます。こうした動きは,子どもたちの競争をあおることで膨大な利益を得る教育産業の陰が見え隠れしています。

今回の震災での不手際ぶりを見ていると,現場を知らない,やってみたことすらない幹部の人たちが慌てふためいているようすが,図らずも露呈してしまった感じがします。私の勝手な想像ですが東電や原子力保安院の幹部の方達,政府の関係者の様子を見ていると,この人達はバルブ一つ締めることが出来ないのではないかと思ってしまうのです。

今からでも遅くはないと思います。早く体験重視の教育に切り替えていくべきです。
始めに教科書ありきの教育に決別すべきです。体験したことで生まれた疑問や問題を解決するという形で教育を進めていくのです。

 医者が薬を渡すときに何の説明もせず,とにかくあなたの病気が良くなるのだから指示通りに飲みなさいといっても,何に効くのか分からないで薬を飲むということには大きな抵抗があるでしょう。しかし,教育の世界ではともかく教科書にあることは大切なことですから覚えなさいと問答無用のやり方で教育しています。ですから何のための勉強か分からずにただ答えを出すことに一生懸命になる子どもたちが増えてしまうのです。そして,何のための勉強かを必死で考える子は,今の教育になじめず学校へ行くことをやめてしまうのです。
 こうして大人になって,教科書になかった事態が発生したときには何も出来ません。ただオロオロするだけなのです。目の前の出来事を冷静かつ的確に分析し,いくつものアイデアを積み重ね,刻々と変わる状況に柔軟に対応する力こそ今求められているのです。

今回の震災は,有能なリーダーを育てられなかった日本の教育界の弱点もさらけ出してしまったように私には思えるのです。
2011年春
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待てない人々
最近,待てない人々が増えている。
 かく言う私も実は相当なせっかちである。だからコンピユータの起動が待ちきれない。アプリケーションの処理速度が遅いとイライラする。要するに本来速くあるべきもの,速さが要求されるものに対しては寛容ではないのだ。これが現代なのだと思う。現代は一分一秒を争う世界なのだ。ビジネスの世界においては秒単位で状況が変化している。コンピュータやインターネットなどの発達により,こうしたことが可能になった。実にありがたいことだ。インターネットを通じた通信販売などは注文した翌日には商品が届く。リアルタイムの情報が自由に手にはいる。しかも無料で。本当に便利になったものだ。
 しかし,こうした便利さと引き替えに失ったものがある。『待つこと』である。待つことができなくなった人々はイライラする。だから待てない人が多くなった今,社会全体がイライラしている。車を運転しているとヒステリックなクラクションの音をしばしば耳にする。待てない人の発するイライラの音だ。ギスギスした空気が流れる。現代社会に蔓延しているストレスの一因は,待てないことのもたらす結果ではないかと思う。

 待てない社会でもっとも割を食うのは子ども,お年寄り,そして体の不自由な人である。私は子育てに携わってきたおかげで待つことを覚えた。4人の我が子の子育てにじっくり取り組んだおかげで,子どもと付き合うことの本質は待つことだと考えるようになった。体の不自由な子どもたちの指導にあたってきたことで,成長すると言うことは毎日のわずかな成長の積み重ねだと言うことが身にしみた。そして,年老いた両親からお年寄りが最も気にしているのは,もたもたしていて周囲に迷惑をかけていることへの気兼ねであると気づかされた。現代社会は本来速さを要求すべきではないものに対しても寛容ではないのだ。
 横断歩道を渡りきれず,道の真ん中でオロオロしているお年寄りを見るたび,私は日本の社会の待てない体質に暗い気持ちになるのである。

 児童虐待のニュースが連日のように流れる。私は待てない親が増えたなと思う。子育てはじっくり時間をかけて一つ一つ教えて行くことだ。小さな成長の積み重ねなのである。即答えが出るわけではないのだ。同じことを何度も何度も教えてやっと身につくものなのだ。しかし,待てない親たちは一度言って子どもがうまくできないとイライラする。これは子どもが悪いと身勝手に判断する。イライラしながら教えるから子どもはますますできなくなる。親は子どもに対する憎悪が増長していく。こうして悪循環に陥る。児童虐待の本質は待つことを身につけてこなかった親の未熟さなのである。

 反面,平気で待つことができているケースもある。例えばおいしい料理を出すお店の前では平気で何時間も行列をする人々がいる。ディズニーランドなどでも何時間も待ってアトラクションに入館する光景が当たり前のように見られるようだ。要するに待つことの代償として自分にとって価値の高いご褒美が得られれば待てるのである。
 ちょっと情けないと思うのは私だけだろうか。自分にとって得か損かが待つことの判断基準だとしたらあまりにも情けないではないか。なぜなら待つことは本来,周囲への優しさからでなくてはならないからである。

 自然と向き合うことは待つことを覚える絶好の機会である。例えば畑で野菜を作ろうとすれば,種を蒔き毎日の成長を楽しみにしながら何ヶ月もかけて収穫の時を迎える。決して種を蒔いたら数時間で食べられるわけではない。すぐに成長しないからと言ってイライラしたりすることもない。ただひたすらその成長を楽しみに世話をするだけなのである。
 もの作りも同じだ。お店で買えば簡単にすぐ手に入るものを一から手作りすれば,当然時間がかかる。できあがって使えるようになるまでには,たくさんの手間と時間が必要なのだ。だからこそ,できあがったものには愛着がわくし,大切にしようという気持ちも芽生えてくるのだ。そして,使えるようになるまで我慢強く待つことが,そんな気持ちをさらに強いものにしてくれる。
 スローライフという考え方が注目されて久しいが,こうした考え方が出てくることは至極当然なことと思える。今の世の中が慌ただしすぎるのである。遅いことを罪悪視する風潮が蔓延しているのだ。

 岡ちゃん秘密基地は極力ゆったりした空間にしたいと思っている。慌ただしく時を過ごすのではなく,じっくりゆっくり楽しんでほしいと思うのだ。それこそが,最も贅沢な時間の使い方なのだから…。
2010年春
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価値観の大転換
 最近の世界情勢を見ていると,アメリカに代表される価値観=たくさん努力してお金持ちになることが人生の最大の目的!というような価値観が変わってきていると思います。努力して勉強し,いい学校に入って,いい会社に就職し,エリートとして世の中を動かし,そこそこお金を稼いで物質的な豊かさを享受することが理想的な生き方みたいな価値観が揺らいでいると思うのです。

お金持ちになること,他人よりいい生活することが人生の成功者なのだというアメリカンドリーム的価値観の下,選りすぐりのエリート達が築き上げてきたのが今日の世界の豊かになったと言われる社会です。それが見事に崩壊したのが昨年からの経済危機でした。金儲けのためには手段を選ばない体質が今日の不況を生み,環境破壊を生み,格差社会を生み,飢えや貧困を生んできたのです。そういう教育をしてきた教育現場ももっと叱責を受ける必要があります。
まさに20世紀はそうした時代だったのです。

時代の寵児としてもてはやされた堀江貴文氏は『稼ぐが勝ち』と言いました。稼ぐことが勝ちで稼がないことは負けと言ったこうした価値観はまさに20世紀を象徴する価値観だと思います。

時代は変わりました。もはや競争を勝ち抜くことが価値ではありません。
世界中の人々,いいえ生きとし生けるものすべてとともに地球環境を守り,分かち合って生きていくことが大切なのです。これからの次代を担う子どもたちにはそういう目で世界を見て欲しいのです。

だから教育も変わらなくてはなりません。なのに新学習指導要領は相変わらず20世紀の教育的価値観を引きずっています。情けないです。ダイナミックな変革が必要なのです。

『地球科』『物づくり科』『共生科』『伝え合い科』いくらでも考えられるではないですか。
なぜいつまでも,国語,算数,理科,社会等々なのですか?

教師を辞めた今,そうした変革のできない教育界が歯がゆくてなりません。
2009年初夏
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散りゆくサクラに
 やっと満開になったなぁと思ったら,もう桜が散り始めました。
一度どこかで書いたと思いますが,私は散りゆく桜が一番好きです。
ただ単に舞い散る桜が美しいと言うだけでなく,その潔さに日本人の美学を感じるからです。

ちょっとえらそうなこと言わせてもらいます。

 私が教師を辞めようと思ったのも,この美学を貫きたかったからです。正直に言うと学校という現場で長く働いてきて,最近はずいぶん教えたくないことを教えなくてはならないことが多くなってきてしまいました。公教育の枠組みの中に自分がなじめなくなってしまっていたのです。

 総合的な学習が導入された10年前…。私は小躍りして喜びました。ついに私の時代が来た!と思いました。教科の枠にとらわれない教育こそが本当は最も大切と思っていたからです。総合的な学習の指導内容を考えるのはそれは楽しい作業でした。ところが時代の流れは常に揺り戻しがあるものです。今度の指導要領改訂では総合的な学習は大きく後退しました。英語の導入とともに時間数も削減されました。

 そして私は,もうこうした時代の流れに付いていくことが辛くなってきました。私は私の求める教育を続けていきたかったのです。だから,辞めてネイチャースクールの指導員になろうと決断しました。学校にもう未練はありません。
先生を辞めるときは潔く…とずっと思ってきました。だから,目黒区興津健康学園が閉園になるこのときが一番いいタイミングだと考えました。正直,これからの生活を考えると不安がないわけではありません。周囲の人々からも,もったいないという声を多く聞きました。

それでも,最後ぐらいは自分の散り際の美学を貫きたかったのです。

 最後にそんな私の決断に快く賛成してくれ,そして32年間の教員生活を支えてくれた私の妻に心から感謝したいと思います。
2009年春
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職人が好きだ!
 私は職人技を見るのが好きだ。テレビで職人技を紹介する番組などをやっていると,ついつい見入ってしまう。その技のすばらしさもさることながら,職人の生き方に共感するのだ。どちらかというと目立つことを好まず,ひっそりと仕事をしているが,その作り出すものには強いこだわりがあり,妥協を許さない。そういう一徹さが好きなのだ。

 実を言うと私の先祖は江戸の指物師だったそうだ。江戸指物といったら文机や小物入れなどあまり大きなものではないが,木工の技術の粋を集めて作った小さな木製品である。 金釘を一本も使わず,ほぞ組だけで仕上げてあるところも,そしてそのほぞが見えないように加工してあるところもいい!自分の技をひけらかすことなく,ものすごい技を目立たぬようにしてある奥ゆかしさがいい! 拭き漆で仕上げた文机など,木目が見事に生きていて,息を呑む美しさである。

 私は職人的な教師にあこがれている。職人のような教師になりたいと切望しているのだ。職人教師はちょっと見ただけで子どもの性格や気質を見抜き,その良さを殺さぬよう,秀でた部分をより伸ばしながら育てる。さりげない存在感で,さりげなく子どもを包み込み,それと気づかぬうちに子どもが変わっていく。そんな技を持った教師になりたい。
 ちょうど,職人が木の癖を見抜き,その美しさを殺さぬように,さりげなく加工し,卓越した技術を密かに作り込んで,より美しい作品に仕上げるのと似ているではないか。
 
 規格品の木製品を大量生産している工場では,木の本当の良さは生かされていない。画一的な製品がどんどん大量に作られていくだけである。木の性質や木目など一つ一つの材料の善し悪しは二の次だ。だから集成材などという味気のない材料が使われ,表面に木目をプリントしたりする安っぽい作品が仕上がる。
 
 教育の世界でも同じようなことが言える。画一的な教育がどんどん同じような考え方をする人間を作り出していると考えると,恐ろしい!味も素っ気もない人間が増えていくのだ!こんな恐ろしいことはない。だからこそ,人間一人一人の個性を最大限に引き出せる,子育ての職人!そんな教師に私はなりたい。
2009年冬
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野の花を愛でる
 休日、カメラを首に提げ家内と散歩に出る。ここ数年の私の休日の過ごし方である。もちろん健康のためのウォーキングも目的の一つだが、それよりも私が最も好きなのは歩きながら目にする野の花に四季の移ろいを感じつつ、その可憐な美しさを愛でることである。若い頃は何にも思わなかった雑草や野草と呼ばれる花々が妙にいとおしく感じられるようになったのは歳をとったからかもしれない。名前など知らなくても何の不自由もないのだが、じっと見つめているうちにその名が知りたくなってくる。写真に収め自宅に戻ると、さっそく名前調べである。この作業も何となく習慣化してしまった。名前を調べていくとさらに興味をそそられ、つぎの散歩がまた楽しみになる。
 
 ワルナスビという野草がある。確かにナスに似た花をつけている。しかし、その茎には無数のトゲがありちょっとさわるとかなり痛そうだ。ワルナスビとは昔の人もすごい名前をつけたものだと思うが、その名前に違わず『ワル』そうな風体に思わず吹き出してしまう。風体だけではない、この植物の実は実際に毒をもっているそうだし、草刈り機などで刈ってしまっても、その破片一つ一つからまた発芽するという何ともしぶとい草なのだ。じっと見ていると『ワルいで悪いか!』と居直っている風情でもある。そこが何とも人間くさくていいではないか。車で移動していたり、忙しく駆け回ったりしていては絶対見逃してしまうであろう野の花に、こんなにも味わい深い名前があり、そしてその存在を主張するかのように咲き誇っているのを見ると見逃さずによかったと得した気分になるのである。
 
 世の中スピードが重視される時代。鈍行列車で車窓の景色を楽しみつつ長い時間をかけて移動した旅路を、新幹線は瞬く間に走り抜けてしまう。飛行機での旅に至っては車窓の景色を楽しむと言うよりは下界の超遠景を眺めて旅しているのだ。かく言うわたしも日々の生活の中では車で移動することが多く、野の草に目を留めることなどできないのが現実なのだ。こうしたあわただしい生活の中では、もはや野の草に目を留め、その奥ゆかしさを味わうと言った感覚は廃れてしまったようだ。それと同時に人々の心もどこか世知辛くなってしまったと思うのは私だけだろうか。昔はよかったと昔を懐かしむようになったら歳をとった証拠だと言われるが、私には鈍行列車で旅していた時代がなぜか懐かしく好ましく感じられるのである。
 
 昭和ブームだそうである。やっぱり私だけじゃないんだ。あののんびりしていた時代。土も草もその存在を十二分に主張できていた時代。子どもが泥んこになって遊んでいた時代。そんな時代がよかったと感じる人がたくさんいることに私はホッとしている。と同時に、今を生きる子どもたちにもこうした自然とともに生きる感性をぜひもってもらいたいと思うのである。
幸い学園の子どもたちには、日々の学園生活の中でこうした感性を磨くチャンスがたくさんある。野の草で遊び、虫を追いかけ、石ころを拾い、土と戯れる。都会生活では見落とされてしまうものが、ここでは主役になっているのだ。ここでの生活で磨いた感性で、都会生活に戻っても目立たぬものに目を留める視野の広い人間になってほしいと心から思うのである。
2008年春
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がらくた博士の言い分
 私はがらくたが好きだ!子どもの頃からがらくた集めに熱中し,母にはずいぶん叱られたものだ。ご多分に漏れずビー玉やメンコ,おはじきなどの収集に凝った時期もあった。しかし,いつの頃からか私の収集はよりがらくた色の強いものになった。特に好きだったのは機械の部品。粗大ゴミとして捨ててあるものを拾ってきては分解するという作業に熱中した。今と違って真空管のラジオやテレビがあった時代だから,拾ってくるのも一苦労である。自転車をもっていって自転車の荷台にくくりつけ,よろよろしながら持って帰ってきたものだ。
 
 分解するといろいろな部品が出てきた。まだ,用途がよくわからない頃は専ら部品をさらに分解した。トランスと呼ばれる部品を分解するとエナメル線が信じられない長さ巻かれていた。これを見つけた時は小躍りして喜んだ。エナメル線が手に入れば古釘に巻き付けて電磁石を作ることができるからだ。電磁石遊びは私の最も好きな遊びの一つだったのである。エナメル線をすっかりほどき終わると,鉄の芯が出てくる。この芯は『ヨ』の字型をした鉄板が何十枚も貼り合わさったものと『I』の字型をした鉄板が貼り合わされたものの組み合わせでできていた。この鉄板が素晴らしいおもちゃになった。この鉄板を一枚一枚はがすとすごい威力の手裏剣となるのだ!特に『ヨ』の字型の鉄板は木の電柱に突き刺さるほどの威力だった。(これを読んでいる子どもたちは危険なのでまねしないように!)スピーカーを石でたたいて分解すると,非常に強力な永久磁石も出てきた。これにも大いに熱中した。
 
 自分でラジオが作れるようになると,がらくた集めもぐっと実用的になった。相変わらず粗大ゴミのラジオやテレビを拾ってきていたが,主な目的は部品とりになった。いろいろな部品を取り出し,それを活用して自作ラジオやアンプを製作していたのだ。こうしているうちに回路図が大分読めるようになり,自分になり改造したり,自分で回路図を書いて製作したりできるようになった。こうなると,もはや粗大ゴミは宝の山だった。友だちに手伝ってもらっては大型のテレビなどを自分の部屋に運び込んだ。自分で修理してテレビを見られるようにしたりもした。
 いつの間にか私の部屋はがらくたでいっぱいになった。ある日,大音響と共に部屋が揺れた。あわてた母がすっ飛んできた。私が収集し押し入れにしまっておいたがらくたの重さに耐えかね,押し入れの底が抜けたのだった。もちろん,母からは大目玉を食った。
『すぐに捨てなさい!』
と厳命されたが,この宝の山を易々と捨ててなるものか!さっそく自分で押し入れの底を補強し,私は宝の山を死守した。
 私の部屋は勉強部屋と言うよりは実験室になった。机にはハンダごてが自作のハンダごて台の上にいつも鎮座していた。拾ってきたトランスとダイオードを使って実験用の電源装置も完備していた。もしもに備えて,机に取り付けたコンセントにはフューズも取り付けておいた。この実験室で私はいろいろな電気工作に熱中した。古乾電池を石でたたきつぶし(私の最も原始的かつ有効な分解方法)中に入っている炭素棒を取り出した。(今の乾電池とは構造が違うので,これまた,危険だからまねをしないように!)この炭素棒を二本使って,アーク放電の実験をやったのだ。アーク放電の放つ青白い光にうっとりしたものだ。当然,感電も何度も経験した。中にはよく生きていたなと言うような高電圧の感電も経験した。それでも,実験の楽しさの方が数段素晴らしかった。

 こうして大人になった私だが,がらくた好きは未だに変わっていない。私の教室はやっぱりがらくた箱のようだ。あまり教育的とは言えないし,保護者の方々ももう少し片付ければ?と思う方も多いと思う。しかし,子どもにとって,がらくたは様々なアイデアを生み出し,ただのゴミを有効に活用する知恵を学ぶ貴重な資源である。最近は子どもの成長する環境の中にがらくたが少なすぎると思う。がらくたに埋もれていることが幸せな子も,けっこういるのだ。だから,私は学校には,がらくた部屋が必要だと思う。片付けの心配のない,散らかし放題の部屋。本来なら捨ててしまうものだけど,アイデア次第で無限の可能性を引き出すことのできるものがたくさん詰まっている部屋,そんな部屋が絶対必要だと思う。これががらくた博士の言い分である。
2007年春
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カリスマティーチャー岡田の特別講義U
 私は超〜早起きである。だいたい午前三時台には目覚める。若い頃こそ,夜更かしして朝寝坊なんて言うこともあったが,オヤジと呼ばれるようになってからは,ずうっと早起きだ。血圧が高いから朝起きると,すぐにエンジン全開である。目覚めると,早朝の(深夜か?)静かな時間に仕事をこなす。実際,この原稿も早朝に書いている。ちなみに今現在の時刻は三時二七分である。別に目覚まし時計を使って早起きしているわけではない。自然に目が覚めるのだ。もう,二十年以上目覚ましは使ったことがない。当然のことながら早起きすれば早寝である。下手をすれば学園の子どもたちより早寝をしている日もあるくらいだ。
 
 こうした生活を長く続けていると人間は日中に活動する動物なんだなぁと実感する。夜暗くなったら寝て,朝日と共に目覚める。(私の場合,ちょっと早起き過ぎだが…)実にシンプルで良いではないか。これが自然に忠実な生き方なのだろう。そんな思いを強くするのである。
都会は夜がない。不夜城などと言う言葉がぴったりする。省エネだなんだと大騒ぎするわりには,異常なまでのライトアップに何でなんにも言わないんだと思う。樹木だって大変だ。考えられないような数の電飾を巻き付けられて,本来なら光合成も一休みして静かに休んでいる時間に体中が光っているのだ。おちおち休んでもいられないだろう。排気ガスに耐え,電飾に耐え健気に立っている都会の街路樹たちを見ていると,『よくがんばっているね,ごくろうさん!』と頭でもなでてやりたくなる。

 そんな都会で生活している子どもたちも大変だ。生活リズムを作るには非常に劣悪な環境である。昼夜の区別がつきにくい環境の中で,自分の生活リズムを作ろうと思ったら,相当な意志を持って生活時間を管理する必要があるからだ。私は千葉の片田舎に住んでいるが,私の家の周りには,夜八時半をすぎたら営業している店はない。コンビニだって車で行かなければならない。必然的に周囲が『早く寝ろ!』という方向に導いてくれるのだ。実にありがたいことだ。こうした環境にいれば,生活リズムを作るのは意外に簡単なことなのである。
 
 都会の喧噪と光の洪水の中で生活する最近の子どもたちを見ていると,ある変化に気づく。視覚や聴覚が選択的に働いているのだ。騒がしい環境の中で自分の必要な声や音だけを選択的に聞き取るという力をカクテルパーティー効果という。カクテルパーティーの騒音の中で話し相手の声だけを選択的に聞き取ることが出来る脳の働きという意味で名付けられたものだ。現代の子どもたちは聴覚も視覚も,このカクテルパーティー効果が強く働いているように思われる。この効果が過剰に反応すると,本来有用な情報でも,切り捨ててしまうことになる。最近の子どもたちの様子を見ていると,必要な音や声が聞けていなかったり,必要な観察が不足していたりする傾向のある子どもが多く見られる。行き過ぎたカクテルパーティー効果で聞こえても聞いていなかったり,見ていても見えていなかったりするのだ。こうした傾向を改善するには暗く静かな夜を取り戻し感覚を磨くしかない。私はそう考えるのである。
 
 六年生の移動教室で私が必ず行程の中に入れるものがある。暗い森を静かに歩くナイトハイクだ。最近,ナイトハイクというと肝試しのごとき暗闇遊び的な活動をすることが多くなってきているが,私のやるナイトハイクはあくまで暗闇を体感し,五感をとぎすましながら夜の森を静かに歩くという活動である。真の暗闇を体験したことのない子はたいていその恐怖で,私から離れようとしない。気がつくと何人もの子どもが私の袖口や服の裾を握っている。そうした真の闇の中で五感をとぎすませていると,いろいろなものが聞こえたり,体感できたりする。動物たちの発する警戒音や木の実の落ちる音。そして,足下が見えない恐怖から足の裏に神経を集中しながら歩くと,地面のちょっとした質感の違いまで感じ取れるようになる。ムササビの飛翔音を聞くことが出来たときは,子どもたちと一緒にしばし感動に浸った。
 
 学園の子どもたちにはぜひ,暗く静かな夜を十分に体感し,自然の息づかいを聞き逃さぬ人間になってほしいと心から思うのである。
2006年春
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金では買えないもの
 今の世の中、たいていのものは金で買える。品物だけでなく、娯楽や遊びも金で買える。金で買えるのだから、わざわざ自分たちで考えなくてもよいということで頭と体を使って遊ぶことをしなくなってしまった。ただ、遊ぶ金を得ることにだけ力を注げばいいのだ。最近の少年犯罪のニュースを見聞していると、遊ぶ金ほしさの犯罪がずいぶん多い。遊ぶのにはどうしたって金が必要なのだ。
 
 どうしてこうなってしまったのか?少なくとも私が子どもだった頃は遊ぶのに金など必要なかった。どんなものでも遊びの道具になったし、遊ぶ場所にも困らなかった。それを奪ってしまったのは大人である。都市では遊び場はすべて開発され、子どもたちの遊び場はなくなった。都市型の公園は真の意味での遊び場ではない。遊び場というのはもっと雑多なものだ。ガラクタがなければいけない。規則という制約があってもだめだ。小綺麗な場所は魅力的な遊び場ではないのだ。なぜなら、そこにある雑多なものが子どもたちの遊び道具だからである。木の枝でも金属のガラクタでも何でも遊び道具にしてしまう、子どもは本来、遊びの天才なのである。

 こうして遊び場を奪われ、遊ぶ道具もなくなってしまった子どもたちに大人が用意したのは、金を使って遊ばせてもらう施設や家庭で外に出ずに遊べるゲーム機などである。これでは自分の頭と体を使って遊べといっても無理な話である。ディズニーランドファンには申し訳ないが私はディズニーランドが大嫌いである。金を使って遊ばせてもらう施設の総本山のように見えるからである。遊ばせるプロが造った施設で徹底して計算し尽くされた遊びを体験する。これは楽しくないわけがない。あたりまえだ。しかし、そこにあるのは受動的な疑似遊び体験である。これは、家庭用ゲーム機にもいえる。プロのゲーム制作者が徹底的に検討して造ったのだからおもしろくないわけがない。しかし、あくまで疑似体験の中だけのおもしろさである。疑似体験の弱点はすぐ飽きが来ることである。自分の頭と体を使っていないのだから、当然といえば当然である。
 
 私は学園の裏山が好きだ!できることなら全部裏山で授業をやりたいくらいだ。不思議なもので東京でゲームばっかりやっていたと思われる子どもたちでも、裏山に足を踏み入れたとたんに人が変わる。子どもの持つ遊びの本能が目覚めるのだ。どん欲に遊び始める。裏山で得られる遊びは大人が創った疑似体験ではない。百パーセント自分が創りだす現実の遊びなのだ。だから飽きがこない。放っておけばいつまででも遊んでいる。フジの蔓にぶら下がってターザンのように遊ぶ子、わざわざ崖になっている場所を尻滑りの要領で下り降り、またその崖をよじ登る子、木の実を拾って投げ合いをする子、倒木によじ登り天下を取ったように叫ぶ子などなど、十人十色というが遊び方はいろいろである。やっぱり子どもは遊びの天才なんだと実感する。普段、教室ではおとなしい子がダイナミックに斜面を滑り降りているのを見ると、この子の本来の姿はこれだったのだと初めてわかる。小枝の先などでしばしば切り傷や擦り傷ができることもある。しかし、その痛みも現実の痛みなのである。現実の痛みを知らない子は他者の痛みも理解できないのだ。本当の体験こそが子どもを変え、子どもを成長させる。子どもにはこうした環境が絶対必要なのである。
 
 このような裏山遊びで得られるものは金では買えない貴重なものだ。裏山で遊んだ後の子どもたちは実に晴れ晴れとしたいい顔をしている。明らかに心が満たされている表情である。これが貴重なのだ!他の遊びでは得難いカタルシスを得ているのである。最近はすぐかっとなったり、イライラする子どもが多いようだが、そういう子どもは裏山で数時間遊ばせるといい。精神的に落ち着き穏やかになること請け合いである。

 学園の裏山には何もない。制約もない。そこにあるのは頭と体を使って思う存分遊ぶ空間だけである。私はこの裏山遊びの経験が子どもたちの将来に計り知れない影響を与えるものと確信している。
2005年春
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ドクター岡田の特別講義
 健康学園で子どもたちを指導している立場としては、実にどうも面目ない話であるが、最近、血糖値が異常に上昇してしまい、ついでに高脂血症並びに脂肪肝などというものも抱え込んでしまって治療を受けている。子どもたちに偉そうなことをいっているのになんだ!とお叱りを受けても何の申し開きもできない。いやはや情けないことになってしまった。
 そもそも、原因は何か?普段の生活だって規則正しくしている。自慢ではないが休みの日だって生活リズムを崩したことはない。間食もしなければ、タバコも一五年以上前にやめた。なのになぜ???
 答えは簡単。飲み過ぎだ!
 
 親譲りの大酒飲みで、飯は抜いても酒を抜いたことはないという生活を長く続けてきた。それも晩酌という域を超えた量を毎日飲んでいたのだから体をこわすのも当たり前である。一言、言い訳をお許し願えるなら、私はこう見えても顔に似合わぬ神経の細さを持ち合わせていて(笑わないように!)、少しでも仕事が忙しかったり、いろいろな問題を抱え込んでいたりすると、とたんに眠れなくなってしまうのだ。こうしたストレス状況の妙薬として酒は私にとって欠かせなかったのである。とはいっても酒はエチルアルコール、体内に入れば肝臓によってアセトアルデヒドになり酢酸に変化する。アセトアルデヒドは紛れもない毒物である。(この辺がさすが理科の先生!言うことが科学的である。と自画自賛!)肝臓がその毒物を一生懸命処理していたのだが、主人の連夜の飲酒によって、アルコールによる余分なエネルギーが肝臓に蓄積され、人間フォアグラ状態になってしまったのだ。こうなると肝機能は低下し、肝臓は『私、一生懸命尽くしてきたのだけれど、もう限界です。お暇をいただきます。』といって働くのをやめてしまった。事態は深刻である。ついでに、その隣に控えていた膵臓も『俺、もう知らないもんね!』といってインシュリンの分泌をやめてしまったものだから、本来インシュリンの働きによって体に行き渡るべきブドウ糖がエネルギーとして消費されることなく、『私ゃ、無念じゃ!』と言いつつ、尿になって体外に排出されてしまうのである。

 そんなわけで過日、医師から『今すぐ、禁酒!』と言い渡され、死刑宣告を受けたように肩から崩れ落ちてしまった。こうして、我が人生最大の試練、禁酒と食事制限の日々が始まったのだ。
 血糖値の異常は本当に深刻である。このこと自体は尿の中に糖分が出てくるぐらいで無症状なのだが、他の臓器が血糖値の異常によって『ワシらも、もう持ちこたえられん!』と言って機能を失っていく可能性があるからである。放っておけば死んでしまうことだってあるのだ。もう待ったなしである。すぐに血糖値を下げなければならない。医師の処方してくれた薬を飲みつつ、さっそく私は血糖値について調べ始めた。その結果、血糖値コントロールに有効な民間療法として、桑の葉、シークワーサー(沖縄産の非常に酸っぱい柑橘類)、アーモンドなどがよいということが分かり、さっそく自らの体を使った臨床試験に取りかかった。

 調べていく中で興味深かったのは、日本人は過去に何回もの飢饉を経験し、ひもじい思いをしているので、DNAの中に飢餓に耐える遺伝情報が組み込まれているということだ。日本人の体は最近はやりのエコカーのように、少ないエネルギーで効率よく動かすことができるエコピープルだったのである。だから、今日のような飽食の時代ではエネルギーの過剰摂取に陥りやすいのだ。『な〜んだ、そうだったのか〜!』『セレブだなんだっていってるけど、日本人ってみんな貧乏人の血が流れているのだぁ〜』そう思ったら、なんだか自分の体に流れている日本人の血が妙にいとおしくなった。
とはいえ、今まで酒を飲みながら、あれこれと喰い漁り、腹一杯飲み食いしていた身には、禁酒と食事制限は辛い修行である。食事量は一日1600キロカロリーと決められている。先日も結婚式に呼ばれていったのだが、食事はカロリー計算の結果半分も食べられず、酒も飲めない生き地獄のような状態だった。それでも、何も食べられず死んでいくアフリカの子どもたちのことを考えると、毎日三食食べられるのは幸せなことだ。そう考え、気を取り直して禁酒と食事制限に取り組む毎日なのである。

 児童諸君!悪いことは言わん!過食をさけ、運動を心がけるようにしなされ!そしてなによりも、大人になっても

酒を飲み過ぎてはいかんヨ!
2004年春
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なぜ,白衣を着ているの?
 私は、普段から学校にいるときに白衣を着ていることが多い。『なぜ、白衣を着ているの?』と子どもたちにはよく聞かれる。そんなときは『先生は理科の先生だから…』とか、『先生は博士なんだよ〜』などと冗談めかして答えていた。実際、学生時代は理科を専攻していたので白衣でいることが非常に多かった。(生来の不精者なので、あまり洗濯せず『白衣』が『黄衣』や『茶衣』だったこともしばしばだったけど…。)

 その学生時代に、理科教育学の先生から『白衣は水溶液の色などを比較するときにその背景として使う。子どもに正しい色を見せるためには、白衣を着ているのが一番良い。』と教わった。私はそのときに妙に感動したのを覚えている。そんなことで何で…と思われるかもしれないが、私にはこの『子どもに正しい色を見せる。』と言うことが、子どもにものを教えるときの奥義のように思えたのである。こういうのを『目から鱗』と言うのだろうか。単に薬品を扱うときの安全性や清潔さを目的としたものが白衣だと思っていたものだから、なおさら感激したのだろうと思う。
 
 そして、教員になった私は、しばらく白衣を着ることを忘れていた。まだ若かったこともあり、あまり行動的とはいえない白衣を日常的に着ているのは鬱陶しく思えたからである。その後、養護学校や身障学級の教員を十年ほど務め、福祉教育の必要性を強く感じて再び通常学級の担任として赴任したとき、私は、また白衣を着ようと思った。それは子どもたちに『本当に大切なことをありのままに伝えたい。』『外見や先入観にとらわれずに、ありのままを正確に見る力を持って欲しい。』と思ったからである。それだけではない。私自身が子どもたちを真っ白な気持ちで教えられるようになりたい。いらぬ先入観で子どもを見ず、ありのままの子どもの姿を見られる教師でありたい、という気持ちを白衣を着ることで忘れまいと思ったのである。白衣はいわば私の願いと意気込みの象徴だったのだ。以来、白衣は半ば私のトレードマークになった。
 
 白衣を着ていると、いいことが多い。第一に、私のようにだらしのない格好をしていても、白衣を着てしまえば、まあ、何とかごまかせる。(と思っているのは私だけかもしれない。)第二に、冬場は暖かい。(裏を返せば夏場は暑いと言うことになる。)そして、第三に、何となく偉そうに見える。(放っておけばただのオッちゃんにしか見えない私には、かろうじて先生らしさを演出する貴重な装備になる。)等々、私にとっては好都合なことばかりだ。
 実は、江戸川の小学校にいたとき、私は四年ほど専科教員をやっていた。それも、理科と図工と総合学習の三つの専科を受け持つ自称スーパー専科ティーチャーだったのである。このときも、私のユニフォームは白衣だった。理科の授業の後に図工の授業なんてこともあったので、いつの間にか白衣は絵の具やペンキで色々な色が付いてきた。図工の時間も白衣を脱がなかったのは、服が汚れなくて好都合だったばかりではなく、ここでも白衣は正しい色を子どもに見せるための絶好の背景だったからである。
 
 朝、出勤し白衣を着ると私はただのオッちゃんからティーチャーオカダになる。子どもたちをありのままに見ようと言う意気込みも一緒に身にまとう。私にとって白衣は一種の変身スーツでもあるのだ。白衣のティーチャーオカダが繰り出す数々の楽しい学習に子どもたちが目を輝かせることを願いながら、今日もティーチャーオカダはだいぶ寂しくなってきた白髪頭をひねるのである。
2003年春
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何にも仙人の独り言
 毎夏、家族と猫二匹と共に一週間ほど山にこもる。等というとかっこいいが、何のことはないただ山奥のキャンプ場でボーっとしているだけである。それでも若い頃は子どもたちが小さかったので子どもを遊ばせるという大前提があった。しかし、今となっては子どもたちはそれぞれ自分自分で楽しみを見つけ、川に潜ってはイワナを仕留めてきたりするようになったものだから何の手もかからなくなった。私はただ一日のんびり暮らすだけである。自称『何にも仙人』と名乗り、昼寝をしたり、本を読んだり、ときには昼間から一杯やったりしている。夕方には子どもたちが突いてきた魚を焼いて、それを肴にまた一杯やる。そして、早々に寝てしまう。実にどうも、だらしのない生活をしているのだ。しかし、ただ一つ早起きだけは欠かさずやっている。自慢じゃないがどこのキャンプ場に行っても一番早起きなのは私である。まだ、暗いうち(だいたい三時台である。)に起き出して火を熾す。お湯を沸かし熱い紅茶を飲む。真夏でも山の朝は肌寒い。私の選ぶキャンプサイトはいつも川沿いのものだからなおさら寒い。その凛とした空気の中で熱い紅茶を飲みながら夜明けの美しさを味わう。白んでいく空、くっきりと姿を現す稜線、目を覚ました鳥たちの群れ…。
 
 そして、日の出。目を見張るグラデーションの空。朝日に映し出される山々…。私の至福の時である。
普段、コンピュータや様々な機械を使って仕事をすることが多い。だいたい、生まれついての機械大好き人間なので機械との縁は大変深いものがある。そんな私でも時には機械と全く縁のない生活をしたくなる。人からはよく『先生はコンピュータがないと生きていけませんね。』等と言われることがある。こうした場合私ははっきり否定する。
『いやいや、コンピュータなんてなきゃないで生きていけますよ。私はちっとも困りません。』
 実際、コンピュータが無くても無いなりの生活はできる。
事実、二十年ほど前にはコンピュータとはほとんど無縁の生活をしていたのだ。さほど困りはしない。
 むしろ、私にとって欠くことの出来ないのは『自然に囲まれてすごす時間』である。中でも夏の山ごもりの一週間は最も大切な時間である。大げさに言えば、この一週間で私は私を取り戻しているのである。
 
 世はまさにIT時代。うかうかしていると情報に押し流されて、自分を見失ってしまうことだってある。シミュレーションと現実とが区別できなくなっている人も増えていると聞く。 情報通信技術が発達すればするほど、人間性回復の時間が必要である。『自然に囲まれてすごす時間』はよけいな情報や科学技術をそぎ落とし、人間としてのもっとも基本的な生活を呼び戻し、心の豊かさを取り戻す宝物のような時間なのである。

 こんな私だから、学園で仕事が出来ることを心から喜んでいる。学園の生活にはこの宝物のような時間がたくさん詰まっているからである。そして、子どもたちにとって学園で過ごす時間は本当の宝物だ。心豊かな人間として成長していくために必要なあらゆるものが学園にはそろっている。単に健康を回復するだけでなく、ひとまわりもふたまわりもスケールの大きな人間として成長するための糧がたくさんあるのだ。子どもたちと学園の周りの海山を歩くとき、私はいつも思う。『この美しい海山をずっと守り通してほしい!後は頼んだぞ!』と 。
2002年春
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手つかずの自然の中で
 一月のある日、子どもたちと裏山にはいる。かご編みをするカズラをとるためである。冬は山にはいるにはもってこいの季節。温かい時期なら当然注意しなくてはならない蛇や毒虫、そしてスズメバチ達も静かに春を待っている季節だからである。花の香りも草木の芽吹くにおいもしない代わりに思う存分歩き回れるのだ。
 学園の裏山は全く手つかずの自然。これがいい。そこいらのヤワな自然公園やアミューズメントパークでは絶対に味わうことのできない凝縮された濃厚な自然を味わうことができる。ひっかき傷や擦り傷は当たり前、下手をすれば斜面を滑り落ちることだってあり得る。これがいいのである。この、適度のスリルと山の恵みであるカズラを採取するという行為が子どもたちの野性を覚めさせる。
 
 小さな決断を迫る斜面の段差に直面したとき、子どもたちの顔が変わる。恐怖心と戦う子どもの顔に甘えの色はない。この瞬間は、一人一人がちいさなチャレンジャーになる。決断までのわずかな時間、子どもたちの心は激しく揺さぶられる。そして、決断。得るものは大きい。その大きさは、顔を見ればわかる。実に晴れ晴れと、すがすがしい顔をしている。目が輝いている。
 
 アケビヅルにとりつく。高い枝にしっかり絡まったカズラを無心に引っ張る。途中で切れぬように注意深く…。一人では無理だと見ると、いつの間にか周りの子どもたちが集まってくる。そして、声を合わせ、力を合わせ一心に引っ張る。しばしの戦いの後、カズラはあきらめたように切れた。しりもちをつき、しっかりカズラを握ったまま、団子のようになって笑っている。どの顔も実に満足げだ。自然の中で遊ぶといつの間にか協力することを学ぶ。自然の強さ、厳しさに立ち向かうとき、一人では無理だということを子どもは直感的に感じ取るのだ。そして、ごく自然に友だち同士が助け合う。友だちのありがたさが身にしみるときだ。
 教室では、何時間もかけて教えなければならないことが、自然の中ではあっという間に学ぶことができるのだ。
 『それ以上進むと危ないぞ!』誰かの声が飛ぶ。不思議なものだが自然の中にいると危険を予測することができるようになる。きっと人間の持っている本能が呼び覚まされるのだろう。そうしろと言ったわけでもないのに、互いに足場の悪いところを教え会い危険を回避する。私が『危ないぞ!』と声をかける前に誰かの声を聞くとき、子どもの底知れない能力を思い知る。

 たくさんのカズラを収穫し、ほくほく顔で帰途につく。ここからがまた一苦労。さっき死にものぐるいで下った斜面を今度は登らなくてはならないのだ。頼りになるのは周囲の木の枝や根、太い下草など。これにつかまり必死に斜面を登る。登っては滑り落ち、登っては滑り落ちしているうちに、いつの間にか、なにをつかんだら自分の体を支えられるか見ただけで分かるようになる。体重をかけたら折れそうな枝や半分枯れた草など直感的に見分けられる。こんな能力だって、手つかずの自然の中だからこそ身に付けられるのだ。
先に無事斜面を登りきった子どもが後から登ってくる子どもに声をかける。『だいじょうぶかぁ!』『もっと右に進んだ方が登りやすいぞ!』そして、直前までくると自然に手が伸びる。『ほらっ、つかまれ!後少しだ!』『よしっ!もうちょい!』まるで山男達のようだ。
こんな光景を見ているだけで、なぜか私は胸が熱くなる。もしかしたら、本当の仲間、固い絆ってこんな時に作られるのではないかと思えてくるのだ。少なくとも都会生活の中では絶対に味わうことのできない連帯感がこの瞬間には感じられるのである。
 学園の裏山は自然の宝庫、冒険の宝庫であると同時に人との絆の宝庫なのかもしれない。
2001年春
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